第3話 思わぬ遭遇
「…………あの……」
「……ミナト。おはようございます。申し訳ありませんが、朝食は適当に取っていただけますか? 今は忙しくて…………。ああ、そっちのお花は玄関のほうへ!」
その日、朝からなにやら騒がしくて目が覚めた湊が、ちょうど部屋を出たところでばったりと出会ったリリアに挨拶をしようとした瞬間、彼女は一瞬だけ申し訳なさそうに表情を曇らせた後、それで要件は終わったとばかりに、目の前で花を花瓶に生けようとしていたメイドへと指示を出し始めた。
「え……あ……あの……」
そのままパタパタと去っていくリリアに手を伸ばしかけ、しかしなんと声をかけたらいいか迷った湊は、結局そのまま中途半端に手を戻し、とぼとぼと一人食堂へと歩き始める。
「…………まだ……朝の挨拶もしてなかったのにな……」
そんな彼の姿をたまたま目撃した、ガーネット家のとあるメイドは、後に彼女だけの日記にこう書き残していた。
「あのときのミナト様のお背中は、とても哀愁に満ちておられました」と。
ともあれ、リリアに言われた通りに、一人寂しくだだっ広い食堂で朝食を済ませた湊は、自分の部屋へと戻りながら、ふと思い出す。
「そういえば……、今日はリリアのお父さんとお母さんが戻ってくるって昨日言ってたっけ……」
前日の夕飯時にリリアから告げられた言葉を思い返し、湊は急にそわそわし始める。
何せ、自分は異世界からやってきた文字通りの異邦人だ。
いくらリリアが身元保証人になってくれた上にあまつさえ、「家族」と呼んでくれているとはいえ、彼女の親からしたら、自分たちがいない間に勝手に上がりこんだどこの馬の骨とも知らない人間。
少し前に、老執事が既に湊のことをリリアの両親に伝えたらしいが、一体どんな風に伝わったのか分からない。
要するに。
「どんな顔して会えばいいんだよ……」
自室のベッドに腰かけ、一人頭を抱えてひとしきり悩んだ湊は、小さくため息をつくとベッドから立ち上がる。
「とりあえず一人でそわそわしても仕方ないし……。準備の手伝いでもするか……」
一人ぼやいてドアを開け、ちょうど通りがかったメイドを捕まえる。
「あ……あの……」
「申し訳ありません、ミナト様……。ちょっと今手が放せなくて……。緊急の用事ならば別のメイドをお呼びしますが……?」
「あぁ……その…………そういうわけではないんだけど……」
「…………? はぁ……」
はっきりとしない湊の物言いに、メイドはことりと首をかしげた。
「それでは一体……? …………はっ!? まさか私、何かミナト様に対して粗相でも!? も……申し訳ありません!!」
何をどう勘違いしたのか、急に持っていた荷物を下に下ろして勢いよく頭を下げ始めるメイド。
「はっ!? えっ!?」
「申し訳ありません! 処罰はいかようにも!」
急に涙目になりながら何度も頭を下げるメイドに、湊は酷く困惑する。
「ちょ……ちょっと待って! 大丈夫! 大丈夫だから!!」
ついにはその場に跪き、正座で許しを請い始めたメイドの肩を掴んで立ち上がらせる。
「別に僕はあなたに処罰を加えるつもりはないし、そもそも何の粗相もしてないから!!」
「…………ふえ?」
まだ目の端に涙を浮かべながらも、ゆっくりと顔を上げるメイド。
その瞳は、期待と不安に揺れている。
そんなメイドに向かって小さくため息をつきながら、湊は本来の目的を話した。
「僕が呼び止めたのは、僕にも何か手伝えることがないかなって思ったからで……」
「ああ……そういうことでしたか……」
目に見えてほっと胸を撫で下ろしたメイドは、しばし思案するように顎に手をあて、やがてゆっくりと首を横に振る。
「申し訳ありませんが、私では判断がつきません……。やはりここはお嬢様に申し出たほうがよろしいかと……」
「…………ですよねぇ……」
至極まともなことを言われ、がっくりと肩を落とす湊。
「……? どうかしたのですか?」
お嬢様の元へと歩きながら、ふと後ろから落ち込む気配を感じたメイドが振り返る。
「ああ……ちょっと……ね……」
「…………?」
ことり、と首を傾げるメイドに曖昧な微笑みを返す湊の内心は複雑なものだった。
その理由は朝食の前のリリアの態度にある。
つまり。
(朝から忙しそうだったし、これ以上リリアの手を煩わせるのは…………)
両親を迎えるための準備でどたばたしている少女へ、手伝いとはいえ頼みごとをするのは気が引けるという、少年らしい気遣いだった。
とはいえ、そんな湊の内心を、目の前を歩くメイドに察しろと言うのは無理な話で、湊が「やっぱりいいです」と口を開く前に、事前にそこにいるという情報を得ていたのだろう、リリアが普段使用している執務室へとたどり着き、何の気負いもなく扉をノックした。
『…………はい?』
扉の向こうから、くぐもったリリアの声が返ってきた。
「お嬢様、失礼します……」
慌てて止めようとした湊の手をすり抜けてあっさりと扉を開け放ったメイドは、その場で軽く一礼をしてから部屋に足を踏み入れ、後ろを振り返る。
「お嬢様、お忙しい中申し訳ありませんが、ミナト様がお嬢様に用があると……」
「ミナトが私に…………? どうぞ……」
入室を促され、おずおずと入ってきた湊へ、リリアは掛けていたリムレスのメガネを外しながら問う。
「それで……? 私に用とは……?」
「あぁ……うん、別に大したことじゃないんだけどさ……」
机に大量に詰まれた書類や先ほどまで少女が掛けていたメガネ。脇にはインク壷とペンが置かれ、まさに仕事の真っ最中といった空気をまとうリリアに中てられ、湊は言いにくそうに口ごもりながらもどうにか口を開いた。
「その……、今日……リリアのお父さんとお母さんが帰ってくるでしょ……?」
「はい……」
「で……そのことを考えてたら……こう……もぞもぞしてきて……」
「もぞもぞ……ですか?」
湊の奇妙な言い回しに、リリアは首を捻る。
「ほら……、僕ってばリリアの両親からしたら、「自分たちがいない間に勝手に上がりこんだ得体の知れない男」だからさ……」
側にメイドがまだいたため、あえて「異世界から来た」とは口に出さない湊の心情を察したのか、リリアはその特徴的な深い柘榴石色の瞳を僅かに細める。
「ああ……なるほど……。そういうことでしたか……。つまりミナトは、私がどこの馬の骨とも知らない男を拾ってきたと両親に勘違いされたくなくて、少しでも屋敷のことを手伝えたらということですか……」
「ああ……まあ……うん。そんなところかな……」
すっかり見透かされて思わず苦笑する湊を前に、リリアは少しだけ考えるように虚空を睨む。
そして。
「…………申し訳ありません、ミナト。現段階でお父様とお母様をお迎えする準備はほぼ済んでおりり、あとは家の者たちに任せております。現に私もこうして軍の書類仕事を片付けている最中でして……。ですからミナトにお手伝いしていただくようなことは何も……」
「…………そう……なんだ……」
「ああ! いえ! ミナトの気持ちは分かりますし、大変ありがたいものです! ですからどうか気落ちしないで……。……それにミナトはもう私たちの家族ですから……、堂々としていればいいんです……」
がっくりと項垂れる湊を慌ててフォローするリリア。
「……うん……そうだね……。ごめんね、何か仕事の邪魔して……。それに気を使わせちゃって……」
たはは、と誤魔化すような微笑を浮かべた湊は、そのまま踵を返して扉から出て行く。
そんな湊の背中を見送って、リリアは傍らのメイドにぽつりと訊ねた。
「……私、何か悪いことをいいましたか?」
「…………いえ、大丈夫です」
湊の「少しでも力になりたい」という想いが透けて見えただけに、メイドはこっそりと後で湊をフォローしておこうと心に決めた。
一方、リリアの執務室を辞した湊は、とぼとぼと廊下を歩きながら小さくため息をつく。
「……手伝いはもうないみたいだし……、かといってリリアの言う通りに部屋でだらだらしてるのも……。軍の仕事も今はないし………………、仕方ない。図書館にでも行くか……」
気晴らしに本でも読みに行こう。
そう決めた湊は、一度自室に戻って適当に着替えると、携帯端末をポケットに突っ込んで屋敷を出た。
◆◇◆
「ふむ……やっとついたか……」
「中々に波乱な道中でしたね……」
オークスウッド中央区の、中央市場が後ろに控える広場。
各国からの行商組合が集まるこの場所に、一組の夫婦が降り立った。
一人は娘と同じ白銀の髪を短くまとめ、一族代々引き継がれているガーネットの瞳を持つ引き締まった体つきの妙齢の男性。
そしてその隣に控えるのは、長い金髪を頭の後ろで一つにまとめ、オークスウッドでは珍しい琥珀色の瞳に優しげな色を湛えた女性。
チャールズ・ガーネット公爵とその夫人、シェリー・ガーネットである。
二人は数年の諸外国周遊を終え、久々に戻ってきた自分たちの国の中央広場をぐるりと眺め、満足そうに頷く。
「相変わらず活気にあふれたいい街だな……。どうやら渡した違いない間も、国議会が上手くやっていてくれたと見える……」
「人々も普通に明るい顔で過ごしていますし……。魔獣の脅威もあまり見られませんね」
「そこは軍部が上手くやってくれているのだろう。…………おや? あの建物は我々がいたときにはなかったものだな……。どれ、一つ見学でも…………」
「あなた? まずは私たちが戻ったことを国議会と軍に知らせるべきではありませんか?」
早速興味津々と街をふらつこうとした夫の襟首を妻が捕まえながら、きょろきょろと辺りを見回す。
「さてと……まずは軍にでも向かいたいのですが……。どうやら少しばかり道も変わってるみたいですし……。誰かに案内でも…………」
そう呟いた公爵夫人の目の前を、ちょうど一人の少年が通りかかる。
オークスウッドどころか、世界中でも珍しい黒髪に黒にも見えそうな茶色の瞳の少年は、彼女が事前に聞いていた、とある人物の情報と見事に合致する。
そして瞬時にその少年の正体を看破した夫人は、なぜかにやりと笑いながら、その少年へと声を掛けた。
「そこのあなた……。少しよろしいかしら?」
◆◇◆
図書館で時間を潰そうと思い立った湊は、ガーネット家の屋敷を出て近くの駅に向かい、図書館がある中央市場広場行きの電車に乗った。
そうして電車に揺られることしばし。
相変わらず活気にあふれた市場を通り過ぎて、オークスウッドでも最大の蔵書量を誇る図書館へと向かおうとしたときのことだった。
「そこのあなた……。少しよろしいかしら?」
突如、知らない女性の声が聞こえて思わず立ち止まった湊は辺りをきょろきょろと見回し、やがて自分が呼ばれているのでは、ということに気付いて振り返る。
「えっと……、もしかして僕……ですか?」
違っていたら恥ずかしいな、と思いながらおずおずと返すと、その女性はにやりとした笑みを浮かべながら頷いた。
「ええ、そうです。あなたです……」
「……はぁ、何でしょうか……?」
警戒心を浮かべながらゆっくりと近づいた湊へ、その女性は先ほどとは打って変わって、見るものすべてを安心させるような微笑を浮かべた。
「あなた……今、お時間はよろしいかしら?」
「え……っと…………、まぁ……?」
やたらと丁寧な口調と、夫らしき人の襟首を掴んだままの手というあまりにミスマッチな状況に戸惑いながら、頷く湊。
「それは良かったです……。申し訳ないのだけれど私たち、これから軍へ行こうかと思っていまして……。良ければ道案内をしていただけませんか?」
「……はぁ。それだったら、ここの駅から軍部行きの電車が出ていますからそれに乗ればすぐに……」
「そうではなくて……。私たちと一緒に軍に行って欲しいのです」
なぜ? どうして?
そんな疑問が頭に渦巻き、困惑する湊へ、女性はくすりと笑いながら続けた。
「私たち、ここ数年この国から出ていまして……。先ほど戻ったばかりですの……。それでちょっと軍の知り合いに戻ったことを挨拶したいのですが、生憎私たちがいたときと少々道が変わっているようですし、どうやらあなたは軍の関係者と思われましたので、良ければ案内していただけないかと……。だめ……ですか?」
実際には妙齢の既婚者とはいえ、ぱっと見た目には二十代といっても十分通用しそうな若々しい外見の女性から上目遣いで見つめられれば、彼女いない歴が年齢と等しい純情な湊は「何故自分が軍関係者と分かったか」という疑問すら浮かばずに頷くしかない。
そんなわけでこくこくと頷いた湊は、どこか自分の大切な人に似た雰囲気を持つ女性と、その夫の道案内をすることになった。
そうして軍へと向かう電車に乗りながら、ふと思い出したようにその女性が訊ねて来た。
「そういえばまだお名前を聞いていませんでしたね。私はシェリーで、こっちがおっとのチャールズです」
「あ……僕はミナト……。ミナト・イスルギです……」
女性の微笑みに照れながら名乗る湊はまだ知らない。
この二人が、実はリリアの両親であることを。
そしてその事実を知ったときに、思わず絶叫してしまうことを。