第7話 アオイ・シトリンの受難 前編
それは、ガーネット公爵夫妻の衝撃の帰還の少し間のことだった。。
その日、司令室に呼び出された湊たちは、司令から直接任務を言い渡された。
「軍の広報……ですか?」
きょとん、と首を傾げる部隊長のリリアに、司令がゆっくりと頷く。
「うむ。実は、広報部から連絡があってな……。とあるテレビ番組が数日間軍に密着取材をしたいと申し出てきたそうだ。ちょうど広報部としても、もう少し軍の認知度を国民に広めたいと前々から考えがあったらしくてな。今回の取材申し込みは、まさに渡りに船だったらしい……」
「……はぁ……。でも、それが俺らの部隊がその広報任務を言い渡されるのとどう関係があるんスか?」
司令の前だというのにいつもの態度を崩さない湊の先輩、ダイン・コランダムの問いに、司令は少しだけ言い淀むようにリリアへと視線を向ける。
「それは……まぁ……。こういってはなんだが、君たちの部隊長がガーネット中尉だからだ……」
何故自分が隊長だからと理由なのかと首を傾げるリリアの横で、その意味を瞬時に理解したカール・アイドクレースが、メガネを持ち上げながら言う。
「なるほど……。つまり隊長が国民の認知度が高い公爵家の令嬢でしかも見目麗しい女性であり、かつ部隊を任されている中尉だから、と言うことですね?」
「その通りだ……。本来なら、君たちの実力の賜物だと言いたかったのだがな……。広報部の連中が、そういった理由で君たちを選んだそうだ……」
本当にすまない、と頭を下げる司令に、リリアは曖昧に微笑む。
「気にしないでください、司令。私の見た目は兎も角として、公爵家の娘であり、女の身でありながら部隊長を任されているのですから、そういうことも覚悟はしております。それに、こう見えても私、意外とテレビ出演の経験はありますから」
おどけるように言うリリアの言葉通り、彼女は公爵家の娘と言う立場上、回数こそ少ないものの、幾度かテレビ出演の依頼をされている。
もっとも、壇上を飾るちょっとしたゲストという立場であることが多く、本人の意向もあり、あまりカメラに映らないような位置にいることが多いのだが。
何はともあれ、上層部からの任務命令に拒否権はないことなど、軍学校を卒業して間もない湊ですら分かることであり、当然、リリアもぴしりと姿勢を正して敬礼を司令に向ける。
「ガーネット隊、リリア・ガーネット中尉、任務了解しました!」
「まぁ、仕方ねぇか……。同じく、ダイン・コランダム少尉、任務了解っす!」
「もともと僕らに拒否権はないしね……。同じく、カール・アイドクレース少尉、任務了解!」
「あ……あははは……。ミナト・イスルギ准尉、任務了解です!」
リリアに続き、それぞれ敬礼をしながら任務受領の意志を示した後、ふと湊に疑問がわきあがった。
「あの……、任務を受けておいて今更ですけど……」
「……どうかしたのかね、イスルギ准尉?」
「結局僕たちは、具体的にどんなことをすればいいんですか?」
その問いに、司令はそういえば具体的な任務説明をしていなかったと、内心で苦笑しながら、改めて任務の説明を始めた。
◆◇◆
「お疲れ様でした~」
「おつかれさん、アオイちゃん!」
「また来週もよろしくね~!」
誰かとすれ違うたびに「お疲れ様」と労われ、その都度笑顔で「お疲れ様でした。ありがとうございます」と丁寧に答えながら頭を下げる一人の少女がいた。
明るい緑色の髪を頭の後ろでポニーテールにまとめ、その黄金の瞳に快活な光を宿したこの少女はアオイ・シトリン。
オークスウッドにおいて、若者を中心に人気の女優であり歌手でもある。
この日、出演しているドラマの撮影を終えた彼女が、テレビ局の前に待機していた車に乗り込むと、一緒に乗り込んできたマネージャーが一通の封筒を手渡した。
「…………? これは?」
とりあえず封筒の中身を取り出しつつ訊いてみるが、マネージャーは軽く肩を竦めただけ。
要は中を見れば分かる、と言うことらしい。
そしてそれを察した少女は、小さくため息をつきながら、中に入っていた書類に眼を通す。
そこに書かれていたのは、某テレビ局のロゴと一緒にでかでかとした「企画書」という文字。
「企画書……ですか……」
恐らく何かしらの番組への出演依頼だろうと当たりをつけながらも、とりあえずそこに書かれていた文章を読み進めていく。
「えっと……、当企画は我が国オークスウッドを魔獣から守護している国立軍の、とある部隊の密着及び体験取材である……」
この時点で嫌な予感がひしひしと伝わってくるのだが、とりあえず中身を読み進めていく。
「取材対象は事前に交渉した結果、オークスウッド国立軍の中でも女性士官のリリア・ガーネット中尉が隊長を務めるガーネット隊となる。基本的には訓練の様子などを体験しながらレポートをする形になるが、魔獣の襲撃があった場合は、許可をもらえる範囲で同行することとなる……ってちょっと待ってください!」
読み進めていった中に不穏な一文を発見し、思わず声を上げるアオイ。
「どういうことですか!? 魔獣の襲撃があった場合に同行するって!?」
隣で何食わぬ顔で座っていたマネージャーに食って掛かるも、そのマネージャーは涼しい顔を向けた。
「どうもこうも、そのままの意味ですよ? 襲撃があった場合、可能な範囲で同行して撮影をするんです」
「そ……そんなの危ないじゃないですか!? 万が一襲われたら……」
「だからこそ、一緒に同意書が入ってるでしょ?」
「……同意書……?」
マネージャーの言葉に首をかしげながら、封筒をもう一度まさぐると、そこにはもう一枚の紙が入っていた。
それをそっと封筒から引き出し、眼を通す。
「えっと……、私はこの撮影に際して、生命の危機に瀕したとしてもその責任が自己にあることを認め、ここに同意します……って……」
要約すれば、「今回の撮影で例え死んだとしてもそれは自分の責任です」という意味合いのそれに驚きを隠せないアオイ。
「い……いやですよ、こんなの! 同意するわけないじゃないですか!」
まるで汚らわしいものを触ったかのように、急いで封筒に同意書を戻し、ついで隣のマネージャーを睨みつける。
「というかそもそも、なんでこんな仕事を持ってきたんですか!?」
今にも食って掛かりそうなその剣幕に、けれどマネージャーは涼しい顔のままだった。
「あなた……最近、太ったでしょ?」
「うぐっ……」
マネージャーの痛烈なその一言に、アオイは思わず口を噤む。
「以前は体型維持のために努力を惜しまなかったのに、最近では急がしいことを理由にそれもサボってるみたいじゃない。今回のこの企画は痩せるためにもちょうどいいと、私は思うけど?」
「ぐっ……。だ……だけど、たかがダイエットのために命を賭けるのは馬鹿らしいです!」
「……確かにそれはもっともな話ね……」
「そ……そうでしょう!? ですからこの話はなかったことに……」
そういいながらほっと胸を撫で下ろすアオイに対して、マネージャーは切り札を切ることにした。
「そうね……。仕方ないわね……。せっかくガーネット隊長からあなた宛に「取材を受けるに当たってあなたのことをよく知りたい」と、ガーネット家でのお食事の招待状が届いているのだけれど……」
そういいながらマネージャーが懐から取り出したのは一通の封筒だった。
「ガーネット家といえば公爵位だから、食事に招待されるだけでも相当に名誉なことだし、きっと美味しい食事がたくさん出たのでしょうけど……。あなたがどうしても嫌だというのなら仕方ないわね……。先方にも悪いけど、お断りしましょうか」
「ふ……ふん! 私を甘く見ないでもらいたいですね! 私が食事程度でなびくとでも……?」
「そうやって強がる前に、まず封筒から手を離したらどう?」
「…………はっ!? いつのまに!?」
こうして少女は、軍の密着取材の同意書にサインをすることとなった。
◆◇◆
それから数日後のこの日、ガーネット隊の面々は、基地の前でそわそわとしながら客を待っていた。
「お……おい、カール。俺、変じゃないよな?」
忙しなく自分の格好を確かめながら隣の同僚に声を掛けるのは、ガーネット隊の湊の先輩、ダイン・コランダム。
「安心しなよ、ダイン。第一僕らはいつも通りの軍の服じゃないか。そんなもの、変に着崩さない限り変にはならないって……」
同僚の動揺する姿にため息をつきつつ、クールに答えるのはカール・アイドクレースだが、実は先ほどからメガネを持ち上げる手が震えっぱなしだったりする。
そんな二人に、部隊隊長のリリア・ガーネットが苦笑を向ける。
「あなたたち……。そんなに緊張しなくても……」
「そうは言っても隊長……! これから来るのはテレビとあのアオイ・シトリンなんすよ!? 有名人っすよ!? 俺、有名人と会うの初めてだし……。相手はあのアオイちゃんだし……! 緊張するなってのが無理っす!」
「アオイちゃんって……ダイン……もしかして君……彼女のファンなの?」
「んなっ!? んなわけあるか! 俺ぁ……こう……もっと大人のだな……!」
「へぇ? それじゃ君の部屋にべたべたと張ってあるポスターは誰のものなのかな?」
「カール! てめぇ! てかてめぇだって人のこと言えねぇじゃねぇか!」
「僕は別に彼女のファンであることを隠してはないからね。誰かと違ってね」
「んだと、カール!」
「ま……まぁ、二人とも落ち着いてくださいよ!」
そのままいつものようにケンカに発展しそうな空気を読んだ湊が、慌てて二人の仲介に入る。
が、何故か二人は怒りの矛先を湊へと向けた。
「うっせぇ! てか、隊長はともかくとして、何でテメェは平気そうな顔をしてるんだよ!」
「そうだよ! 別に君は芸能界にもテレビにもなれてないだろ?」
自分たちがテンパっていて、後輩が平気そうな顔をしているのが余程気に入らなかったのだろう、ダインとカールが物凄い形相で詰め寄ってくるので、湊は思わず身を仰け反らせながら言う。
「ぼ……僕はほら。この間、ガーネット家にテレビの人たちを夕食に招待したときに会ってるから……。一応、ある程度は顔見知りになったし……」
「なん……だと……!?」
「そんな……神は僕らを見捨てたのか……!!」
自分の報告にオーバーリアクションで項垂れる先輩たちに、湊は無言でリリアに助けを求めた。
「はぁ……まったく……。ほら、二人とも。しゃきっとしてください。ミナトは私と一緒に住んでいるのですから、テレビのスタッフたちを夕食に招待したときに顔合わせするのは当たり前のことじゃないですか」
「だったら、その時に俺たちも一緒に招待してくれてもよかったじゃないっすか!」
「そうですよ! 大体ミナトは隊長と一緒に住んでるってだけでも羨ましいのに……!」
もはや若干涙目になりつつ反論してくる二人を、リリアはまるで幼子を諭すような顔になる。
「あなたたちも夕食に招待したけど、大事な用があるからと断ったじゃないですか」
そう、実はリリア。
今回の取材スタッフたちを夕食に招待したときに、事前の顔合わせも兼ねたほうがいいだろうと判断し、同じ部隊で働く二人にも声を掛けていたのだ。
しかしその日は、ちょうど二人がファンの例のアイドル、アオイ・シトリンのライブ映像がテレビで流される日でもあったため、二人はこの夕食会を拒否していた。
つまり完全な自業自得なのである。
そこを痛烈に突かれた二人が揃って押し黙ると、リリアは小さくため息をついた後、小さく微笑んだ。
「心配しなくても、アオイさんもテレビスタッフの方々も、とてもいい人たちですから」
「うん、二人ともそこを心配してるんじゃないと思うよ、リリア?」
湊のツッコミにきょとんと首を傾げるリリアだった。
そんなことをしているうちに、彼らの眼に軍施設内部へのゲートを通り抜けてくる一台の車が映った。
湊も元の世界で何度か見かけたことのあるような、内部が見えないような仕掛けが施された一台の大型車両が静かに湊たちの前に止まる。
そうしてスライドドアが開き、中から一人の少女が飛び出してきた。
「ふわぁ~……! ここが一般人は入れないって話の軍施設内部なんですねぇ」
感嘆の声を上げながら満面の笑みを浮かべ、明るい緑色のポニーテールを元気に揺らしながら周囲を見回すその少女こそ、オークスウッドでも女優兼歌手として名高いアオイ・シトリンであり、今回の密着取材を担当する人物である。
そしてその名前に相応しい黄金色の瞳にリリアと映し出した途端、彼女は弾けるような笑顔と共に駆け寄る。
「あ! リリアちゃん発見しました!」
そんな声と共に、全速力でリリアに飛び込んだアオイは、思わずたたらを踏むリリアをそのまま抱きしめる。
「う~ん……この抱き心地! やっぱり最高ですね!」
「ちょ……アオイさん! 苦しいです!」
頬をすり合わせてくるアオイを無理矢理引き離して何とか息をついたリリアを少しだけ残念そうな顔で見る。
「むぅ……。まぁ、本当はこの間の夕食会のときにもっと堪能したかったのですが、こうして今日も堪能できたので良しとしましょうか」
小さく舌を出しておどけたアオイ・シトリンは今度は湊へと目を向けた。
「お? ミナト君もいるじゃないですか! こんにちは!」
「こんにちは、アオイさん」
「この間会ったときにも思いましたけど、君は軍人とは思えないほどに細いですね。もっと肉をつけたほうがいいですよ? ちゃんと食べてますか? まぁ、細いのはリリアちゃんも同じですけど、リリアちゃんはあのままの細さが抱き心地として最高なんですよね! そうは思いませんか、ミナト君?」
「いや、僕に同意を求められても僕はそもそもリリアを抱きしめたことなんてないですから!」
顔を真っ赤にしながら答えるミナトのリアクションが気に入ったのだろう、からからと快活に笑いながら、ふとその視線が、先ほどから緊張で堅くなっているダインとカールを捕らえる。
「ところでさっきから気になっていたんですが、あちらの二人は?」
「ああ、あの二人は僕とリリアと同じ部隊で……」
と、アオイに聞かれて湊が紹介しようとしたところで、すっとダインが前へと歩み出た。
「は……初めまして! 自分はダイン・コランダム少尉であります! この度はよろしくお……おなしゃっす!」
緊張のあまり声を裏返らせながら、普段の粗雑さを思わせない見事な敬礼で挨拶を済ませたダインに、今度はカールが続く。
「わ……私はカール・アイドクレース。同じく少尉であります! よろしくお願いいたします!」
同じく見事な敬礼を決めてダインの横に並ぶカール。
そんな二人に、アオイはにこりと微笑みながら見様見真似で敬礼を返した。
「私はアオイ・シトリン。女優兼歌手をさせていただいています。よろしくお願いしますね!」
そんな彼女の微笑みに中てられたのか、男二人が頬を上気させるのを横目にリリアはくるりと踵を返した。
「ようこそ、オークスウッド国立軍施設へ。私たちはあなた方を歓迎します。それでは早速施設の中を案内しましょう」
いつの間にか機材を車から降ろしたスタッフやアオイを引き連れて施設の中へと歩いていくリリアへ、湊は慌てて着いていく。
そして後に残されたのは、未だ敬礼を崩さない男二人の姿だった。
「なぁ、カール……」
「どうしたのさ、ダイン?」
「俺たち……隊長と同じ部隊に配属されててよかったな」
「ふっ……それには全面的に同意するよ」
そんな二人の会話を聞くものは誰もいなかった。




