第18話 生命のやり取り
『なぁ、ミナト……』
「……? 何?」
『なんで俺たち、こんなことしてるんだろうな?』
友人のため息交じりの言葉に、湊は通信モニタ越しに苦笑を返しながらも操縦レバーとフットペダルを素早く操作する。
レバーとペダルから発信された信号が、機体の内部を縦横に走る回路を通って腕や脚などの各部の人工筋肉へと伝わり、それぞれが入力された信号に従って伸縮した結果、湊の意図した通りに機体がわずかに傾いて左のカーブを綺麗に曲がっていく。
そうしてカーブを曲がりきったところで機体の姿勢を元に戻しながら、湊は少し前に教官から伝えられた「本日の授業内容」をそのまま口にした。
「いくらシミュレーターでさんざん訓練したとはいえ、皆さんは本物のABERに乗るのは初めてなので、まずは本物のABERに慣れてもらうために、今回はABERに乗ったままグラウンドを周回してもらいます」
できるだけ声を高くして似せたつもりだったが、友人の反応は微妙だった。
『え……? 今の何? リリアたんのマネのつもり? 似てねぇ……つうか、それ以前にキモい……』
『ごめんなぁ、ミナト……。正直、ウチも今のは気持ち悪かったわ……』
『アッシュ先輩やアリシア先輩に同意、です』
「あっれ~……。今回は僕がアウェー?」
チームメイト全員からのツッコミに湊が肩を落としていると、突然リリアから通信が開かれた。
『四人とも、緊張しすぎるのもよくはありませんが、一応今は授業中なので真面目にしてくださいね? それとも、あなた方にはさらに追加で走ってもらった方がいいですか?』
「っ!? ごめんなさい!」
『すんませんした!!』
『真面目にやらせてもらいます!!』
『ごめんなさい、です!』
これ以上追加されたらたまらないとばかりに、慌てて謝って真面目に走りだす四人。
『ふふ……。素直なことはいいことですよ? ああ、それとミナト……』
普段、授業中は湊のことを「イスルギ訓練生」と呼ぶリリアが、プライベートでの呼び方をしたことを不思議に思いながら首をかしげる湊へ、リリアから痛烈な一言が発せられた。
『先ほどのミナトの私の物真似はあまり似ていなくて、正直私も気持ち悪いと思いました』
「似てなくてごめんなさいね、コンチクショウ!!」
湊のツッコミに、リリアとチームメイトが声をあげて笑った。
◆◇◆
その日の夜、授業を終えて自分の屋敷に戻ったリリアは、部屋着に着替えた後で携帯端末を取り出すと、メモリの中からとある人物を呼び出し、そのまま通話ボタンを押しこんだ。
そして、僅かな呼び出し音のあとに空間投影で映し出されたその人物へ向って、少女はその特徴的な深い柘榴石色の瞳に悲しげな色を浮かべたまま、ゆっくりと話しかけた。
「夜分遅くに申し訳ありません、局長……」
『なに、構わんさ……』
好々爺の笑みを浮かべながら答えてくれた局長に、リリアはさっそく本題を切り出した。
「例の……軍学校からのオーダーの件ですが……」
『ああ、そのことか……。君の注文通りのものをすでに確保済みだ。普段の任務とは勝手が違う捕獲任務だったからか、流石の彼らもかなり手古摺ったようだが、それはそれで彼らもいい経験をしただろうな……』
「……そうですか、ありがとうございます……」
『なに、礼には及ばんさ……。毎年のことだし、何よりこれは将来の部下たちのためにもなることだからね
それで? 確認はどうするかね?』
「……そうですね、明日の昼ごろにそちらへ伺います」
『分かった……。それなら明日の昼ごろの時間は空けておこう……』
「ありがとうございます。それでは夜分遅くに失礼しました……。お休みなさい……」
『うむ。ガーネット中尉もあまり無理をしないようにな? それでは……』
ぷつりと音を立てて通話が切れた携帯端末を、深いため息とともにベッドに放り投げたリリアは、自らも倒れこむようにベッドに横になり、そのまま深い眠りへと落ちていった。
そしてその翌日の昼。
約束通りに軍を訪れたリリアは、局長案内のもと、前日の夜に電話で話していたものの確認をしていた。
「どうだね? 君の注文通り、小型で遠距離攻撃能力を持たないものを六体、捕獲した。もちろん、亜種は混じってないし、紫獣石も十分与えて大人しくさせている。下手に暴れさせて死んでしまっては元も子もないからな……」
「…………問題ありません。お手間を取らせました……」
「構わんよ。彼らもいい訓練になったと喜んでいたしな……
……それにしても、もうこれを使う時期か……。毎年、これに耐えきれなくてパイロットの道を諦める訓練生がいるが……今年はどうかね?」
「……正直、何とも言えませんね……。それまでの訓練でどれだけ優秀な成績を修めていても、こればかりは心の強さに起因しますから……」
「そうだな。パイロットになるためにはどうしても乗り越えなければならない試練とはいえ……、心苦しいな……」
局長の言葉に頷き返しながら、リリアは自分が訓練生だった時のことを思い出す。
あの時――まだ彼女が訓練生だった時にもあったその訓練のことは、数年たって何度も任務を繰り返した今になっても忘れることはできない。
機械越しにでも伝わってくる抵抗と感触に、訓練を終えた直後に思わず吐いてしまったり、顔を真っ青にする生徒が続出した。
そしてそのトラウマを克服し、立ちあがったものだけが、リリアの同期として今も軍で働いている。
そのような、ある種篩にかけるような行為を、これから生徒たちに課さなければならないのだから、少女の顔が曇るのも仕方のないことかもしれない。
そんなことを考えながら、隣に立つ自分の娘と同い年の少女の顔を見つめた局長は、やがてその考えをため息とともに飲み込んで、部下に出荷を命じた。
◆◇◆
数日後。
操縦訓練の授業で、またもやグラウンドに集合を命じられた訓練生たちが、一体今日はどんな授業をするのかと期待に目を輝かせながら並ぶ中、ボディラインが浮き出るようなパイロットスーツを着込んだリリアが、どこか浮かない顔をしながらゆっくりと前に出た。
(…………? どうかしたのかな、リリア? 何か様子が……?)
彼女の異変に気付いた湊が、はてなと首を傾げる中、リリアは何度か躊躇うように口をパクパクさせた後、やがて意を決したように訓練生たちにABERへの搭乗を命じた。
「前回は十五分という制限時間でしたが、結果は全員集合まで二十分と残念な結果でした。けれど、軍に正式に入れば、準備時間僅か五分足らずの緊急出動が多くなります。訓練生の皆さんにそれを求めるのは酷と言うものですが、そのための訓練は決して無駄にならないはずです
ですから、今回はあえて五分と言う制限を設けさせていただきます。もちろん、パイロットスーツに着替えてABERを起動するまで、ですよ?」
その途端、訓練生たちはなぜ自分たちが制服のまま集合させられていたかの理由を知り、同時にそれぞれから盛大にブーイングが起こる。
しかし、リリアは静かな微笑と共にそのブーイングをすべて受け流した。
「あなたたちがいくら文句を言おうと、魔獣は待ってはくれません。考えてみてください。あなた方が将来軍に入ったとして、あなた方以外の部隊がもしすべて出払っていたら? 魔獣の発見が遅れてオークスウッドまで十分のところまで接近していたら? それでもあなたたちは着替えとか起動とかいろいろあるから二十分待ってくれ、と言いますか? その間にこの国は魔獣に蹂躙されてしまいますよ?」
その言葉に黙り込んでしまう生徒たちを見ながら、リリアは「まぁ、そんな発見が遅れることは絶対にありえないし、そもそも国を囲む壁にも迎撃機能はありますので、ある程度の足止めは可能ですけどね」と心の中で付け加える。
「ただ、今回はあくまでも訓練ですし……そうですね。一番早かったチームには、私がお昼ご飯を奢るということにしましょうか」
最後に付け加えられた提案に、急に生徒たちの目の色が変わったことに思わず苦笑する。
「それでは……スタート!」
それを合図に、一斉にそれぞれの格納庫へ向かっていく生徒たちを眺め、そしてこれから彼らを待っている試練に再び顔をゆがめるリリアだった。
そしてそれから五分後。
自らも教官機に乗り込んだリリアは、全員がほぼ時間内に集合したことに満足していた。
「……若干時間をオーバーしてしまったチームもありましたが、まぁ許容範囲内といったところですか。皆さん、これからも今回みたいに五分とまでは言いませんが、きちんと制限時間内に起動して集合できるように心がけてください
ああ、それと一番早かったチームは後で一緒に私とご飯を食べましょうね?」
もっとも、この後でご飯を食べる気力があればの話ですが、と口に出さずに心の中で付け加えたリリアは、少しの間黙ったまま生徒たちをゆっくりと見回した後、今回の授業の本題を切り出した。
「さて、本日の授業の本題ですが、これから皆さんが軍に入ってABERに乗る上で、必ず必要となる、あることをします」
そこで一度言葉を区切り、別に開かれた通信モニタの向こうへ向かって「お願いします」と声を掛ける。
訓練生たちが一体何を、と首を傾げる中、何台ものトラックがABERと同じくらいの大きさの布をかけられた荷物を載せて、グラウンドの中央へと進み出てきた。
よく見れば、いくつかの荷物はまるで中で何かが暴れているかのように、時々激しい音を立てながら揺れている。
その様子を見て、一体何をするのかとばかりに生徒たちが騒がしくなる中、自らも手伝って荷物を下ろしたリリアは、その中の一つにかけられた布を勢いよく剥ぎ取った。
『…………あれは!?』
『まさか……!?』
『嘘や……』
生徒たちが口々に呟きながら息を呑む中、布の下に隠れていた、頑丈な檻の中に入れられた魔獣を指し示しながら、リリアは言う。
「今日の授業では、皆さんにこの魔獣を殺してもらいます」
その途端、生徒たちのざわめきがさらに大きくなった。
◆◇◆
その日の夜。
リリアの衝撃的な授業を終えた後、ほとんど記憶がないままに残りの授業を消化して寮へと戻った湊が、ぼんやりと大浴場の湯船に写った自分の顔を眺めているところへ、親友のアッシュが心配そうに声をかけてきた。
「おい、大丈夫かミナト?」
「…………アッシュ……」
蒼白とまでは言わないまでも、湊の顔色はそれなりに悪い。
「僕さ……。初めてこっちに来たときに目の前で魔獣を見たんだ…………
それだけじゃない。リリアのABERに乗って、実際に魔獣と戦うところを間近で見た……
そのときは自分が生き残ることで精一杯だったし、何がなんだか分からないままだったから、目の前で魔獣が死んでもなんとも思わなかった……
でも、今日……あの授業で実際に、自分の武器を魔獣に突き刺したときの……あの感触がさ……凄く怖かった……」
思い出しながら、湊は自分の手を見つめる。
機械越しだったとはいえ、武器を通して伝わってきた、魔獣の皮膚を突き破り、筋張った筋肉を断ち切って骨を砕き、柔らかい内臓を突き刺したときの感触が、抵抗が、いまもまだ消えずにいた。
「リリアの言う通り、アレは必要なことだったんだと思う……。もしアレが実戦で初めて味わう状態だったら、きっと僕は魔獣を殺すことに躊躇っていた……。だから、こうして訓練で先に経験できたのは良かったと思う……」
でもさ、と続ける。
「それでもやっぱり……、きつかったかな……。ABER越しで、相手が魔獣といっても、自分の手で生きていたものの命を奪う、あの感覚も……。ABERにべったりとついた魔獣の血を見たときも……」
いまだにその感覚を思い出して自然と震える手を、湊が意識して握り締める。
と、そこへ隣の女湯から、聞きなれたチームメイトのくぐもった声が聞こえてきた。
「ウチもアレはきつかったなぁ……。ウチもしばらくはあの感覚が忘れられんかも……」
「アリシア先輩も、ミナト先輩も情けない、です」
「そう言うてもなぁ……。むしろウチとしてはユーリとアッシュが平気やったんがびっくりやわ……」
「……そりゃ、俺は実家で狩りしてたから、生き物を殺すことには慣れてるし、ユーリも長期休暇のときに体験してたからな……」
「でも、私も最初はやっぱり怖かった、です。それにアッシュ先輩も、小さいころはよく吐いてたと聞いた、です」
「まぁ、俺から言わせたら、あんなもんはなれるしかねぇって……。リリアたんだって、最初はきつかったと思うぜ?」
そうかもしれない、と湊は思う。
アレだけ優しい少女のことだ。きっと訓練生だったころは、もしかしたら魔獣を殺すたびに涙を流していたのかもしれない。
「まぁ、人間はどんなことでもいつかはなれていくもんだ……。いちいち気にしてたらきりがないぜ?」
「…………うん、そうだね……」
「せやな……」
「二人とも、がんばる、です」
「それはそれとしても……。なんや、アッシュに偉そうなこと言われると腹立つなぁ? ユーリもそう思うやろ?」
「全力で同意、です」
「おまえらなぁ!?」
チームメイトたちのいつもの調子に、湊は心が軽くなるのを感じながら笑った。