第21話 真実と信頼
「僕は…………異世界から来たんだ……」
少年の口から放たれた真実を告げる言葉の意味を、けれど少女は正しく把握することができずに、ことりと首を傾げた。
「イセカイ……? ミナトの国はそう言う名前なのですか?」
それまでのシリアスな空気とは一変した、そのとぼけた一言に、異世界から来た少年の石動湊は思わず脱力してしまう。
「ああ……その……、そんな名前の国とかじゃなくて、文字どおりの意味での「異世界」。つまり……、こう……次元的な何かを隔てた……この世界とは違う世界ってことなんだけど……」
「……っ!? ご、ごめんなさい! 私ったら変な勘違いを……!
うぅ……、恥ずかしいです……」
自分の勘違いに気付いて、白い頬をうっすらと朱に染めながら俯くリリアへ、湊は「リリアの天然は今に始まったことじゃないけど」とは口に出さずに苦笑を向ける。
「いきなり自分が異世界から来たと言っても、信じてもらえないのは分かる。正直、僕だってもしリリアが異世界から来たとか言いだしたら、リリアを病院に連れて行こうと思うし……」
「い……いくら私でもそんなことを言い出したりはしません!」
ぷくり、と頬を膨らませながら抗議するリリアに「ごめんごめん」と謝ってから話を続ける。
「ともかく、突拍子もないことかもしれないけれど、確かに僕は異世界から来たんだ……」
「ミナトがそう言いきるということは、ここがミナトの世界と違うという証拠があるのですね?」
その問いに、湊は首を縦に振った。
「まずはあの月……」
そう言って湊が指差したのは、暗闇に輝く緑の月。
この世界にやってきて数か月の間に見慣れてしまったその月を見上げながら、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「僕の世界では、形はこっちと同じだけど、色は緑じゃないんだ……」
「そう……なのですか……?」
「うん……。僕のいた世界の月は蒼い……というか、蒼と銀を混ぜたような色なんだ……」
「それは……とても綺麗なんでしょうね……」
漆黒の夜空に輝く蒼銀の月を想像したのか、うっとりと眼を細めるリリア。
アッシュならばここで「君の方が断然綺麗だよ」とか気障なセリフを吐くだろうが、あいにく湊にそんな甲斐祥はなく、そのまま話を続けていく。
「あとは、地図……かな……」
「地図……ですか?」
こくり、と頷く。
「うん。僕がリリアと出会ってすぐのころに、地図を見せてくれってお願いしたことがあったの覚えてる?」
「……ええ。そんなこともありましたね……。私はてっきり、自分がどこにいるのか調べたくて言いだしたのかと思いましたけど……」
「あぁ……それはそれで間違いじゃないんだけど、あの時、僕が言った地名を君が知らないって言うから何となく嫌な予感がしたんだよ……。で、地図を見てみてここが異世界だと分かったんだ……。僕の知ってる世界地図とあまりにも形が違いすぎたから……
まぁ、もしかしたらリリアや屋敷の人たちがみんなで僕を誘拐して騙しているのかもと思ったけど、別に家が特別なお金持ちというわけでもないし、何か価値があるわけでもない普通の一般人の僕を誘拐してそんな大がかりなウソをつく理由も必要もないから……」
「そんなときから……。では、私がどこから来たのかと聞いたときに嘘をついたのは……?」
「……普通、自分は異世界から来たなんて言ったって信じてもらえないでしょ? だから仕方なく……。そのあとはなんだかんだで忙しかったりして、すっかり忘れてた……」
なぜか「ごめん」と小さく頭を下げる湊を、リリアはじっと見つめる。
異世界からの来訪者と言われても俄かには信じられないことだが、リリアは湊が嘘をついているとは思わなかった。
この期に及んで、自分にさらに嘘をつく理由も意味もないし、何より僅か数か月という短い期間だが一緒に過ごしてきて、目の前の少年がそんなことをするような人間ではないことも分かっている。
ゆえに少女は小さくため息をついた後、まるで判決を待つ被告人のように神妙な顔をする少年に、こう言った。
「そんな大変なことをずっと一人で抱え込んでいていたんですね……」
「……信じて……くれるの?」
どこか縋るような眼で問いかけてくる湊に、リリアはその特徴的な深い柘榴石色の瞳を優しく細めながらそっと頷く。
「ええ……。ミナトが私に嘘をつく理由はありませんし……」
「もしかしたら僕が他国のスパイでリリアを騙すために適当な嘘を言ってるだけかもしれないよ?」
「それが本当なら困ってしまいますが、私の知る限りミナトはそんなことができるほど度胸があるとは思えませんので、やはり嘘は言っていないのでしょう……。それに何より、あなたの目を見れば、嘘をついていないのだと分かります
しかしそうでしたか……。異世界から……………。それは確かに、おいそれと話せることではありませんね……」
そうして微笑むリリアに対して、湊は大きく息を吐きだした。
敵わない、そう思う。
公爵家の跡取りというだけでなく、湊たち訓練生に戦う術を教え、かつ自らもABERに乗って前線に立って都市を守る、目の前の少女の細い双肩には、きっと湊が想像もつかない程の重責がのしかかっているはずだ。
それなのにそんなことはおくびにも出さず、それどころかこうして自分のことを心配して相談に乗って、湊の妄言と言われても仕方ないようなことを信じてくれる。
それがたまらなく嬉しく、ありがたいと感じた。
そして同時に、この目の前の少女に、湊にかかわる重大な秘密を抱え込ませてしまったことを申し訳なく思う。
だから少年は、少女に対してこう言った。
「ごめん…………」
さらに重荷を背負わせてしまったことへの謝罪を、しかしリリア・ガーネットは可愛らしく、ぷくりと頬を膨らませて答えた。
「何ですか、それは?」
「…………え?」
「どうして謝るんですか?」
「いや……だからその…………。今まで黙ってたし…………、リリアにまた重荷を……」
「…………はぁ……。まったくもう……ミナトは、仕方ないですね……」
深々とため息をつかれ、挙句やれやれとばかりに肩をすくめられた湊は困惑する。
そんな彼へ、少女はびしりと人差し指を突きつけた。
「いいですか、ミナト? 私たちは家族です。だから今更、家族の小さな秘密を打ち明けられたところで、重責を負わされたなどと考えることはありません」
「え……? でもさっき……おいそれと話せることじゃないと…………」
「確かに言いましたし、あなたが異世界から来たことは誰にも言えることではありません」
「だったら…………」
「ですが、それがどうしたのです?」
「はぁ……?」
「正直に言って、今更あなたがどこから来たかなんてことは、私にはどうでもいいのです。そんなものは、実はアイシャが給料の大半を変な衣装を買うことに費やしていたりだとか、イアンが実家に帰るたびに孫から「じぃじ」と呼ばれてだらしない顔をするだとか、その程度のことなのです!」
本人たちにとって重大な隠し事をあっさりと暴露されたことを知れば、きっと彼らは慌てふためくだろうが、それはそれとしてリリアは続ける。
「確かにミナトが異世界から来たと聞いて驚きましたが、所詮はその程度です。私はすでにあなたを家族として信頼しているのですから。むしろ逆に、あなたにとっては重大な秘密を私に話してくれたことを嬉しく思うくらいです。きっとそれは、あなたの背負っていたものが少しは軽くなるのだから……
ですから、むしろ私がこう言いたいくらいです
話してくれてありがとう、と……」
これにて話は終わり、とばかりに一息ついて、屋上に設置されたベンチに座ったリリアは、自分の横の開いたスペースを手で軽く叩いて、湊にも座るように促す。
「…………ありがとう」
一体、何に向けてのことなのか分からない礼を言いながらベンチに腰を下ろした湊は、いつの間にか、花火が終わってしまった夜空をぼんやりと見上げる。
と、そこへぽつり、とリリアの声が聞こえてきた。
「ミナト……。良かったら聞かせてくれませんか? あなたの世界のことを……。あなたがそこでどんな風に暮らしていたのか……。あなたの世界がどんなところなのか……
その……いままで空想の物語だけでしかなかった「異世界」がどんなところなのか……、その……少し興味がありまして……」
えへへ、と誤魔化すように笑うリリアをちらりと見た後、湊は自分の世界とは違う月を見上げながら、ゆっくりと語り始めた。
「僕が暮らしていた世界は、一部の国を除いて凄く平和なところだよ。魔獣もいないし、対魔獣殲滅兵器も存在しないんだ……」
「そうなんですか!? でも、だったらどうやって生活を? 魔獣がいなければ、生活の要となる紫獣石も取れないのでは……?」
「僕らの世界ではそもそも紫獣石はないんだ……。もしかしたら僕が知らないだけで、あるのかもしれないけれど、少なくともこの世界とは違って生活の基盤になっていたりはしていないんだ」
「でも、だったらどうやって生活を? はるか昔の時代のように木をこすり合わせて火を起こしたりといった、原始的な生活をしていたわけではないのでしょう?」
「うん。もちろん、僕らの世界でも電気はあるし、それで料理をすることもお風呂を沸かすことも、車を動かすこともできる。けど、その電気を作り出す方法がこっちとは違うんだ……。僕も詳しくは知らないのだけど、水や風、地熱なんかを利用した発電施設があったり……あとは、ウランだったかプロトニウムだったかを使った原子力発電所と言うのもある。簡単に言えば、電気を生産する工場があって、そこで作られた電気を皆に配ってる感じかな?」
実際には自家発電設備を持った家も増えてきているのだが、そこはあえて割愛する。
「そうなんですか……。魔獣がいないだけでも驚きですが、ミナトの世界も中々凄いところなんですね……
それで? ミナトはそこでどんなことをしていたのですか?」
「僕は元の世界では普通の学生だったよ。といっても、軍学校じゃなくて、普通の学校だけど……。そこで毎日授業を受けて、部活……クラブ活動はしてなかったから、学校が終わったら帰りに時々友達と遊んだりしてたかな。で、家族と一緒にご飯を食べて、宿題をやったり、妹と一緒にテレビを見たりして、お風呂に入って寝る。そんな感じの生活だったかな……」
「妹さんがいたのですね……。羨ましいです。私は一人っ子なので……」
「うん……。だけどいいものじゃないよ? ケンカだってしょっちゅうしてたし、昔から母さんに「お兄ちゃんなんだから譲ってあげなさい」とか言われてたし、かなり生意気だし……」
「それでも羨ましいですよ。私は姉妹喧嘩なんてしたことないですから。少し憧れてしまいます……」
「そんなものかな?」
「はい、そんなものです……」
自分が姉妹喧嘩をするところを想像したのか、くすぐったそうに笑ったリリアは、いつの間にかグラウンドから流れてきていた陽気な音楽に耳を傾けながら、問いかけた。
「帰りたい、ですか……? 元の世界に…………」
その問いに、湊はしばらく沈黙した後でゆっくりと頷いた。
「そう……だね……。元の世界にいる家族のことも心配だし……。向こうも僕のことを心配してるだろうから……。これからどうするかも分からないけど、少なくとも僕の無事は伝えてあげたい……かな……」
「そうですか…………。帰れるといいですね……」
なぜか複雑そうな顔でそういったリリアが、突然気分を入れ替えるように勢いよくベンチから立ち上がると、湊へそっと手を差し伸べた。
「せっかくいい感じの音楽が流れていますし、踊りましょう!」
「わわっ!?」
そのまま勢いよく湊を引っ張り上げると、さっさと手を組んで踊りの姿勢をとり始めるリリアに、湊が焦る。
「僕、踊れないんだけど!?」
「大丈夫です。こういうのは音楽に合わせて適当に体を動かすだけですから」
それに、と付け加えながら、リリアはその特徴的な深い柘榴石色の瞳に悪戯っぽい光を浮かべる。
「私も大して躍れるわけではありませんから!」
おかしそうにくすくすと笑いながら、リリアが流れる音楽に耳を傾けながらゆっくりと足を動かし、湊はそれに釣られるようにぎこちなくステップを刻み始めた。
そうして二人だけのダンス会は、グラウンドから聞こえる陽気な音楽が、やがて夜のしじまに余韻を残すまで続けられた。
~~おまけ~~
駄メイド「お嬢様、お嬢様! 何故私の秘密を知っているのですか!?」
お嬢様「この前、イアンが私にあなたのこすぷれ写真集? というのをくれたんですよ。結構可愛い恰好もありましたね♪」
駄メイド「あの執事!!」