第10話 あの日の思い出 前編
アオイ・シトリンによる軍の体験入隊取材の様子がテレビで放映されて数日後。
オークスウッド国立軍の中尉リリア・ガーネット率いるガーネット小隊は、久方ぶりの休暇を翌日に与えられた。
その休暇を、眼鏡をかけた青年カール・アイドクレースは、密かに恋い慕う特徴的な深い柘榴石色の瞳を持つ少女と過ごそうと声をかけた。
「隊長! よかったら明日の休暇は僕たちと一緒に過ごしませんか?」
「いや、そこは僕とだろ」と内心でツッコミをするチームメイトのダイン・コランダムの心情を知ってか知らずか、かなり必死な様子のカールだったが、しかしその思いは通じず、年下の隊長の少女は申し訳なさそうにその柳眉をひそめた。
「ごめんなさい。申し出は大変嬉しいのですが、私は明日は家でこれを片付けなければならないので……」
そう言いながら掲げて見せたのは、両腕にたくさん積み重なった書類の山。
訓練報告書や申請書、魔獣調査書などの軍の任務に必要なものから、彼女の家が持つ「侯爵」という肩書に関連するものまで、さまざまな書類だ。
せっかくの休日なのだから、そんなものはやらなくてもいいと上からも言われているのだが、そこは生真面目な彼女の気質。
どうにも仕事を片付けないままに休むことはできないらしかった。
「それじゃ……仕方ないですね……」
がっくりと項垂れるカールにもう一度「ごめんなさい」と謝り、一緒に暮らしている少年の石動湊と去っていく少女。
憧れの人と一緒に並んで歩き、あまつさえ笑いあっているその状況をうらやましく思っていたカールの肩を、ダインが珍しく優しくたたいた。
「まぁ……その……なんだ。いつものことだけど……気にすんな……」
下手な慰めはよしてほしいと思う一方で、自分の気持ちを知っていて応援してくれる相方の心遣いにありがたさを感じつつ、カールはゆっくりと顔を上げる。
「ダイン……今日も付き合ってくれるかい?」
「おう、いいぜ!」
こうして、休暇をもらえる度にリリアを誘っては断られ続けるうちにすっかりと習慣化した男同士の飲み会が、今夜も催されることが決定した。
◆◇◆
その日の夜、オークスウッド中央区にある中央市場にほど近いとある大衆酒場に、ダインとカールの姿はあった。
小洒落たバーや、貴族たちが好むような一流の酒を出す場所にはない、騒々しくも親しみやすいその店は、二人のなじみの店でもあった。
そんな店の片隅で、ダインは酒の入ったジョッキを片手に、自分の対面に座る一人の女性を睨みつける。
「なんでてめぇまでいるんだよ、クレア……」
その視線の先にいたのは、かつてはカールとダインのチームメイトであり、今は結婚して軍を退役した元軍人のクレア・アナルシム。
「さっきも説明した……。軍学校の同期会の帰りに立ち寄っただけ……。偶然……」
現役時代と変わらない口調で、どこか懐かしく感じる一方、「なんでこんな奴が結婚できたんだ」と不思議に思うダイン。
確かに彼女の見た目は、軍にいたころから変わらず悪くはない。
もっとも、比較対象が国民的アイドルであり、ダイン自身も大ファンである、あのアオイ・シトリンであることから、あまりこの評価は当てにならないが。
とはいえ、黙っていればそこそこ見られる顔立ちの彼女だが、実際に付き合ってみると、その見た目の評価をマイナスにしてしまうほどに暗い。
慣れてこればコミュニケーションも取れるのだが、初めのうちはぼそぼそとしたしゃべり方で、作戦行動中も彼女の警告が聞こえず、何度も魔獣相手に苦戦を強いられた。
そんな彼女が結婚すると聞いたときは、ダインやカールはもちろん、基地の司令もかなり驚いていたのを覚えている。
「(俺らとチーム組んでた時には、彼氏がいるそぶりなんて一切見せなかったし……結局最後までこいつのことはよくわからなかったな……)」
ジョッキから一口酒を煽りながら目の前ですまし顔をするクレアに目を向けながらそんなことを考える。
「…………なに?」
「いや、なんでもねぇ……」
ジト目で睨まれ、面倒くさそうに眼をそらす。
そんなダインに小さくため息をついた後、クレアはダインの横で完全に酔っぱらっているカールを顎でしゃくって見せた。
言外に「カールが飲んだくれている理由を教えろ」というその意図を理解したダインは、小さく笑いながら状況を説明する。
「ああ、こいつはいつものことだ。相変わらず隊長にフラれたんだよ……」
「そう……。いい加減諦めればいいのに……。どう考えたってカールには脈がない……」
彼女らしい辛辣な批評に、思わず苦笑する。
「そう言ってやんなよ……。こいつもこいつなりに一応頑張ってるんだぜ?」
「じゃあさっさと告白して玉砕すればいい……」
「お前なぁ……はぁ……」
ため息を酒と一緒に飲み込み、改めてチームメイトの青年を見ながらふと考える。
あの頃の自分たちからしたら、今の自分たちは随分と変わったと。
「……そうね。私も、あなたたちも……。そして隊長も……。みんなあの日から変わった……」
どうやらダインは自分でも知らないうちに心の声を口にしていたらしく、それを聞いたクレアが懐かしそうに目を細めた。
◆◇◆
それは今を遡ること数年前。
ダイン、カール、クレアがまだ若き准尉として軍に入りたてのある日のことだった。
その日の訓練を終えた三人は、訓練後に珍しく彼らの所属する部隊の隊長から呼び出しを受けていた。
「いったい隊長の呼び出しって何だろうね?」
カールの眼鏡を持ち上げながらの問いに、ダインがにやりと笑いながら答える。
「訓練中の動きがあまりにも悪くて叱られるんじゃねぇの?」
「だったら私は無関係……。私はちゃんとできてる……」
ちゃっかり無関係を装うクレアに、ダインとカールが同時に食って掛かった。
「んなことねぇだろ!」
「そうそう! クレアはもうちょっとコミュニケーションを……」
「まぁ、それはカール。てめぇも同じだがな!」
「なんだよ!? ダインだっていつも自分勝手なことばかり……」
「あん!? やんのかてめぇ!?」
「なに? 僕に喧嘩を売る気? いいよ。言い値で買ってやる!」
そのまま言い争いに発展しそうな空気のところへ、クレアのぼそりとした言葉が投げ込まれる。
「そんなことより二人とも……部屋についたからおとなしくして……」
その言葉通り、いつの間にか三人は普段彼らの隊長が執務室として使っている部屋の前にやってきていた。
「ちっ! 勝負はお預けだ……」
「ふん、命拾いしたね……」
「……めんどい……」
それぞれ言いたいことを言いつつも、軍生活の中ですっかりと身についた敬礼をしながら部屋へと入る。
「ダイン・コランダム、入ります!」
「同じくカール・アイドクレース、入ります」
「クレア・アナルシムもはいります……」
挨拶をしながらゆっくりとドアを開けて中へ入った三人を柔和な出迎えたのは、そろそろ初老に差し掛かろうかという一人の男性であり、彼ら三人が所属する小隊の隊長だ。
「よく来てくれた」
渋みのある声で出迎えてくれた隊長の様子から、どうやら叱られるわけではないと判断したダインがさっそく砕けた態度で問う。
「それで隊長? なんで俺たちを呼び出したんスか?」
そんなダインの態度を特に気にした様子もなく、隊長は静かに切り出した。
「ああ……お前たちを呼んだのは今後のチームに関してのことだ」
「チームに関して……ですか?」
カールの問いに頷いた隊長の言葉は続く。
「お前たちも知ってると思うが、俺はもう前線に立つにはちょっとばかしきつくなってきてな……。それで引退することにしたんだ……」
隊長の口から飛び出た「引退」という言葉に、一同は動揺を隠せない。
「まぁ、引継ぎとかもあるからすぐにというわけではないが……」
「隊長!」
と、突然ダインが隊長の言葉を遮る。
「隊長が引退するなら次の隊長はどうするんスか!? まさか俺っすか!?」
「ダインが隊長なんてありえないね。ここは僕が……」
「カールもだめ……。私なら……」
「クレア! てめぇこそ論外じゃねぇか!」
ぎゃあぎゃあと言い争いを始める部下たちに、隊長は柔和な笑みを浮かべたまま小さくため息をついた。
「まぁまぁ、三人とも落ち着きなさい。私は今、まさにそれを説明しようとしていたんだ……」
「なんだ……それを早くいってくださいよ」
隊長も人が悪いなというダインに、あえて「自分が早とちりしたんだろ」とはツッコまず、隊長は続ける。
「さて、君たちが気になっている次期隊長だが、実はもう決まっていてな……。というかもう来てもらっているんだ……」
三者三様に首をかしげる中、隊長がドアに向かって「入ってきなさい」と声をかける。
そして三人の注目が集まる中、ドアを開けてゆっくりと入ってきたのは、長い銀髪に特徴的な深い柘榴石色の瞳を持った一人の幼い少女だった。
「失礼します。リリア・ガーネット少尉です。よろしくお願いします」
折り目正しく挨拶をしたその少女がゆっくりと顔を上げると、微笑みを向ける。
「この度、あなた方三人の隊長に任命されました」
もう一度、よろしくお願いしますと頭を下げたリリアへ三人から降り注いだのは驚愕の声だった。
「はぁ!? こんなガキが隊長!?」
「冗談も甚だしいね」
「信じられない……」
三人に口々に噛みつかれておろおろするリリアをかばうように、隊長が「まぁまぁ」と部下たちをなだめる。
「確かに彼女はまだ十二歳と幼いが、あのオークスウッド国立軍学校を優秀な成績でトップで卒業した天才だぞ?」
「はぁ!? 隊長! 冗談もいい加減にしてくれよ! こんなしょんべん臭いガキがトップで卒業できるわけねぇだろ!?」
「そうですよ。それに君はあのガーネット侯爵の娘だろ? どうせ親のコネで……」
「……っ!? そんなのじゃありません!」
突然の少女の大声に驚く三人。
「学校の卒業に親のコネとかそういうのを使ったことは私は一切ありません。すべて私自身の力でやってきたことです!」
少女の瞳の強い光にあてられ、三人が一言も発することができないでいると、隊長が場をとりなすように割って入ってきた。
「まぁまぁ……。とにかくこの人事は上からの命令だから……。今後は仲良く頼むよ……」
その言葉でようやく我に返ったダインがあからさまに舌打ちをする。
「チっ! 命令なら仕方ねぇな……。ダイン・コランダム、任務了解っす」
やる気の欠片もない声で返答したダインがくるりと踵を返し、それに続くようにカールとクレアも返答する。
「カール・アイドクレース。同じく了解しました」
「クレア・アナルシム、右に同じ……」
そうして三人そろってドアから出ていこうとしたところで、ダインがリリアを振り返った。
「命令だから仕方ねぇけど、俺はあんたを隊長とは認めねぇからな……」
「……っ! 待っ……」
ちゃんと話し合おうと伸ばされたリリアの手は、しかし無情に閉じられた扉に阻まれ、むなしく空を掻くだけだった。
「すまないね……」
「いえ……大丈夫です……」
「きっと彼らも急に隊長が変わると知らされて戸惑ってるだけだから……」
「……はい」
部屋に残されたリリアの瞳には、悲しみの色がいっぱいに浮かんでいた。
~~あとがき~~
ここまで読んでくださってありがとうございます。
さて、今回のエピソードは過去、それもリリアと三人が出会った頃のお話になります。
ちなみに、このエピソードは書き始めた当初からできていて、伏線も実はすでに張ってあったりします。
よかったら探してみてください。(笑)