第20話 誕生日とプレゼントと……
龍天祭も終わったある日の夜。
オークスウッド中央区の郊外にあるガーネット邸のとある部屋にて、一組の男女が暗い部屋の中で密談を交わしていた。
「それで、あなた? 決行は今度のあの娘の誕生日でよろしいのですね?」
女の問いに、男はゆっくりと頷く。
「ああ……それでいい。もう、私たちの時代は終わったのだ。そろそろ、次の世代に託すべきだろう……。それにあの娘ならば、試練も無事に乗り越えるはずだ……」
ブランデーを垂らしたコーヒーを静かに味わう男の姿は、はたから見れば優雅なものに見えるだろう。
だがしかし、女は気付いていた。
男の眼には、強い意志が宿っていたことを。
きっと、彼女が何を言っても、その意志を止めることはできないであろうことを。
それ故に、女はそっと目を伏せた。
「そう……。もしかしたらあの娘には辛い選択を迫ることになるかもしれませんね……」
表情が曇る女の肩を、男は優しく抱きしめる。
「なに、大丈夫だよ。何せ、あの娘は私たちの娘なのだから……」
静かな男の言葉に、女は小さく頷く。
そんな女に、男は優しげな微笑を見せた。
「それに、もうすぐアレも完成する。アレならきっと、あの娘を守ってくれるさ」
そんなことを言いながら、男は自分の机の上に置いてあった書類に目を向ける。
そこには、対魔獣殲滅兵器の詳細な図形が描かれており、一番上にはこう書かれていた。
――『新型対魔獣殲滅兵器開発概要』と。
◆◇◆
この日、ガーネット邸に住まう執事やメイドたちは、朝から大忙しで働いていた。
その忙しさは、普段は駄メイドとして名高いメイドのアイシャですらも、サボることなく走り回っていることから伺える。
そしてその陣頭指揮を執っているのは。
「そこの花は玄関へ! 料理は予定通りに調理を始めてください! ほらアイシャ! あなたはこちらへ!」
このガーネット家の執事長であるイアンだった。
彼は常に周囲に眼を配り、的確に采配を下しながらも、更に自ら手を動かしていく。
その様子は流石の一言で、彼が担当する場所はみるみるうちにその様相を変えていく。
とそこへ、この館の主であるチャールズ・ガーネット公爵が姿を現した。
その瞬間、今まで慌しく動き回っていたメイドや執事たちが一斉に、作業の手を止めて公爵へと向き直る。
「おはようございます、旦那様」
いち早く、それでいて優雅に挨拶したイアンに続くように、一斉に「おはようございます」と頭を下げるメイドや執事。
そんな彼らに返事をしてから、作業を続けるように促した公爵は、すぐそばに立っていたイアンに声を掛ける。
「どうかね、準備のほうは?」
「はい、全て滞りなく、順調に進んでおります」
「そうか……。しっかりと頼むよ? なにせ今日は……」
「えぇ。お嬢様の十七回目の誕生日ですから……」
そう、彼らが朝から慌しく準備をしていたのは、公爵家の一人娘のリリア・ガーネットの誕生日パーティーのためだったのだ。
生まれてからずっと見守ってきた少女の生長した姿を思い浮かべ、どこか感慨深げに眼を細めるイアンに対し、同じように笑みを浮かべた公爵は、けれどすぐにその顔を引き締め、イアンの耳元に口を寄せる。
「ああ、それから……、お前にだけは先に伝えておこう。実は今日……リリアにアレをするつもりなんだよ……」
公爵の言う「アレ」が何なのかを瞬時に察した執事長の目が驚きで見開かれる。
「……っ!? ついに……ですか……」
ゆっくりと頷いた公爵は、決意を瞳に宿らせて言う。
「実行は今夜の遅く。その時にはお前にも立会人になってほしい」
「……かしこまりました」
主人の言葉に、深く頭を下げたイアンは、そのまま立ち去っていく公爵を見送った後、気分を入れ替えるように大きく息をついてから鋭く声を発した。
「アイシャ!! サボるなと言っていたでしょう!!」
その一喝に、とある駄メイドが悲鳴を上げた。
一方その頃。
異世界から来た少年の石動湊は、オークスッド中央区の中央市場で、一人うろうろしながら頭を悩ませていた。
「去年は耳飾をあげたんだっけ……。だったらそれは今年は却下で……万年筆とか? でもそれじゃ味気ないし……」
一人ぶつぶつと言いながら、店先でうろちょろする少年のその姿は完全に不審者のそれであり、先ほどから店の主人は迷惑そうな顔をしていた。
だがしかし、湊はそんなことには気付きもせずに、一人悩み続ける。
「どうしようかなぁ……。予算は軍の仕事でお金がいっぱい溜まってるから問題なんだけど……」
ちなみに、湊の今の所持金は元の世界にいた頃とは比べ物にならないくらいの金額になっている。
元の世界ではごく普通の一般家庭に生まれ育った湊は、高校に入ると同時にそのお小遣いを月に五千円と定められていた。
しかし、異世界に来て、軍に入ってからは違う。
当然、軍も仕事なので、月々の給料は支払われる。
しかもそれは、社会人としてのものなので、基本的な額からして元の世界で貰っていたお小遣いとは桁が違う。
さらにそれだけではなく、一度魔獣退治のために出撃するたびに、危険手当や出撃報酬など、様々な報酬が付与されるのだから、湊が月々に貰う給料の総額は、元の世界で一般的なサラリーマンが月に稼ぐ額を遥かに凌駕する。
それでいて、日々の業務の忙しさがあったり、あるいは元々趣味にお金を使うタイプでもないのでお金は溜まる一方であり、気がつけば湊の預金残高は、元の世界で換算して七桁の世界へと到達していた。
それ故に、予算はたっぷりとあるのだが。
「肝心の誕生日プレゼントが決まらない……!」
人通りの多い往来にもかかわらず一人頭を抱えた湊は、ふと妙案を思いつき、早速実行に移す。
すなわち。
「そうだ! 彼女持ちに聞いてみよう!」
というわけで、さっそく携帯端末を取り出し、目的の人物を見つけて通話ボタンを押す。
そうして数回のコール音の後。
『……おう、ミナトか。どうかしたのか?』
携帯端末に浮かび上がったモニタの向こうから、湊の親友、アッシュ・ハーライトが笑顔を見せた。
「やぁ、アッシュ。相変わらず元気そうだね」
『まぁな。っていうか、この間の龍天祭で会ったばかりだから相変わらずも何もねぇだろ?』
「違いないや」
軽くお互いに笑いあったあと、早速湊は用件に入る。
「それで、今回アッシュに電話したのは……アッシュなら女の子に何をプレゼントしたら喜ぶか分かるかなって思って……。ほら……アッシュはユーリと付き合ってるし……」
それだけでアッシュは湊の現状を察したのだろう、したり顔で頷いた。
『ほほぅ? 要するにリリアたんの誕生日プレゼントで迷ってるわけだな? というか、確か今日じゃなかったか? リリアたんの誕生日って……。お前、まだ決めてなかったのか!?』
「うぐっ!? ぼ……僕だってもっと早くから準備したかったけど……龍天祭とか仕事とかで忙しくて……」
『言い訳だな……』
アッシュの鋭い一言に、湊は思わず口を噤んだ。
そんな湊にアッシュは深々とため息をついてみせる。
『まぁいいや。それで? どういうものを買おうとしてるんだ?』
「うん……それが候補すら決まってなくて……」
『おま……』
呆れたような視線を向けたアッシュは、もう一度ため息をついた後、口を開く。
『去年は耳飾だったっけ?』
「うん……」
『となると、今年はそういう装飾品は避けたほうがいいかもな……』
「どうしてさ?」
『まぁ、単純にそういう装飾品とかならリリアたんはいっぱい持ってるだろうし、何より今年はリリアたんの両親もいるわけだろ? 娘の好みを知り尽くしている両親以上のものをお前が用意できるか?』
言われて考えてみれば、確かにアッシュの言う通りだった。
ただでさえ、湊はそういう装飾品の類に疎い上に、リリアの両親は公爵位の人間としてそういうものへの理解も深いだろう。
別に、二人以上のものを用意しなくてもいいが、確実に見劣りしてしまう。
『つまり、リリアたんの両親には思いつかないようなものを用意するべきだと俺は思う』
「二人に思いつかないようなもの……。具体的には?」
『そこは自分で考えて欲しいんだが……、まぁ今は時間もねぇし……。そうだな……普段の生活の役に立つものとか?』
「普段の生活に役に立つもの……か……」
『それが具体的に何なのかは、リリアたんを近くで見てきたお前なら分かるだろ?』
アドバイスはもう終わりとばかりに肩を竦めるアッシュに、湊はゆっくりと頷いて見せた。
「うん、なんだかどうしたらいいのか分かってきた気がする……。ありがと、アッシュ!」
『気にすんな! それじゃあちゃんと選べることを祈ってるぜ!』
「うん、またねアッシュ!」
『おう、またな! 今度同期で集まろうぜ!』
「そうだね。楽しみにしてる! それじゃ!」
そうして通話を終了した湊は、携帯端末をポケットに仕舞う。
「リリアの普段の生活に役に立つもの……」
そのままゆっくりと道の端に寄りながら考えた湊は、やがて妙案を思いついたのだろう、「そうだ!」と勢いよく顔を上げ、一直線に中央市場の一角にある、とある店へと駆け込んだ。
「すいません! …………をください!!」
意気込みながら店の扉を開けて入ってきた少年に、店主は一瞬驚いた顔を見せたものの、すぐに快く応対を始めた。
そしてその日の夜。
リリアがどうにか持ち帰った書類を片付け終え、一日書類仕事ですっかり固まってしまった肩をほぐしながら、一歩食堂へ踏み込んだ瞬間だった。
「リリア、誕生日おめでとう!」
「おめでとう、リリア」
「おめでとう、リリアよ」
湊と父母から同時に声を掛けられ、直後、食堂に控えていた執事やメイドたちも揃って「おめでとうございます」と頭を下げたことに、リリアは唖然とした。
「え……? ふえ……?」
状況が飲み込めずに、入り口でぽかんとした様子のリリアの手を、湊が引っ張る。
「リリア……今日が誕生日でしょ? だから皆でお祝いしようって」
そう言いながら椅子を引き、リリアを座らせる湊。
対するリリアは為すがままにされながら、テーブルの上に眼を向けると、そこには所狭しと並べられた数々の料理があった。
普段、贅沢を嫌うガーネット家からすれば考えられないほど贅沢な品々。
それらを前に、ようやく事態を飲み込めたのだろう、リリアはゆっくりと湊と両親を見る。
「ああ……そういうことでしたか……。なにやら朝から騒がしかったとは思いましたが……」
「あ……あはは……。せっかくだからリリアを驚かせようかなって……」
「そうだぞ? 今日のことは全部ミナト君が企画してくれたんだ。せっかくだからリリアに内緒で準備をして驚かせようとな」
「それに私たちがノったのです。とっても楽しそうでしたから♪」
誤魔化すように笑う湊としたり顔の父チャールズ、そして楽しそうな母シェリーに、リリアは深くため息をついた。
「まったく……ミナトも、お父様もお母様も……」
その、呆れたような、どこか怒ったような声音に、湊と夫妻は思わず顔を見合わせる。
そして、次の瞬間。
「ありがとうございます」
リリアは彼らに向かって満面の笑みを向けたのだった。
「私は幸せですね……。こうしてお父様やお母様、ミナト。それに皆にこうしてお祝いしてもらえるのですから……」
心のそこからそう思っているかのような笑みに、湊も、そして夫妻も笑う。
「さあ、せっかくの料理が冷めてしまう! 今日は執事やメイドたちも一緒に食事を楽しもう!」
公爵のその言葉を皮切りに、リリアの誕生日パーティーは盛大に始まったのだった。
◆◇◆
リリアの誕生日パーティーは成功を収め、やがて片付けも終わって各々がそれぞれの部屋に戻って眠りに入った夜更け。
パーティーの主役たるリリア・ガーネットは、改めて父に呼び出され、書斎を訪れていた。
「お父様、リリアです」
「ああ……入りなさい」
静かなノックと共に声を掛けると、中から厳かな父の声が聞こえ、入室の許可が下りる。
「失礼します……」
その特徴的な深い柘榴石色の瞳に、若干の不安を滲ませながら部屋へとゆっくりと入ったリリアの前には、部屋の主たる父のチャールズ、母のシェリー、そして異世界から来た少年の湊と、執事長のイアンの姿があった。
今のガーネット家を代表する面々を前に、自然と緊張した面持ちになりながら、リリアは首を傾げる。
「お父様……これはいったい……?」
娘のその姿に、公爵は僅かに瞑目した後、ゆっくりと口を開いた。
「リリア……我が娘よ……。お前は今日を境に十七になった……」
「え……ええ……。先ほどは皆に盛大にお祝いしていただきまして……。とても嬉しかったです」
戸惑いながらも父の言葉に頷くリリア。
そんなリリアを、チャールズの視線が正面から射抜いた。
「私はな、リリア……。お前に譲ろうと思っているのだよ……」
それだけで、父の言わんとしていることを察したのだろう、リリアが大きく眼を見開く。
「察したようだな……。そうだ。お前に爵位を……私の持つ公爵位を譲ろうと思っているのだ……」
「お父様!?」
つい声を荒げてしまうリリアを、チャールズは手を上げて遮る。
「聞きなさい……。お前は私たちが外遊している間も、公爵代理としてしっかりとその責務を果たしていた……。軍の仕事が忙しい中……、そして去年は軍学校の講師という仕事をしながら……。それでもきちんと責務を果たしていた……。もはやお前には公爵を任せても問題ない。それが私たちの判断だ……」
その公爵の言葉に、母のシェリーをはじめ、湊もイアンも頷く。
そんな彼らに満足そうな笑みを浮かべたチャールズは、しかし直後、厳格な父の顔へと戻る。
「だがしかし。お前に公爵を譲る前に、お前に訊ねるべきことがある……」
いったい何を聞かれるのだろう。
そう思いながら言葉を待つリリアへ、父はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「リリアよ……。お前は何故戦う?」
「……え?」
意外な質問に、きょとんとするリリアに構わず、公爵は問う。
「軍に入り……、命を賭してまで、何故戦う?」
「それは……」
その問いに、リリアは僅かに言い淀んだ後、しかししっかりと父の瞳を見つめ、答えを口にする。
「それは守るためです」
「守る……? 何を?」
「国を……。この国に住む国民たちを……。彼らを守るために、私は戦っています。これまでも……そしてこれからも……」
それは公爵も予測していた答え。
ゆえに、公爵はゆっくりと目を閉じ、小さく息をついた後、再度眼を開き、娘に言う。
「やはりそう答えるか……。だがそれでは駄目だ……。お前は何も見えていない」
「……お父様!?」
父の厳しい言葉に動揺するリリア。
そんな彼女を見据え、チャールズは言い放った。
「これよりお前に公爵位を譲るための試練を言い渡す」
「……試練?」
「娘よ……。今一度自分を見つめなおすのだ。自分が何故戦うのか……。心のそこから……本当に大切なものは何なのか……。それに気付いたとき、その時こそお前に公爵位を渡す」
話は以上だ、とチャールズは立ち会った一同を連れ、書斎を後にする。
そして最後に残されたリリアは、ただただ戸惑うのだった。
~~おまけ~~
湊「あ!? 話の流れでリリアに誕生日プレゼント渡すの忘れてた!」
駄メイド「あらあら……。無様ですねお客様……。まぁ、私はとっくに渡しましたけど……」
湊「ぐぬぬぬ……」