第26話 信頼と約束
「本当にごめんなさい!!」
初めての実戦で、無事に魔獣を撃退、あるいはギリギリのところで監視の教官たちに助けられ、どうにか全員無事に戻ってきた訓練生たちを出迎えたのは、謝罪の言葉と、深く頭を下げるリリア・ガーネットの姿だった。
魔獣と突然遭遇した一連の出来事が、実は訓練だと看破した一部の生徒を除く大半の生徒たちが一体何のことかと首をかしげる中、彼らを押しのけるようにしながら、一人の生徒が怒りの形相で歩み出てきた。
その生徒の名は、リード・ガレナ。
「まったくだ! これはとんだ失態だ、ガーネット公爵殿! 魔獣など出ないはずの演習場に魔獣が出現したばかりか、すぐに救援を求めたにも関わらず、しばらくは通信がつながらなかった! あなたは僕の命を危険にさらしたんだぞ!?」
「……本当に申し訳ありませんでした……」
まさに口角に泡を飛ばしながら怒鳴り散らすガレナ少年に、リリアは神妙な顔で頭を下げ続け、その場に緊迫した空気が流れる中、湊たちはというと、呆れた顔をしていた。
「おい、ミナト……。あいつ、今さらっと「僕の命」って言いやがったぞ?」
「うん、僕も聞いてた。まるで自分以外はどうでもいいみたいだよね……」
「相変わらず高慢っちゅうか、不遜やな……。将来、あんな奴の嫁になるんだけは堪忍やな」
「私も全力で拒否する、です。あいつと結婚するくらいなら、まだアッシュ先輩の方がミジンコ一匹分くらいマシ、です」
「おいこら、チビっ子! そりゃどういう意味だ!?」
「どうもこうも、そのまんまの意味やろ? ウチかて同じくらいやで? ちなみにミナトやったら問題あらへん。なんなら今すぐ結婚しろ言われてもええくらいやわ」
「同意、です」
「そ……それはどうも……」
「チクショウ! 何でミナトだけモテんだよ!? あとミナト! てめぇも満更じゃないみていじゃねぇか!!」
「そこ! うるさいぞ!? 僕は今重要な話をしてるんだ!」
いつものようにふざけ始めた湊たちを、ガレナ少年が、銀白色の眼で鋭く睨みつける。
「だいたい、君たちも暢気にしているが、腹は立たないのか!? 明らかな教員の不手際で死にかけたんだぞ!?」
喚き散らす少年に、思わず出そうになるため息を堪えながら、湊は口を開いた。
「僕たちは別にリリアに怒るようなことなんてない。だって、僕らは突然の魔獣の襲来も訓練の一環だと分かっていたからね。きっとこれは、「想定外の遭遇戦」を想定した訓練だったんじゃないか? どう、リリア?」
「え……、ええ……。その通りですけど……」
「ほら……。だいたい、ただのサバイバル訓練にABERと実戦装備が必要になるわけないだろ?」
「ミナトの言う通りだぜ」
アッシュが加勢に入る。
「つうか、お前はこれから先で軍人になった時に、今回みたいな想定外の遭遇があった時に「話にないから戦えません」って逃げるのか? 行商組合の護衛とかやってたら、想定外なんてことはザラにあるんだぜ?
「せやな。ウチもオークスウッドに行商組合で来る時に、何度か魔獣の襲撃があったけど、護衛の人たちは立派に戦っとったわ」
「私のときも同じ、です。まぁ、軍もあなたみたいな我が身大事で喚き散らすしか能がない人を雇うはずもない、です」
「ぐっ……貴様ら……! 誰に向かって口を……!?」
「ともかく!」
言いたい放題言われて、顔を真っ赤にしたリード・ガレナがさらに怒鳴ろうとするのを、湊が途中で遮った。
「今回のことは訓練の一環なんだから、リリアが怒られる謂れもないし、謝る必要もない! むしろ、あんたは自分の不甲斐無さを反省したらどうだ!?」
リリアを庇うように前にたち、強い口調で言う湊に、ガレナ少年は言うべき言葉を見失ったかのように口をパクパクさせると、やがて苛立ちをぶつけるようにリリアを再度睨みつけた。
「とにかく! 今回のことは叔父上を通して学校へ正式に抗議させていただく! いくぞ!」
捨て台詞を吐きながら、取り巻きを引き連れていく少年に、アッシュが深々とため息をついた。
「いや、授業内容にまで口を出すとか、お前の「叔父上」はどんだけ過保護なんだよ……」
そのツッコミに同意して頷いた湊は、ふとリリアが深い柘榴石色の瞳に悲しい色を浮かべて、去っていくリード・ガレナを見ていることに気づいた。
「……リリア? どうかした?」
「…………いえ、何でもありません。それよりも、イスルギ訓練生。ここでは「リリア」ではなく、「ガーネット先生」ですよ?」
明らかに無理をしておどけるリリアに、湊は何も言うことができなかった。
◆◇◆
その日の夜、共有スペースのソファーに寝そべりながら、だらだらとテレビを見ていたアッシュに、湊は深刻そうな顔で話しかけた。
「……ねぇ、アッシュ……。ちょっと相談があるんだけど……」
「どうした、藪から棒に……? ちなみに恋愛相談ならいつでも受け付けるぞ? なんて言ったって、俺は恋愛マスターだからな!」
「今まで一度もナンパに成功してないのにマスターとか……」
「ほほう? そう言うことを言うならば、ミナト君の相談には今後一切乗らないとここで宣言しようかな?」
「うわぁっ!? ごめん! 謝るから!」
「あっはっは! 冗談だよ、冗談! んで? どうしたよ?」
「うん……、実は昼間のリリアのことで……」
そこで一度言葉を区切った湊に、アッシュは無言で先を促す。
「昼間の……ガレナのことで、きっとリリアは今でも気にしてると思うんだ……。だからその……、何とか元気づけてあげたくてさ……」
「それで?」
「うん……。それでほら……、明日は休みでしょ? だから明日、リリアも連れてみんなで街に出かけないかなって……。街に出て、ぱぁっと遊べばリリアも気晴らしになると思うし……」
「……なるほど! それはいい考えだな……」
「本当!? それじゃ早速アリシアとユーリにも声を……」
「待て待て待て待て!」
すぐに、自室の携帯端末を取りに行こうとする湊の首根っこを引っ掴む。
「ぐえっ!?」と情けない声を出しながら急停止させられた湊が恨みがましそうな顔でアッシュをにらむ。
「いきなり何をするのさ!? 早く二人に連絡入れないと、もう明日の予定を決めちゃうかもしれないだろ!?」
「だからそれを待てって言ってるんだ……」
ため息をつきながらも、強引に湊をソファに座らせる。
「いいか? 落ち着いて、俺の話をよく聞くんだ。 確かにリリアたんを街に連れ出して遊べば、彼女の気晴らしになるだろう。それはいい考えだ。だがな……、それには俺やアリシア、ユーリがいたら駄目なんだ……」
「どうしてさ?」
「それはな、ミナト……。俺たちは、リリアたんにとっては所詮、生徒でしかないからだ。つまり、俺たちが一緒にいる限り、どうしてもリリアたんは先生という立場を意識せざるを得ない。そんなんで、リリアたんは気晴らしができると思うか?」
言われてみれば納得できる話ではある。
確かにリリアは、妙に責任感の強い性格をしているから、きっとプライベートな時間でも生徒が一緒にいる以上、教師としての顔をしていなくてはならないと考えるだろう。
湊が納得した様子で頷いたところで、だがな、とアッシュはたたみ掛ける。
「お前は……、お前だけは違うんだ。リリアたんにとっては、お前は生徒であると同時に家族でもある。ここまで言えば分かるな?」
ゆっくりと頷いた湊が口を開く前に、念のためにと釘を刺す。
「先に言っとくけど、リリアたんのメイドさんや執事さんも駄目だからな? 今度は主としての顔が邪魔をすることになる」
なるほど、と手を打つ湊を見て、「やっぱりそんなことを考えてやがったか」と思わず呆れたアッシュは、わざとらしくため息をついてみせる。
「この際だから、はっきり言ってやる。今、リリアたんを元気づけてあげられるのは、この世界で唯一、お前だけだ。だから明日はお前とリリアたんだけで遊びに行って来い」
「え……でも……」
「でもじゃねぇ。普段からリリアたんは気ぃ張ってんだ。こんな時くらいは羽を伸ばしたいだろ? で、俺らや執事さんたちがいると彼女はそれもできなくなる。お前だけが唯一、リリアたんと対等な存在でいられるんだ。本当なら俺に変わってほしいくらいだぜ?」
分かったら早く電話して来い、と無理やり湊の背中を押して彼の部屋へと押しこむ。
「いいか? ちゃんと二人だけでってのを言うんだぞ?」
最後に念を押してからドアを閉めたアッシュは、そのままドアに耳を当て、湊がリリアに電話をかけ始めたことを確認してからにやりと笑い、いそいそと自分の携帯端末を取り出し、登録してある番号から、とある少女を呼び出す。
「……アリシアか? 俺だ……。明日、時間があるなら街へいかねぇか? はぁ!? 誰がお前をデートに誘うかよ! 違ぇよ! 面白いもんが見れるんだよ!」
電話口に向かって小声で話し掛ける少年の顔には、なんとも下世話な笑みが浮かんでいたという。
◆◇◆
一方そのころ、友人がドアの向こうでにやにやしているとは露とも考えていない湊は、ベッドに腰をおろして携帯端末をじっと見つめた後、そっと端末を操作して、電話帳の一番上に登録してある「リリア・ガーネット」の名前を呼び出し、恐る恐る電話をかける。
「……………………」
元の世界と同じコール音を耳にしながら、じっと相手が出てくれるのを待つ。
一回、二回と無意識にコール音の回数を数え、三回目が鳴ると同時に通話が繋がり、リリアの姿が目の前に浮かび上がる。
風呂上がり直後だったためか、うっすらと上気した頬と、しっとりと濡れた銀白色の髪が妙に艶めかしくて、湊は慌てて目を逸らした。
『もしもし、ミナト? ……って、いきなり目を逸らしたりなんかして、どうかしたのですか?』
まさかリリアも通話を繋げた直後に目を逸らされるとは思ってもいなかったらしく、ことりと首をかしげながら訊ねてくるのを、「な、なんでもないよ!」とドモりながら誤魔化し、その勢いのまま本題を切り出す。
「と……、ところでさ。リリアって明日は暇?」
『私……ですか? ええ……、幸いなことに明日は学校はもちろん、任務もなければ、公爵の仕事もないので一日予定は開いていますが……?』
それを聞いて、どこかほっとするような、それでいて残念そうにも見える微妙な笑顔を浮かべる。
「それじゃあさ……」
そこで言い淀む湊に、リリアは黙ったまま待つ。
そうして、たっぷり数秒間沈黙を保った後、意を決したように口を開いた。
「明日、よかったら僕と一緒に街に遊びに行かない?」
「街へ……ですか?」
「そう。それで、たくさん遊んだら気晴らしできるかなって……。ほら、今日はガレナが酷いこと言ったりして、大変だったし……。たまには先生とか公爵の跡取りとかそういうしがらみを全部忘れて、楽しむことも大事と言うか…………。だめ……かな?」
端末の空間投射に映し出された少年の一生懸命さに、リリアは小さく笑う。
『そんなことを気にしてくれていただんて……、ミナトは優しいですね……。ありがとうございます……』
「そ……、そんなことは……」
『ですが、ミナトはいいのですか?』
何が? と首を傾げる湊。
『いくら訓練だったとはいえ、私はあなたたちを命の危険に晒したような、酷い女なのですよ? それなのにミナトは私の心配まで……。あなたは……それでいいのですか?』
その特徴的な深い柘榴石色の瞳に不安の色を浮かべ、問いかけてくる少女に、湊は一瞬だけぽかんとしたあと、くすりと笑った。
「そんなのは、別に気にしないよ……」
『え……?』
「だって、あれは必要な訓練だったわけだし、それに訓練が終わった後にきちんとリリアは謝ってくれた。それだけ、僕らの心配をしてくれていたんでしょ?
だったら、それでいいじゃん。僕は少なくともガレナみたいにいつまでもネチネチとそのことでリリアを責めたりはしないよ……。だって、僕はリリアを信じてるし……、それに……僕らはか……家族だろ?」
最後に少しだけ照れくさそうに付け加えた湊の言葉に、リリアは大きく目を見開く。
ありがとうございます、と目の前の少年には聞こえないほどの声で言ったリリアは、そっと笑顔を向けた。
『そういうことなら、喜んで行きましょう』
「ホントに!?」
なぜか拳を握り、喜びを露にする湊に大きく頷く。
『ええ。それで? お出かけするのはあなたのチームの人たちとですか?』
「あ~……それが……。明日は三人とも用があるみたいで……」
『と言うことは私とミナトの二人きりと言うことですか?』
「うん……そう……なるかな……?」
『あらあら……。まるでデートみたいですね♪』
語尾を弾ませるリリアに対して、湊は「で……でででデート!?」と動揺する。
『あら……? ミナトは私とのデートは嫌ですか?』
「い……嫌じゃないよ!? そんなこと……あるわけ……!」
『うふふ。それなら良かったです。集合場所は……そうですね、寮の玄関前。時間は九時ごろでいいでしょうか?』
「う……うん…………。それで……」
『はい。それでは、明日は楽しみにしていますね♪ お休みなさい、ミナト』
「う……うん。お休み……リリア……」
そのまま空間投射された少女の姿と通話が途切れ、後に残されたのは「デート」という言葉を強く意識しすぎて顔を真っ赤にする湊の姿だけだった。
~~おまけ~~
天然お嬢様「さてと……明日は何を着ていこうかしら……」
ド変態メイド「あら、お嬢様? 明日はどこかへお出かけですか?」
天然お嬢様「はい♪ 明日はミナトと二人で遊びにいく約束をしたんです。それでは、私は明日の準備があるので……」
ド変態メイド「なん……だと……!? まさかそれはデート!? っ! こうしてはいられません! すぐにお嬢様のデートの様子を盗撮する準備をしなければ!!」
紳士執事「仕事しろ」