第12話 休暇申請
「そういえばリリア……」
ある日の夕食の席で、皿の上の肉を切り分けながら突然、ガーネット侯爵が愛娘に声を掛けてきた。
「……どうかしたのですか、お父様?」
律儀に口の中のものを飲み込んでから、手に持っていたナイフとフォークを置き、リリアがことりと首をかしげる。
「いや、なに。今年の夏はどこかに行く予定はあるのかと思ってな……」
実はチャールズ・ガーネット侯爵がこの話を持ち出したのは、毎年夏のこの時期になると、ガーネット家では数日間の休日を利用して旅行に出かけるからだ。
とはいっても、リリアが軍学校に入ってから、去年に異世界からやってきた少年の石動湊が現れるまで、チャールズとシェリーのガーネット夫妻は諸外国へ視察の旅に出かけていたため、娘と身の回りの世話をする執事やメイドだけでの旅行となっていたのだが。
しかし、今年は両親も視察の旅に戻り、かつ湊も一緒に暮らしているため、それなりに賑やかな旅になるであろう。
もっとも、リリア自身はどうやらまだ何の計画も立てていないらしく、「そうですね……。どうしましょうか?」と頭を悩ませていた。
「去年はミナトと山の別荘に行ったんですよね……」
「そうだね」
リリアが懐かしそうに思い出しながら隣に目を向けると、ここ最近になってようやくガーネット夫妻もいる食卓に慣れ始めた湊が口の中のものを飲み込んでから頷く。
そしてその瞬間、「くわっ」と効果音が付きそうなほどの勢いで、ガーネット侯爵が目を見開いた。
「何だと!? ミナト君! 君はリリアと山の別荘に行ったのか!? あの湖のある別荘に!?」
「え……ええ……はい……」
まるで掴みかからんばかりの勢いに気圧されながら湊が頷くと、なぜか侯爵はわなわなと体を震わせ始めた。
「湖のあるあの別荘に行ったということは当然リリアの水着姿を見たのだな!?」
「…………はい……」
その時のことを思い出しながら湊が頷いた瞬間、チャールズ・ガーネットの怒りが爆発した。
「娘の水着姿を父親である私を差し置いで見ただと!? そんなことが許されると思っているのか!?」
「あなた!」
怒り心頭とばかりに湊へ掴みかかろうとした瞬間、隣で優雅に食事をしていた妻が夫の首根っこを捕まえて強引に座らせる。
「ミナトさんはもう私たちの家族の一員なのですよ? それなのにたかだか水着姿を見たくらいでなんですか! 裸を見たわけでもあるまいし! 大体あなたはリリアに対して過保護すぎるんです! まぁリリアが可愛いのは私も認めますけどそれはそれです。きちんとミナトさんも息子として扱ってあげなさい!」
こんこんと説教を始めたシェリー侯爵夫人に、項垂れてひたすら言葉を受け入れるチャールズ侯爵というなかなかにシュールな光景が繰り広げられる中、当の湊はといえば頬を引きつらせていた。
「(まさか水着姿どころか裸を見てしまった挙句、一緒にお風呂にも入ったことがあるだなんて口が裂けても言えないよな……)」
もしそんなことが侯爵の耳に入ってしまったら、先ほどの彼の様子から本気で殺しにかかるだろうことは想像できる。
何としてもそんなことは避けなくてはならない。
素早くそんなことを考えた湊は、静かに周囲を見回し、侯爵に秘密をばらしてしまいそうな人物がいないかを把握する。
「(イアンさんは大丈夫。犯人は面白そうだとしゃべりそうだけど、今は仕事中でこの場にはいない。あとは……)」
思考を巡らせながら、ちらりと隣に座る少女に目を向けると、リリアは特徴的な深い柘榴石色の瞳をこちらに向け、ことりと首をかしげて見せた。
「(うん、可愛い……ってそうじゃなくて!)」
一人ボケツッコミをしてから、慌てて頭を振る湊。
「(一番怖いのはリリアの天然! ならここは、リリアの天然が発動する前に先手を打つ!)」
手早く思考をまとめ、いまだ続く侯爵夫人の説教に割り込む。
「だいたいあなたはいつもいつも……!」
「あの……!」
「…………? どうかしましたか、ミナトさん?」
自分に向けられたその柔和な笑みに、しかし薄ら寒さを覚えながらも、湊は意を決したように口を開いた。
「それで、結局どこへ出かけますか? その……、僕もリリアも一応軍に休みを申請しないといけないので早めに決めたほうがいいかと思いまして……」
「……それもそうですね……」
それまでの恐ろしい雰囲気が霧散し、夫がほっと一息ついたところで、侯爵夫人が悩むように中空を見つめる。
「去年は山の別荘……でしたね。同じ場所へ今年も行くのはやめておいたほうがいいでしょうし、ということは必然的に海……ということになるのでしょうけど……」
シェリーがそう呟いたところで、リリアが申し訳なさそうに言う。
「オークスウッドから海となると外国に行かなくてはいけませんし、そうなると行商組合での移動となってしまいますが、さすがにそこまでの長期休暇は私もミナトも……」
そうなのだ。
いくら長期休暇を申請できるといっても、国外旅行ができるほどの期間ではない。
湊もリリアも軍に在籍している以上、休暇中といっても緊急の招集があるかもしれないし、そうなったときに国外にいますでは話にならないのだ。
「……ということは必然的に国内に限りますね……」
そうして再び考え込んでしまったシェリーに代わるように、今度はチャールズが口を開いた。
「ミナト君。君はどこか行きたい場所はないのかね?」
「僕……ですか?」
まさか聞かれるとは思っていなかった湊は、一瞬だけきょとんとした後、ふと心に浮かんだ単語を口にした。
「…………温泉……とかどうでしょうか……?」
「温泉……。ふむ……温泉か……」
呟きながらちらりと隣の妻に目を向ければ、シェリーは満足そうに頷く。
そして続けて娘に向ければ、彼女もまた同じように頷いた。
「うん……悪くないな……。よし、今年は温泉に行くことに決定しよう。幸い、西区にはいい温泉もあるし、ガーネット家が所有する宿もあるからな……」
こうしてガーネット家の旅行は温泉地に決まった。
◆◇◆
旅行先が決まった湊とリリアは翌日、すぐに軍の総務部へ向かうと、休暇申請に必要な書類を受け取る。
そうしてさっそく内容を書き込もうとしたところで、ふと湊が手を止めてリリアに目を向けた。
「そういえばさ、リリア……」
「どうかしましたか?」
「いや、行く先は決めたけど、日程は決めてなかったなって……」
「……そういえばそうでしたね」
今思い出したように、ぽんと手を打ったリリアは、困ったようにその柳眉を寄せた。
「もうすぐ龍天祭もありますし、シミュレーターを使ったABER同士の模擬戦闘訓練「対魔獣防衛軍模擬戦天龍杯」の練習もしないといけませんし……」
「ああ……あれか……」
去年の龍天祭にて、リリアに招待してもらって観戦した模擬戦を思い出す湊。
「去年は私たちのチームが優勝したので今年は防衛戦となります。ミナトがチームに加入したことで変更した戦術はまだ他のチームには知られていませんが、コンビネーション不足であることは否めませんからね……。練習も必要になってきます」
「となると、あまり龍天祭の直前には休みは入れられないね……。逆に龍天祭の後は?」
「その時期は皆さんが休みを入れたがるので、競争率は結構なものになります。おそらく厳しいでしょうね……」
「そっか……」
ぼやきながら手元の携帯端末を操作してカレンダーを呼び出す湊。
「えっと……龍天祭が来月だから……」
「練習期間は少なく見積もっても三週間は必要になるでしょうね……」
「そうなると……来週の週明けくらいがちょうどいいかな?」
「そうですね、そのくらいがいいでしょう」
「じゃあそれで……」
そう言って手元の申請用紙に書き込もうとして、しかし再び手を止める湊。
「……ってそういえば僕らで勝手に日程を決めてよかったの? ほら、リリアのお父さんとかお母さんの予定は……?」
「それなら大丈夫です。お父様は確かに国議会議員ではありますが、この時期は特に会議などはありませんし、お母様も予定はなかったはずですから……」
「それならいいけど……」
リリアの返答に安心したのか、手元の申請用紙に必要事項を記入し始める湊。
そうして二人ともに無事に申請が受理され、司令にその旨を連絡しようと総務部から出た直後だった。
突然、けたたましい警報音とともに、施設全体に緊急放送が流れた。
『緊急事態! 南門二十キロの地点で魔獣の反応を検知しました! 担当の迎撃部隊はすぐに出撃準備をしてください! 繰り返します! 南門二十キロ地点で魔獣の反応を検知! 担当部隊はすぐに出撃準備をしてください!』
その放送と同時に、お互いに顔を見合わせる湊とリリア。
「まったく……。せっかく休みを申請してこれから報告しようとしてたのに……。魔獣も空気を読んでほしいよ……」
げんなりと肩を落としながらぼやく湊に、リリアは苦笑を向ける。
「仕方ありませんよ、魔獣ですから。それよりも任務です。気合を入れてくださいね」
「分かってるよ!」
そうして二人は、すぐさまパイロットスーツに着替えるべく、狭い廊下を走りだした。
◆◇◆
一方そのころ、ガーネット侯爵夫妻はというと、軍の対魔獣殲滅兵器の研究開発施設で、担当主任と気難しく話していた。
「やはり現状のコンセプトのままですと、機体の耐久力に不安が残りますね……」
「むぅ……。機動力を上げることで、できるだけ相手の攻撃を受けるのではなく躱すようにしたいのだが……」
「攻撃をすべて躱せるのならばそれもいいでしょうが、それはやはり無理というものです。それにあまり装甲を薄くしすぎると、高機動時の衝撃に機体自体が耐えられなくなります。ですからある程度のダメージにも耐えられるように、最低限の装甲はあったほうがいいかと……」
目の前のモニタに浮かび上がった新しい機体のシミュレーション結果を前に、難しい顔をする侯爵と担当主任。
そんな二人へお茶を運びながら、侯爵夫人が言う。
「難しいことは私には分かりませんが、あの子は前衛ではなく、中距離からの支援と指揮が担当だと聞きましたよ?」
「中距離支援がメインですか……。でしたら、機体を軽くして攻撃を避けるよりも、防御力重視のほうがよろしいのでは?」
担当主任の言葉を受けて考え込む侯爵に、夫人が再び口をはさむ。
「それにあの子のことです。仲間が危機に陥ったのなら、自分を囮にしてでも仲間を逃がそうとするでしょうね……。あの子は優しい子ですから、仲間を見捨てて逃げるだなんて選択肢は絶対にしませんよ?」
「むぅ……。そうか……そうだな……」
妻の言う通り、娘の性格を考えると、もしも窮地に陥った時の行動はよく分かる。
「となると防御力優先で考えるほうが妥当か……。だがある程度の機動性も確保しておかないと……」
「そこが問題なんですよね……。機動性を上げれば装甲が薄くなり、防御力が減る。逆に防御力を上げようとしたら装甲が厚くなって機動性が落ちる……」
考え込んだチャールズは、ふと諸外国を巡っていた時に査察したことを思い出す。
「例えば盾のようなものを持たせるのはどうだ?」
しかしその提案を、担当主任はゆっくりと首を振って否定する。
「魔獣の攻撃から身を守るだけの盾となると、相当な重量になることが予想されます。そんなものを持ち運べば機動力も落ちてしまいますよ?」
「そうか……」
そうして再び行き詰ってしまった夫と担当主任に、シェリー侯爵夫人は小さくため息をつきながら手元の携帯端末を操作してテレビを見はじめた。
空間投射に浮かび上がったのは、子供に人気のロボットアニメで、ちょうど主人公が乗るロボットと巨大な怪獣が街中で派手にバトルをしているところだった。
と、それをたまたま目の当たりにした侯爵が大きく目を見開いた。
「これだ!!」
ほとんど叫ぶように声を上げた侯爵を、驚きの目で見つめる妻と担当主任。
その視線の先で、侯爵はじっと食い入るように画面を見つめた後、まるで子供のように目を輝かせながら担当主任を振り返った。
「これだ! これを使うことができれば問題は解決する!」
そう言って指をさしたその先では、画面の中でバリアを展開して敵の攻撃を防ぐロボットの姿が映し出されていた。