第35話 女子会
「むぅ……」
年末年始に跨ったキャンプから戻り、年明け最初の授業が始まった早々から、天才少女と謳われる一人の少女が、気難しげに眉根を寄せていた。
「おかしい……、です……」
何かに納得がいかないのか、薄い胸の前で腕を組み、しきりに首をかしげている。
そんな彼女の様子を見かねたのだろう、ルームメイト兼チームメイトであり、少女にとっては優しい姉でもある女生徒――アリシア・ターコイズが歩み寄った。
「どないしたんや、ユーリ? さっきから「うんうん」唸りよってからに……」
「あ……、アリシア先輩……。どうにもおかしい、です……」
「おかしいって何がや?」
「どうもここ最近、私は異常な行動をしている、です」
「異常な行動?」
繰り返しながら、アリシアはここ最近の目の前の少女――ユーラチカ・アゲートの行動を思い返してみる。
「…………何も変な行動なんてしとらんような気ぃするけど……?」
はて、と首をかしげるアリシアにユーリはきっぱりと断言する。
「いいえ。どう考えてもおかしい、です。いつもの私なら絶対にあり得ない、です」
「……いったいその異常行動ってなんやねん?」
「それは……」
一度そこで言葉を区切ってたっぷりとタメを作ると、ユーリはそっとその小さな唇を開いた。
「それは……、気がつくと私はアッシュ先輩を見ている、です……」
「…………はぁ?」
アリシアが素っ頓狂な声を上げた瞬間、とっさにユーリがアリシアの口を小さな手のひらで塞ぐ。
「もがもごごごっ!」
「アリシア先輩、声が大きい、です!」
「もごごご! もががもごごが!!」
「何となく、私のこの異常事態は特にアッシュ先輩には知られたくない、です。だから大きい声を出さないでほしい、です」
「もごっ! もがががっ!」
「それにしても、本当に謎、です……。はっ! まさかこれは天変地異の前触れ、です!? 惑星直列が私に異常行動をとらせる電波を送ってきた、です!?」
「ふががもごが! …………何すんねんいきなり! 危うく窒息であっちの世界に逝くとこやったやないか!」
「アリシア先輩が急に大声をだすから、です」
「そないなこと言われても、異常行動言うから、てっきり奇抜なことしとるかと思っとったら、ただアッシュを見てるだけて…………、いや、まぁアッシュに注目するっちゅうんは十分おかしいとは思うねんけど……」
「ですよね!?」
「しかしなぁ……」
「…………? 俺がどうかしたのか?」
たまたま会話が耳に入ったのだろう、噂の本人がいつものように爽やかな笑顔で話しかけてきた、その瞬間だった。
「な……何でもない、です!」
突如、ユーリが顔を真っ赤にしながら慌てふためきながら、流れるようにアッシュの腹に蹴りを叩きこんだ。
「ぐぶぅっ!? な……なぜ……?」
突然のことに対処できず、まともに蹴りを受けて倒れこむアッシュを、まるで猫のように「ふしゃ~っ!」と威嚇するユーリ。
「なんや……今のこの状況、この間のキャンプんときと激しく既視感っとるなぁ……」
完全に他人事のように呟いたアリシアは、キャンプのときと同じように下着を見られて羞恥心に染まり、アッシュを何度も踏みつけるユーリを見て、にやりと笑う。
「しかし、あのユーリが……なぁ……」
面白いものを見つけたと笑うアリシアに、邪悪な顔だと指摘しようとして、しかし巻き込まれたくないとばかりにあえて口を閉ざした湊だった。
◆◇◆
そして、その日の夜。
オークスウッド国立軍学校の女子寮の、とある一部屋。
「あの……、どうして私はここにいるのでしょうか……?」
見慣れぬ場所で戸惑ったような声を上げたのは、美しい銀色の髪を背中まで垂らし、特徴的な深い柘榴石色の瞳を忙しなく動かして周囲の状況を掴もうとしている少女、リリア・ガーネットだった。
その彼女へ、同意するように、もう一人の客が頷いた。
「それは僕もだって……。というか、ここは女子寮だよね!? 流石に男の僕がいたらまずいんじゃ……」
そわそわと落ち着きのない様子を見せるのは、異世界から来た少年、石動湊。
そんな二人へ、お茶とお菓子が乗ったお盆を器用に運びながら、この部屋の主の片割れ、アリシア・ターコイズが笑う。
「そんなん、ウチが女子会に誘うたからに決まっとるやん。まぁまぁ、ええから、リリアちゃんは自分の家と思うて気楽にしてや。あ、ミナトは、あんまし興奮したりきょろきょろ家探ししたりせんといてや?」
「いや……そんなことはしないけどさ……」
呆れたように返しつつも、実は顔が赤く染まっている湊は、それを誤魔化すためにも、この部屋のもう一人の住人に話を振る。
「ユーリだって、いくらチームメイトだからって男の僕が女子寮にいるのは流石に嫌だよね……?」
ここで少女が頷いてくれれば、そのまますぐに部屋を出て行こう、そう心に決めた湊の思いは、しかし上手く届かなかったらしく、年下の少女は少しだけ考えるように湊を見つめた後、ゆっくりと首を横に振った。
「ミナト先輩は信頼があるので問題ない、です。これがアッシュ先輩だったら、即座に蹴りだしてやるところ、です」
「あ、あはははは……」
信頼されていることを喜べばいいのか、逆に男として見られていないことを嘆けばいいのか分からなくなった湊だった。
そうしているうちにお茶を配り終えたアリシアが、開いていた場所に腰かけたところで重々しく本題を切り出す。
「さて、と……。今日、こうして皆に集まってもらったんは他でもない……」
「皆って……、アッシュは?」
せっかくキメていたのに、いきなり話の腰を折られたアリシアは、若干むっとした顔で湊を睨みつける。
「せやから、それをこれから話そ思ってたんや……。せっかちはあかんで、ミナト?」
「うぐっ……、ごめんなさい……」
素直に誤って引き下がる湊に「ん、よろしい」ととびきりの笑顔を向けてから、話を続ける。
「実は今日な……。ウチは重大なことに気付いたんや……」
「重大なこと……ですか?」
リリアの問いかけに重々しく頷く。
ちなみにこのとき、「何でリリアには何も言わないんだよ……」と某少年から呆れた声が上がったが、それは華麗にスルーされていたりする。
「今朝の教室であったこと、ミナトも覚えてるやろ?」
「今朝……?」
言われて今朝の教室の様子を思い返した湊は、やがて「ああ……」と納得がいったような顔をした。
それに対して一人状況が飲み込めず、一体何があったのだろう、と可愛らしく首をかしげるリリアに、湊が苦笑交じりに説明する。
「まぁ、いつも通りといえばいつも通りなんだけど、簡単にいえばユーリがアッシュを蹴飛ばしたんだよ……。ちょうど、この間のキャンプのときと同じ感じでね……」
「まぁ、そうなんですか……。ユーラチカさん、いくらハーライトさんが相手だからと言って、暴力はあまりよくありませんよ? 「めっ!」です」
どこかズレたその言葉に、場の空気が和む。
「やっぱ、リリアちゃんはえぇなぁ。その天然が可愛ぇねんな……」
「それはアリシア先輩に同意、です。リリア先輩には今のままでいてほしい、です」
「え? え? どういうことですか、ミナト?」
「うん、そのままの意味だよ?」
「もう! 分かりません!」
困惑して意味の分からない返答をされたリリアが、ぷくりと頬を膨らませる。
その行為がますます湊たちを和ませているのだが、それに彼女が気付くことはない。
ともあれ、と逸れた話を戻す。
「ウチはあんときに気付いた……、というかもしかして、と思うてな……」
ユーリ、と傍らでお菓子を貪っていた少女に声を掛ける。
「あんた、今朝言うとったな? アッシュを自然と目で追ってしまうって……」
「……はい。私らしくない異常行動、です……」
伏目がちになりながら頷く同居人の回答に、にやりとした笑みを浮かべる少女。
「やっぱりか……。ほんじゃ、いくつか質問してもええ?」
「私に答えられることなら、です……」
「そんなら聞くけど……、ユーリはいつからそないなことし始めたん?」
「……あれは……、この間のキャンプが終わった後くらい、です……」
「具体的には、どんなときに目で追ってしまうん?」
「……法則性はない、です。本当に気がついたら……、です」
「ほんなら、そんときはどんな気持ちなん?」
「……それも法則性はない、です……。ただ……」
「ただ?」
「アッシュ先輩が女性をナンパしてたりすると、なぜか以前にもまして「イラッ」とする、です……」
底まで聞いたところで、ようやく湊が話の流れを理解する。
「まさか……そういうことなの?」
「お? ミナトは気付いたみたいやな。やっぱそう思う?」
「う~ん……、ちょっと信じられないけど……」
「まぁ、そうなるわな……。実際、ウチかて未だに信じられへんもん……」
「だよねぇ……。や、ユーリがと言うよりも、相手が……ねぇ?」
「せやろ?」
湊とアリシア、二人だけで分かり合っていることが不満だったのだろう、ユーリが頬を膨らませながら会話に割り込んでくる。
「いい加減、二人だけで話してないで私にも説明を要求する、です! 私は当事者、です!」
「わ……私も気になります!」
身を乗り出してきたユーリとリリアに、アリシアは湊と顔を見合わせた後、ゆっくりと口を開いた。
「あんなユーリ……。多分、これを知ったら自分は二度と日常に戻れへんくなるで? それでもえんか?」
大げさだよ、という湊のツッコミを無視して、ユーリは覚悟を決めたようにゆっくりと頷く。
「ええ度胸や……。リリアちゃんはどないする?」
「私は……、私もここまで聞いたのなら、最後まで話を聞きます!」
なぜか気合を入れるように胸の前で拳を握り締めながら力強く頷くリリアに、アリシアは満足そうな笑みを浮かべる。
「そんなら、二人とも。覚悟して聞くんやで? ええか、ユーリ……。自分が何でアッシュを目で追ってしまうか、その答えはな……」
上手い具合にタメを作るアリシアに、二人揃ってごくり、と喉を鳴らす。
そして、ついにユーリにとっては重大な事実が語られた。
「多分、ユーリがアッシュんことを好きなんや」
「まぁ、そうなんですか!?」
いくら教師と軍人という立場であっても、花も恥らう思春期の少女でもあるリリアの顔が、突然の恋バナでぱっと華やぐ一方で、ユーリの顔はぽかんとしたものだった。
「……い、いやいやいやいや、ありえない、です! だって、あのアッシュ先輩、です!」
「うん、ウチも最初はそう思ったんやけどな……」
「……ごめん、僕も……。ちょっと信じられなかった……」
「ですです! いくらなんでもそんなこと……」
大切な仲間、特に湊にとっては親友でもある当人に対して酷い言いようだが、彼らの認識としては一様にそのようなものだった。
一方、リリアはといえば、きょとんと首をかしげていた。
「どうしてですか? 仲間のハーライトさん相手に恋をしてしまうだなんて、とても素敵なことじゃないですか……。それとも、チーム内での恋愛禁止とかそういうルールでもあるのですか?」
「いや……、特にそういうわけじゃないんだけどね……。その……なんていうか……」
リリアの問いかけに言いよどむ湊に変わるように、今回の話題の中心人物である少女が説明する。
「だって、アッシュ先輩、です。普段からモテたいと言い続けて、さらに自分の欲望に真っ直ぐなアッシュ先輩、です! エロスの権化、です!」
「せやで? 発言もセクハラやし、エロ魔人やし!」
「あ、でも……、意外に気遣いできるし、あんな態度でも私たちには優しいところもある、です……」
「あかん! ユーリがデレよった!? しっかりするんや! 相手はアッシュやで!?」
「確かに女の人をすぐにナンパする、です。でも、休みの間も、私のわがままには何だかんだ言っても答えてくれた、です……」
「ぐっ……! こいつは重症や…………。おのれアッシュ……。ウチの可愛ぇユーリを誑かすとは……」
徐々に頬を赤く染めつつあるユーリと、何とかそれを押しとどめようとして最終的にはこの場にいない人物へ恨み言を吐くアリシア。
そんな、騒がしくもいつも通りな二人を見て、リリアがそっと目を細めた。
「ふふ……。なんだかミナトたちが羨ましいです」
「羨ましい?」
首を傾げる湊に、リリアは大きく頷いてみせる。
「はい。私が学生だったころは、軍人になるために一生懸命で、こうして仲間たちと恋の話をしたりとか、そういうことは一切やっていませんでしたから……。それに軍人になったらなったで、隊長としてしっかりしなくちゃとか、そういうことばかり考えていましたからね……。こうやって同年代の子たちと気軽に話すことなんて、今までありませんでした……」
「そっか……。それはよかったね」
「はい。これもミナトのおかげですね!」
「僕の?」
「ええ。ミナトがこの世界に来て、私と出会ってくれなければ、私はこういうイベントを経験することもなかったでしょうし……、ましてやこうやって立場を忘れて同年代の子達とおしゃべりできるだなんて、ありえなかったでしょうから……」
「……それを言うなら、僕のほうこそだよ。訓練は厳しいけれど、こうやってアッシュやアリシア、ユーリたちと楽しく過ごせるのも、すべてはあの時リリアが僕を助けてくれたから……。だから、僕のほうこそ、ありがとう……」
「ミナト……」
「リリア……」
「こらそこ! ウチらもおるんやで? ウチらの部屋でウチらを放って勝手にいちゃいちゃするんやない!」
指笛で器用にホイッスルを鳴らしてアリシアが会話に割り込んでくる。
「べ……別にいちゃいちゃなんて……」
「そうですよ! それに私たちはそんないちゃいちゃするような関係じゃありません!」
「はいはい、自分らの仲がええことはよう分かってるから、今はユーリに集中してや?」
こうして、女子会の夜は更けていった。
~~おまけ~~
アッシュ:「それにしても、夕飯が終わった途端にミナトがアリシアたちに拉致られたけど……、一体何を企んでるんだ、あいつら?」
???:「ふふふ……。知らぬは本人ばかり、とはこのことですね」
アッシュ;「ぬぉっ!? 誰だよ!?」
???:「ふふふふふふ……、あなたなんてモゲてしまえばいい」
アッシュ:「何が!?」