第41話 卒業試験 中編
行商組合の人たちとの打ち合わせを終えた湊たちは、ABERに乗って軍学校を出発し、オークスウッドの西門で行商組合と合流。
そのまま、今回の護衛訓練の目的地でもあるトントヤードを目指して、オークスウッドの西に広がる大草原をゆっくりと移動していた。
人の手で整備された街道があるとはいえ、空は雲ひとつない快晴で、時折吹く風が優しく草を撫でて行くという、実に長閑な光景に、繋ぎっぱなしにしていた通信モニタから、アッシュの欠伸が漏れ聞こえてきた。
『あふぁ~……』
『何、気ぃ抜いとんねん自分……?』
すかさずモニタの向こうからアリシアのツッコミが入るが、当のアッシュはどこ吹く風といった様子で再び欠伸を漏らした。
『だってよ~……。右も左も前も後ろも草原ばっかだしよ~……。魔獣も出てこないし、天気はいいしで……。こんなん誰だって眠くなるって……』
なぁ? と振られた話を、視線を逸らすことで躱す湊。
『んだよ……。友達甲斐のねぇ奴だな……』
小さく嘆息しながらも、本気で言っているわけでもないアッシュが軽く肩を竦めると、恋人のユーリが可愛らしく小首をかしげた。
『アッシュ先輩……、少し真面目な先輩の姿を見たい、です。そっちのほうが格好いい、です』
その効果は覿面だった。
『……っ!? ……ったく……しゃあねぇなぁ! 可愛いユーリのためだ! 真面目にやるか!』
そのまましっかりとハンドレバーを握り、前を見つめ始めたアッシュに気付かれないように、アリシアが湊に片目を瞑って見せる。
どうやら、彼女の入れ知恵らしい。
そう気付いた湊が思わずくすくすしていると、アッシュが憮然と返してきた。
『何だよ……?』
「なんでもないよ……。ただ、アッシュは真面目だなって思っただけ……」
『何だよそれ……』
『せやで。アッシュは真面目でええ子なんや……。ただ、ちぃとばかし悪ふざけが過ぎるときがあるだけや』
『アリシアまで!? 何だよお前ら! 何か気持ち悪いんだよ!? なぁ、ユーリもそう思うだろ!? 何かいってやれよ!』
『アッシュ先輩はいい子、です。そこも可愛い、です』
『何なの、お前ら!? マジでどうしたの!? ごめん! 俺が悪かったから! だからいつものお前らに戻って!?』
「何言ってるのさ、アッシュ? 僕らはいつも通りじゃないか」
『せやで? ウチらは至って普通やん?』
『恋人の私を信じる、です』
『本当に俺が悪かったです真面目に訓練するので許して下さいお願いします』
ついには操縦席の中で器用に土下座まで始めたアッシュに対してアリシアから許しが出たところで、行商組合の人が通信に割り込んできた。
『君たちはいつもそうなんか?』
アリシアと同じトントヤード訛りの声に、アリシアがすぐに首を横に振る。
『そんなんちゃうって、おっちゃん。ウチらかて普段は真面目な学生やねん。せやけどな……。こういった長期任務っちゅうんは、ずっと気ぃ張っとるわけにもいかんやん? せやから、適度にガス抜きせな、あかんのよ?』
『そんなもんなんか?』
『せやで? ウチはチームのリーダーやからな……。その辺にも気ぃ使わんとあかんから、ほんましんどいわ……』
『あぁ……。それは分かるわ……。俺かて、この隊の隊長やから、メンバーのメンタル面も気ぃ使うし……』
『せやろ? おかげでウチ、最近は肩凝りが激しくてな……』
『それは自分の胸がデカイからちゃうん?』
『嫌やわぁ、おっちゃん……。それ言うたらセクハラになるで?』
『おっと! こいつは失言やったな! 勘弁してや!』
『う~ん……。それならタダでっちゅうんは虫が良すぎるんとちゃう? 口止め料が必要やってウチ思うんやけど?』
『はっはっは~! そうきたか! 流石はトントヤードの血やな! でもおっちゃん、あまり金なんて持ってへんから、まけてもらうで?』
『それはこれからの交渉次第やな!』
からからと快活に笑う二人を見て、珍しくアッシュが頬を引き攣らせた。
『ミナト、ユーリ……』
「どうしたの? って言いたいけど……」
『……アッシュ先輩の言いたいことは分かる、です……』
『なんかさ……トントヤード人のノリって時々ついていけねぇよな?』
「……うん」
『です……』
徐々に西へと傾きつつある太陽に照らされた三機の対魔獣殲滅兵器の背中にどこか哀愁が漂っていたという。
何はともあれ、その後もいろいろとふざけながらもしっかりと辺りを警戒したまま、ひたすら西へ向かうこと数時間。
すっかり日が暮れたところで、これ以上の移動は逆に危ないと判断して、近くの水場があるところで野営をすることになった。
さやさやと静かに流れる川の音と虫たちの泣き声のBGM、そして夜空に輝く満天の星と緑色の月の下、行商組合の人たちがどこからか手際よく拾い集めてきた薪で作った焚き火を囲みながら振舞われた酒を煽れば、たとえ堅物の教師でさえも気分がよくなってしまう。
ましてやそれが、学生ならばなおさらだ。
その結果。
「うぇ~い! 一番、アッシュ・ハーライト! 歌います!」
「いいぞ~!」
「やれやれ~!」
「だっはっは~!」
酒の入ったコップを片手にアッシュが陽気に歌い出せば、それを見て行商組合の人たちが囃し立てる。
まさに飲めや歌えやの大騒ぎに、ついため息を漏らした湊へ、トントヤード人の隊長さんが苦笑交じりに話しかけてきた。
「昼間のときといい……、君たちはあまりこういう任務に緊張しないんやね……」
「……うぅ……。アッシュだけ特別……と言いたいけど……」
言い淀みながら注がれた酒を飲み、ちらりと女子たちに目を向けると、焚き火の前でじゅうじゅうと音を立てて焼ける肉に目を輝かせるユーリと、その横で何やら熱心に話しているアリシアの姿が目に入った。
「ごめんなさい……」
「いや、謝ることやないんよ? 俺らかて、四六時中魔獣を警戒しろっちゅうんは無理やってわかってるし……。特にこういう長期任務の場合は、どこかで気ぃ抜かなあかんことも分かっとる……」
せやけど、と言いながらコップの酒を飲み干し、隊長は自分の後ろに屹立するABERを見上げた。
「全員がABERから降りて、警戒は大丈夫なんかって不安になるんよ……。この隊を預かる隊長としては……な?」
確かに、詳しいことを知らない人たちからすれば、パイロットが全員機体から降りてドンちゃん騒ぎをしていれば、不安になるだろう。
それが理解できたからこそ、湊は隊長へ安心させるような笑みを浮かべた。
「それは大丈夫です。ABERのセンサーは付けっぱなしですし、何かあればすぐにアリシアの端末に警報が飛ぶようになってます。それに……」
そこで一度言葉を区切り、行商組合の隊員たちと肩を組んで陽気に歌うアッシュに目を向ける。
「アッシュだってああやってますが、何かあったらすぐに動けるようにしてますから……。その証拠に、あいつもあまり酒を飲んでいませんし……」
ほら、と指を指された場所を見てみれば、アッシュの足元に転がっているコップはまだ半分ほどが残されており、彼の顔もほとんど酒を飲んでいないことを物語っている。
「はぁ……そうなんか……。俺らにはよう分からへんけど……。学生言うても軍人の端くれなんやなぁ……。まだ子供やっちゅうのに大したもんや……」
感心しきりの隊長は、コップに残っていた酒を一息に煽ると、「さてと」と呟きながら立ち上がる。
「学生さんたちががんばってるのに、俺ら大人がそれにおんぶに抱っこ言うわけにもいかへんからな……。明日のルートの確認をしてくるわ……。自分らも、あまり夜更かしせんと、早めに寝るんやで」
ひらひらと手を振って去っていく隊長に小さく頷いた湊は、ふとポケットに入れた携帯端末が軽く振動してメッセージが着信したことに気付く。
はて、と首をかしげながら端末を取り出し、メッセージを開いた湊は、そこに書かれていた簡潔な内容を見て思わず顔を綻ばせた。
――あまり羽目を外し過ぎないようにがんばってくださいね リリア・ガーネット
それは、リリアらしい簡素な一文だった。
◆◇◆
それは湊たちも、そして行商組合の面々も寝静まった夜中のことだった。
もちろん、護衛を任されている湊たちはABERのセンサーを起動しっぱなしにして、常に魔獣を警戒しているのだが、そんなものはその人物には関係ない。
その人物は、全員が寝静まったところを見計らってテントから抜け出し、一目につかない岩陰に隠れると、ポケットから携帯端末を取り出し、何がしかの操作をすると、程なくして端末から空間投射で一人の人物が浮かび上がった。
「定時連絡です。一日目を終了。トラブルは特になし。行程は順調ですので、明日は魔獣に接触させる予定です」
『……そうですか。分かっているとは思いますが、十分に気をつけてくださいね』
「了解しました。以上、定時連絡終わります」
『お疲れ様でした』
通信相手を労う言葉を忘れないその人物の優しさに、彼は小さく微笑むと、携帯端末を仕舞ってテントへと戻っていった。
◆◇◆
翌朝。
この日も、雲ひとつない快晴で、気分よく出発しようとしていた湊たちへ、行商組合の人たちがゆっくりと歩み寄ってきた。
「おはようさん。今日もよろしくたのむで?」
隊員たちの気さくな挨拶に湊たちが頷くと、なぜか一瞬だけ言いよどむようにしてから隊長が切り出してきた。
「あんな……。ちょっと相談があるんやけど……」
はて、とお互いに顔を見合わせる湊たちへ、隊長は申し訳なさそうな顔をする。
「実はな……。あの後ルートをいろいろ調べとったらな……。本来のルートやと、魔獣が多数目撃されとる場所を通過することになるみたいなんや……」
「なんやて!?」
それにいち早く反応したのは、湊たちのチームリーダーでもあるアリシアだった。
「そないなことないやろ!? 昨日入念に確認したやん!?」
「そうなんやけどな……。実は俺もさっき聞いたんやけど、俺らがオークスウッドにおる間に、この地図で言う、ここの区間で魔獣を見かけた言う情報が結構あったらしいんよ……」
そういって示された場所は、オークスウッドとトントヤードを繋ぐ街道と、周辺の地形、そして魔獣の目撃箇所が事細かに書かれた地図の一箇所であり、確かに前日に打ち合わせたルートのままでは、何れそのポイントにぶつかってしまう。
アリシアは地図をじっと見つめた後、胡乱な目を隊長に向けた。
「その情報、確かなんやろな? 嘘ついて態と遠回りさせて、料金をまけて貰おうなんて考えとるんとちゃうか?」
「いくらなんでもそれは疑いすぎや……。俺らやって商売人の端くれやで? 大事な荷物を護るんやから無用な戦闘は避けたいし、それはそっちも同じちゃうん?」
「それは……そうなんやけど……」
隊長に指摘された通り、アリシアとしても無用な戦闘は避けたかった。
何せ、学校から支給された紫獣石のエネルギーパックはオークスウッドとトントヤード間の往復分に、僅かな予備を含めた分しかない。
当然、戦闘行為になれば、その分紫獣石を激しく消費することになるし、トントヤードで紫獣石の補給を受けれるとも限らないのだ。
それに何より、チームの、そして隊の安全を常に考える立場としては、隊長の提案通りに、多少の遠回りをしても、安全に送り届けられるならばそれに越したことはない。
つまり、考える必要もなく、答えは出ている。
そしてそれはアリシアもよく分かっていた。だからこそ、自分の頭を乱暴にかきむしり、チームメイトたちを振り返った。
「すまん、皆……。少々予定変更になるみたいや……。堪忍してや……」
この通り、と頭を下げる少女を詰るような人間はこの場にはいない。
「大丈夫だって。到着がほんの少し遅れるくらいだし……」
「そうそう。別にアリシアが悪いってわけじゃないんだからよ!」
「私たちはアリシア先輩を信じている、です!」
「みんな……」
心強い仲間たちの言葉に、「おおきに」とアリシアは深く頭を下げた。
こうして話はまとまり、当初のルートを変更した一行は、順調にトントヤードへ向けて進むはずだったのだが、野営地を出発して数時間後のことだった。
突如、アリシアの機体に鋭い警告音が鳴り響いた。
『……っ! 全員止まるんや!』
すぐさま全員へ止まるように指示を出し、改めてセンサーを確認したアリシアは、その反応を見て思わず舌打ちをする。
『チッ……! 魔獣の反応を検知したで!』
『何でだよ!? こっちのルートは魔獣が出ないんじゃなかったのか!?』
アッシュの非難じみた声を、しかしユーリがすぐさま否定する。
『別に誰も「出ない」とは言っていない、です。ただ、こちらのルートは魔獣の目撃情報がなかっただけ、です』
『ユーリの言う通りや。そもそも魔獣っちゅうんは神出鬼没やからな……。どこに現れたって不思議やないで……』
「それに、魔獣が絶対に出ないルートなんてあったら、そもそも僕らがこうして行商組合を護衛する必要もないしね……」
その通りや、とアリシアがモニタの向こうで頷く。
『とりあえず、とやかく言うても仕方あらへんし、全員戦闘準備や! ……あ、おっちゃんたちは後ろに下がっててや? 戦闘に巻き込まれたい言うんなら止めへんけど……』
最後に茶化すように付け加えられた一言に、隊長から即座に『遠慮する』と通信が入り、そのまま後ろへと下がっていく行商組合の車を見送る。
『ほんなら軽く説明するで……。相手は円環羊。魔獣の中では大人しいほうやけど、それでも魔獣は魔獣やから油断は禁物や……。あと注意せなあかんことは、今回の目的は魔獣の討伐やないし、エネルギーも限られてる。せやから、戦闘は最低限。魔獣を追い返すだけで十分や』
「分かった!」
『おうよ!』
『了解、です!』
『よっしゃ! ほんなら戦ろうか!』
アリシアの言葉を合図に、湊はしっかりと操縦桿を握り締めた。




