第13話 温泉の告白
都市国家オークスウッドは、大雑把に五つの区画に分けることが出来る。
豊富な紫獣石の鉱脈を抱え込んだ雄大な山が連なり、それらを採掘、加工する施設が揃う北区。
その反対側の南区は広々とした平地に畑や牧場、森などが広がった農業が盛んな地区だ。
また、北区で採掘された鉄や南区の食料などを引き受け、加工、生産する工場が多数存在する工業地区の東区。
更に西区は、北区から染みこんだ地下水が地下火山によって温められた温泉の源泉が多数存在し、各企業や貴族たちの保養地として名高い地区となっている。
そして、行政や司法、商業や交通、流通、その全ての中心となっている中央区。
これら五つの地区を合わせたオークスウッドは、俯瞰的に見るとほぼ円形をしていることが分かる。
そんなオークスウッドの西区にあるとある温泉宿の一室で、異世界から来た少年である石動湊は、何故か存在していた畳の上で正座をし、二人の人物から威圧的な視線を浴びせ続けられて冷や汗をかく中、心の中でこう叫んでいた。
「(どうしてこうなった!?)」
せっかく温泉で気持ちよく汗を流したばかりだというのに、既に背中が冷や汗でべたべたになりつつある湊を見下ろし続ける女性が、その威圧的な空気はそのままにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「さあ、ミナトさん? 正直に話してもらいましょうか……?」
「何も怖いことはない。正直に話してさえもらえれば、な? 我々も息子同然のキミに手荒な真似はしたくないのだよ……」
妻に続くように、隣で同じく湊を睥睨していたガーネット公爵が悲痛に顔を歪めながら口にしたその言葉は、実際に彼の本心なのだろう。
それは最早故郷に帰ることなど叶わない湊にとっても同じことだ。
まだ出会って間もないはずの湊を、暖かく優しく接してくれたチャールズ・ガーネット公爵とその妻シェリー・ガーネットの二人に、湊自身もまた、第二の両親とでもいうべき感情が芽生え始めている。
しかしそれだけに分からない。
なぜあれだけ優しいはずのその二人が、こうも自分を威圧するような空気を纏いながら、否、実際に威圧しながら自分を見下ろしているのか。
その理由が理解できない湊は、唯一この場で助けになりえるもう一人の人物に目を向けた。
その人物――長く美しい銀髪に、いつもは強い意志を宿す特徴的な深い柘榴石色の瞳を持つ少女、リリア・ガーネットはといえば……。
「ふにゃぁ……くふふふ……とても美味しいです……」
なんとも幸せそうな笑みを浮かべながら、もぐもぐと夢の中のご馳走を咀嚼していた。
「(相変わらず可愛いなぁ…………、ってそうじゃなくて!!)」
一瞬、少女の愛らしい寝顔に和みかけた己の心にセルフツッコミをかまし、湊は諦めたように前を向く。
そんな湊を観念したと思ったのか、公爵夫人が一歩前に出ながら目を鋭く光らせた。
「さぁ、ネタは上がっているんです。しっかりと話していただけますね? あなたがどこから来たのか」
シェリーの明るい琥珀色の瞳に睨まれた湊は、思わず首を縮めながら、ふと今に至るまでの状況を現実逃避するように思い出していた。
◆◇◆
湊が畳で正座させられている現在から数時間前。
オークスウッド中央区の郊外にあるガーネット家の屋敷では、湊とリリアの休暇を利用した温泉旅行へ行くための準備で慌しい空気に包まれていた。
「全員分の荷物の確認は!?」
「旦那様、奥方様、お嬢様、ミナト様、そして同行者数名。全員分の確認が済んでおります!」
「目的地までのルート探索は!?」
「想定外のトラブルによる回り道含め、二十のルートを模索、すべて確認済みです!」
「宿泊先への連絡、及び部屋の手配はどうなっている!?」
「先ほど最終確認を終えました! 部屋割りもすべて旦那様の指示通りです!」
「よし! それでは出発前最終チェック!」
「車の紫獣石、確認完了! 各部動作チェック完了! 異常なし!」
「目的地までの障害及び妨害の排除完了!」
「各自の荷物、チェック完了!」
「旦那様たちが不在の間の屋敷の警備システム確認終了!」
「緊急連絡用回線、及び緊急帰還ルート確認終了!」
「宿泊先の状況クリア!」
「全チェック項目オールグリーン! いつでもいけます!」
執事長を筆頭にまるでこれから対魔獣殲滅兵器が出撃するかのような確認だったが、国内でも最大級の重要人物とその家族が出かけるのだ。
普通の一般家庭と違って、ちょっと出かけるかと気軽に出かけられるはずもなく、事前にどこへどう向かい、どこに寄り道をして何を口にするのか。
目的地に着き、スケジュールを消化して無事に家に戻ってくるまで、あらゆるトラブルを想定して、そのトラブルへの対策を講じ、全ての障害を排除しなければいけないのだから、むしろこれくらいがちょうどいいのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えながら、事前に集合場所として知らされていた玄関先にいち早く到着した湊は、使用人たちが慌しく動き回る様子を眺めていた。
ちなみに湊の服装は、某駄メイドがコーディネイトを施したもので、一部にチェック柄が入った白いシャツの上から黒の七分丈の上着を羽織り、それにストライプのズボンを合わせたものになっていて、カジュアルでありながら下品すぎないものとなっている。
と、そこへこつこつと靴音を鳴らしながら歩いてきたのは、綺麗な銀色の髪をゆったりと結ったリリアだった。
胸元にリボンがあしらわれた淡いピンクのシャツにチェック柄のスカートを合わせた服装は、うっすらと施された化粧と相俟って普段よりも大人びた印象を少女に与えている。
普段とは違うその雰囲気に湊が思わず顔を赤くしていると、何を勘違いしたのか、リリアはきょとんと首をかしげながら自分の格好を見回した。
「……? どこかおかしかったですか? ……やっぱりお化粧……でしょうか? 私は必要ないと言ったんですけど、アイシャがどうしてもと聞かなくて無理矢理……」
普段はしていない化粧が自分には似合わないのでは、と不安げに顔をしかめるリリアに、湊は慌てて首を振る。
「そ……そんなことないよ! うん! すごく似合ってる!」
つい口をついて出た褒め言葉に自分でも驚きながら、それでも湊は内心で件のメイドを喝采した。
「(普段は駄メイドだけど今日ばかりはナイスです、アイシャさん!)」
湊の胸のうちなど知らないリリアは、自分の姿を褒められたことに顔を赤くしながら俯く。
そうして二人して玄関先で固まっていると、玄関から直結しているホールと二階とを繋ぐ階段を優雅に下りてくる影が二つ。
方や紺色のシャツの上から白のジャケットを羽織り、同じく白のパンツスタイルが四十代とは思えないほどに引き締まった体によく合うチャールズ。
そして、黒いシャツとグレーのロングスカート、首元に真珠のネックレスをあしらった、夫と同い年とは思えないほどの美貌を保つシェリー。
二人の服装に関しては自分たちが決めたらしく、階段をゆっくりと下りてくるその姿に、周りで作業をしていた執事やメイドたちが思わずその手を止めて見惚れてしまっていた。
そんな彼らの様子に僅かな苦笑をのぞかせながら階段をおりきった二人は、目の前の娘の格好に相貌を崩す。
「おお! 我が娘ながらよく似合っているではないか!」
「本当ですね。普段はしない化粧までして……あらあらまあまあ」
特に母親は娘の些細な変化まで目敏く気づき、何故か湊のほうへ目を向けてにまにまと笑う。
彼女のその視線の意図には気付かず、けれど居心地の悪さをどことなく感じた湊が、さも慌てたように切り出した。
「そ……、それじゃ全員揃ったことですし、そろそろ出発しましょう!」
「はい!」
「あらあらまあまあ……」
「はっはっは!」
こうしてそれぞれの荷物を手に、玄関先で待機していた車に乗り込むのだった。
途中、事前に執事やメイド一同が危惧していたようなトラブルもなく順調に車は走り、屋敷を出て数時間後には国内外を問わず観光客であふれるオークスウッド西区の温泉街へと到着した。
「ん~……着いたぁ……」
国内でも最大級の貴族が乗る車なだけあって、車内は広く快適な道程ではあったものの、それでもリリアの両親も一緒に乗り合わせたということもあり、妙なプレッシャーを感じていた湊が、車を降りて大きく深呼吸をする。
途端、鼻を突くのは、元の世界でもよく嗅いだことのある温泉地特有の硫黄の匂いが混じった空気。
日本人としての温泉好きの本能が刺激されるのを感じながら大きく息を吸い込んでいると、隣に降り立ったリリアが少し顔をしかめた。
「うぅ……私はどうもこの匂いが嗅ぎなれないです……」
「そうなの?」
首を傾げる湊に、こくりと頷き返す。
「えぇ……。幼いころから何度か訪れているのですが、どうにも慣れないです……。湊は平気なのですか?」
「僕はまぁ、元の世界でも温泉はよく行ってたし、そもそもウチから温泉まで結構近かったからとっくに慣れたんだ」
「そうなんですね……」
そんな会話をしていると、二人に遅れるように公爵夫妻も車から降りる。
「なんだ……? リリアはまだこの匂いに慣れないのか?」
「申し訳ありません、お父様……。どうにも……」
父の問いにすまなさそうに顔を俯かせる娘を、母親が優しくその頭を撫でる。
「まぁ、温泉に入ってしまえば平気でしょう……。それよりもミナトさんがこの匂いを平気だというのに私は少し驚きますね……。私たちでさえ、慣れるのに少し時間がかかったというのに……」
どこか怪しむようにその目を向けるシェリーに、湊は誤魔化すように笑う。
「あ……あははは……。一応、故郷でもよく温泉に入っていましたので……」
「あら……そうなのですか。あなたの国にも温泉はあったのですね……」
「えぇ……まぁ……」
何かを探ろうとするかのようにじっと見つめられ、湊がつい頬を引き攣らせていると、その場の空気を塗り替えるかのようにチャールズ公爵がにこやかに言った。
「さぁ、いつまでもこんなところに突っ立ってないで、とりあえず宿に入ろうではないか!」
どうやら久方ぶりの家族旅行に思った以上にテンションが上がっているらしく、普段の数倍増しの明るい声で一同を促し、自ら率先して宿へと向かっていく。
そうして予約していた宿にたどり着き、各々割り当てられた部屋に荷物を置いたところで一度ロビーに集合し、早速男女それぞれに分かれて温泉へと突入することになった。
湊の記憶では、取り立てて男女の入り口を間違えたり、混浴になっていたり、男女の湯を分ける壁が崩れたりとありがちなトラブルに見舞われることもなく、もちろん女子風呂を覗こうとすることもなく、意外に気さくなガーネット公爵と一緒に久しぶりの温泉を堪能した。
◆◇◆
そうして現在に至るわけだが、改めて記憶を振り返った湊にやはり、今の状況に置かれる心当たりは欠片もなかった。
ゆえに湊は何度でも内心で叫ぶ。
どうしてこうなった! と。
「さて……そろそろ正直に話してもらいましょうか……」
いい加減、だんまりを貫く湊に焦れたのか、更なる威圧感を伴って公爵夫人が一歩前へと踏み出す。
魔獣に劣らないほどのその重圧に、当の本人たる湊どころか、何故か隣の夫すらも思わず気圧される中、妻の口からゆっくりと言葉が紡がれた。
「リリアがお風呂で言っていましたが、あなたは本当に異世界から来たのですか?」
それは、この異世界では湊と、以前に真実を告白したリリアしか知らない湊の秘密だった。
一年間、ほぼ一緒の時間を過ごした親友のアッシュ・ハーライトやチームメイトのアリシア・ターコイズ、ユーラチカ・アゲートですら知らぬこと。
いつか、リリアの両親にも話さなければと思いながらも、中々言い出せずにいた事実だった。
「なっ…………」
大きな動揺で上手く言葉を発することが出来ない湊に、公爵夫人は口調を一変、柔らかなものへと変えて続ける。
「何を馬鹿な、と思うかもしれません。えぇ、私も正直、娘の妄言かもしれないとも思っています。あの子は知っての通りかなりの天然ですから……」
親からの思わぬ発言も、しかしすやすやと寝息を立てる娘には届かない。
ともあれ、夫人はゆっくりと首を振る。
「けれども、あの子が今回口にした言葉は、確かに妄言の類ではありませんでした。私はあの子の母親ですから、そのくらいの判別はつきます……」
「正直、私もシェリーからその話をされたときは驚いたし、我が耳を疑ったよ……。けれど、わざわざ彼女が私の耳に入れるくらいなのだから、それは確かなことなのだろうとも判断した……」
公爵の静かな口調に続くように、妻が更に言葉を重ねる。
「それに、本当のことを言えば、初めてあなたに会ったときから、あなたには何か重大な秘密があると感じていました……。これはあくまでも私の女のカンというやつですけどね……」
最後におどけるように付け加えるも、しかし場の空気が和むことはない。
それほどに真剣、かつ重要なことなのだ。
そして、それと同時に、誤魔化しや言い逃れは出来ないし、すべきではないと湊は思った。
ゆえに居住まいを正し、一度目を閉じて覚悟を決めるように深呼吸をした後、ゆっくりと湊は口を開いた。
「まず……、これからお二人にお話しすることは、信じられないかもしれませんがすべて事実です……」
そう前置きをしてから、湊は語り始めた。
いかにして自身がこの異世界にやってきて、どうやってリリアと出会ったのか。
そして、彼女と出会ってから今までの一年と少しをどう過ごしてきたのか。
◆◇◆
やがて湊がすべてを話し終えた頃には、すっかり夜も更けていた。
「…………これが僕が今までに経験した全てです……」
大きく息を吐きながらそう締めくくった湊を、突然、シェリー・ガーネットが優しく抱きしめた。
「っ……!?」
突然のことに驚く湊の耳元で、シェリーは優しく囁き掛ける。
「辛い思いをしたのですね……。大変だったでしょう……」
「そうだな……。突然、わけも分からぬままに家族と引き離され、帰ることも出来ない異世界へ一人で放り出されて……。心細かったろう……」
チャールズが目の端に涙を浮かべながらも、優しく微笑み掛ける。
「ですが安心してください……。あなたはもう、私たちの家族です。私とチャールズの息子です」
「そうだな……。キミはもう私たちにとっては息子だ、ミナト君……。いや、ミナト……」
シェリーに抱きしめられ、チャールズから息子と呼ばれる。
それは、確かに湊が異世界に来てから失ってしまった「家族の温もり」だった。
二度と手に入らないはずだった「両親の温かさ」に、湊の目に涙が浮かんだ。
~~おまけ~~
湊の信頼が5上がった!
湊の精神が20回復した!
湊のお金が20G減った!
リリアの天然が進化した!




