第24話 異変
「(あれは……いったいどういう意味だったのでしょうか……?)」
中央市場でクーリア・ジェードと不意に遭遇したその日。
約束通り、湊と一緒に買い物をしたリリアは、オークスウッド中央区郊外にある自宅で夕食を食べた後、自室のベッドに横になりながら、ぼんやりと考えていた。
その内容とは、昼間にクーリアから受けた言葉について。
「負けませんからね……と言われても……、私は別に彼女と何かを争っているようなことはありませんし……」
まったく意味が分からないとばかりにため息をつくリリア。
そして、意味が分からないといえば、もう一つ。
「どうして昼間、私はあのような行動をとってしまったのでしょうか……? それに、あの時の気持ちも不思議です……」
客観的に見ても、不審者極まりない昼間の行動と、その時に胸に過った感情を思い返す。
「確かにミナトは大切な家族ですが、別にミナトが誰とお付き合いしていようと……」
そこまで考えて、湊が知らない女性と仲睦まじく通りを歩く様子を想像する。
途端、胸にずきりとした小さな痛みが走る。
その痛みが走る胸を軽く抑え、リリアは小さく息をつく。
「またです……。どうしてそのような場面を想像するだけで……」
その理由を探ろうとするも、答えなど出るはずもない。
なぜなら、リリアは自身のうちにあるその感情について、何も知らないのだから。
ともあれ、考えても一向に答えが出ない疑問に見切りをつけるように、リリアは軽く頭を振る。
「考えても分からないことならば仕方ありませんね。一度誰かに相談してみるのがいいでしょう……」
自分に言い聞かせるようにそう呟いたリリアは、部屋の電気を消すと、ゆっくりと眠りの世界に落ちるのだった。
一方そのころ、同じくガーネット邸の一室では、異世界から来た少年、石動湊がベッドの上で激しく落ち込んでいた。
「絶対に誤解してるよな、リリア……」
彼の脳裏に過るのは、昼間の出来事。
昼からリリアと合流することを楽しみに、一足先に国立図書館へと向かった湊は、そこで先日の訓練学校での特別講義に参加していた少女、クーリア・ジェードと出会い、なし崩し的に行動を共にすることになってしまった。
それだけならばまだよかったのかもしれないが、あろうことか、その少女は湊を無理やり昼食に誘い、リリアと待ち合わせていた中央市場へと引っ張っていったのだ。
そしてその現場を、|意中の人≪リリア≫に見られてしまった。
幸いというべきか、湊の本心を知らないリリアは、ひどく穏やかな様子で声を掛けてきたのだが、それでも恐らく、彼女は湊がクーリアと付き合っていると勘違いしているかもしれない。
いや、ほぼ確実に勘違いしているだろう。
「どうやって誤解を解こうかな……」
そう呟きつつ、脳内でシミュレートをしてみる、が……。
どう言い繕ったとしても、最終的には素敵な笑顔で「きちんと責任を持たないとだめですよ?」とこちらに言い聞かせてくる未来しか見えなかった。
恨むべくは、日本人に遺伝子レベルで刻まれた「押しの弱さ」だろうか。
ともかく、なんとかして誤解を解きたいところではあるのだが、これといった方法が見当たらず、湊は仕方なしに問題を棚上げにすることにした。
◆◇◆
明けて翌日。
この日、緊急出撃の待機任務だった湊たちは、パイロットスーツに身を包み、いつでも出撃できる状態で待機室にいた。
普段ならば、待機室に設えられた事務机で事務作業をしているはずのリリアは、なにやら考え込むようにぼうっとしており、湊はそんなリリアをちらちらとのぞき見している。
そんな二人の様子を、先輩たちが感じ取らないわけもなく、深々とため息をついたダインが、そっと湊に近づいてきた。
「おい、ミナト……」
「……なんですか、ダインさん?」
呼ばれて、視線を隠していた本から目を向ける湊の首に、勢いよく腕を回すダイン。
「お前、隊長と何かあったのか?」
「……えっ?」
単刀直入なその質問に、湊はとっさにごまかすこともできずに呆ける。
ちなみに、カールがこっそりと聞き耳を立てているのはご愛敬だ。
それはさておき、あからさまなその態度に、やはり何かあったのだと察したダインは、隊長に聞こえないようにそっと耳打ちをする。
「お前と隊長の間に何があったのかは聞かねぇ。けどな、お前も隊長もそんな様子だと、任務に支障をきたすんだよ。特に隊長があんなだと、まともな作戦も立てられやしねぇ」
だからな、とダインは湊の首へ回した腕の力を強める。
「てめぇが責任を取って、隊長を元に戻せ」
わかったな、と離れていくダインに、湊は心の中で不満を言う。
「(僕に責任をとれって言われても……)」
とはいえ、確かに先輩の言う通り、今のままのリリアでは任務にも支障をきたしそうなので、湊は仕方なく立ち上がると、書類処理に身が入っていない様子のリリアの前に立つ。
「あの……リリア……?」
名前を呼ばれた一瞬、身をビクリとすくませたリリアは、そっと書類から目を上げる。
「どうかしました、ミナト?」
どこか、窺うように訊ねるリリアに、湊は少し躊躇ってから切り出す。
「あの……、ちょっと来てもらえるかな?」
そう言って湊は、リリアと二人きりになれるような場所へ彼女を誘う。
ちなみに、その様子を目撃していたカールが暴れようとするが、事前にそれを察知していたダインによって抑えられているのはまた別の話。
ともあれ、周りに誰もいないことを確認した湊は、早々に本題を切り出すことにした。
「あのさ……、その……この間のことなんだけど……」
「この間のこと?」
「だから……その……、ほら……この前の休日にリリアと中央市場で買い物をしようとしたときの……」
「あ……ああ……、あの時……ですか……」
なぜか少しだけ俯いたリリアに、湊はやがて意を決したように言葉を発した。
「その……誤解してないかなって……」
「誤解……ですか?」
「うん……。その……あの時、僕が訓練生のジェードさんと一緒にいたのはただの偶然であって……その……。図書館でさ……ばったり彼女と会ったんだよ……。それで……話の流れで一緒にご飯を食べようってことになって……さ。それで中央市場まで行ったところで……」
「偶然私と会った……と?」
「うん……。だから勘違いしないでほしいんだ……。僕は彼女と……ジェードさんと付き合ってるわけじゃないってことを……」
「そう……でしたか……」
それだけを呟いて再び下を向いたリリアの顔は、どこかほっとしたような顔だったのだが、あいにくそれは湊からは見えなかった。
対する湊はといえば、奇妙な空気にいたたまれなくなったのか、「と……とにかくそういうことだから!」と早口に告げると、そそくさとその場を去っていく。
それゆえに気づかなかった。
リリアが、再び思案顔になっていることを。
そうして、湊から少し遅れて待機室へ戻ってきたリリアが、出ていく前とさほど変わらない様子だったことをダインに指摘され、「戻ってねぇじゃねぇか!」と怒鳴られながら、拳で小突かれようとした瞬間だった。
突如、待機室に備え付けられたスピーカーからけたたましい警報音が鳴り響いた。
それが意味するところは、緊急出撃の命令。
当然、すぐにその意味を理解した湊たちは、一斉に立ち上がり、隊長であるリリアに注目する。
一方、リリアも先ほどまでの思案顔から一変、いつもの凛とした表情を浮かべると、居並ぶ隊員たちに指示を出した。
「皆さん、すぐに出撃準備です!」
了解、と答え、湊たちはすぐさま格納庫へと向かうのだった。
◆◇◆
カタパルトから射出された湊たちは、すぐさまリリアと合流しながら通信モニタ越しに作戦を聞く。
『今回の相手は小鬼猿です。すでに知っていると思いますが、魔獣の中でもかなり力が弱く、知能も低いです。ですが、木から削り出した棍棒を所持するなど、侮ることはできません。しかも、今回は同じ小鬼猿が四体、同時に確認されています。決して油断はしないようにしてください』
注意を促すリリアに、ダインが不満を漏らす。
『けどよぉ隊長……。所詮は小鬼猿だろ? 別に連携してくるわけでもねぇし、その程度の相手なら楽勝だろ?』
『それは……そうかもしれませんが……』
実際、過去に確認された小鬼猿は、誰もが苦戦をすることなく、楽に殲滅している。
そしてそれはリリアも、ましてや訓練学校を卒業したばかりの湊でさえ、手間取ることはなかった。
そう考えると、ダインの言葉は正しい。
『ですが、船上では常に不測の事態というものがあります。ですから、最低限の心構えだけはしておいてください』
『それはもちろんすけど……。そうだ! 隊長、せっかくだから賭けをしようぜ?』
『賭け……ですか?』
『おい、ダイン! 何を勝手なことを……!』
通信に割り込んできたカールを無視して、ダインは続ける。
『ちょうど、数は一人一匹いるんだし、うち漏らした奴は今日の晩飯を全員に奢るってのはどうよ?』
その提案に、リリアはしばし考えた後、にこりと笑った。
『そうですね。今回は簡単な相手で油断も生まれやすいですが、賭けることで緊張感も出てきます。というわけで、今回は各自一匹を担当して、うち漏らしたり、手伝ってもらったら夕ご飯をおごるということで』
「リリア!?」
リリアからの言葉に思わず叫んでしまう湊だったが、時すでに遅し。
隊長からの命令としてくだされた以上、従うのが軍人である。
「ああもう! わかったよ!!」
半ば叫ぶように返した湊は、前方をしっかりと見据えながら操縦レバーをしっかりと握りなおす。
そしてそれと同時に、リリアから鋭い声が届いた。
『……来ます! 総員、戦闘準備!』
了解、と返し、湊はバックパックに装備していた斧槍を両手に装備する。
確認したわけではないが、この時点でダインは後ろに下がり、狙撃のために銃を構えているのだろうし、リリアはすでにミサイルを発射準備して、恐らくカールは剣を引き抜き、いつでも飛び掛かれるように態勢を整えているのだろう。
「(僕も気合を入れなきゃ……)」
そう湊が意気込んだ直後。
『総員、戦闘開始!』
リリアの鋭い指示が聞こえ、湊は標的に向かって飛び掛かった。
「だぁあああああっ!!」
気合一閃、高速機動モードで急加速した勢いそのままに振り下ろされた湊の斧槍は、しかし彼の予想と反して先ほどまで小鬼猿がいた空間をただ虚しくえぐるだけだった。
「えっ?」
まさか避けられると思ってもみなかった湊が思わず間の抜けた声を出す一方で、通信モニタから仲間たちの戸惑うような声が聞こえてきた。
『何!?』
『はぁっ!?』
『そんな!?』
どうやら彼らもまた、渾身の一撃をあっさりと避けられたらしい。
しかもそれだけではなく、湊たちの攻撃を避けた小鬼猿たちは一か所に集まると、信じられないことに陣形を組み始めた。
『どういう……こと……?』
信じられないものを見ているといった感じで、リリアが思わず呟く。
しかしそれも当然といえる。
通常、魔獣の知能は犬や猫並みに高いとされる。
もししっかりとコミュニケーションをとることができれば、彼らにも芸を仕込むことができるだろう。
けれど、いくら知能が高いといっても、戦闘時に連携したり陣形を組む、という行動は歴史上一度も報告されていない。
もちろん、力が弱いゆえに群れで行動する魔獣も存在する。
だが、そんな魔獣でも戦闘時は個別になってしまう。
それだというのに、目の前の小鬼猿たちは、まるで人間がそうするように陣形を組み、連携している。
『……っ!? 全員聞いてください!』
湊とカールが前衛として魔獣の連携された攻撃をどうにかさばいていると、焦ったようなリリアの声が飛んできた。
『今回の小鬼猿たちは何かが違います! が、考えるのは後にして、今は目の前の魔獣を撃破することに集中してください! ミナトとカールはそのまま魔獣たちをひきつけてください! 私がミサイルと射撃で動きをコントロールします! ダインは動きが止まった相手から狙撃で仕留めてください!』
『うっす!』
『分かりました!』
「了解!」
二人の先輩同様に返事をした湊は、意識を切り替えると目の前のことに集中する。
左右から同時に鋭い爪を振りかざしてきた二匹の小鬼猿を、機体を素早く後ろに下がらせることで躱し、手にしていた斧槍で片方を薙ぎ払う。
悲鳴を上げながら吹き飛ばされた小鬼猿と入れ替わるように、別の猿が棍棒を振り下ろしてくるのを視界の端で確認した湊は、すぐさま斧槍を掲げることで受け止め、その隙にと襲い掛かってきた別の小鬼猿の対処は先輩に任せる。
『僕の存在を忘れてもらっては困るな!』
格好つけるように吐いたカールが大上段から振り下ろした高周波振動ブレードの剣を、小鬼猿はその場を飛び退くことで難を逃れ、しかし、直後に飛んできたリリアが放ったミサイルの直撃を許す。
「グギャッ!?」
『狙い撃つ!』
短い悲鳴を上げた魔獣は、後方に控えていた狙撃手の狙撃で頭を撃ち抜かれ、断末魔の悲鳴を上げる間もなくその頭部を爆ぜさせながら絶命した。
「ギャッ!」
「ゲギャッ!」
「ギギッ!」
仲間がやられたことで、残った小鬼猿たちは標的をダインに絞ったらしく、それまで執拗に攻撃していた湊とカールを無視して後方へ向かおうとする。
しかし。
「させない!!」
『通さないよ!』
湊がポールウェポンの長大な射程距離を活かして一匹を叩き落とし、カールが素早く回り込んで残りの二匹に斬撃を見舞う。
そこへさらに、光の筋が三本、狙い過たずに三匹の猿を射抜いた。
『ふぅ……』
リリアは魔獣たちが確実に絶命していることを確認して大きく息をつくと、通信モニタ越しに仲間たちに微笑みかけた。
『皆さん、お疲れさまでした。魔獣、小鬼猿四体の討伐を確認しました。任務完了です』
その一言を聞いた瞬間、湊は思わず大きくため息をついて、倒れている魔獣たちを見る。
「ふぅ……何とかなったけど……。なんか変だったな、今回の魔獣……」
湊のその呟きに頷いたのはリリア。
『ええ……。まさか魔獣が連携をとるなんて……。この魔獣たちが全て亜種……だったのでしょうか……』
『可能性はなくはないっすけど……、どんな確率っすかそれ……』
会話に交じってきたのはダイン。
そしてそれに続くようにカールも混ざってくる。
『小鬼猿とはこれまで何度も戦ってきましたけど、連携をとる動きをしてきたのは今回が初めてですね……。確かにこいつらが全部亜種って考えるのが普通ですけど……』
『そうではないと?』
リリアの問いに、カールは頷いて見せる。
『恐らくは……。ダインも言っていましたが、確率的にもほぼないでしょう……。たまたま亜種が同じ場所で四匹、それも同じ小鬼猿で誕生するって考えるのはちょっと……』
カールの言う通り、もしそれが真実ならば、それは恐らく天文学的数字になるに違いない。
「とりあえず……こいつらを解析してもらえば何かわかるんじゃないですか?」
疲れたから早く帰ろう、そんな思いを込めて放った湊の一言に、その場にいた全員が一瞬ぽかんとした顔になる。
そして。
『まぁ、確かにミナトの言う通りだな! ここでうだうだ言ってても何もわからねぇんだし……。隊長、そろそろ帰りましょうや!』
『珍しくダインに賛成だ』
『おい、カール! てめぇ! 何が珍しくだ!?』
そのまま、いつものような言い合いを始めてしまったダインとカールを見て、リリアはくすりと笑う。
『ふふっ。……ええ、そうですね。帰りましょうか』
その言葉に湊は大きく頷いて賛成の意を示すのだった。
◆◇◆
――某研究所
照明が落とされた暗い研究室に、痩せた一人の男が入ってくる。
その男は入るなり、まっすぐに研究所の所長のもとへ向かい、声をかける。
「どうだ、調子は?」
男が訊ねた調子とは、もちろん所長や研究員の体調の話ではない。
ここで彼らが研究している内容についてだ。
それを重々承知の所長は、モニタに様々な数値が表記されたグラフを表示させる。
「先ほど実戦データの収集ができました。ほぼ想定通りですが、まだ一部乱れが見られます。もう少し、学習をさせたほうがいいでしょう……」
「ふむ……。実戦の相手はどこだ?」
「軍からの報告によると、ガーネット隊が対応したと……」
「ほう……」
男は面白そうにこけた頬を歪ませる。
「本格的な実戦への投入はどのくらいになりそうだ?」
「はい……。このあたりの数値を調整しつつ、もう数回ほど実戦テストを行えば可能でしょう……。期間としては、数か月後を目途にしています……」
「そうか……。では頼む……」
「はっ!」
所長はびしりと敬礼をすると、すぐさま自分の作業へと戻っていく。
その様子を見ながら、男は一人呟く。
「もう少しだ……。もう少しで……」
モニタのぼんやりとした光が、男の不気味な笑みを浮かび上がらせた。
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