閑話その2 とある休日の一幕
「…………むぅ……」
その日、アッシュはオークスウッド国立軍学校が用意した寮の自分の部屋で、携帯端末を前に奇妙な唸り声を上げていた。
「これは……ちとヤバいな……」
気難しげな声で端末に表示されている内容をじっとにらみつけたアッシュは、その後もしばらく一人で唸り続けた後、小さくため息をついて端末をポケットに仕舞うと、なにやら決意を固めたように部屋の扉を開けた。
その先のルームメイトとの共有リビングには、アッシュの親友にしてルームメイト、そしてチームメイトでもある少年、ミナト・イスルギの姿があった。
どうやら彼は、今日は宿題をリビングでやりたい気分だったらしく、ローテーブルにノートを広げて教科書を眺めながら、時々何かを書き込んでいた。
そんな親友に声を掛けるのを一瞬だけ躊躇うアッシュに、先に気付いた湊が声を掛ける。
「……アッシュ? どうかしたの?」
「ああ……いや……その……」
普段のアッシュらしからぬ、どこかはっきりとしない様子に首を傾げる湊。
「……? 本当にどうかした? 何か困ってるとか?」
「あぁ……いや…………。実はそうなんだ……」
宿題の手を止めてこちらに顔を向ける湊に観念したのか、アッシュは頬を掻きながら真剣な顔つきで話を切り出す。
「なぁ……相棒……? 俺たち……友達だよ……な?」
「…………? そうだけど……?」
「なら……さ……。ちょっと助けて欲しいんだけど……」
「……どうしたのさ、改まって……」
親友の改まった態度に疑念を隠せない湊へ、アッシュは勢いよく頭を下げた。
「頼む! 金を貸してくれ!!」
「…………はぁ?」
ミナトの素っ頓狂な声にも負けず、アッシュは話を続ける。
「頼む! 実は明日はユーリとのデートなんだが……、そのための資金が足りそうになくて……!!」
「デートって……。ユーリはそんなアクセサリーとか高級なものを欲しがるようなタチじゃ…………って、そうか……」
理由を尋ねようとして、途中でその答えに気づく湊へ頷いてみせる。
「ああ……。そうさ。ユーリの場合は、そんなもんは欲しがらねぇけど……。代わりにアホみたいに食うんだよ……」
普段、寮の食堂で彼女の前に並べられる皿の数を知っているだけに、湊としてもアッシュに同情するしかない。
「一度、見栄張ってそれなりに高い料理屋にいったんだけどよ……。あいつ、遠慮なしにがんがん食うもんだから、支払いが足りるかどうか心配だったぜ……」
その時のことを思い出して、つい青ざめてしまうアッシュ。
ちなみにその時は、口座引き落としができたために事なきを得たが、もしその手段が使えないような店だったらと考えると、自然と震えてしまう。
それ以来、アッシュはデートのときは事前に最低でも口座引き落としができる店をリサーチするようにしている。
そんなアッシュの苦労を知ってか知らずか、湊はことりと首をかしげた。
「でも……だったら、食べ放題の店にでも行けばいいんじゃ?」
「その手段はすでに試したさ……。流石に毎回馬鹿みたいに高い金を支払ってたら、こっちが破産しちまうからな……。けど……、あいつはアレでも、どうやら俺に気を使っていたらしくてな……」
「……そうなの?」
「ああ……。んで、この前食い放題の店に行ったら…………。食いすぎて出禁をくらっちまったんだ……」
「それはまた…………。でも、他にも食べ放題の店は……」
「もちろん、俺も調査したさ……。けど、どうやら店の奴ら……連携してたみたいで……。入る店すべてでお断りされたんだよ……!」
項垂れるように膝を着くアッシュに、湊は苦笑いするしかない。
もちろん、親友の気持ちも分からなくもないが、普段の年下のチームメイトの食事量を知っている側からすれば、店の気持ちもよく分かるのだ。
「でも、じゃあ二人で割り勘にしたら?」
ふと口をついて出たミナトの意見に、けれどアッシュは「馬鹿野郎!」と勢いよく顔を上げる
「デートのときくらい、男が奢るのは当たり前だろ! それくらいのかっこつけは必要だろ!?」
必死な形相で詰め寄ってくるアッシュをいなしつつ、湊はぼんやりと「そんなものかなぁ?」と思う。
とはいえ、ミナト自身、元の世界でも異世界でもデートをした経験などないので、アッシュの言う当たり前が本当のことなのかは定かではないのだが。
ともあれ、顔の前で両手を合わせて拝むようにしている親友を前に、湊は深々とため息をついた。
「はぁ…………。それで? どのくらいいるの?」
その言葉に、アッシュはぱっと顔を輝かせると、すっと湊の前に二本の指を立てて見せた。
「とりあえず、このくらいあれば大丈夫だと思う!」
「…………わかったよ……」
「すまん! マジで恩に着る! あとで利子つけてちゃんと返すから!! 愛してるぜ、相棒!!」
「はいはい……」
自分の端末を操作して指定された金額を送った湊を軽くハグして、アッシュは急いで自分の部屋へと戻っていった。
◆◇◆
一方そのころ、寮の別室では、ユーラチカ・アゲートが恋人であるアッシュ・ハーライトと同じように自分の部屋で唸り声を上げていた。
「むむむ……。こまった、です……」
小さな胸の前で腕を組みつつ、目の前のものを睨みつけるユーリ。
そこにあるのは、ベッドに並べられたいくつかの私服だった。
「どれを着ていけばいいか悩む、です……」
そう、彼女は今、翌日に控えたデートで着ていく服を悩んでいた。
とはいっても、彼女自身、色気よりも食い気なので、さほど私服の量があるわけでもないのだが。
だがしかし、そこは思春期の女子らしく、彼氏の前では少しでも可愛い格好をしたいと、こうして前日から着ていく服を悩んでいるわけだ。
「この組み合わせはこの間着た、です……。こっちは子供っぽい、です……。こっちは……ちょっと大胆、です……」
自分の中の理想の姿を想像しつつ、最近のデートで着た洋服や、想像とかけ離れたものは除外していく。
そうして残ったのは、僅か数着の服。
「……結局定番のものが残る、です……」
はぁ、と小さくため息をついて自分の部屋から共有リビングへと出たユーリを出迎えたのは、ルームメイトにしてチームメイト、そして頼れる先輩でもあるアリシア・ターコイズだった。
「なんやねん、さっきから? 自分の部屋から変な唸り声が聞こえてきたで?」
独特のトントヤード訛りを発しながら首を傾げるアリシアに、ユーリは肩を落としながら答えた。
「明日、アッシュ先輩とのデートに着て行く服で悩んでいる、です……」
「ああ、そういえばそないなこと言うとったな……」
「です……。自分にあった服で、かつ最近着ていないものとなると、どうしても数が限られる、です……。でもちょっと子供っぽかったりしないか不安、です……」
はぁ、と肩を落とす可愛い妹分にアリシアは苦笑するしかない。
「そんなら、ウチも見たるさかい、一緒に選ぼか?」
「……感謝する、です……」
「まぁ、ええもんなかったら最悪はウチの服を貸したるわ!」
「それは遠慮する、です。絶対に私に合わない、です」
「そないなことないやろ?」
「いいえ、絶対にない、です。主にその凶悪なまでの胸の大きさのせい、です」
アリシアの、服を大きく盛り上げる胸部と、自分のぺったんこなそれを見比べてからそっぽを向いたユーリは、直後になぜか勝ち誇った顔を向けた。
「でも、私くらいがちょうどいい理想だってアッシュ先輩は言ってくれた、です」
「うん、アッシュが変態なのかどうかは兎も角として、自分のその勝ち誇った顔が妙に腹立つわ!」
「ふふん、これが(彼氏を)持つものと持たざるものの差、です」
「よう言うたな!? そないなこというならウチかて(胸の大きさに)余裕あるわ! ちゅうか、ほんま腹立つわ! なんやねん、その勝ち誇った顔は!? そないなことするなら、一緒に服を選んであげへんで!?」
「ごめんなさい、です。私が悪かったから許して下さい、です」
急に手のひらを返したように頭を下げてきた後輩に、アリシアは小さくため息をついた。
「ほんま、ゲンキンな奴やで……。あとその辺の行動がアッシュに似てきてるで?」
後輩に聞こえないように呟き、アリシアはゆっくりとユーリの部屋へと入っていった。
◆◇◆
翌日。
「よっ! お待たせ!」
軽いノリで待ち合わせ場所でもある寮の玄関へと現れたのは、白い清潔感のある七分袖のシャツに紺色のジーパン、そして胸元にシルバーのアクセサリーをつけたアッシュ・ハーライト。
「いえ、大丈夫、です」
そして彼を出迎えたのは、薄いベージュのワンピースに白の帽子を被ったユーラチカ・アゲートだった。
「お? ユーリ。今日もかわいいなぁ!」
「先輩こそ……、今日も決まってる、です」
お互いにお互いの格好を褒めつつ、二人は手を繋いで仲睦まじく寮を出て行く。
これから二人は、事前に決めたプランにしたがって、映画を堪能した後、その近くの食事どころでご飯を食べる予定だ。
そんな二人を、少し離れたところから見つめる二つの影があった。
「ねぇ、アリシア……」
視線は前へと向けたまま、隣にいる少女へと声を掛ける異世界から来た少年、石動湊。
「なんや?」
それに問い返すのは、彼のチームメイトであり、大切な仲間のアリシア・ターコイズ。
その視線は同じく前を行くアッシュとユーリへと固定されている。
そんな彼女へ、湊は素朴な疑問を挟んだ。
「何で僕たち……アッシュとユーリを尾行してるの?」
「そんなん、決まってるやろ? 二人がどんな風にデートしとるか気になるからや! ミナト……、自分は気にならへんの?」
「そんなこと言われてもなぁ……」
頬を掻きつつ、アッシュが出かけた直後にアリシアに呼び出された湊は、今日やる予定だった宿題のことや部屋の掃除のことなどを思い返す。
「僕も今日はいろいろとやりたかったんだけど……」
「あんなぁ……ミナト……。ウチかて別に伊達や酔狂で二人を尾行する言うたんやないで? これは勉強や! 将来ウチらに彼氏や彼女ができたときに、どういうデートをしたらええのか。どこへ行ったらええのか、それを勉強するんや!」
力説しながら、「ほんまは単純に面白そうやからやけどな」と本音を隠すアリシア。
「お? そないなこと言うてる間に二人が移動し始めたで! 追うで、ミナト!」
「…………了解……」
そのままそそくさと物陰を伝いつつ移動するアリシアに、ため息をつきながらも付き合う湊だった。




