第38話 それぞれの場所
どんよりとした空から、年中暖かな気候のオークスウッドには珍しい冷たい雨が降り注ぐ。
天気予報によれば、今日一日はこんな雨が続くらしい。
ぼんやりとそんなことを考えながら視線を前に移せば、そこには黒い神父服に身を包んだ見知らぬ男の人が、本を片手に朗々とその内容を読み上げていた。
「天上竜よ……。今、あなたの元へ二つの魂がまた、還ってゆきました……。我らは最早、彼らと語らうことはできませんが、勇敢に戦い、傷ついた彼らの魂は天上竜の元で癒されながらも、また常に我らを見守ってくれていることでしょう……」
神父の声に混じって、親族や友人たちの嗚咽が漏れ聞こえてくる。
そんな中、きっちりと軍学校の制服を着たアリシアが、悔しそうに呻いた。
「あん時……、ウチがもっとしっかりした作戦立ててれば……、あの子たちも死なんですんだんやろに……。ウチにもっとそれだけの力があれば……」
苦渋に顔を歪めるアリシアの呻きを、隣に立っていた年下の少女が首を振って否定した。
「そんなことない、です。先輩の作戦は立派だった、です……」
「そうだぜ……。俺たちも、お前も……、そしてあいつらも精一杯やった……。その結果だ……」
「僕もそう思う……。それにあの場には僕たちだけじゃなくて先生もいて、アリシアの作戦に同意したんだ……。もし無茶だと思っていたら止めていたと思うよ?」
「みんな…………」
仲間たちの励ましを刻み込むように、胸に拳を当てたアリシアはそれから少ししてゆっくりと頷いた。
「……みんな、ありがとうな……。正直、今回のことで結構参ってんねんけど……。それでも少しは元気出た気ぃするわ……」
そういって、少しだけ微笑んで前を向いたアリシアにつられるように、湊も前を向くと、どうやら冷たい雨の中での葬式も終わりに近づいたらしく、親族や友人たちが次々と手にした花を捧げていた。
そしてその中には、普段はあまり見ることのない軍服に身を包み、口を真一文字に結びながらその深い柘榴石色の瞳に悲しみの色を湛えた、銀髪の少女の姿もあった。
「なぁ……、ミナトはウチよりもリリアちゃんを心配したほうがええんとちゃう?」
「ああ、俺らから見ても分かるぜ? リリアたん、明らかに無理してるぜ……」
二人の言う通り、献花を終えたリリアは、気丈に振舞ってはいるものの、明らかに無理をしている様子がありありと伝わってきていた。
それこそ、湊はもちろん、アッシュやアリシア、ユーリにも伝わるほどに。
「私たちはいいから、先輩はさっさとリリア先輩のところへいく、です」
ユーリに文字通り背中を押されて一歩前へ踏み出した湊は、一瞬だけ躊躇うように仲間たちを振り返った後、小さくお礼を言ってからリリアの元へと歩き出した。
その背中を見送りながら、アッシュが小さく笑う。
「……ったく、世話が焼ける奴だぜ……」
「せやな……」
すでに献花も終えたアッシュとアリシアが踵を返す中、じっと目の前の光景を見つめていたユーラチカ・アゲートは、何かを心に決めたように一人頷いたあと、前を行くアリシアにそっと声をかけた。
「アリシア先輩……、後で少し……お話がある、です」
その少女の瞳に宿る光と視線の先にあるものを察して、アリシアは小さく頷くだけにとどめた。
◆◇◆
一方、葬式の全ての行程が終わり、参列者全員がゆっくりとそれぞれの帰途へとつく中、二つ寄り添うように並べられた墓標の前から一人動こうとしない少女がいた。
オークスウッド国立軍所属の中尉であり、国立軍学校のABER操縦訓練の教師でもあるリリア・ガーネットは、先の大規模防衛線でのことを酷く悔やんでいた。
「お二人とも……、本当に申し訳ありません……。あの時……、私がもっと早く魔獣を倒して……あなた方の援護に向かえていたなら……」
戦闘が終わってから、二人の家族、親戚、友人へと何度も繰り返した謝罪を、さらに繰り返す。
謝罪をした相手からは「あなたは悪くない」と赦されているのにも関わらず、少女は繰り返す。
「もっとしっかりと……、あなた方へ訓練をしていれば……、休日だったからと気を抜かずに……いつでも出撃できるように準備をしていれば……」
もっと自分がしっかりしていれば……。
まるで自分を責め立てるように、少女は何度も何度も繰り返す。
そんな彼女の耳に、まるでこちらを伺うかのようにゆっくりと近づいてくる足音が届いた。
「リリア……」
気遣うように小さく呟かれたその声は、異世界から来たという少年のもの。
「今日は雨で冷えるし……、帰ろう?」
少年の口からもれ出る吐息は白く、よく見れば同年代の他の少年と比べても少し頼りないその体も僅かに震えている。
それでも微笑みながら差し伸べられた少年の手を、リリアはゆっくりと手に取った。
「そう……ですね……」
手のひらを通して感じられる湊の体温に、リリアは少しだけほっとしながら墓地を後にした。
それから少しして、オークスウッド中央区郊外にあるガーネット邸へ戻ってきた二人は、メイドが慌てて入れてくれたホットミルクを片手に、暖炉の前で肩を並べていた。
そうしている内に、徐々に落ち着きを取り戻したのだろう。
リリアは訥々と語り始めた。
「ミナト……。私は軍人です……」
何を突然、とは口を挟まず、湊は無言で先を促す。
「軍に入ってから……、いえ……。軍学校にいるときから、私は何度も仲間たちの「死」というものを目の当たりにしてきました……。無謀な作戦を立てた結果だったり、想定外のトラブル、酷いものでは同士討ちなんてこともありました……。そしてその度に……、私は大切な仲間たちとの別れを経験してきましたが……。やっぱりだめですね……。こういうのはどうしてもなれることができません……」
湯気を立てるホットミルクを一口含み、小さく息をつき、ゆっくりと続ける。
「それに……、私は公爵家の娘です……。将来、私が公爵を継ぐことを想定してか、父は幼いころから私によく言い聞かせてきました……。『公爵たるもの、常に強くあれ』。人に弱みを見せれば、それはそのまま弱点となって、敵意を持った相手にはあっという間に食い尽くされる、そう教えられてきたんです……。ですから、私は常に強くあることを……弱みを見せないことを意識して日々を過ごしてきました……。だからでしょうか……。悲しくても……、辛くても……、私は涙を流すことを自らに禁じたのです……。そしてそれ以来……私は大切な仲間が死んでも……、大事な教え子が戦場で倒れても……涙を流さなく……、いえ、正確には流せなくなりました……。私は……そういう女なんです……」
胸のうちを吐露するように言葉を吐き出したリリアが、もう一度ホットミルクを口に運ぶ。
そんな少女を見ながら、湊は思う。
一体この少女は、その小さな肩に、体に、どれだけの重荷を背負ってきたのだろうか。
泣きたくても泣くことができず、辛くても辛いということもできず、胸のうちにすべてを押し殺して、それでも気丈に振る舞い、時には自分たちを安心させてくれるような笑みさえも浮かべて。
「(リリアは凄いや……。僕なんかが想像もつかないほどの重荷を背負って……、泣きたくても必死に我慢して……。立派に教師も軍人も……僕の家族だってやってくれる……。とても強い人なんだ……)」
そう。彼女はとても強い。
けれど、それは見せ掛けだけであって、本当の彼女は年相応に脆く、優しい少女なのだ。
それが理解できたからこそ、湊はゆっくりと傍らの少女に語りかけた。
「いいんじゃないかな……?」
「……え?」
「昔さ……。元の世界で何かの本に書いてあったんだけどさ……。「泣く」ってことは決して弱いからじゃなくて、涙と一緒に辛い感情だったり悲しい感情だったり……、そういうのを外へ出す役割があるんだって……。そうやって心のバランスを取ってるってその本には書いてあったんだ……。だから、リリアも泣きたいときには泣けばいいと思う……」
「でも……それは人としての弱さを晒すことだからと……。悪意ある人の前でのそれは、彼らにとっては格好のえさだと父に……」
「それならさ……」
少女の言葉を途切れさせるように、言葉を滑り込ませる。
「僕はリリアに対して悪意はないわけだし……。その……一応家族……みたいなものだからさ……。せめて僕の前では……我慢しなくてもいいと思う……。もっと……僕の前では……気を抜いても良いんじゃない? 公爵家の人間とか、軍人とか、先生とかさ……。そういう立場を抜きにして……。もっと普通の……十六歳のただの女の子を出してもいいんじゃないかな? 少なくとも僕はそれを弱さだなんて思わないし、それを理由にリリアをどうこうするつもりもないからさ……。だから……少なくとも僕には弱音を吐いてもいいし、辛いときは辛いといえばいいし……、泣いてもいいと思う……」
「そう……でしょうか……」
「…………うん。一つくらいはそういう、気が抜ける場所があってもいいと思うし……。それに……リリアが嫌じゃなければ……だけど……」
何言ってるんだろ、と自分のセリフに赤面しながら頬を掻く湊の胸に、少女がそっと頭を預けた。
「私……正直に言って……いままで辛かったです……」
「うん……」
「誰にも頼ることができなくて……苦しかったです……」
「うん……」
「大切な仲間たちや大事な教え子が死んでいくのは……とても悲しいです……」
「うん……。だから……、もう我慢しなくてもいいんだ……」
「う……ぐぅ…………うぅぅ…………うぁぁぁああああああぁぁぁぁぁっ!!」
少年の胸に縋りつく少女の口から漏れるのは、何年もの間溜め込まれてきた慟哭。
その深い柘榴石色の瞳からは、長い間せき止められ続けてきた涙が、まるで決壊したダムのように溢れ出す。
そうして声を上げながら泣き続ける少女を、少年は彼女が泣き止むまで、優しく頭をなで続けた。
◆◇◆
「アリシア先輩……私、決めた、です」
クラスメイトたちの葬儀も終わり、寮の割り当てられた部屋に戻るなり、いきなり切り出したユーラチカ・アゲートに、アリシア・ターコイズは「何を?」とは聞かず、「さよか」と短く答えた。
「ほな、これからすぐにでもやるん?」
具体性を欠いたその問いに、しかしユーリはしかと頷いた。
「結果はどうなるかは分からない、です。ですが、葬儀を見ていて、早いうちに実行するべきだと判断した、です」
「さよか……。まぁ、ユーリが自分でそう決めたんなら、ウチは何も言わへん……。上手くいくとええな?」
「はい、です。ありがとうございます、です」
ふんす、と意気込んで、早速携帯端末から目的の相手を呼び出すユーリを見て、アリシアは「青春やな」と、どこか枯れた感想を思い浮かべた。
そしてそれから数時間後。
玄関でアリシアに見送られたユーリは、寮の屋上にて、とある人物を待っていた。
「大丈夫、です。きっと上手くいく、です。自信を持つ、です……」
ドキドキと高鳴りっぱなしの胸の鼓動を抑えるように、必死に自分に落ち着くように言い聞かせていると、突然、屋上のドアが開けられ、誰かが姿を現した。
「よう、チビっ子……。どうしたんだよ、こんな場所に改まって……? 何か重要な話があるらしいけど……?」
ユーリの気も知らずに、飄々と現れたのはアッシュ・ハーライト少年。
「……っ!?」
その姿を認めた瞬間に、これまで頭に思い浮かべていた言葉も、そしていつもの悪態も吹き飛んでしまい、ただ息を飲むしかなかったユーリだったが、やがてゆっくりと深呼吸をすると、目の前の少年の瞳を正面から捉えて、口を開く。
「アッシュ先輩……。先ほど電話でも言いましたが、今日は先輩に大事なお話がある、です……」
「……? だからなんだよ、急に改まって……? もしかしてもう俺とはチームを組めないとか、そういう話か?」
「違う、です……。というか、茶化さずにちゃんと聞いて欲しい、です……」
ユーリの、いつになく真剣なその様子に、何か感じるものがあったのだろう、アッシュも自然と姿勢を正す。
「実は……私には今……、好きな人がいる、です……」
「……ほう?」
一瞬、ぴくりと肩を震わせたアッシュに気づかず、ユーリの独白は続く。
「その人は、普段は馬鹿をやってますし、人をすぐにからかうし、エッチ、です……。でも、いざと言うときは仲間思いで……、とても頼れる人、です……。最初は……私はその人のことがあまり好きではなかった、です……。でも、最近はどんどん意識をしてしまっている、です……」
少女が何を語っているのか、何を語ろうとしているのか、きちんと空気を読んだアッシュは余計な口を挟まない。
「一時の気の迷いかとも思った、です……。いろんな人にも相談した、です……。でも……やっぱりこの気持ちは本物だと思う、です……」
そこで一度言葉を区切り、大きく息を吸い込んでから、ユーラチカ・アゲートは核心に触れる。
「私が好きなのは……、アッシュ先輩……。あなた、です……」
少女の告白に、アッシュは大きく目を見開く。
「本当はもっと、ちゃんとシチュエーションとかを整えてから言いたかった、です……。でも……、今日の葬儀を見て思った……です。私たちはいつ死んでもおかしくない道を歩いている、です……。だったら……、いつそうなってもいいように……、悔いのない日々を過ごしたい、です……。だから急にこんなことを言い出した、です……」
言葉を紡ぎ終え、相手の反応を恐る恐るといった様子でうかがう少女に、少年は僅かに沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「なぁ……チビっ子……。いや、ユーリ……。一つだけ、聞かせてくれねぇか?」
「……何、です?」
「その言葉はお前の本心なんだな?」
「……その通り、です」
「…………そうか……。だったら悪いが、そんなお前とは付き合えねぇ」
「…………っ!? どうして、です!? もしかしてほかに好きな人が……!?」
「違ぇよ……。そうじゃねぇ……」
だったら何故、と食い下がるユーリに、アッシュはいつにもまして真面目な顔で答える。
「確かに俺たちはいつ死んでもおかしくない道を進もうとしている……。いや、とっくに進んでいる……。俺だって、それは覚悟している……。けどな……、いつ死んでもいいようにって気持ちで告白されても嬉しくねぇんだよ……。そんな気持ちのまま、仮にお前が死んじまったら、残された俺はやりきれねぇんだ……」
「先輩……」
「だから約束してくれねぇか? 何があっても絶対に生き残るって……。生きて……絶対に俺の隣に帰ってくるって……。そうしたら……俺も自分の気持ちに素直になれるからよ………」
照れたように視線を逸らしながら頬を掻くアッシュに、ユーリはゆっくりと頷いた。
「……はい、です。約束する、です……」
「そうか……!」
にこり、と破願したアッシュは、「それじゃ改めて」と軽く咳払いをしてから、切り出した。
「ユーラチカ・アゲートさん……。あなたが好きです! 俺と付き合ってくれ!」
勢いよく腰を折りながら差し出された手を無視して、少女は少年の体に飛び込む。
「喜んで、です!」
目の端に涙を浮かばせる少女を祝福するように、いつの間にか晴れた空から光が差し込んだ。
~~おまけ~~
駄メイド「ああっ! お嬢様がお客様に抱きついて泣いています! お嬢様が泣くようなことをお客様が!? おのれ、赦せません! お嬢様に胸をお貸しするポジションは私のものだけなのに!!」