第1話 帰還の連絡
新章開始です!
「…………っ! はぁ…………はぁ…………」
狭い操縦席の中で、異世界からの来訪者、石動湊はいつの間にか額に浮いていた汗を拭いながら、荒く息を吐き出す。
そうして呼吸を整えようとした瞬間、対魔獣殲滅兵器に搭載されたセンサーがけたたましい音を発し、湊は咄嗟に隠れていた岩陰から機体を飛び出させる。
その直後、それまで湊がいた場所を寸分違わず光の筋が射抜き、固いはずの岩に穴を開けて霧散した。
咄嗟に岩陰から飛び出さなければ、射抜かれていたのは自分の機体だろうことに想像は難くなく、思わず背筋に冷たいものが伝う感触を味わいながらも、湊は光の筋が飛んできたほうへ手にした銃を向け、思いっきり引き金を引いた。
弾倉に装填された紫獣石から生成されたエネルギーが光の弾となって銃身から吐き出され、軍学校で訓練を始めたころに比べて大分マシになった軌跡を描いて飛んでいき、湊が目標とした地点へと見事に着弾した。
「やった、か?」
小さく呟きながらセンサーに目を向けるも、撃墜判定の表示はされていない。
それどころか。
『ところがぎっちょん! もうそっちには誰もいねぇよ!!』
乱暴な言葉遣いが聞こえ、同時に湊の乗る機体を、背後から無数の弾丸が貫いた。
「うわあぁぁぁぁあああっ!!」
思わず悲鳴を上げる湊の目の前で、機体の状態を示す画面が一瞬で真っ赤に染まり、その直後、目の前の内壁透過モニタにでかでかと敗北の文字が映し出されたかと思えば、すぐに視界全体が暗転した。
「ふぅ…………」
大きく息を吐き出しながら目を開け、軍学校でも使っていたシミュレーターの内壁を見ながら体を起こし、パイロットスーツの腰部から伸びたコネクタを引き抜いて扉を開け、外へ出る。
その途端、湊を出迎えたのは、正式に配属されたチームの先輩と、その横で困ったように笑みを浮かべながらもタオルを差し出してきたリリアだった。
「お疲れ様でした。……残念でしたね……」
リリアの労いの言葉と共にタオルを受け取り、いつの間にか浮いていた汗を拭っていると、勝ち誇った笑顔のチームの先輩――ダイン・コランダムが乱暴に湊の肩を叩いた。
「残念も何も、こいつはまだまだっすよ隊長。あの程度の腕で軍学校を卒業できるとか、いまどきの軍学校は随分と甘くなったものっすね」
先輩の、その物言いに流石の湊も思わず「むっ」となって言い返す。
「僕はリリアからちゃんと教わるべきことを教わったんだ! そんなことを言われる筋合いはない!」
「……ほほぅ? てめぇ……先輩にそんな口の聞き方するだなんていい度胸してんじゃねぇか……? なんならもう一戦やるか?」
「望むところだ!!」
安い挑発に乗って、鼻息も荒くシミュレーターのほうへと再び歩き出した湊を、一つのため息が止めた。
「はぁ……やめときなよ。今のままじゃ君は絶対にダインには勝てないから……」
「……おい、カール! 余計なこと言うんじゃねぇよ! せっかく俺がこいつを鍛えなおしてやろうとしてるのに……」
「ダインのそれは鍛えなおす、と言うよりも新人いびりだってことを理解したほうがいいよ? これだから狙撃バカは……」
「……んなっ!? てめぇに言われたくねぇよ、この近接バカ!」
「んだと、こらぁ!?」
「何だよ!?」
ダインと角を突き合わせる青年、カール・アイドクレースの二人のケンカは、湊がこのリリア・ガーネットが率いる部隊に配属されてからたびたび見る光景だ。
ちなみにリリアの部隊には本来、もう一人の女性隊員クレア・アナルシムがいたが、彼女は湊が配属される前に結婚して今は退役してしまっており、ちょうど空きが出たこともあって、湊がリリアの部隊に配属されたという経緯がある。
ともあれ、互いにいがみ合っていたダインとカールは、そのまま湊を押しのけるようにしてシミュレーターへと歩み寄っていく。
どうやら、ケンカの決着はシミュレーターでつけることになったらしく、お互い中へと入る前に指を突きつけていた。
「後ろからちまちま撃つだけの狙撃バカに、今日こそ近接の素晴らしさを教えてやる! 吠え面かくなよ!」
「はん! てめぇなんて接近する前に蜂の巣にしてやんよ!」
「そっちこそ、真っ二つにしてやる!」
「よ~し……。そんじゃあ、この勝負に負けたほうが今日の晩飯をおごりだ!」
「望むところだ!!」
牙をむきながらそれぞれのシミュレーターの中へと入っていく二人を見て、リリアは小さくため息をついた。
「……止めなくていいの?」
そんな湊の問いに、リリアは苦笑しながら小さく肩を竦めた。
「まぁ、好きにやらせます。私たちに実害があるわけでもありませんし、お互いの切磋琢磨にも繋がっていますから……」
「…………そんなもの、なの?」
画面の向こうでお互いにののしりあいながら派手に暴れまわる先輩二人に、湊はただ呆れるしかなかった。
◆◇◆
とある国の軍施設。
「それじゃ、世話になりました……」
「いえ……、こちらこそ、あなたたちに来ていただけたことが大変光栄でございます……」
施設の出入り口の前で、軍施設のトップと握手を交わしながら見送りを受けている一組の妙齢な男女がいた。
「我が国とは違った設計思想の機体に、とても参考になりましたよ」
「それは我々も同じです。あなた方がくれた魔獣のデータも、それに有効な武装データもとても貴重なもので助かりました。よろしければ、またお越しください……。今度はご自慢のご息女もお連れして……」
施設の司令の言葉に、男性がからからと笑う。
「はっはっは! ウチの娘でも娶られるおつもりかな?」
「滅相もない! 第一私にはすでに妻も子もおりますので!」
「なぁに、一夫多妻もいいもんだぞ?」
「…………あなた?」
それまで黙って夫の後ろに控えていた妻からの鋭い視線に、男性は思わず肩をびくりと震わせる。
「じょ……冗談だからな!? 流石にそんなこと考えてないからな!?」
「別に私はあの子を嫁に出すことを責めているわけではありませんよ? ただ、あなたが浮気をしているのでは? と疑っているだけです」
「そ……そんなことあるわけないじゃないか!? 私はいつだってお前一筋だ!!」
「………………」
「ほ……本当だ! 信じてくれ、シェリー!」
血相を変えるように妻へと歩み寄った夫に対して、シェリーと呼ばれた女性は僅かな沈黙の後で、小さくため息をついた。
「まぁ……、流石に本気で言ったわけではありませんし……、第一、あなたにそんな甲斐性などあるはずもありませんわね……、チャールズ?」
悪戯っぽい妻の目線に、チャールズと呼ばれた夫は思わず口を紡ぐ。
たったそれだけのやり取りで、夫婦間の力関係が露呈してしまったことに顔を赤らめながら、チャールズは改めて司令へと向き直る。
「いやはや……、お恥ずかしいところをお見せしました……」
「いえ……。あなたのお気持ちはお察しします……」
司令もプライベートでは似たような力関係だからか、あえて苦笑するにとどめ、話を戻す。
「それで? この後はどこへ?」
「そうですね……。帝国やトントヤード、グラスファリオンなどの主要大国はおおよそ回りましたし、データも大分収集できたので、国に戻ろうかと思います」
「……そうですか。道中では魔獣が出るポイントもあります。一応、護衛をお付けいたしますが、どうかお気をつけて……」
「ありがとうございます。お世話になりました……」
それでは、と司令へ頭を下げて、後ろに控えていた行商組合の車へと乗り込んでいく夫妻。
そんな彼らを、姿が見えなくなるまで見送った司令へ、彼の部下が訊ねた。
「司令……、今更ですがあの二人は一体何者だったんですか? わざわざ彼らのために専用の行商組合と護衛まで用意して……」
「…………お前……、ニュースを見たことないのか?」
「あ……あはは……、すんません……」
笑って誤魔化す部下に、上司たる司令は呆れたような視線を向けてから、こう答えた。
「あのご夫妻はオークスウッドの中でも最重要人物、チャールズ・ガーネット公爵とシェリー・ガーネット公爵夫人だ」
「公爵!?」
司令の口から飛び出た言葉に、部下は思わず目をむく。
何せ、前日の晩に催された歓迎の宴では、司令の言う「公爵」と酒を飲み交わし、挙句、酔った勢いでいろいろとやらかしてしまったからだ。
それを思い出した部下が、顔を青ざめさせた。
「…………司令……、俺、死んだかも……」
そんな部下に対して司令は、「気にするな」と軽く肩を叩くにとどめた。
一方そのころ、行商組合の車の中では、手に入れたデータを端末を通じてオークスウッドの研究施設へと送っていたガーネット公爵へ、もうすぐ久々に家へ帰るとの連絡を入れた公爵夫人が、家の執事からの返信に目を通し、そこに書かれていた内容に小さく口を綻ばせながら話しかけた。
「あなた……、どうやら私たちがいない間、あの子も立派にやっていたようですよ?」
「ほう……?」
「特にこの一年は、軍学校の講師をしたりもして、大活躍だったみたいです」
「そうか……あの小さなリリアが…………。立派になったものだな……。しかし、軍の部隊長に公爵家の責務、そこへ更に軍学校の講師までとなると大変だったろうに……。よほど家の者たちが心の支えになったのだろうな……」
これは帰ったら、執事やメイドたちに褒美を取らせなければ、と考えていたところへ、夫人から衝撃的な言葉が飛び出した。
「それが、どうもあの子にとっての心のよりどころ……、つまりあの子の弱い部分を見せられるような殿方が現れたみたいですよ?」
「何!?」
思わず大きくなってしまった公爵の声に驚いた車の運転手が急ブレーキをふみ、同時に緊急信号が周囲を警戒していた対魔獣殲滅兵器へと伝わり、一気に緊急警戒モードへと移行する。
そんな、迅速な行動を取ったパイロットや運転手に謝罪して誤解をどうにか解いた公爵は、今度は皆を驚かせないように注意しながら、夫人へと詰め寄った。
「それはどういうことだ、シェリー!?」
「どうもこうも、あの子が少なくとも自分の弱点を見せられるような殿方が現れた、とそのままの意味ですよ?」
「そ……それはつまり、可愛い娘に、かかかかか彼氏が出来たということか!?」
「さぁ……? そこまでは分かりませんが、少なくともあの子にとっては頼れる存在、みたいですね……」
「なんということだ……」
相当ショックを受けたのだろう、がっくりと項垂れた公爵は、最早夫人の言葉など耳に入っていなかった。
「どこの馬の骨とも分からない奴に可愛いリリアがなびくとは思えん。これは早急に調査する必要があるな……。場合によってはリリアにばれぬように始末する必要も……。しかし何故だ? 何故そいつはリリアに近づいた……? はっ!? まさかあの子を利用して公爵の地位を手に入れようとよからぬことを……!? そんなことはさせん! 第一貴様なぞに「義父様」などと呼ばれたくない……、いや呼ばせん! ああ、だが可愛い娘が産んだ孫だからきっととてつもなく可愛いのだろう……。だがリリアを手篭めにした男は赦せん……。……ぐぬぬ、このジレンマはどうしたら……!!」
どうやら公爵の中では、すでに娘はその男と結婚して子供まで出来ていることになっているらしく、娘とまだ見ぬ初孫の可愛さと、娘を手篭めにされた男への怒りの二律背反に頭を抱えていた。
とても少し前まで、施設の司令に娘を嫁にやるといっていた人物と同じとは思えぬその言動に、隣に座っていた公爵夫人は小さくため息をついた。
「私はあの子が結婚したとか子供が出来たとか、そんなことは一言も言ってないんですけどね……」
夫人の冷静なツッコミは、しかし百面相を繰り返す公爵の耳には届かなかった。
◆◇◆
「ただいま戻りました……」
「ただいまです……」
「お帰りなさいませ、お嬢様、ミナト様」
軍人としての一日の仕事を終え、オークスウッド中央区の郊外に建つガーネット家の屋敷へと戻ってきたリリアと湊を、屋敷の老執事が恭しく出迎えた。
ちなみに、軍学校を卒業した湊は、卒業と同時に軍施設に程近いアパートを借りようとしていたのだが、せっかくガーネット邸に部屋があるのだから無理に独り暮らしする必要はないとリリアや屋敷の者たちに説得され、結局、異世界に来たときに使っていたガーネット家の一室にお世話になることになった。
そんな経緯はさておき、軍の制服から私服へと着替えて、少々遅くなってしまった夕食をとっていた二人へ、老執事から報告が入った。
「お嬢様……。今日の昼ごろですが、シェリー様から連絡がありました」
「お母様から、ですか?」
リリアのお母さんはシェリーって言うんだ、と一人場違いな感想を思い浮かべていた湊を他所に、執事からの報告は続く。
「ええ……。シェリー様からの連絡によると、外国での用事は済んだから近日中に帰るとのことでした」
「…………まぁ! それは本当ですか!?」
一瞬だけ目を見開いた後、嬉しそうに顔を綻ばせるリリア。
すでに年単位で両親が不在という状況に慣れ、その上最近では湊という「家族」までが出来て寂しくなくなったとはいえ、それでもやはり両親が帰ってくるというニュースは、少女にとってはとても嬉しいことだった。
「具体的にいつごろの予定ですか?」
「まだはっきりとは決まっていないようですが、最後にいらっしゃったのがグラスファリオンなので、遅くとも今週中には戻られるでしょう……」
「…………そうですか……。分かりました。お父様とお母様が戻られたら、すぐに連絡をください。出撃中でない限りは、すぐに戻ります」
「かしこまりました」
恭しく頭を下げる老執事と、両親のことを考えているのだろう、特徴的な深い柘榴石色の瞳に嬉しさを滲ませた少女を見ながら、湊は一人「どうしようかな」と考えていた。
何せ、湊はリリアの両親を知らないし、逆にリリアの両親も湊を知らない。
つまり二人からすれば、湊は「自分たちがいない間に勝手に家に上がりこんできた赤の他人」でしかないのだ。
いくら、身元保証人がリリアになっているとはいえ、それはまずいだろう。
そんなことを考えていると、そっと老執事が湊へ耳打ちした。
「ご安心ください、ミナト様。私からすでにミナト様のことはお二人へ連絡済ですので……」
「あぁ……そうなんですか……」
相変わらず優秀な執事に、ほっと胸を撫で下ろす。
しかし、このときの湊は、後にその連絡がきっかけで波乱に巻き込まれるとは想像すらしていなかった。