第23話 ライバル
それは訓練学校での特別講義が終わって少しした、ある日のことだった。
「それじゃ行ってきます」
オークスウッド中央区の郊外にある、ガーネット邸の玄関で、シルバーブロンドと特徴的な|深い柘榴石色≪カーバンクル≫の瞳に優し気な色を浮かべながら見送りに来た少女、リリア・ガーネットへ、異世界から来た少年の石動湊は、そう声を掛ける。
「はい、行ってらっしゃい。あまり遅くならないように気を付けてくださいね? もし遅くなりそうなときは、端末に連絡してください。それと、ハンカチやティッシュは持ちましたか? お昼代は足りますか? もし足りないようなら……」
まるでこれから遠くに出かける子供を心配する母親のように、あれやこれやと世話を焼こうとするリリアに湊は苦笑する。
「そこまで心配しなくても大丈夫だって。ただ中央区の国立図書館に行くだけだし……。そんなに心配しなくても……」
そう、 湊はこれから、ガーネット邸から電車で数駅離れたところにある、オークスウッド国立図書館へと向かう予定だった。
すでに何度も通っているところでもあるし、さらに言えば家から直線距離で数キロのごく近場にあるので、そこまで心配する必要はないのだ。
しかし、リリアはまだ不安そうに顔をゆがめる。
「車に気を付けてくださいね? 無理に電車に飛び乗ろうとしないでくださいね?」
そう心配するリリアに、湊は内心で「オカンか!」とツッコミを入れる。
「大丈夫だって。それよりリリアもせっかくの休日なんだから羽を伸ばしなよ? 最近また、休みの日でも仕事してるでしょ?」
「私は平気へっちゃらですから。……でもそうですね……。せっかくのお休みですからもしかしたら、あとで中央市場に遊びに行くかもしれません」
「それなら、その時に僕も合流するよ。荷物持ちもいたほうがいいだろうし」
むん、と腕を曲げて力こぶを作るようにアピールする湊。
けれど悲しいかな、いくら異世界に来て、軍人として鍛えているとはいえ、もとは線の細い少年だったのだ。
その腕もあまりに頼りない細さだった。
そんな湊にくすり、と笑うリリア。
「わかりました。その時はお願いしますね?」
そう言って微笑んだ少女に、湊は張り切って大きく頷くと、くるりと踵を返した。
「それじゃまた中央市場で!」
「はい、行ってらっしゃい」
その言葉を背に、近場の駅へと向かった少年を見送ったリリアは、そのまま自分の屋敷を振り返る。
「さてと……、私も残りの仕事を片付けましょうか」
誰に言うでもなく、一人気合を入れたリリアは足取りも軽く、屋敷の中へと戻っていくのだった。
◆◇◆
一方、中央図書館の最寄り駅にたどり着いた湊は、さんさんと照り付ける太陽に眩しそうに眼を細めた後、ゆっくりと図書館へ向かおうとした。
ちょうど、その時。
「あれ……? もしかして……」
そう声を掛けられて降り勝った先には、短く纏めたプラチナブロンドに勝気な翡翠色の瞳を持つ少女。
訓練学校の訓練生、クーリア・ジェードがいた。
「君は確か……」
先日行った講義にいた少女の名前を思い出そうとする湊の機先を制するように、少女がいう。
「クーリアです。クーリア・ジェード。覚えていませんか?」
少しだけ悲しそうに瞳を伏せる少女に、湊は慌てたように首を振る。
「お……覚えているよ! 僕に質問してきたし……。それに、シミュレーターでの訓練にも参加してたでしょ?」
湊がそういうと、少女は一転、その表情を明るくする。
「そうです! よかったぁ……覚えていてくれて……」
そう安堵する少女に、湊は内心で思う。
「(結構まじめな質問をしてきた子だから印象に残ってたんだよな……)」
そんな湊の内心を知らぬ少女は、ぐいっとその整った顔を港に近づける。
「それで? イスルギ准尉はこんなところで何をしてるんですか?」
「へ……? 僕……? 僕は……国立図書館に用があって……」
なんだか近いな、とは口に出さず律儀に答える湊に、クーリアは嬉しそうに笑う。
「そうなんですか? 私も、ちょっと国立図書館に用事があったんです。偶然ですね」
語尾を弾ませながら、なぜか湊の手を引く少女。
「え……あの……ちょっと?」
戸惑う湊を無視して、クーリアは湊の腕を胸に抱え込むようにしながら引っ張る。
「せっかくですら、一緒に行きましょう!」
そうしてクーリアは、強引に湊を国立図書館へ引っ張っていく。
「わわっ!? ちょ……ちょっと……!?」
突然のことに戸惑い、抵抗の様子を見せる湊だったが、少女の力が思いのほか強かったのか、はたまた腕に当たる柔らかな感触に抵抗する力を奪われたのか、ともかくそのままずるずると図書館へと引っ張り込まれる。
「(一人で行きたかったんだけどな……)」
そんなことを内心でぼやきつつ、それでもなすが儘にされる当たり、湊の弱さがうかがい知れる。
ともあれ、二人して図書館に入ったところで、クーリアがふと湊を振り返った。
「ところでイスルギ准尉は……」
「あぁ……今はプライベートだから准尉とかいらないよ」
「ほんとですか!? じゃあミナトさんで」
嬉しそうにそう呼ぶ少女へ、いきなり名前呼びとツッコミたかったが、自分もリリア相手に過去いきなり名前で呼ぶという失態を演じていたのを思い出し、やめる。
そんな湊へ、一瞬だけ不思議そうに首をかしげて見せたクーリアは、すぐに元の笑顔に戻ると、話を再開させる。
「ところで、ミナトさんはどんな本をお探しですか? よかったら案内しますよ? 私、国立図書館はちょっと詳しいんです! 何せ、幼いころから通い詰めてますから!」
なぜか妙に張り切る少女の勢いに押され、「ちょっと小説を探しに……」とつい応えてしまう湊。
途端、クーリアは目を輝かせた。
「わっ! ミナトさんって小説も読むんですね! 尊敬します!」
「そ……そうかな……?」
「そうですよ! そもそも軍人の人たちってあまり本を読みませんし、読むとしても小難しい専門書だったりするので」
もちろん、全員が全員そういうわけではないだろう。
事実、湊が世話になっているガーネット邸にも、規模、蔵書量ともに国立図書館に及ぶべくもないが、それでもちょっとした学校の図書室以上の図書室があり、そこには専門書や歴史書などのほかにも、小説や漫画なども置かれており、リリアや侯爵夫妻がそれらを手にしている場面も目撃している。
とはいえ、それは特別ガーネット家の面々が変わり者の可能性もあるということであり、少女の言う一面も無きにしも非ずではある。
湊のチームメイト兼先輩のカール・アイドクレースがいつも小難しそうなタイトルの専門書を手にしているのがいい例だろう。
と、そんなことをしているうちに、いつの間にか図書館の受付で来館申請を終えたクーリアが、再び湊の腕に自分の胸を密着させながら引っ張る。
「ほら、ミナトさん! 行きますよ!」
何がそんなに嬉しいのか、満面の笑みを浮かべて自分を引っ張る少女に、湊は困り顔を浮かべながら、自分に突き刺さるある種の視線に、内心でこっそりとため息をついた。
◆◇◆
「ん~~~っ!!」
うなり声をあげながら、少女は自室の天井に向かって両腕を高く上げ、背筋を思いっきり伸ばすと、小さく息をついた。
「ほぅ……。やっと片付きました……」
誰に向けたわけでもない独り言を吐き出した少女は、その特徴的な|深い柘榴石色≪カーバンクル≫の瞳を、簡素なデザインの、けれども高級感あふれる事務机の上に積まれた書類に向ける。
「我ながら休日でもよくやるものです……」
独り言なのにも関わらず、常と変わらぬ丁寧な口調でそう呟いた少女――リリア・ガーネットは、やがてもう一度深々と息を吐き出すと、肩を軽く回してから、机の上に用意されていたコーヒーを口に含む。
「さてと……思ったよりも早く終わってしまいましたね……」
予想では昼近くまで書類仕事に追われ、その後に軽い昼食をとってから、オークスウッド中央区の中央市場で、湊と合流するはずだった。
しかし、生来の彼女の能力の高さゆえか、思ったよりも書類仕事が早く終わってしまった。
「さて、どうしましょうか……」
可愛らしく腕を組みながら、はたと考えるリリア。
「今頃ミナトは国立図書館で本を読んでいるころでしょうし……。それを邪魔するのは忍びないですね……」
実際の湊ならば、本を読んでいる最中だろうと気にせず、むしろリリアから連絡があり次第すぐにでも駆けつけるのだが、そんなことを知る由もない少女は、一人思案を巡らせる。
と、そんな時だった。
――きゅるん
腹が可愛らしい音を立て、少女は慌てたように顔を真っ赤にさせる。
とはいえ、ここはオークスウッド中央区郊外に佇むガーネット邸の、さらにその一角にある自室。
加えて、仕事をするに際して、少女は集中したいからとメイドや執事たちを部屋から追い出していて、現在この場にいるのは一人。
それを思い出し、リリアは誤魔化すように小さく咳払いをすると、誰に向けたわけでもない言い訳を始める。
「これはあれですね……。仕事で脳がカロリーを大きく消費したからお腹がすいたんです!」
一人で頷いたリリアは、その直後、名案を思い付いたとばかりにぽんと手を打つ。
「そうですね。せっかくですから、お昼は外で食べましょうか!」
そうと決まれば、とばかりにさっそく携帯端末を取り出し、執事長を呼び出す。
『どうかされましたか、お嬢様?』
ワンコールにも満たない僅かな間に通話に出たイアンに驚くことなく、リリアは要件を伝える。
「今日の私の昼食は用意しなくて大丈夫です。今日は外で食べることにしましたので」
『さようでございますか。それではそのように料理人には伝えておきます。ちなみに、ミナト様はどうされますか?』
イアンに言われ、湊のことを思い浮かべたリリアは、ゆっくりと頭を振る。
「おそらく必要ないでしょう……。ミナトも現在国立図書館に出かけていますし……。あとで中央市場で合流する約束をしましたから……」
『かしこまりました』
丁寧に頭を下げてイアンが通信を切ったのを確認したリリアは、さてとといすから立ち上がると、そのまま自室のクローゼットに歩み寄る。
軍人であり、また侯爵家の跡取りでもあるリリアは同年代の少女たちに比べたらおしゃれに疎いが、それでも部屋着のまま外出するような人間ではないため、クローゼットにずらりと並べられた服を物色する。
そうして、適当に見繕った白地に黒い縞のシャツに黒のジャンパースカートを身にまとうと、ハンドバッグに携帯端末を突っ込んで、意気揚々と出かけたのだった。
「まずは先に中央市場まで行ってお昼を済ませてから、ミナトと合流しましょうか……」
そんなことを呟きながら中央市場の最寄り駅を降りたリリアが「さて、何を食べましょうか?」と首を巡らせた瞬間だった。
中央市場入り口にあるアーケードの下に、見慣れた少年を発見した。
|オークスウッド≪この国≫では珍しい、黒髪に黒い瞳を持つその少年もまた、恐らくお昼を食べに来たのだろうと当たりをつけ、それならばいっしょに食べようと声を掛けるべく一歩近づいた直後、目の前に写った光景に、リリアは思わず息をのんで物陰に隠れた。
それは、見慣れた少年――湊の腕を、短く纏めたプラチナブロンドに勝気な翡翠色の瞳を持つ少女が抱え込むという光景。
気が動転してつい隠れてしまったリリアは、さてどうしようかと悩み、そっと物陰から顔をのぞかせてみる。
もしかしたら、何かの見間違いかもしれない、そんな淡い期待を抱きながら。
しかし、その目に飛び込んできたのは、先ほどとさほど変わらないものだった。
もっとも、湊が困り顔を浮かべているという差異はあったが。
ともあれ、なぜか心に浮かんだもやもやした感情に戸惑いながら、リリアはそっと顔を戻す。
「(あれはまさか……ミナトがお付き合いしている女性でしょうか……)」
いや、と首を振る。
「(そんな話は聞いたことありませんし……、それに……)」
もう一度、顔を覗かせて、今度は湊に抱き着く少女を注視する。
「(あの人は確か……)」
脳裏に過るのは、先日の訓練学校での特別講義。
そこの訓練生に、目の前の少女と外見が一致する人物が一人。
「(彼女は確か、訓練生のクーリア・ジェードさん……)」
湊が休日に訓練学校に行っていた様子はないし、異世界から来た彼に、以前からの知り合いはいない。
となると、彼女と出会ったのは先日の特別講義のときであろう。
そしてその日は、講義を終えると全員、速やかに帰宅した。
「(ということは、二人は恋仲ではない、ということですか……)」
そう推測をして、なぜかほっと胸を撫でおろす自分に首をかしげる。
「(あれ……? どうして私はミナトが女性と会っているのを目撃して動転したり、お付き合いしているわけではないとわかってほっとしているのでしょうか……?)」
そんな疑問が頭をもたげてくるが、ともかく隠れている必要もないと判断したリリアは物陰から出ると、そのまま無造作に湊へと歩み寄った。
◆◇◆
「ミナト」
聞き覚えのある声に呼ばれ、ふと振り返ってみれば、そこには特徴的な|深い柘榴石色≪カーバンクル≫の瞳を持つ少女がいた。
「リリア……」
どこかほっとしたような、それでいて嫌なところを見られたような、複雑な顔になる湊。
そんな湊の心情を知ってか知らずか、湊の腕を抱え込んでいた少女が割り込んでくる。
「あなたは……ガーネット中尉……」
なぜかむっとしたような顔の少女に、けれどリリアは柔らかくほほ笑む。
「確か……クーリア・ジェードさん、でしたね?」
「え……はい……」
まさか名前を憶えられていたとは思ってもみなかったのだろう、クーリアが戸惑ったような顔をする。
「まさか名前を知ってるだなんて……」
そう呟いたのが聞こえたのだろう、リリアはわずかに苦笑する。
「たとえ一回きりの講義でも、生徒の名前を覚えるのは当然のことですから。ああ、それと……。今日は私もミナトと同じく休暇です。ですので、ここでは階級抜きで呼んでください」
そう答えるリリアに、クーリアはますます不機嫌そうな顔になりながら「わかりました、ガーネットさん」と渋々呼ぶ。
そんな少女二人の間に流れる空気を敏感に察したのか、湊が慌てたように話題を変える。
「ところでリリア……。どうして中央市場に? 僕はてっきりお屋敷でまだ仕事をしているのかと……」
「えぇ……。実は仕事が早く終わってしまいまして……。それでミナトと合流するのにもまだ時間があったので、せっかくですからお昼を外で食べようと思ったんです」
「ああ……、そうなんだ……。それだったら、僕らもこれからお昼を食べようかってなったところだし……。せっかくだから三人で……」
そう言いながら、傍らの腕を抱え込んだままの少女に目を向けた湊は、一瞬だけ垣間見えた少女の表情に「見なきゃよかった」と後悔した。
何せ、その一瞬の間だけ、クーリアはまるで親の仇を見るかのような険しい顔になっていたのだから。
とはいえ、次の瞬間にはクーリアは申し訳なさそうな顔を湊に向けていた。
「あ~! すいません、ミナトさん! 私、実はこの後用事があったのを思い出しました!」
白々しくそういった少女は、胸に抱え込んでいた湊の腕を開放すると、びしりと敬礼を決めて見せる。
「というわけで、クーリア・ジェード訓練生! これにて失礼いたします!」
そう言ってくるり、と踵を返した少女は、リリアにすれ違いざまにぼそりと呟いた。
「私、負けませんからね……」
そうして颯爽と去っていった少女を、リリアはきょとんとした顔で見送った。