第26話 オモイオモワレ
「……よし、決めた!」
その日、勝気な翡翠色の瞳を持つ少女はオークスウッド国立防衛軍の訓練学校にある寮の一室で、気合を入れながらそう叫んだ。
それを聞きつけた相方の少女が、はてと首をかしげる。
「いったい、何を決めたの……?」
少女らしからぬ、ソファにぐったりと身を預け、口に菓子を加えながらの問いに、問われた少女は特に気にすることなく答える。
「何をって……、私の想いをあの人に言うの!」
彼女の言う「あの人」について、心当たりのあったルームメイト兼親友兼チームメイトの少女は、菓子をかじりながら興味をなくしたように「ふーん」と軽く流す。
そうして、気合を入れるように両手を胸の前で握り締める翡翠色の瞳の少女に、相方の少女は興味なさげに訊いた。
「ところでクーリアさ……。あの人のどこがそんなにいいの? あの人ってどっちかっていうと冴えないほうじゃない? あんたならもっといい男もいるだろうに……」
相方にそう言われ、クーリアと呼ばれた少女はぷくりと頬を膨らませる。
「そんなことないよ! あの人は格好いいよ! というか、別に外見だけが全てじゃないし……。あの人の格好良さは中身……というか……、考え方……というか……」
自分で言っていて恥ずかしくなったのか、語尾をすぼませながら顔を真っ赤にさせるクーリア。
そんな彼女を見て呆れたのか、相方の少女はふっと苦笑すると、ぞんざいに手を振った。
「あ~はいはい。あんたが心底その人に惚れてるのは分かったから、さっさと行ってらっしゃい」
そう言って顔をそらした親友に、クーリアは小さく「ありがとう」と呟いて自分の部屋に飛び込んだ。
これから想い人に、その胸の内を告げるために。
彼女なりの精一杯のおしゃれをすると、勢いよく部屋を飛び出した。
それゆえに彼女は聞き取ることができなかった。
相方の少女がつぶやいた一言を。
「……というか、約束も何もしてないのに都合よく会える可能性なんてないよね?」
◇◆◇
その日、休暇だった湊とリリアが朝食を取ろうと、ガーネット邸の食堂へ足を運ぶと、そこには珍しく現侯爵のチャールズとその妻のシェリーが、すでに優雅に食事を楽しんでいるところだった。
「お父様、お母様……。本日は屋敷にいらっしゃったのですね?」
幾分戸惑ったようなリリアの声もむべなるかな。
爵位の引退間近とはいえ、この両親は何かと忙しい身なのだ。
それこそ、せっかく諸外国への外遊からオークスウッドに帰ってきたというのに、家にいる時間のほうが少なく、侯爵直轄の研究所だったり、軍施設だったり、あるいは国議会だったりと、日々奔走していたのだ。
そんな二人が、この日は珍しく朝から優雅に食事をしていたのだから、リリアだけでなく湊も大きく目を見張っていた。
と、リリアと湊の反応を楽しむように悪戯っぽく笑った侯爵は、手にしたワインを掲げながら、湊たちに着席を促す。
「ほら二人とも。そんなところに立ってないで、早く席に着きなさい」
促された二人は、きょとんと顔を見合わせながらも素直に席に着く。
その直後、よく訓練されたガーネット家の執事やメイドたちが素早く朝食の用意を整え、そのままあっという間に立ち去ってしまった。
相変わらずの素早さに、すっかり慣れた湊が我に返ったように口を開く。
「えっと……、二人とも今日はお休みなんですか?」
その問いに、優雅にコーヒーを口にしながら侯爵は頷く。
「ああ、ちょうど研究やら報告やら議会やらがひと段落ついてな。こうして私たちは休みを取れたんだ」
「そういうあなたたちは、今日の予定はないんですか?」
夫人からの問いに、湊はゆっくりと首を振る。
「いえ……僕は特には……。せいぜい図書館にでも行ってみようかと思ってたくらいです」
「そうなんですか。リリア、あなたは?」
「…………私、ですか?」
質問をされたリリアは、律義に口の中のものを飲み込んでから首をかしげた。
「私は……そうですね……。軍のほうの仕事は終わっているので、侯爵家の仕事を片付けようかと……」
それを聞いた侯爵夫妻は、なぜか顔を見合わせてにやりと笑った後、おもむろに切り出した。
「それなんだがな、リリアよ。侯爵の仕事は私たちがやろう」
「…………はい?」
父の突然の申し出に、思わずきょとんと返すリリアに、母が苦笑した。
「なんて間の抜けた顔をしているのですか、リリア?」
母の指摘に、反射的に謝って顔を引き締めたリリアは、改めて問い直す。
「それでお父様……? 先ほどは何とおっしゃられました?」
「だから侯爵の仕事は私たちがやろうと言ったのだ。……というか本来は現侯爵である私がやるべき仕事なのだがな……。それをお前が優秀なのでまかせっきりにしてしまっていた」
本当にすまない、と頭を下げる父に慌てながら、リリアは返す。
「いえ! お父様もお母様も本当に忙しいのは分かっていますので。それに……」
中途半端に言葉を途切れさせるリリア。
その隣で、湊はリリアがあえて口に出さなかった続きを理解していた。
彼女はこう言いたかったのだ。
――将来侯爵を継いだ時の練習にもなる
しかし彼女は今、現侯爵である父からその爵位を継ぐための試練を受けている最中。
そしてその試練に対する答えに、彼女はまだたどり着いていなかった。
それゆえに、リリアはその言葉を口にすることを躊躇ったのだ。
その心情は、もちろん両親であるチャールズとシェリーにも分かっていた。
だからあえて、娘の試練に対する答えを急かすことなく、こう切り出したのだ。
「それにな、実は私たちが侯爵の仕事を引き受けるのにはもう一つ理由がある」
「理由……ですか?」
娘の問いに頷き、父はコーヒーを一口含んでから、しゃべり始めた。
「実は国議会絡みの案件が舞い込んできてな……。それがどうやら侯爵としての仕事と絡んでいるようなのだよ。そしてその案件は国議会で私が直接片付けなければならない。だから、ついでにほかの仕事も国議会で片付けておこうと思ったのだ」
チャールズの言葉に納得したのか、「分かりました」と頷いたリリアに、今度はシェリーが話しかけた。
「その代わり、リリアとミナトさんには一つお使いをお願いしたいのです」
その言葉に驚いたのは、湊だった。
「え……? リリアだけじゃなく、僕もですか?」
はい、とシェリーはにこりと笑う。
「そのお使いはリリアだけでは大変でしょうから。それともあなたは、か弱い少女が大変なお使いを一人でこなそうとするのを見捨てるような冷血漢なのですか?」
あえて煽るような夫人のその口調の裏に、「惚れた女を見捨てるのか?」という意味を感じ取った湊は内心でむっとしながら答える。
「分かりました。僕も問題ありません」
湊の答えに、わざとらしく嬉しそうに微笑んだ夫人は、そのお使いの内容を語り始めた。
「リリア。あなたは我が侯爵家がいくつかの養護院を運営していることは知っていますね?」
その問いに頷くリリア。
「はい。東西南北と中央区、それぞれの地区にあります」
そう答えると同時に、母の言いたいことを理解したリリアだったが、シェリーは湊のためにあえて説明をする。
「今回はその中の一つ、中央区にある養護院へ訪問してもらいたいのです。そこで、院長と面談をして、運営に問題がないかを確認してきてください。すでに先方にはあなたたちが昼前に行くことを伝えていますので」
僕の意思は無視なんだ、と頬を引くつかせる湊をよそに、リリアは頷いて立ち上がる。
「分かりました。そういうことならすぐに準備を整えて、出発したほうがよさそうですね」
リリアの言葉に、湊がちらりと食堂の時計を確認すると、時間は昼前というにはまだ早すぎる時間。
中央区にあるという養護院がどこにあるのかはわからないが、そこまで時間がかかる距離でもないはずなので、今からすぐに準備をして出発すると、約束の時間よりもだいぶ早い時間になるのではないか。
そう危惧した湊だったが、次の瞬間、否と首を振る。
いくらリリアが自分を飾らないとはいえ、それでも女性である以上、身支度にはある程度の時間がかかるものだ。
そう思いなおし、湊も立ち上がる。
「僕もすぐに準備をします」
そんな二人に、微笑みながら頷いた侯爵は、そのまま食堂を出ていこうとする二人へ、思い出したように声をかけた。
「ああ、そうだ二人とも。中央市場の中にある菓子屋で院への手土産を買っていってくれ。もちろん、子供たちの分も含めて、な?」
分かったとばかりに頷き返した子供たちが食堂を出ていくのを見送った侯爵は、いつの間にか側に控えていた執事長に、事細かな指示を出すのだった。
◇◆◇
少女は中央市場の最寄り駅の前で一人頭を抱えていた。
「(そうだった! 今日が休日だからって確実に会えるわけじゃなかった!!)」
つまるところ、彼女は一人意気込んで寮を飛び出したはいいものの、特に約束をしているわけでもない特定の相手と確実に会えるほど、このオークスウッドという国は狭くはないという事実を失念していたのだ。
「(あ~~~~! 私のバカ!)」
駅舎の出入り口で一人うずくまり、自分の頭をぽかぽかと叩く少女の絵は、ほかの人から見ればかなりシュールなものだった。
そして、そんな彼女の醜態を哀れに思った神の慈悲か、あるいは運命の悪戯のせいか、ともかくそこに奇跡はなった。
「それにしても養護院かぁ……。僕、そういうところ行くの初めてだなぁ……」
「そうなんですね。とてもいいところですよ。子供たちは元気ですし、職員たちもきちんと子供たちの面倒を見てくれています」
「そうなんだ……」
そんな会話をしながら、駅舎から出てきた一組の男女が、痴態を晒す少女に気づくことなく、中央市場のほうへと歩いて行った。
そして、その男のほうの声に気づいた少女が慌てたように顔を上げると、そこには少女が心に想う少年の姿があった。
「(……っ!? なんでここに!?)」
一瞬驚愕した少女だったが、直後に驚いている場合ではないと首を振ると、急いで立ち上がって彼らを追いかけていく。
「(ガーネットさんが邪魔だけど、そんなものは何の障害にもならない! 行くよ、クーリア・ジェード! 一世一代の大勝負よ!)」
自らを叱咤激励し、二人を追いかけて中央市場に飛び込んだクーリアは、しかし人ごみに紛れて見失った二人の姿に愕然とした。
「ああ……、せっかくのチャンスだったのに……」
目の前のチャンスを取り逃がし、がっくりと肩を落としたクーリアは、そのままとぼとぼと一人中央市場を彷徨う。
先ほどからすれ違うのは、家族連れの楽しそうな笑顔や、若い男女の幸せそうな笑顔。
そんな彼らの姿に、自分が一人でいることに惨めさを感じたクーリアは、その惨めさをため息とともに吐き出して踵を返し、そうして間もなく中央市場の正面ゲートというところで、ばったりと一組の少年少女と出会った。
「あれ? クーリアさん?」
「まぁ、偶然ですね」
そう声を掛けられて顔を上げた少女の目の前にいたのは、少女が恋する黒髪の少年と、その少年を自分と取り合うライバル(と彼女が勝手に認識している)である、特徴的な|深い柘榴石色≪カーバンクル≫の瞳を持つ少女だった。
◆◇◆
「これで手土産は買えたね」
紙袋を片手に、店の扉を開けながら言う湊に、リリアが頷く。
「はい。あとは擁護院へ行くだけです。私は院長と少しお話をすると思いますが、その間ミナトはどうしますか?」
「僕は……そうだな……」
リリアが扉が出たことを確認してから、扉を閉めた湊が考えながら視線を中央市場の大通りに移した時のことだった。
目の前を、周りの空気に似つかわしくない雰囲気を纏いながら、とぼとぼと見覚えのある少女が歩いていくのが見えた。
「あれ? クーリアさん?」
「まぁ、偶然ですね」
そう声をかけられて顔を上げた少女は、果たして軍学校に通うクーリア・ジェード訓練生だった。
思わずといった様子で立ち止まった少女に、湊たちはさらに話しかける。
「クーリアさんも中央市場でお買い物?」
「あ……いや……」
湊の問いかけに言い淀んでしまったクーリアは、なぜか一瞬リリアの顔を見つめた後、頭を強く振った。
そして……。
「こんなところで会うなんて、本当に偶然ですね!」
先ほどまで纏っていた雰囲気が一変、顔を輝かせながらさりげなく湊の手を取る。
突然のことで思わず頬を引きつらせる湊に構わず、クーリアは続ける。
「私は友達とご飯を食べる予定だったんですけど、友達が直前にキャンセルしちゃって、これから帰ろうかなってところだったんです! 先輩たちはどうしてここに?」
握った手を離さないとばかりに、自分の胸の前に持っていきながら問いかける少女に、女性慣れしていない湊はしどろもどろになる。
そんな湊に代わるように、リリアが少し表情を曇らせながら答える。
「私たちは、これから父のお使いで、ガーネット家が運営する擁護院に行くところです」
もちろん、クーリアも擁護院という存在は知っていた。
そして彼女は頭の中で素早く計算する。
そうして、導き出された回答を、少女は躊躇いなく口にした。
「わぁ! そうなんですか? 擁護院に私も一緒に行っていいですか?」
「あなたが……ですか……?」
少し怪訝そうな顔をするリリアに、クーリアは一気に捲し立てる。
「はい! 私、子供が大好きなんです! だから子供の相手は任せてください! それに……」
なぜかそこで言葉を途切れさせたクーリアは、周りを伺うように見回した後、声のトーンを落とす。
「実は私も擁護院出身なんです……。といっても、ガーネット侯爵様のところじゃないんですけどね……」
その告白で、少女の顔に影が落ちたように思えたリリアは、先ほどの怪訝さから一変、急に慈愛に満ちた顔になる。
「そうですか……。そういうことならば、一緒に行きましょう」
「リリア……? いいの?」
湊の疑問に、リリアは首を縦に振る。
「別に父からは、ほかに同行者を連れて行ってはならないという指示は受けていませんし、それに子供を相手にするなら一人でも人手が多いほうが助かりますから」
「まぁ……リリアがそれでいいならいいけど……」
こうして、少年の複雑な気持ちを残したまま、三人は電車でガーネット家が運営する擁護院へ向かうのだった。