第19話 学園祭準備
訓練生たちにとって、ある種トラウマになりかねない授業から一月が経ち、結局、危惧していた脱落者が一人も出なかったことにリリアが安堵して胸をなでおろしていた中、オークスウッド国立軍学校は目前に控えた、学園祭という一大イベントへ向けて俄かに活気づいていた。
「おい! こっちに板が足りないんだ! もう少しよこせ!」
「馬鹿言うな! それはウチのクラスの分だぞ!?」
「我が名は「混沌の魔術師スペクター」! 世界を壊し、新たな世界を作るものだ!」
「なんだと!? そんなこと、この勇者レオナルドが許しはしない!」
「こら~っ! 待~て~い! 貴様の当番だろうが!!」
「待てと言われて待つ馬鹿がいるかってんだ! あ~ばよ、とっつぁん!」
「回路正常、エネルギー充填率百パーセント、システムオールグリーン! いけます!」
「よし、自動清掃装置起動! ……むっ!? いかん、爆発する!! 総員退避~!!」
「はいどうも~。初めまして! 我々漫才コンビ「仔猫の食べかす」といいます~」
「なんでやねん! コンビ名がちゃうやんけ! そんなところでボケんでええねん!」
金槌で釘を叩く音や、ドリルで何かを削る音、何かが爆発する音などに紛れて、学生同士のいろんなやり取りの声が聞こえ、校舎内だけでなく、いろいろと飾り付けが施された学校の敷地内至るところが喧々諤々な空気に包まれていた。
そんな空気の中を、リリアは自分が学生だったときのことを思い出して、懐かしそうに眼を細めながらゆっくりと廊下を歩いていた。
もちろん、学園祭の準備の空気を楽しむためではなく、教師という立場から準備期間中に無理をしたり、あるいは暴走したりする生徒がいないかを監視するためである。
しかし。
「あ、ガーネット先生! 私たちのクラスはメイド喫茶をやるので是非遊びに来て下さいね? これ、割引チケットです!」
「それは楽しみですね。ぜひ寄らせていただきますね」
「俺たちのクラスは空間投射を使ったお化け屋敷をやるから来てくれよ、リリアちゃん!」
「分かりましたけど、私のことは先生と呼んでくださいね?」
「リリア先生! 魔獣コスプレ大会に参加してくれませんか!?」
「コスプレはちょっと……恥ずかしいです……」
「じゃあうちの大食い大会に!」
「私、あまり食べれませんけど!?」
「罵ってください!」
「この豚野郎! ……って誰ですか、今の!?」
なんだか一部変な声が混じっていたような気もするが、さっきからこんな感じで生徒たちから声をかけられ、パンフレットやチケットを押しつけられていて、ほぼ見回りとしての役目を果たせずにいた。
そうしていつの間にか両手いっぱいになって、ほとんど前が見えなくなってしまった紙の束を抱えて、慎重に歩いているときのことだった。
「リリア?」
聞き覚えのある声が後ろからかけられ、体ごと振り返るリリア。
「……ミナト、ですか?」
声の記憶から相手が誰かを推測しておずおずと返すと、どうやら正解だったらしく、視界を塞ぐ紙束の向こうから苦笑する気配が返ってきた。
「まったく、何やってるのさ……」
どこか、呆れたような声が聞こえ、次いで高く積み上げられていた紙束の高さが半分ほどにまで減る。
ようやく確保できた視界に移ったのは、呆れ顔をしながらも、リリアが抱えていた紙束の半分を持ってくれた心優しき少年の姿。
「ありがとうございます。正直、全く前が見えなくてとても困っていたんです……」
「まぁ、あんな状態じゃ流石にね……。一体何であんなことに?」
苦笑を返しながら訊ねてきた湊へ、リリアはこれまでの経緯を説明した。
「…………とまぁ、そんなわけで困っていたところへ、ちょうどミナトが助けに来てくれたというわけです」
「なるほどね……。とは言っても、リリアはこの学校のマスコットみたいな存在だからね……。みんなリリアを誘いたくなるんだよ……」
「うぅ……私の先生としての威厳が……」
荷物を抱えたまま、がっくりと器用に肩を落とすリリアに苦笑しながら、湊は「そういえば」と話を変える。
「みんなすごく張り切ってるね……」
「ええ、そうですね。この学校の学園祭は、先の「龍天祭」よりは規模が落ちますが、それなりに有名なお祭りですから」
「そうなの?」
「ええ。学校関係者だけでなく、一般のお客様も入場できますので、毎年、学校の周辺道路は通行禁止になるほどです。ちなみに、学校からの招待チケットは、出店の割引やお持ち帰り用のお土産など、さまざまな特典が付与されているので、かなり人気なんです。毎年、オークションで高値で取引されているくらいですから……」
「へ……へぇ……、そうなんだ……」
いくら軍学校とはいえ、たかだか学生主体の学園祭なのに、そこまでのお祭り騒ぎになるとは思ってもみなかった湊が思わず頬を引き攣らせる。
「元の世界で僕が通ってた学校とはずいぶん違うんだな……」
「元の……?」
なんとなく呟いた言葉を拾い上げたリリアが首をかしげるのを見て、湊は慌てる。
「あ……ああいやその……、僕がいた国でってこと!」
「ああ、そう言うことですか……。ミナトもたまに変な言い回しをするんですね。もしかして天然さんですか?」
「うん、かなりの天然なリリアに言われたくないかな」
「むぅ、私は天然じゃありませんよ?」
心外、とばかりにぷくりと頬を膨らませるリリアと、それを「またまた」とからかう湊。
はたから見たら、まるで恋人同士のように見えるその光景を目撃した数人の男子生徒が思わず涙を飲んだのだが、二人は一向にそれに気づくことはなかった。
なにはともあれ、肩を並べてゆっくりと廊下を歩いた二人は、やがて辿り着いた職員室のリリアの席に荷物を置く。
「ふぅ……、さて、それじゃそろそろ僕はクラスに戻ろうかな……」
「はい、ここまでありがとうございました。ミナトも準備を頑張ってくださいね? あ、でもくれぐれも無理だけはしないようにしてくださいね?」
心配性な彼女らしい言葉に僅かに苦笑しながら、湊はふとポケットを漁ると、一枚のチケットを取り出した。
「そうだ。これ、リリアにあげるよ」
「私に……ですか?」
きょとんと首をかしげながらチケットを受け取るリリアに頷く。
「うん、どうせ僕の家族は招待できないしさ。オークションで売ってもよかったんだけど、せっかくだからいつもお世話になってるリリアにあげようかなって……」
「…………そうですか。そう言うことならいただきましょう」
受け取ったチケットを丁寧に財布にしまうリリアを見て、湊は嬉しそうにほほ笑んだ後、くるりと踵を返してそのまま振り返ることなく職員室を後にした。
それゆえに気づかなかった。
少女がその特徴的な深い柘榴石色の瞳に悲しげな色を浮かべていたことを。
(ミナト……あなたはまだ私に話してくれないのですね……)
小さく息を吐き出しながら、リリアはそっと目を伏せた。
その日の夜。
自宅に戻ったリリアは、自分の書斎の奥に設置されたマホガニーの机の、右側最上段の引き出しを、鍵を使って開ける。
その中の、先日受け取った一通の封筒を手に取り、そっと封筒を開き、中の書類を取り出す。
その封筒の表面には、こう書かれている。
――ミナト・イスルギ調査報告書
それは、湊が軍法会議に掛けられ、軍学校へ入学する決定が下されたと同時に、密かに軍が命じた調査であり、湊がオークスウッドに表れるまでに辿ったであろう足取りについて書かれている。
この報告書を受け取ってからすでに何度か読み返した文章を、リリアはもう一度読む。
「ミナト・イスルギが、リリア・ガーネット中尉の保護を受けるまで、どこでどんなことをしていたのか、その足取りは掴めず。ガーネット中尉が本人から聞きだした言によると、本人は地図にも載っていない程の小さな島国からやってきたとのことだが、彼が旅をして来たにしてはあまりに所持品が少なく、オークスウッド以外の近隣諸国や、海沿いの国に立ち寄ったという目撃情報もないことが確認されている。さらに、行商組合等を利用した形跡もないことから、ミナト・イスルギの発言に信憑性は感じられない。当調査の結果、我々はあり得ないことだが、まるで突然あの場所に現れたと結論付けるしかない。幸いなのは、本人に我々への害意がないことだろう。これを以て本調査を終了とする」
最後まで目を通したリリアは、何度も読み返したそれを丁寧に封筒に入れると、引き出しにしまって鍵をかける。
そうして疲れたように椅子に座りこむと、窓の外に輝く緑色の月を眺める。
「ミナト……、私をまだ信用できませんか……?」
本人に届かないその問いは、空しく部屋に漂うばかりだった。
◆◇◆
一方、湊もまた、寮の自室で緑色の月を眺めていた。
その脳裏に浮かぶのは、昼間の光景。
「なぁ、皆はもう学園祭のチケット渡したのか?」
板に釘を打ちつけながら唐突に切り出してきたのはアッシュ。
前日の夜に、家族へ憎まれ口を叩きながらもチケットを送るといっていたのを知っている湊が微妙な顔をしていると、アリシアがその豊かな胸を張った。
「もちろんや! 拙速は商売の必須やからな! もうとっくに送ったで!」
「私も送った、です。ウチは遠いので早めに送らないと届かない、です」
木材を抱えたユーリも頷き、次いで三人の視線が湊に集中する。
「あ~……、僕はほら……。さすがに無理だから……」
流石に異世界にものを送ることなどできるはずもなく、曖昧に微笑むしかない湊から、アッシュが辛そうに視線をそらした。
「っ……!? 悪いな、俺たちだけはしゃいで……」
「せやな、流石に無神経やったわ……」
「反省する、です。主にアッシュ先輩が……」
「なんで俺だけ!? お前たちも同罪だよね!?」
「そうやで、ユーリ。都合の悪いことを全部アッシュに押し付けたらあかんで?」
「アリシアが見方をしてくれるとは……。ありがとな! お前、ただおっぱいがでかいだけじゃなかったんだな!」
「おっと、せっかく庇ってやってたのに、ウチの中でエロッシュの株が大暴落したで?」
「やっぱりエロッシュ先輩、です」
「せやな。こりゃ当分エロッシュを卒業でけへんな! せやろ、ミナト?」
「あ、ああ……うん、そうだね……。アッシュはまだまだエロッシュだね」
「ミナト……お前まで……! 俺を裏切ったなぁ!?」
まるで演劇のような大げさな動作で頭を抱えるアッシュと湊たちに、一連の流れを見ていたクラスメイト達から笑いと拍手が沸き起こる。
どうもどうも、とぺこぺこ頭を下げながらその場を離れた湊は、チームメイトの気遣いに心のうちで感謝した。
昼間の出来事を思い返した湊は、深くため息をつく。
「やっぱり、異世界って遠いよな……」
元の世界のことを忘れていたわけではない。今でも休みになれば、元の世界に帰る方法を探すために図書館に行くことも多いし、ふとした時にあっちの家族が気になったりもする。
しかし、異世界での学生生活が、思った以上に忙しかったり、湊に馴染んできていることもあって、ここ最近は元の世界へ変える方法を調べる回数も、家族を思い出すときも少しずつ減ってきていた。
だから、むしろ昼間の出来事や寮の食堂でのみんなの会話を聞いて、改めて実感したというべきかもしれない。
そして、実感したからこそ、こっちに来た当初のような寂しさが沸き起こってきた。
その寂しさを誤魔化すように、すっかり冷えてしまったコーヒーに口をつける。
「……まずい…………」
舌の上に残る苦さに、湊は思わず顔をしかめた。
そして、それから数日後。
少年と少女の複雑な想いが絡み合う学園祭がついに幕を開けた。
~~おまけ~~
駄メイド「まさかお客様があそこでお嬢様を学園祭にお誘いするとは思いませんでした。お客様のことですから、我々「お嬢様ラブラブ委員会」が後押ししなければ、ヘタレると思っていました。これは我々がお客様を侮っていた証拠ですね。申し訳ありません。それにしても学園祭ですか……。我々もお嬢様が学生時代にチケットを頂いたことがありましたが、あのときのお嬢様の恰好は正直鼻血物でしたね。何せ我々を出迎えてくださったときのお嬢様の恰好が、猫耳ミニスカメ……」
天然お嬢様「わ~~~~っ!! それ以上言わないでください!!」




