第40話 卒業試験 前編
その日、教師から放たれた言葉で、一気に教室の空気が緊迫したものになった。
その言葉とは……。
「間もなくお前たちには卒業試験が課せられることになる。これをクリアすれば晴れて卒業だ……。より一層の精進を期待する……」
以上、と締めくくって教師が教室から退出した瞬間、その場にいた生徒たちは騒然となってそれぞれのチームで集まり始めた。
そしてそれは湊たちも例外ではなかった。
「卒業試験か……。いよいよだね……」
突然、異世界の上空から落下したと思ったらそのまま魔獣との戦闘に巻き込まれ、挙句に軍事機密を目にしたと軍法裁判にまで掛けられて軍学校へと放り込まれたという、数奇な経験をした湊の呟きに、最近年下の彼女ができて惚気てばかりの親友、アッシュ・ハーライトが頷く。
「ああ……。いろんなことがあったからか……、あっという間だった気もするし、長かった気もするな……」
「まったく、です。入学当初はアッシュ先輩と付き合うことになるだなんて思ってもみなかった、です」
「おいおい……。俺と恋人になったのは「こんな」ことなのかよ……」
ユーラチカ・アゲートの痛烈な言葉にツッコむアッシュに、アリシア・ターコイズが呆れたような顔を向ける。
「まぁ、バカップルは放っておくとしても、や……。卒業試験って何するんやろな……? ミナトはリリアちゃんからなんも聞いとらんの?」
アリシアの問いに、湊は肩を竦めて見せた。
「あのリリアだよ? 試験の内容を事前に身内に漏らすようなまねをすると思う?」
「……せやな。まぁ、リリアちゃんの天然うっかりなら、やらかしそうやけど……」
「それは……否定できないね……」
まだ一年に満たない付き合いながらも、自身の保護者の天然っぷりは十分に身にしみている湊が思わず苦笑する。
そんな中だった。
「おい! 大変だ!!」
突然、教室の扉を乱暴に開けて、一人の男子生徒が息を切らしながら飛び込んできた。
「……どうしたんだ、一体……?」
その男子生徒のチームメイトが訝しげに近寄る中、呼吸を整えたその男子生徒は、教室中に響く声でこういった。
「俺の知り合いにこの学校の卒業生がいて、いまその人に卒業試験の内容を聞いてみたら……。毎年先生たちのチームとの戦闘で勝利するのが卒業試験だって…………!」
「なんだと!?」
その直後、教室中が騒がしくなる。
「……っ! こうしちゃいられねぇ! すぐにシミュレーターでフォーメーションを……!」
「俺たちも行くぜ!」
「私たちも!!」
こぞって教室から飛び出し、大騒ぎしながらシミュレーター室へと向かう生徒たちを見ながら、アッシュが仲間たちに目を向ける。
「なぁ……俺たちも……」
「その必要はないやろ……」
シミュレーター室での訓練を提案しようとした矢先に、アリシアが首を横に振る。
「今更フォーメーションの確認やら、戦闘訓練やらやったって仕方ないやろ? 今まで散々訓練してきてるんやし……。それに、や。そもそも、毎年先生たちとの戦闘が卒業試験のクリア条件っちゅうんも怪しいもんや……。ウチらは魔獣を相手にするんやで? 魔獣との戦闘シミュレーションならまだしも、先生たちとのチーム戦なんて無意味とちゃう? ついでに言えば、魔獣との戦闘シミュレーションも今更やったって仕方ないし、その線もないとおもうで?」
「つまり今出て行った人たちは今更なことをする馬鹿、です」
ユーリの痛烈な一言に思わず苦笑しながら、湊は新たな疑問を提示する。
「でも……、それじゃ一体、卒業試験って何をするんだろうね……?」
「さて……。それはウチでも分からんわ……。むしろ、リリアちゃんの情報提供に期待したいところやけど……」
「先輩の様子じゃ……それも厳しい、です……」
ごめん、と湊が落とした肩をばしばしと叩くアッシュ。
「そんなもん、俺らは気にしてねぇし、期待もしてねぇよ。てか、冗談だから謝ってんじゃねぇよ!」
からからと笑うアッシュに釣られるように湊も微笑む中、ユーリが「だけど」と話題を切り替える。
「だからといって何もしないのは愚の骨頂、です」
「せやなぁ……。実技は普段通りの実力を出せればええねんから、今更あがいたって仕方ない……。それに卒業試験、言うことは実技だけやのうて、学科もあるやろうし……」
その瞬間、アッシュが「げっ」と顔をしかめたのを見て、アリシアがにやりと笑った。
「とりあえず、お勉強の時間といこか?」
「賛成、です」
やる気満々の女子二人に、思わず及び腰になるアッシュだった。
◆◇◆
一方そのころ、オークスウッド国立軍学校内の職員室では、教員全員を集めて会議が行われていた。
「さて……、今年の卒業試験の内容ですが……」
学園長の言葉を聴きながら、全員が手元の資料に目を落とす。
「一部の生徒の間では教員との戦闘が卒業試験の内容という噂が流れています……」
「それは危ういですね……。早急に正しい情報を広めなければ……」
生徒のことを常に考える男性教師の声に、幾人かの教師が賛同する。
しかし。
「それは許可できません」
学園長の一言に、彼らからどよめきが走る。
「何故ですか、学園長!? 彼らは間違った情報で間違った努力をしているのですよ!? ならば教師として正しい道に導くのが務めでは……!?」
「そうですよ! それではあまりにも生徒たちが……」
「学園長!」
食い下がってくる教師たちに、思わず学園長の口からため息が漏れる。
「いいですか? 確かに彼らは生徒です……。ですが、同時に軍人でもあります。そして軍人である以上、敵と……魔獣と戦闘になることが何度もあるでしょう……。その場合に必要なことは何でしょうか? 対魔獣殲滅兵器の操縦技術? 的確な戦術プランの組み立て能力? あるいは武器の扱い? 確かにそういった技術も必要とはなりますが、それよりも重要なことがあります……。それは情報収集能力です。間違った情報のまま出撃したら、間違った戦術を組み立て、先の技術も役には立たないでしょう? ですから、生徒たちに正しい情報を提供するのは禁止とします」
学園長のもっともな言い分に、反論していた教師たちも口を噤むしかなく、彼らは渋々といった様子ではあったが、大人しく自分の席に着いた。
そんな彼らへ満足そうな微笑を向けながら、学園長は小さく呟いた。
「それに、何も知らないところへいきなり「卒業試験クリアおめでとう」といわれたら彼らも驚くでしょう?」
「あんたの本音はそっちか!!」
悪戯っぽく加えられたその一言に、その場の教師全員から同時にツッコミが入った。
◆◇◆
それから数日後。
いつのものように、体にぴったりと張り付くようなパイロットスーツに身を包んだ湊たちは、広大なグラウンドに整列し、担当教師であるリリアの言葉に耳を傾けていた。
「それでは……本日のABER訓練の内容ですが……、事前に通達した通りに行商組合の護衛訓練を行います!」
一瞬だけ騒がしくなった生徒たちが静まるのを待って、リリアの話は続けられる。
「前回の授業でも通達したので、皆さん準備のほうは大丈夫だと思いますが、今回の訓練は行商組合の護衛という性質上、数日に渡って行われます。もちろん、皆さんが護衛訓練に出ている間、他の全ての授業は出席扱いになりますので、安心してください。といっても、すでに何度か経験していることなので、分かっていますよね?」
何度もこなした訓練で今更のことを言われた生徒たちの空気も緩むが、その直後にリリアの口から飛び出した一言には、流石に動揺が走った。
「ただ、今回の護衛訓練でいつもと違う点が一つあります……。それは私たち教師の同行がないことです」
「……えっ!? ……それはどういうことですか!?」
「それはですね、ガレナ訓練生……。今まで教師と行商組合の方々でルートを決めて異動していましたが、今回はあなた方が行商組合とルートを決めて移動するということです。教師は一切、今回の訓練には関知しません」
「でもそれじゃ……何かあったときに……」
「そういった不測の事態も含めて、今後はあなた方は自分たちで対処しなければならないのです。確かにあなたたちはまだ訓練生ですが、何れ軍に入るなりで独り立ちするときが来ます……。そのときにいつまでも教師におんぶに抱っこではどうしようもないですよ?」
そのもっともな言い分に、生徒たちが口を閉ざしたところで、リリアはにっこりと微笑みながらそばに控えていた行商組合の人たちを呼んだ。
「それでは皆さん。これから各班に分かれて、組合の方たちと打ち合わせをしてください。そして、打ち合わせが終わり次第、出発してください」
それでは、と踵を返して校舎へと戻っていくリリアを、湊はどこか違和感を感じながら見送った。
「どうした、ミナト?」
親友の問いに、「うん」と曖昧に答える。
「なんだか、リリアの様子が気になって……」
「リリアたんの様子が……?」
「うん……何と言うか……、いつもと違うような……」
「そうか? 俺にはいつもと同じように見えたが……?」
「具体的にどないな風にちゃうん?」
「えっと……その……、何と言うか……」
「つまりミナト先輩は上手く言葉にできないけど、どこかしらにリリア先輩に違和感を感じたということ、です?」
「そう……なるかな……」
「なんや、それ……」
アリシアが呆れたようにため息をつくなか、アッシュは分かるとでもいいたげに何度も頷いていた。
「分かる……、分かるぞミナト!」
「アッシュ?」
「普段よく見ているからこそ、微妙な違和感にも気づくんだ! 俺だってそうだぜ! ちなみに俺はその違和感をはっきりと口にできる! ユーリ!」
「何、です?」
「お前、胸が少し大きくなっただろ!? ……そうだな……。具体的には…………二センチといったところか?」
「んなっ!? 何でそんなこと……!?」
突然指摘されたユーリが、顔を真っ赤にしながら慌てたように胸を腕で隠す。
「はっは~! 俺は常に愛しい彼女を見ているからな! そのくらいの微妙な変化はお見通しさ!」
「~~~~っ!! 公衆の面前でなんていうことを言う、です!!」
目の端に涙を浮かべながらユーリが思いっきりアッシュの頬を殴りつける。
「あだっ!? え? なんで!? こういう微妙な変化に気付く男って女子にとってはポイント高いんじゃないの!?」
「知るか、です!」
そのまま、頬を膨らませてそっぽを向く彼女を、アッシュは慌てて謝りながら追いかけた。
「まったく……。授業中やっちゅうのに、相変わらずやな……。あのバカップルは……」
「あ……あはははは……」
ため息交じりの言葉に苦笑いを返すしかない湊へ、アリシアは軽く肩を竦めて見せると、そのままバカップルを無視して、反応に困った様子の行商組合の人たちのところへ歩き出す。
「まぁ、ともかく、や。あんたの違和感も言葉にでけへんのやったら、気にしてもしょうもないし……、今は目の前のことに集中しぃや?」
「うん……。そうだね……」
頷き、気合を入れなおすように強く頬を叩く湊。
「お? その調子や! こら~っ! ユーリとアッシュ! あんたらもいつまでもイチャついとらんと、早くこっちに来るんや! 行商組合の人も待ってるんやで!!」
「誰がバカップル、です!?」
ツッコみながらもこちらへ駆け寄ってくる二人を見て、アリシアはもう一度湊に肩を竦めて見せた。
◆◇◆
授業の説明を終えて職員室へ戻ったリリアは、そのまま自分の席には戻らず、グラウンドがよく見える窓際で、生徒たちの様子を見守っていた。
「ガーネット先生……」
ふと声を掛けられて振り返れば、そこには子供を見る母親のような顔をした学園長がいた。
いや、学園長だけではない。
学校に残った全ての教師が、いつの間にかリリアと同じように窓際に立って生徒たちの様子を眺めていた。
「ガーネット先生……。あなたの心配は私たちも皆同じです……。彼らが果たして今回の試験を無事にパスできるか……。無事な姿でここに戻ってこられるか……。教師として、心配にならないわけがありません……。ですが…………、いえ、だからこそ……。我々は彼らのことを信じて待ちましょう……。それに、何かトラブルがあっても、行商組合に潜り込ませた先生たちがいますから……」
「そう……ですね……」
学園長の言葉に曖昧に頷きながらも、リリアはその特徴的な深い柘榴石色の瞳をグラウンドに向け続ける。
その視線の先で、ちょうど湊たちのチームがABERに乗って校門から出て行くのが見えて、リリアはそっと祈る。
「(どうか……。ミナトたちが無事に試験を乗り切れますように……)」
少女の胸のうちで呟かれたその祈りが叶うかは、今は誰にも分からない。