第43話 卒業、そして……
雲ひとつない、青く晴れた空。
大地を渡る風は暖かく、木々たちがその風に身をゆだねて爽やかな音を奏で、鳥たちが歌う。
そんな、穏やかな気候に恵まれたこの日。
オークスウッド国立軍学校では、とある式典が行われていた。
『それではこれより、オークスウッド国立軍学校卒業式を行います。学園長挨拶……』
マイクで増幅された声が、講堂全体に厳かに響く。
その講堂にずらりと並べられた椅子に座るのは、異世界からきた少年の石動湊を含む、一年間をこの軍学校で過ごし、厳しい訓練を乗り越えて、つい先日、生徒たちに秘密裏で行われた卒業試験を無事にクリアした訓練生たち。
壇上で話す学園長を見つめる彼らの顔は、皆一様に精悍なものに見える。
一方、この日を迎えた彼らを見つめる教師たちの顔はといえば、どこか晴れやかな、それでいて寂しさを混ぜたような複雑なものだ。
手を焼かされながらも、一年間ずっと面倒を見てきた生徒たちを見送るのだから、そういう表情をしてしまうのだろう。
そんな彼らを、一様に壇上から見下ろす学園長は、言葉をつむぎ続けながら僅かに微笑む。
『あなたたちがこの学校に入学してから一年という時間が過ぎました。その間、楽しいことも辛いことも、嬉しいことも苦しいことも、たくさんのことがあったと思います。ですが、それらの経験中に、この先、あなたたちが生きていくうえで不要となるものは一切ありません……。この学校で経験した全てのことは、あなたたちの生きる糧です……。それを忘れないで下さい……。そして、この先、もし苦しいことや悲しいことが起こったときに、今日までのことを思い出してください……。そうすればきっと……、前に進むことができるでしょう……』
どんなときでも立ち止まらずに、しっかりと前へと進んで欲しい。
そんな願いを込めて放たれた言葉は、果たして生徒たちにどう届くのかは分からない。
けれど願わくば、この先の彼らの未来の役に立ってほしい。
そんなことを考えながら言うべき事を言い終えた学園長は、悟られないように小さく息をつき、話を締めくくる。
『さて、それではあまり話が長いと嫌われてしまいますし、私の挨拶はここまでにします』
最後に茶化すように口にして壇上を去る学園長へ、割れんばかりの拍手が降り注がれた。
そして式は続く。
『続きまして、オークスウッド国議会代表、ドレアス・オニキス氏よりお言葉をいただきます……』
紹介と共に壇上へと現れた人物――オニキス伯爵を、湊はなんともいえない顔で見つめる。
その理由は、かつて湊がリード・ガレナを殴り、謹慎処分を受けたときに、唐突に訪れたオニキス伯爵が語った夢にある。
彼は語った。
魔獣と言う脅威が去った後の、人類の顛末を。
そしてそれを避けるために彼が取ろうとしている手段を。
彼が目指しているものを。
「(あれはどこまでが本気だったんだろう……)」
壇上では、そのオニキス伯爵が当たり障りのない言葉を投げかけている。
「(まぁ、世界征服なんて子供じみてるし、あまりにも馬鹿げてるし……。きっと何かの冗談だったんだろう……)」
そう心の中で結論付けた湊へ、隣に座る親友から小声で声が掛けられた。
「……どうかしたのか、ミナト?」
「何でもないよ……」
そうか、と小さく笑い、肩を竦めて前を向く親友に習い、湊も話を終えて壇上を去る伯爵を見送る。
そうして式は、オークスウッドのお偉いさんの話から卒業生代表の挨拶を経て、今回卒業する生徒たち一人ひとりへの卒業証書授与へと移り変わる。
『ユーラチカ・アゲート』
「はい、です!」
湊たちの中では一番最初に呼ばれたユーリが、小声で「お先に失礼する、です」と告げて立ち上がり、壇上へと向かっていく。
その小さな背中を見送る恋人の表情は誇らしげだった。
「何だかんだで、ユーリって俺らん中でも年下だけど、すげぇよな……。俺らと同じ訓練をこなして、天才少女なんて呼ばれてさ……。でもそれを自慢もせずに俺らと一緒に馬鹿やったりさ……。俺……、あいつが彼女で幸せだな……」
「父親みたいな感想なのか恋人を自慢したいんか、どっちかはっきりせぇや」
「んなもん、自慢したいに決まってるだろ! なんたって俺の可愛い彼女なんだからな!」
「恥ずかしいセリフは禁止、です……」
いつの間にか卒業証書を受け取って自分の席に戻ってきたユーリが、頬を赤く染めながらツッコみ、湊とアリシアはお互いに顔を見合わせて苦笑する。
「まったく……、この二人はいつでもどこでも変わらへんな……」
「そうだね……。せめて卒業式くらいは控えて欲しいけど……」
卒業式ですらいつものようにイチャつき始めた二人に、湊とアリシアからため息が漏れた、その時。
『ミナト・イスルギ』
「……っ! はいっ!」
名前を呼ばれ、咄嗟に返事をしながら立ち上がる湊。
一瞬、状況をつかめずにきょとんとするも、仲間たちから背中を押されたことで、ようやく自分が卒業証書を受け取る番なのだと理解し、ゆっくりと壇上へと向かう。
そうして、壇上への階段を一歩一歩上りながら、この一年のことを思い出す。
いつものように朝、学校へ行こうと玄関を開けた途端になぜか大空へと放り出され、あわや地面に激突すると思ったところで運よく湖に落下。
衝撃で腕を折ってしまったものの、九死に一生を得て周りを見回せば、そこは見知らぬ場所。
頼りのスマホも水没して使い物にならず、途方にくれていたところへ音が聞こえ、(今にして思えば何て危険なことだったかと分かった)とにもかくにも人がいるであろう場所を目指して丘を登った。
そうして目に飛び込んできたのは、魔獣と呼ばれる巨大な生物と、それと戦う対魔獣殲滅兵器。
その、あまりにも現実離れした光景にぽかんとしているところへ、ABERを駆って助けに来てくれたのが、リリア・ガーネットという少女だった。
特徴的な深い柘榴石色の瞳を持つ少女のABERに乗り込み、辛くも魔獣との戦闘に勝利した後は、そのままリリアに保護され、そして今自分がいるこの場所が異世界だと知った。
ショックを受けたし、同時に元の世界に帰りたいと思った。
しかし、この世界の文字を習い、いくら書物を調べてもその方法は見つからなかった。
そうしている内に腕が治り、一般人には機密情報のABERの操縦席に乗り込んだとして軍事裁判に掛けられ、なぜか軍学校に入学することになってしまった。
最初は不安だらけだったけど、ここでアッシュに出会い、ルームメイト兼親友として一緒に過ごすうちに、次第にその不安は薄れていった。
その後は幾度もシミュレーターで訓練をこなし、やがてチームメイトとしてアリシアやユーリという頼もしい仲間にも出会うことができた。
それからも、嬉しいこと、楽しいこと、悲しいこと、辛いこと、いろんなことを経験した。
初めて本物のABERを操縦したときの感動、初めて自分の手で魔獣の命に止めを刺した感触、女王機蜂の亜種との戦闘、リリアに自分は本当は異世界から来たと告白した学園祭の夜、そして二人の同期を失った大規模防衛戦。
元の世界では到底できないような、様々な経験を経て、今自分はここにいる。
一年前の、不安に溢れていた自分に言いたい。
大丈夫。君はここでたくさんの経験を重ねて、最後には今の自分のように、この学校に入学してよかったと胸を張れるようになる。
大切な仲間や家族ができる。
だから、安心していい。
そう伝えたい。
そんなことを考えながら、ゆっくりと階段を上り終えた湊は、証書を手にしながら微笑む学園長の下へと歩み寄る。
「ミナト・イスルギ訓練生……。いろいろと大変だったでしょうが、よくここまでたどり着けましたね……。おめでとうございます……」
「…………ありがとうございます」
静かに返し、学園長から卒業証書を恭しく受け取る。
いうなればたった一枚の紙切れ。
しかしその一枚の紙が、ずしりと重いものに湊は感じ、それを両手でしっかりと持ちながら自分の席へと戻った。
その後、アッシュ・ハーライトやアリシア・ターコイズ、リード・ガレナの名も呼ばれ、やがて卒業証書を手にした生徒たちがずらりと学園長の前に居並ぶ。
そんな彼らをひとしきり見回し、満足そうに微笑んだ学園長が静かに宣言する。
『……以上、十八名……、いえ二十名でしたね……。オークスウッド国立軍学校はあなたたちの卒業を認めます!』
言いなおした学園長の視線の先には、先の大規模防衛戦で命を落とした生徒二人の写真を持ち、涙ぐむ保護者たちの姿があった。
ともあれ、学園長の宣言と共に沸きあがった拍手を浴びながら、湊たちは講堂を後にした。
◆◇◆
それからしばらくして、一度教室に戻って写真を撮ったり、担任教師に挨拶をしたり、一年間付き合ってくれた愛機に別れを告げたりして過ごした後、学校の正門の前に立っていた。
「正門を出たら……、俺たちはそれぞれの道を進むことになるんだな……」
外と学校とを区切る門の一歩手前で立ち止まったアッシュの言葉に、湊が小さく頷く。
「うん……。僕はこのまま、オークスウッドの国立軍へ……」
「俺は、ユーリと一緒にリソス帝国へ……」
「……です」
「ウチはトントヤードに戻る……」
一年を共に過ごしてきた仲間たちと別々の道を進むことに躊躇いと寂しさを感じ、自然としんみりとした空気になる。
そんな中、拳を握ったアッシュが、それを湊たちへと向ける。
「ここから先は皆ばらばらになっちまうけどよ……。俺たちはこれからもずっと仲間だ……」
「……そうだね……」
湊も頷いて同じように拳を突き出し、アリシアとユーリもそれに習う。
「まぁ、アッシュとユーリは一緒やけど……」
「……また皆に会いたい、です」
「そうだな……。きっとこれから皆、忙しくなるけど……、絶対にまた会おうぜ!」
「うん!」
「せやな!」
「です!」
そして四人は、それぞれの拳をぶつけた後、同時に外への一歩をそれぞれ踏み出したのだった。