閑話その3 動き出すもの
オークスウッド国立軍学校の卒業式が終わって数日後。
中央区の一角に存在するとある邸宅を、一人の少年が訪れていた。
「叔父上……、ご報告が遅くなりましたが、リード・ガレナ。無事に軍学校を卒業いたしました」
全体的に重厚さを感じさせる色合いの部屋の奥へと座る屋敷の主へ、姿勢正しく報告するのは、先ごろ軍学校を卒業した少年、リード・ガレナ。
その彼へと柔和な微笑を向けながら、叔父上――オークスウッド国議会議員の一人である、ドレアス・オニキス伯爵はゆっくりと頷いた。
「よくやったな、リード……」
「……はい」
敬愛する叔父に労われて顔を綻ばせるガレナ少年に、伯爵は目を細める。
「ふむ……。学校に入学する前に比べていささか頼もしくなったな……。よほど学校で鍛錬を積んだと見える……」
「……いえ、それほどでも……」
「謙遜しなくていい……。さぞ、学校ではいろんなことを学んできたのだろう?」
「…………そう、ですね……」
そう答えながらも、リードの脳裏を過るのは苦々しい記憶ばかりだ。
入学当初は、目の前の叔父に買い与えてもらったシミュレーターの成果もあって上々の成績を収めていたが、試験や実際の対魔獣殲滅兵器に乗るようになってから、あるいはその前のチームを組まされるようになってからは、その成績は徐々に降下していった。
当然、自身の努力はしたが、何よりチームメイトに恵まれず、それが余計に彼の焦りとなって更に成績が落ちるという悪循環の日々だった。
そんなリードの学校でのことも把握していた伯爵は、目の前に立つ甥の心境を察して声を掛ける。
「学園長も卒業式で言っていたが、お前があの学校で経験したことは決してこの先で無駄になることはない。例えそれが、お前にとっての苦い記憶だったとしても、だ……」
「…………っ!? 叔父上……」
「いいか、リード……。大事なのは、その苦い記憶、過去から何を学び取るか、だ。過去から何も学ばないのは愚か者のすること……。分かるな?」
「…………はい」
殊勝に頷くリードに、ふっと顔を綻ばせた伯爵は、徐に携帯端末を取り出すと、どこかへと連絡を取り始めた。
「…………私だ…………。ああ、そうだ……。ちょうどいい機会だからな……。ああ……。今から行くから準備をしておいてくれ……」
はて、と首を傾げるガレナ少年が、通信を終えたタイミングを見計らって問いかける。
「叔父上……、出かけられるのですか?」
「……ああ、そうだ。ちょうどいいから、お前も来なさい……」
「……? それは構いませんが……いったいどちらまで?」
「ふっ……、それはついてからのお楽しみだ……」
叔父らしくないおどけた言い方に、リードは内心で首を傾げつつも、とりあえず敬愛する叔父についていくことにした。
◆◇◆
それからしばらくして二人がやってきたのは、オークスウッド国立軍が所有するとある施設の一角だった。
入り口で貰った入館許可証を首から提げて堂々と施設の中を歩く叔父の後ろを、リードはきょろきょろと辺りを見回しながら続く。
その施設では、大勢の白衣を着た人間が忙しそうに動き回っている。
そんな彼らを見て、ここがどういう施設なのかをおぼろげながらに把握したリードは、目の前を歩く叔父に話しかける。
「ここは…………軍の研究施設……ですか?」
「その通りだ……。正確には、軍が所有する研究施設の中の一つであり、私が管轄の部署だ……」
「ここでは……一体何の研究を?」
「やっていることは他の施設と然程変わらんよ。対魔獣殲滅兵器の性能を上げる研究だったり、魔獣の生体調査だったり、な……」
「……そうですか……」
わざわざ自分の管轄の研究施設に連れてきたからには、きっと何かあるのだろうけど、話を聞く限りでは他の施設とあまり変わらないようで、ガレナ少年はいささか落胆したような顔になる。
その甥の顔を肩越しに見た伯爵は小さく笑いながら、目の前に現れた扉の中へと足を踏み入れた。
そこは先ほどまでの、ドアやパーティションで区切られたいかにも研究施設然とした様子から打って変わって、まるで巨大な魔獣すらも楽に収容できそうなほど広い円形の空間の中心を貫くように設えられた通路の上だった。
『……各部ジェネレーター問題なし……。各班、起動試験に備えてください……』
『……作業班より設計班へ。左腕内部の機構に問題を確認。直ちに設計の見直しをしてください』
『……右脚部ブースターのテストは、本日ヒトサンマルマルに変更になりました……』
館内放送がひっきりなしに飛び交い、通路から見下ろした先では、様々な機械の塊にたくさんの人が群がっているし、鉄を打ちつける音や溶接の音ががんがんと響いていて、リードは思わずしかめっ面になりながら耳を押さえ、傍らの叔父に問いかけた。
「叔父上……! ここは一体……!?」
ほとんど叫ぶような問いかけに、伯爵は静かに、けれど確かに聞こえる声で答える。
「ここはABERの研究をしている部署だ……。ちょうど今、新型のABERを開発している最中でな……」
「新型……ですか……?」
「そうだ……。これまでのABERよりも運動性に優れ、紫獣石の消費効率も格段に上がった世界初のABERだ……。ああ、ついでに新しい装備も実装されている……」
「世界初の……新型……」
「ちなみに新型は私の権限で、お前が配属される部隊に配備される予定だ……。つまりお前はこの新型のテストパイロットになるということだ」
「テストパイロット……」
叔父の言葉を聴きながら、眼下に広がる光景を改めて見回す。
今はまだ、それぞれの細かい部位ごとに分けられているので全体像は分からないが、それらがすべて組み合わさったとき、自分が乗る機体が出来上がる。
誰も乗ったことのない、最新鋭の機体。
これなら、軍学校に通っていたころに散々苦渋を舐めさせられてきたミナト・イスルギやそのチーム、そして自分に厳しかったあのリリア・ガーネットの鼻を明かせられる。
そう思うと、自然と心が高ぶってくるのをリードは自覚した。
「それは……大変光栄なことです……!」
甥の高ぶる顔を見て、にやりと笑う伯爵。
「それでは……つまり叔父上が僕に見せたかったものとは、これのこと……ですか……」
熱心に、やがて自分が乗り込むことになる機体を眺めながらの甥の問いを、オニキス伯爵は首を振って否定する。
「いや、お前に本当に見せたいのはこの先にある」
そういって指し示されたのは、自分たちがこのABERの研究部門へ入ってきた場所とは通路を挟んで反対側にある扉。
そこへ、何の気負いもなくあっさりと入っていった叔父を追って、リードも足を踏み入れた、その直後。
――ォオォオオオオオアアアアアァァァアアアッ!!
耳を劈くような、生物の原初の恐怖を呼び起こすような、そんな咆哮が体を貫いて、少年は思わず息を呑む。
それは、彼がまだ学生だったころに幾度となく耳にした、人類の敵の咆哮。
すなわち、魔獣。
その魔獣が、極太の鎖に全身を戒められ、更に檻に閉じ込められた状態で目の前にいた。
「…………っ!? 叔父上……これは……!?」
思わず身構えながら問いかけてくる甥に、けれど伯爵は泰然自若のまま答えた。
「見ての通り、生きた魔獣だ……」
それは見れば分かる。
もっと言えば、目の前のこの魔獣は、魔獣の中でも最も小さく弱い魔獣として知られる鉄鼠だ。
とはいえ、魔獣は魔獣。
最も小さい魔獣とは言うものの、ABERより一回り小さいほどで人間に比べたら巨大であることには変わりないし、最弱の部類とはいえ、鋭い牙と爪を持つ魔獣だ。
では、なぜそんな魔獣がこの研究施設に囚われているのか。
その理由を伯爵は、にたりと笑いながら教えてくれた。
「こいつは先日、討伐隊が捕らえてくれたものでな……。例の計画の実験台なのだよ……」
伯爵が口にした「例の計画」にすぐさま思い当たったリードが大きく目を見開く。
「それでは叔父上……、まさか?」
「ああ……。すでに小動物での実験は上手くいった……。後はこれが魔獣に対して効果を発揮してくれれば、いよいよ私が長年描いてきた夢が動き始めるのだ……。そして今日……ちょうどこれから、記念すべき魔獣を使った最初の実験を行う……。その結果をお前にも見せておきたくてな……」
くつくつと笑う伯爵の目の前で、実験の準備は着々と進められていく。
暴れる魔獣をABERが押さえつけ、その隙に白衣を着た人間たちが群がり、なにやら機械を取り付けていく。
そうして最後に、天井から吊り下げられた機械が魔獣の首に填められたところで全ての準備が整ったらしく、研究員の一人が駆け足で近寄ってきて準備ができたことを伯爵に報告した。
「うむ……。それでは実験を始めたまえ」
「はっ! これより実験を始める! 各員持ち場に着け!!」
その号令で慌しく研究員たちが動きまわる。
「観測班、準備完了!」
「制御プログラム、異常なし!」
「探査針打ち込み完了!」
「魔獣の拒絶反応、微弱!」
「紫獣石エネルギー、圧力正常!」
「システム、オールグリーン!」
次々と報告が飛び込み、やがてオニキス伯爵とリードの目の前にあるモニタに映し出された信号がすべて緑色に変わる。
「カウントダウン開始!」
研究員の一人の号令と共に、オペレーターがカウントダウンを始め、同時に部屋全体に低い鳴動音が鳴り響き始める。
そしてそれから少しして、オペレーターのカウントがゼロを刻むと同時に、研究員がレバーを押し上げた、その直後。
魔獣に繋げられた幾つものコードから魔獣へと向けて膨大なエネルギーが流れ込み、同時に魔獣が苦悶の咆哮を上げる。
――ぎしゃあぁぁぁぁあああああぁぁあっ!!
目を限界まで見開き、涎を撒き散らしながら暴れる魔獣。
しかし、体を締め付ける極太の鎖を解くことも、ましてや紅の獅子の一撃にも耐えうる檻を破ることはできず、鉄鼠はただただ与えられる苦痛を受け続けるしかない。
その間にも、研究員たちからは次々と報告が舞い込んで来る。
「パルス正常!」
「ジェネレーター圧力正常!」
「細胞崩壊は確認できません!」
「魔獣の脳波に変化を確認! パターンレッドからパターンブルーへ!」
「プログラム注入率、九十パーセント……九十五……九十九……百パーセントを突破!」
「…………実験……成功です!」
最後のその報告に、研究員たちの顔がほころび、そこかしこで拍手が沸き起こる。
その空気に混じるように、リード・ガレナも惜しみない拍手を叔父へと送る。
「叔父上……おめでとうございます……!」
「ああ……。……いよいよだ……。いよいよ我々の夢が叶うときが来た……」
目の前の、文字通り目の色が変わった魔獣を見上げながら、ドレアス・オニキスは誰にも見せたことのない、野望に満ちた笑みを浮かべた。