第21話 気持ちと挑発
――いつからだろう……
異世界から来た少年、石動湊はぼんやりと思う。
具体的にいつからかはわからないけれど、いつの間にか無意識に、とある少女の姿を探すようになった。
彼女が笑うたびに、声をかけてくるたびに、その特徴的な瞳で見つめてくるたびに、彼の心は踊った。
少女が悲しむたびに、落ち込むたびに、少年の心も沈んだ。
この感覚に、湊は覚えがある。
湊が元の世界にいたころ、何度か経験した感覚。
幼稚園に通っていたころに担任だった先生へ、小学校の頃に隣の席だった子へ、中学の頃に図書館で出会ったあの娘へ、何度か抱いた感情。
それは、いわゆる恋心。
いくら湊がその手のことに疎いといっても、そこは思春期の少年。
そういう経験は何度もあるし、実際に何度か相手へと想いを伝えたこともある(とはいえ、すべて断られているが)。
その恋心を抱いていた時と同じ感覚を、湊は今も感じ取っていた。
その相手は、家族であり、軍の上司であり、異世界に来た時に命を救われた恩人でもある人物。
長い銀髪に深い柘榴石色の瞳が特徴的な少女、リリア・ガーネット。
湊がその想いに気づいたきっかけは、数日前のことだった。
その日、任務後に報告書を総務へ提出した湊は、軽く空腹を覚えたために、食堂へと向かった。
そうして食堂の入り口に飾ってあるサンプルから食べたいものを決めた湊が、さっそく注文しようと中へ一歩踏み入れた時だった。
彼の視界に、休憩中なのか、一人の少女の姿が目に入ったのだ。
「リリ……」
声をかけて一緒に休憩しようと思った湊だったが、直後に飛び込んだ光景に思わず立ち止まった。
リリアの前で緊張した面持ちで立つ、一人の見知らぬ青年。
制服の肩に飾られているのは、リリアと同じ中尉の階級章。
仕事の話だろうか、と一瞬ためらった湊の耳に、その後、青年の緊張した声が聞こえてきた。
「り……リリア・ガーネット中尉! ……いえ、さん!」
「……はい?」
ことり、と首をかしげるリリアに対して、青年はなおも緊張した面持ちで、手を何度も握ったり開いたりを繰り返している。
そんな彼から漂う、一種独特な空気に湊が見守る中、青年は思い切ったように顔を上げて、その言葉を口にした。
「あの……俺……前からあなたのことが……好きでした!! だからその……俺と付き合ってください!!」
強く目を閉じ、勢いよく頭を下げて手を前へと差し出す青年を前に、リリアは戸惑ったようだった。
そうしてしばらく困ったような顔をしたリリアは、やがて。
「申し訳ありません。私はあなたとお付き合いするわけにはいかないのです」
丁寧に頭を下げながら、そう断ったのだった。
相手の青年が、がっくりと肩を落としながらそのまま食堂を出ていく。
そんな二人の様子を見守り、知らず知らずのうちにほっと胸をなでおろした湊は、しばらくしてガーネット邸の自室に戻り、この時のことを振り返る。
「まさかリリアのあんな場面に出くわすなんて……」
自分以外誰もいない部屋で、一人つぶやいた湊は、直後、ふと想像してしまう。
もし、あの時リリアが断らずに青年と付き合っていたら。
あの青年ではなくとも、別の人と恋仲になったら。
もしリリアが、将来その人と結婚するつもりだと家族に紹介したら。
そう考えてしまった直後、湊の胸がチクリと痛んだ。
「リリアは大切な家族で恩人だ……。だから幸せになってほしい……。けど……どこの誰ともわからないような人とって考えるのはちょっと嫌だな……」
大切な人だからこそ幸せになってほしい。
しかし、彼女が見知らぬ誰かの横で幸せそうに微笑んでいるところを想像すると、胸がもやもやする。
ゆえにこそ、湊は気づいた。
「ああ……僕はリリアが好きなんだ……」
口にした途端、心にすとんと何かがはまった気がした。
そうして自分の気持ちを理解した湊はしかし、自分の気持ちを理解して数日が経った今でも、彼女へその想いを伝えようとはしなかった。
その理由はいくつかある。
まずは、家族同然の今のこの関係性を、壊してしまうことが怖かったこと。
湊の想いをリリアが受け入れるかどうかに関わらず、湊が居心地がいいと感じている今の状態に戻ることはできないだろう。
つまり、ぬるま湯から出るのが怖かったから。
そしてもう一つ。
リリアは、先日の彼女の誕生日に与えられた、父からの爵位継承にまつわる試練に必死で、余裕がない。
そんな彼女に、今想いを告げたところで、余計彼女に負担がかかってしまう。
それを危惧したからだ。
もし、湊が自分の想いを告げるとしたら、それは自分の中でぬるま湯からの脱却の覚悟を決め、かつリリアが試練を乗り越えて心に余裕がもたらされたときだろう。
ゆえに湊は、自分の想いを隠して、いつも通りに彼女と接するのだった。
そんなある日、湊たちに一つの任務が舞い込んできた。
◆◇◆
「軍学校で講義……ですか……?」
任務内容に、代表してリリアが首をかしげる。
そんな彼女に重々しく頷いたのは、この任務を言い渡した司令だった。
「ああ……。どうやらガーネット中尉が、去年軍学校で行った講義が教師陣の間で話題になっていてな」
「はぁ……」
リリアの気の抜けたような返事に苦笑しつつ、司令は話を続ける。
「そこで、一度今期生に中尉の講義を聞かせてほしいということらしい。ついでに、その講義を受けた生徒であるイスルギ准尉や、普段中尉の部隊で活躍している少尉たちの話も聞いてみたい、とのことだ」
准尉たちはおまけだな、とおどけるように言う司令に湊があいまいに笑っていると、リリアが「分かりました」と頷いた。
「そういうことでしたらお引き受けします。まぁ、もとより任務なのですから軍人には拒否権はありませんが……」
「すなまいね……。任務の詳細な資料は総務部に行って受け取ってくれたまえ」
「了解しました。それでは失礼します」
びしりと敬礼を決めて司令室を後にしたリリアたちは、さっそく総務部で詳細な資料を受け取り、中身を確認する。
「えっと……講義をするのは一週間後の対魔獣殲滅兵器操縦習熟訓練……、あれか……」
湊が自分が訓練生時代に受けた授業の苛烈さを思い出し、思わず顔が引きつる。
リリアが担当していたその授業は、毎度受け終わるたびにへとへとになっていたものだ。
けれど、あの授業を乗り越えたからこそ、きっと今の自分は軍でもこうしてやっていけているのだろう。
そんなことを考えつつ、続きに目を通す。
「授業の内容は、簡単な体験談とシミュレーターを使った訓練生との模擬戦……?」
どういうことだろう、と首をかしげる湊の疑問に答えたのはリリア。
「以前、学園長から相談を受けたことがあります。今期生は優秀なのですが、その分調子づくことが多く、教師も手を焼くことがあるのだとか……。おそらく、プロの軍人との力量差を見せつけることで、彼らの気を引き締めたいのでしょう」
これは負けるわけにはいきませんね、と付け加えたリリアに、湊は苦笑いするしかない。
そして同時に、湊は内心で胸を撫で下ろしていた。
彼は心配していたのだ。
あの日――リリアの誕生日に、彼女が父から課せられた試練に対して、プレッシャーを感じているのではないかと。
「答え」が見つからずに、焦っているのではないかと。
しかし、あれから数日が経過してみても、少女の様子に、変にピリピリしていたり、何か焦っているなどの普段との違いはなかった。
もしかしたら、表に出さないだけで、心の中では相当に焦っているのかもしれないが、少なくとも見た目は変化がない。
これならば、ダインやカールも何かあったとは気づかないだろう。
そんなことを考えつつ、湊はリリアたちと講義の細かな打ち合わせをするのだった。
そうして迎えた一週間後。
湊はリリアたちとともに、卒業して以来立ち寄ることのなかった軍学校へと赴いていた。
もちろん、卒業してからまだ一年も経っていないので、何かが変わっていたりすることはないのだが、それでも自分が在籍していた時とは何かが違う、そんな感覚が湊にはあった。
「(もう僕がここの生徒ではなくなったからかな……)」
そんな感慨を抱く湊をよそに、リリアと先輩たちはあっさりと中へと入っていくのを見て、湊もあわてて続く。
事前の打ち合わせで登録されていた携帯端末で、軍学校のゲートをパスし、訓練生たちの好奇の視線を受けながら、職員室を目指す。
そしてたどり着いた職員室の扉の前で、湊は学生のころとは違う緊張を感じていた。
一方、リリアは一年もの間、講師として働いていたからか、何の気負いもなくそっと扉をノックすると、「失礼します」とあっさりと中へと入っていった。
「(さすが、リリアは慣れたものだなぁ……)」
そんなことを考えつつ、湊も慌てて職員室へと入り、リリアの後ろに並ぶ。
そして。
「オークスウッド国立防衛軍所属リリア・ガーネット中尉です。軍からの命令で、本日はお世話になります!」
びしり、と敬礼を決めたリリアに続き、湊とダイン、カールも敬礼をする。
そんな彼らに唖然とした後、笑顔で近づいてきたのは学園長だった。
「あらあらまぁまぁ……。お久しぶりですね、ガーネット先生!」
差し伸べられた手を握り返しながら、リリアは照れたように笑う。
「先生はよしてください、学園長。私はもう、この学校の講師ではないのですから……」
それは失礼しました、と笑った学園長は、リリアの後ろに並ぶ湊に目を止める。
「あなたも元気そうね、ミナト・イスルギさん?」
「おかげさまで……」
あいまいに答えながら、湊も握手に応じる。
そんな湊にくすり、と笑いかけながら、学園長は職員室を振り返る。
「さてさっそくですが、任務のお話をしましょう」
そうして呼び出したのは、一人の女性教師。
すらりとした体躯に短い髪、鋭い目つきが印象的なその女性は、しかしその見た目とは真逆に花が咲いたような笑顔でリリアに挨拶をする。
「こんにちは、リリア・ガーネット中尉。私はあなたの後任で、今期の対魔獣殲滅兵器操縦習熟訓練の教師をしております、フレイ・サードニクスと申します。よろしくお願いします」
思ったよりも丁寧なあいさつに湊たちが戸惑う中、リリアは同じように笑顔で応えた。
「こちらこそよろしくお願いします、サードニクスさん」
その笑顔に、同性であるはずのサードニクス女史の頬が紅く染まる。
ちなみに、あとで話を聞いたところ、女史はどうやらリリアのファンらしく、直接話せたばかりか、名前を呼ばれたことで照れてしまったらしい。
それはともかくとして、湊たちもそれぞれに挨拶を済ませたところで、話は本題へと入る。
「事前の打ち合わせでお分かりいただけていると思いますが、今期の訓練生たちは……その……優秀ではあるのですが……」
サードニクス女史は、言いにくそうに口ごもらせた後、やがて意を決したように話し始めた。
「私の授業でも、ほかの先生の授業でもそうですが、少しその……私たち教師を下に見ているような節がありまして……」
「要するに調子にノっているということか……」
ダインの一言に困り顔をしたサードニクス女史は慌てたように「でも本当はとてもいい子たちなんです!」と付け加えた。
生徒をかばうその様子はとても愛らしい姿ではあるが、それとは別に「教師を見下す」というのは問題でもある。
下手をすれば、授業が成り立たなくなってしまう。
そこまでを素早く考えたリリアは、サードニクス女史へ頷いて見せる。
「分かりました。本当は私たちの体験談を話すだけの予定だったのですが、彼らの気を引き締めるためにも少し厳しく指導したほうがよさそうですね」
厳しい目つきでそう口にしたリリアに、湊たちは何かをやる気だと直感したが、それを口に出す前にリリアがサードニクス女史に問う。
「訓練生たちには少し厳しい現実を知ってもらったほうがいいでしょう。彼らは今どこに?」
「えっと……。この後は特別講師にガーネット中尉達を招いての特別講義となっていましたので、今は教室で待機しているはずです……」
「では、すぐに彼らをシミュレーター室へ集めてください。私たちも準備をしてすぐに向かいます」
「了解しました!!」
軍人並みの敬礼を披露した女史が、すぐさま職員室を出て教室へ向かったのを見届けて、リリアはくるりと湊たちを振り返った。
「そういうことですから、あなたたちもすぐにパイロットスーツに着替えてシミュレーター室へ集合してください。場所は……ミナトが覚えていますよね?」
その有無を言わせぬ笑顔に、湊たちは全力で敬礼をすると、すぐさま職員室を飛びだし、パイロットスーツに着替えるために男子更衣室へ向かう。
そして、更衣室へ着くや否や、緊急出撃もかくやと言わんばかりの速度で着替えを始める。
着ていた軍服を脱いで下着だけになると、靴になっている部分へ足を通し、一気に腰元までスーツを引き上げる。
続いて袖の部分に腕を通し、別れている背中の部分を抑えながら両脇のファスナーを閉じ、最後に首元のフィットボタンを押してスーツ内の空気を排出して、体に密着させる。
訓練生の時代からやりなれた一連の作業を、わずかな時間で終えた湊たち三人は、そのまま急ぎ足でシミュレーター室へと向かう。
そうしてたどり着くと同時に到着したリリアは、三人を見て満足そうに頷いた。
「三人ともちゃんと準備できたようですね」
その笑顔と言葉の裏に、「もしも準備が遅かったら一緒に鍛えなおすところでした」という心の声が聞こえた気がして、湊が青ざめていると、やがてどやどやと訓練生がシミュレーター室へ入ってきた。
彼らが纏う空気は事前に話を聞いたように、湊たちがいたころよりも緩んでいるようで、リリアは思わず顔をしかめた。
そんな彼女の空気を敏感に察したのだろう、サードニクス女史が慌てたように手を鳴らした。
「皆さん、急いでください! 今日は特別講師をお招きしておりますので!」
しかし、女史のそんな声は彼らには届かなかったらしく、変わらずだらだらと好き勝手に散らばり、一向に集まる様子がない。
さすがに将来軍を目指す訓練生たちが、こんなだらしない状態では問題だと感じた湊が動くよりも早く、ダインとカールがすっと前に出る。
「おい、てめぇら! さっさとこっちに来い!」
「僕たちを待たせてそんな態度はいただけないね? 軍だったら厳罰ものだよ?」
鋭い声と冷ややかな声が、ざわついた訓練生たちの間を通り抜け、彼らを黙らせる。
これはさすがに効いたかな、と湊が思った直後、突如静まり返った訓練生たちの間から、一人の少年が歩み出た。
「あなたたちがどこのどなたかは存じ上げませんが、いきなり恫喝ですか? ですが残念でしたね。僕たちはあなたたちに従う義務はありません。軍だったら厳罰? それがどうしたというのです? あいにくここは軍学校。つまり軍ではないので、厳罰はできませんよ?」
気障ったらしく、それでいて厭味たっぷりにそう言ってきた少年に、ダインとカールの眉間にしわが寄る。
そんな中、湊はこっそりとサードニクス女史に訊ねてみた。
「あの彼は?」
「あの子は、今期の訓練生の中心となっている子です。どうやら中央区の伯爵家の子らしくて……」
話を聞いて、湊はなるほどと思う。
どうやら彼は、湊たちの世代におけるリード・ガレナと同じような立場らしく、けれどリード・ガレナとは違って湊たちのように彼に対抗する生徒がいなかったのだろう。
それでこの世代の訓練生における中心人物となった、ということだ。
面倒くさい奴はいつでもいるんだな、と湊がぼんやりと考えていると、訓練生に言い負かされているダインとカールをかばうように、リリアが歩み出た。
「どうもあなた方は私たちの実力を認めたくないようですね……。それではこうしましょう。今から私たちとあなた方でシミュレーターによる模擬戦を行います。私たちは、私とそこのミナト・イスルギ准尉、そしてダイン・コランダム少尉とカール・アイドクレース少尉の四人。それに対して、そちらはあなたが選抜した四人。もしあなた方が私たちに勝てたのなら、自由にしてくださってかまいません。ですが、私たちが勝ったならば、その時は私たちの言うことを聞いてもらいます」
いかがですか? と挑発的な笑みを浮かべたリリアに、先導者の少年は嘲笑する。
「なんで僕たちが、そんな意味のないことを……」
そういって勝負を断ろうとした少年を、なおもリリアは挑発する。
「おや? もしかして負けるのが怖いのですか?」
「なんだと……!?」
「別に私はあなた方が勝負を逃げても構いませんよ? ただ、あなた方は今後、講師たちを見下したりすることはできなくなりますけどね? 私たちに負けるのが怖くて勝負から逃げるんですから……」
その言葉に、少年は悔しそうに顔を歪める。
そして。
「ふん! いいでしょう! そこまで言うのなら受けてあげます!」
そう言い残して訓練生たちの輪の中に戻った少年を見送って、リリアはくるりと湊たちを振り返った。
「……というわけです。がんばって彼らをコテンパンにしてあげましょうね!」
胸の前で拳を握り締めて意気込むリリアに、湊は頬を引きつらせるしかなかった。