第31話 意外な来訪者
理由があったとはいえ、湊が同級生を殴ったことで謹慎処分を受けてしまった翌日の朝。
「そんじゃ、行ってくるぜ。大人しくしてるんだぞ?」
「分かってるって……。子供じゃないんだから……」
寮の割り当てられた部屋の、共有リビングで学校へ出かけようとするアッシュを見送りながら、湊は憮然と返す。
「ま、謹慎といっても実質は休みみたいなもんだから、ゆっくりすればいいさ」
気軽に言うアッシュに苦笑を向けながら、湊は親友の背中を押す。
「ほら、僕のことはいいから早くしないと遅刻するよ?」
「分かったから押すなって!」
されるがままに玄関を出たアッシュは、「ああ、そうだ」と湊を振り返った。
「俺の部屋に入るのは構わないけど、決して机の引き出しの上から三番目は開けるなよ? 開けた瞬間にお前は公開することになるからな!
そんじゃあ、また夜に!」
そう言って出かけていったアッシュの慌ただしさに、湊ため息が漏れた。
「さてと……。どうしようかな……?」
呟きながらぐるりとリビングを見回す。
脱ぎ捨てた服やゴミが落ちていないか眺めるも、もともと元の世界にいたときから自分の部屋を定期的に掃除する習慣が身についていた湊はもちろんのこと、モテるために「一日一善」をモットーとするアッシュもあまり部屋を散らかす性格ではないため、特にリビングが散らかっているようなことはなく、むしろ同年代の少年たちに比べると綺麗な方だ。
そしてもちろん、共有リビングの左の壁に取り付けられた扉の向こうの、湊がプライベート空間として使っている部屋もまた、普段から綺麗にしているので、特に片づける必要はない。
「……となると……」
呟きながら、今度はリビングの右手側の扉に目を向ける。
その扉の向こうには、親友でありルームメイトでもあるアッシュ・ハーライトの個室がある。
「共有スペースは几帳面だけど、アッシュみたいな人って実は自分の部屋は汚かったりするんだよね……。というわけで……」
誰もいない部屋の中で呟きながら、湊はそっとアッシュの部屋へと続く扉を押し広げた。
「おじゃましま~~す……」
部屋の主がいるわけでもないのに、なぜか小声になりつつ、ゆっくりと部屋の中を見回す。
湊の部屋と鏡映しに配置されたベッドや机などの調度品類に湊の部屋と同じカーペットが敷き詰められた床。
壁には、おそらくアイドルなのだろう、きらびやかな衣装に身を包んだ女性のサイン付きポスターが貼られている。
しかし、湊が想像したほどモノが溢れているわけでも、床やベッドに脱ぎ散らかした服が散らばっているわけでもなく、リビングと同じように綺麗に片づけられていた。
「なんだ……。全然片付いてるじゃん……」
拍子抜けした顔でもう一度部屋を見回した湊は、ふと壁際に設置された机に目を止めたあと、先ほどのアッシュの言葉を思い出した。
「確か、上から三番目だっけ……」
絶対に開けるなと言われたら開けたくなるのが、好奇心旺盛な青少年の性であるといわんばかりに、無駄に足音を殺してアッシュの机に近づき、上から三番目の引き出しに手をかける。
「何が出るかな~♪ 何が出るかな~♪」
元の世界で幼いころに聞いた歌を口ずさみながら、ゆっくりと引き出しを開ける。
僅かな抵抗を感じさせながらも、あっさりと開いた引き出しの中を覗き込むと、そこには一冊の本が丁寧に置かれていた。
文庫本サイズのその本の表紙には、デフォルメされた男性が目がハートマークの女性に抱きつかれている絵と、「サルでも分かるモテるための教本! 実践編!」と書かれていた。
「アッシュ……なんて本を…………」
普段からモテたいと豪語し、そのためにあらゆる努力を厭わない友人の、その涙ぐましいまでの努力に湊は思わず言葉を失い、静かに本を元に戻すと、そっと引き出しを閉め、そのまま友人の部屋を後にした。
それからしばらくして、適当に昼食を済ませた湊は、窓から差し込む暖かな日差しと食後の満腹感から、リビングのソファでうとうととしだした。
◆◇◆
「……ら……。で……は……魔…………」
聞き覚えのある声で、誰かが何かを喋っていることに気付き、ゆっくりと目を開ける。
中々はっきりと焦点が合わない目にもどかしさを感じながら周りを見回すと、そこにはある意味見慣れた光景が広がっていた。
採光用に大きく取られた窓。
寮のリビングとは違う間取りのリビングの中央には、落ち着いた色のソファと、ガラス製のテーブル。
そして、そこにいるのは親友やチームメイトの二人ではなく、元の世界にいる両親と妹。
そんな彼らに向かって、先ほどから湊は異世界で体験したことや出会った人物たちのことをいろいろと話して聞かせていた。
勝手に自分の口が動いて言葉を紡いでいくのを感じながら、湊は唐突に理解する。
これは夢なのだと。
なぜなら湊は、いろいろと調べているうちに元の世界に帰ることは絶望的だと理解したのだから。
元々湊は、元いた世界に帰るためにはまずどうにかして空間に穴を開け、そこに飛び込めばいいと考えていた。
そうしてまずは、空間に穴を開ける方法を探していたのだが、これは比較的すぐに見つかった。
獣王や竜王、無王といった幻獣クラスの魔獣の体内には膨大な紫獣石が存在しており、その総量は空間を捻じ曲げるほどだと言われているし、神話にも登場するこの世界を作ったと言われる創世の龍は、空間に穴を開け、どこにでも現れることができるという。
つまり、三幻獣が持つといわれる紫獣石に匹敵する量の紫獣石を一度に反応させる、あるいは天上竜が現れた瞬間ならば、空間に穴を開けられるのだ。
もっとも、三幻獣に匹敵する量の紫獣石など集めることは不可能だし、天上竜はそもそも本当にいるのかどうかさえ怪しいので、現実的とはいえないのだが。
ともかく、割とあっさりと空間に穴を開ける方法は見つかったものの、その先のことは何も分からなかった。
仮に、先に述べた方法で空間に穴を開けることができたとして、果たしてそこへ飛び込んだ先は、湊が元いた世界に繋がっているという保証はない。
もしかしたらその先は何もない空間で、飛び込んだ瞬間に体がばらばらに引き裂かれるかもしれない。あるいは、漫画やライトノベルのように、その先にも世界はあるが、そこは湊が元いた世界ではない、まったく別の世界の可能性もある。
いや、むしろ、飛び込んだ先が元の世界である可能性は、それこそ奇跡を星の数ほど集めでもしない限り、ほぼゼロに等しい。
それを理解したときから、湊は元の世界に帰ることはできないのだと悟った。
つまり、今、自分が見ているこの光景はもはや叶わぬ夢でしかなく、だからこそ湊は目の前の光景を見た瞬間にこれは夢だと理解できた。
そんなわけで、例え夢とはいえ、会うことが叶わなくなった家族に再会できたことに喜び、自分が現在進行形で体験していることを家族に一生懸命話して聞かせていると、しばらくして夢の中で唐突に眠気が訪れ始めた。
――夢から目覚める兆候だ。
そう理解した湊は、心配そうな顔をする家族に言葉を掛ける。
「僕は異世界でも元気でやってるから……。友達だっているし、僕のことを家族だって呼んでくれる人もできた……。楽しいことばかりじゃないし、軍学校の訓練はきつかったりするけど……。それでも元気だから……。だから心配しないで!」
果たしてその言葉が届いたかどうかは分からないが、両親と妹の笑顔を最後に、夢の中で湊は意識を失った。
◆◇◆
ふっと目が覚めると、そこはいつものリビングだった。
「懐かしい夢を見たな……」
一人ぼやきながら、壁にかけられた時計を見れば、眠りに落ちる前からさほど時間は経っていない。
「まだこんな時間か……。皆、今頃は何をしてるのかな……?」
ぼんやりとそんなことを考えながら、ふと自分の頬に違和感を感じて手を当てると、頬には涙が乾いた後があった。
どうやら懐かしい夢を見たせいで泣いたらしい。
「こんなの、アッシュが見たらなんていうか……」
まず間違いなくからかってくるであろう親友を想像して苦笑し、とりあえず涙の跡を消すために顔を洗おうと、洗面所へ向かう。
そうして、水を乱暴に顔に当てて洗い流していると、部屋に取り付けられたインターフォンが軽い音を鳴らして来客を告げた。
一瞬、ルームメイトが帰ってきたのかとも思ったが、それならばわざわざインターフォンを鳴らさずに、いきなり扉を開けるはずだ。
「今出ます」
一体誰が? と疑問に思いつつも、とりあえず扉の向こうに声をかけながら玄関に向かい、ドアを開ける。
果たしてそこにいたのは、湊が想像すらしていなかった人物――ドレアス・オニキス伯爵だった。
「っ!? オニキス伯爵!?」
奇しくも、以前街中で遭遇したときの自分の保護者と同じ反応を返す湊を、オニキス伯爵はじろりと睥睨する。
「少し君と話がしたくてね……。中へ入っても?」
「…………どうぞ……」
思わぬ大物の登場に動揺しながらも、半歩横にずれて中に招き入れる。
そうして、ゆっくりと歩く伯爵に続いてリビングへと戻った湊は、目の前の人物が部屋の主の断りなく、勝手にソファに座るのを見届けてから、そっと頭を下げた。
「……先日は、ガレナ君を殴ってしまい、申し訳ありません……」
「なに……。構わんよ。アレの軍学校での態度も、ガーネット公爵のご息女や学友たちに聞いて知っている。私の甥ということで、随分と冗長していたようだが、君が鼻っ柱を折ってくれたことで、少しは大人しくなるだろう……。私も注意しておいたし、な……」
ふっと目元を細めながらそう言うオニキス伯爵に、湊は違和感を覚えた。
「(以前、中央市場の前の駅で会ったとき、この人はこんな感じだったか?)」
記憶を思い返してみるが、目の前の人物はリリアを敵視とまではいかなくとも、少なくとも好意的な態度では接していなかった。
だが、今、湊の目の前にいる伯爵は、およそあの時と同一人物とは思えないほどに優しい目をしている。
そんな、湊の疑問を察したのだろう。オニキス伯爵は僅かばかり苦笑した。
「別に私も、常日頃から彼女を嫌っているわけではないし、誰彼構わず敵対したりはしない。あの時は休日に緊急の呼び出しを受けて、大人気ないと分かっていてもイラついていたのだよ……」
彼女には悪いことをした、と小さく笑う。
「それに君も堅くならなくていい。今の私は伯爵としてでもなければ、国議会議員としてでもない、ただのリードの叔父としてここにいるのだから……」
「……はぁ……」
「といっても、すぐにフランクに接しろと言うのも無理か……。ふむ……ならば少し世間話をしようか……」
そういって伯爵は深くソファに背中を預けると、胸元で指を組んで、滔々と語り始めた。
「私にはね、イスルギ君。夢があるのだよ……」
「夢……ですか?」
「ああ。そうだ。そしてリードはその私の夢に、深く賛同してくれていてね。将来、私を手伝うためにこの学校に入ったといっても過言ではない。そしてそのためには、軍学校を良い成績で卒業しなければならないと思い込んでいるのだ……。それがあの子には多大なプレッシャーになって焦りを産み、それを跳ね除けようとああいう態度に出てしまう。まったく不器用な子だ……」
目を細めて笑うその様は、気の良い親戚の叔父さんといった感じだ。
「さて、そんな私の夢とは、まあ簡単に言ってしまえば、世界平和なんだよ……」
「世界平和……?」
そうだ、と深く頷く。
「今は、まだ魔獣と言う人類共通の敵がいるからいいが、もしその魔獣が何らかの原因で絶滅したら? あるいは何かの理由でここではない遠く……例えば月や深海などの、人類の手に及ばないところへ大移動して、脅威がなくなったら?
一時的には、齎された平和を人々は喜び、受け入れるだろう……。だがな……人間と言うのは欲深いものなんだよ、イスルギ君……
オークスウッドやトントヤード、グラスファリオン、リソス帝国などの、紫獣石の供給が安定して行えるような大鉱脈を持つ大国は良いだろう……。だが、それ以外の中小国は?
そうだ。安定供給できる大国からの輸入に頼るしかないが、彼らは不満に思うだろう……。自分たちは高い金を払ってようやく微量を手に入れられるのに、大国はそれこそ湯水のように紫獣石を使うことができるのだ。そうして中小国の不満がどんどん溜まっていけば、何れ爆発するだろう……。そうして引き起こされるのは、人類同士の醜い争い……。つまりは戦争だよ……」
もし伯爵の言う通り、何らかの原因で魔獣がいなくなってしまえば、やがて|人類同士の戦争が起きる《そうなる》ことは想像できる。
他ならぬ、湊が元いた世界での歴史もそれを証明しているのだから。
「せっかく魔獣と言う脅威が去っても、それでは何れ人類は滅びてしまうだろう……。それを避けるためには、国と言う垣根を取り払い、すべてを統一した上でしっかりとした指導者に導かれるしかない……」
そこまで話を聞けば、オニキス伯爵の言いたいことが湊にも何となく分かる。
「つまり……、伯爵は世界征服をした上で王になりたいと? それがあなたの夢?」
「……簡単に言えばそうなるな……」
いくら理にかなっているとはいえ、それはあまりにも壮大すぎる気がする。
そして湊がそれを口にしようとした瞬間、オニキス伯爵の携帯端末が着信を告げた。
失礼、と一言断ってから、端末を通信モードにする。
「……私だ…………。そうか……、分かった。すぐに向かおう……」
秘匿通信モードだったので、会話の詳しい内容は分からないが、通話を終えると同時に立ち上がった伯爵を見れば、どうやら火急の用件だと想像がつく。
そしてそれは正しかったらしく、伯爵はそのまま玄関へと足を向けた。
「火急の用件で呼び出されたのでね……。私はこれで失礼するよ……」
そういって扉を開け、一歩廊下に踏み出したところで「それと」と振り返る。
「良かったら先ほどの私の夢の話を、今後の身の振り方の参考にしてくれたまえ」
では、と締めくくり、颯爽と部屋を出たオニキス伯爵を、湊は呆然と見送るしかなかった。




