第17話 本物の重さ
「……よし!」
長いようで、気がつけばあっという間に過ぎてしまった長期休暇が明けたその日、異世界からやってきた少年石動湊は、鏡の前で久々に袖を通した己の制服姿をざっとチェックしてから、気合を入れるように自分の頬を軽くたたいた。
じんわりと熱を帯びて赤くなり始めた頬に、少し強くやりすぎたかと内心で冷や汗をかきつつ、そこまで気にすることもないかと思いなおして部屋を出る。
「よう相棒! なんだかいい音が聞こえてきたけど大丈夫か?」
自分の部屋から共同部屋に出た途端に、クラスメイトでありルームメイトでもあり、さらには同じチームの親友のアッシュ・ハーライトから声をかけられ、湊は苦笑を返した。
「いやぁ、今日からまた授業が始まるから気合を入れようと思ったら、ちょっとやりすぎちゃった……」
「なら良いんだけどよ……。俺はてっきり、相棒がついにヤバい性癖に目覚めたのかと思って心配したぜ……」
「アッシュじゃないんだからそんなわけないだろ?」
「ちょっと見ないうちに言うようになりやがったな、この野郎!」
腕でヘッドロックを仕掛けようとしてくるアッシュから逃れるように部屋を飛び出した湊は、廊下で追いついてきたアッシュとともに食堂へ向い、そこで偶然はち合わせたチームメイトのアリシア・ターコイズとユーラチカ・アゲートと同じ席につき、朝食をとる。
「流石に今日から授業開始やっちゅうこともあってか、食堂も混んどるんやな……」
たくあんと白米を交互に口に放り込みながら呟くアリシア。
「まぁ、一昨日まではほとんどの学生がまだ戻ってなくて、食堂のおばちゃんたちもずいぶんと暇そうにしてたしな……」
「おかげでおばちゃんたちがおまけをたくさんしてくれた、です」
湊たちよりも一足先に寮に戻ってきていたアッシュがパンを豪快に食いちぎりながら呟き、ユーリが皿を山のように積み重ねながらつづけた。
「そっか、アッシュとユーリは早めに寮に戻ってきてたんだっけ?」
「あぐ……んぐ……、その通り、です。おかげでアッシュ先輩のセクハラからようやく逃げれて安心した、です」
「え……? アッシュそんなことしてたの?」
「さすが、エロッシュやな!」
「人聞きの悪いこと言わないでくれませんかねぇ!? 俺はチビっ子に手を出したことなんて一度もありませんよ!?」
「チビッ子言うな、です!」
ツッコむユーリの、「ごすっ」と鋭い貫き手が脇腹に突き刺さり、アッシュが悶絶する。
「お……おま……っ!? 何しやがる、このチビっ子!」
「チビっ子いうなと言ったはず、です」
睨みつけてきたアッシュを睨み返し、さらに右手の指をまっすぐに伸ばしてわざとらしく見せつけてやると、アッシュは「うぐっ」と喉を鳴らして、すごすごと引き下がった。
それを見た湊とアリシアが、冷たい視線を向けながら同時に呟いた。
「ヘタレ……」
「ヘタレやな……」
「余計なお世話だ!」
アッシュの全力のツッコミが食堂に響いた。
◆◇◆
翌日、長期休暇が明けて本格的に授業が開始されたこの日、体にぴったりと張り付くようなパイロットスーツに身を包んだ湊たち訓練生は、担当教官の指示により、対魔獣殲滅兵器操縦訓練の授業でいつも使っているシミュレーター室ではなく、広々としたグラウンドに集合していた。
生徒たち全員が、これから始まるこの授業の内容に期待と不安を胸にざわざわとしている中、ゆっくりと彼らの前に歩み出たパイロットスーツ姿のリリアが声を張り上げた。
「こんにちは、皆さん。お会いするのは久方ぶりな方々がほとんどですが、お休みの間もしっかり成長しましたか? 成長したのはお腹の周りだけ、ということになっていないことを期待してもいいですか?」
器用に片目を瞑りながらおどけるリリアに、生徒の何人かがくすりと笑いを洩らす中、アッシュが隣にいた湊の脇腹を小さくつついた。
「リリアたんは休みの間に何かあったのか? 前よりも冗談のキレが増してるように見えるけど?」
さぁ、と湊は首をかしげながら、寮に戻る前日の夜のことを思い返す。
(まさか、リリアから「もっと生徒たちが固くならないように授業をしたいのですが、なにかいいアイデアはありますか?」と相談を受けたけど、そんなの僕もよく分からないからとりあえず「時々でいいから冗談を混ぜたら?」ってアドバイスをしたらその通りにするなんて……。でもまぁ、結果的にいい感じみたいだし、良しとするか)
そんな、隣にいる友人が聞いたら「なんで俺には相談してくれねぇんだ!」と血の涙を流しそうなことを考えている間にも、リリアの話は続く。
「さて、今日からの対魔獣殲滅兵器操縦訓練は試験のときにも言いましたが、今までのシミュレーターを使った訓練からステップアップして、いよいよ実機を使った訓練に入ります」
途端、生徒たちの間でざわめきが走る。
やっと本物に乗れると期待に胸を膨らませるもの、実機という言葉の響きに怯えるもの、散々だった試験の結果をここで巻き返そうと息巻くもの、人型ロボットに乗れるというあこがれの状況に目を輝かせるもの。
多種多様な反応に、リリアは自分が訓練生だったころのことを思い出して懐かしくなりながら、ざわざわする生徒たちを黙らせる。
「それでは早速ですが、これから皆さんが乗ることになる機体を見に行きましょう。こちらです」
先頭を切って歩き始めたリリアについていくこと数分後。
湊たちがやってきたのは、巨大なガレージがいくつも軒を連ねる場所だった。
「ここは、皆さんがこれから使う訓練用のABERが保管されている格納庫です。ガレージはそれぞれのチームごとに一つずつとなっています」
その証拠にほら、と差し出されたリリアの細い指をたどっていくと、ガレージの上の方に看板が掲げられており、そこにそれぞれの名前が刻まれていた。
「共有スペースなので大事に、きれいに使ってくださいね?」
そっと微笑みながらガレージの中へ入っていくリリアに、まるでカルガモの親子のようにぞろぞろと着いていった湊たちは、直後に襲った騒音に全員がそろって耳を押さえた。
「■■■~~~~っ!!」
隣で耳を押さえたアッシュが何かを叫んだが、周りの音にかき消されてしまい、残念なことに湊の耳にまで届かない。
「何!? 何だって!?」
ほとんど叫ぶようにして湊が問い返してみても、やはりアッシュの耳に届く前にかき消されてしまった。
こんな状態ではリリアの声も聞こえないだろう、そう思った湊が耳を押さえながら視線を前に向けると、ちょうどリリアが近くを通ったつなぎを着た人に声をかけるところだった。
やっぱり二人が何を言っているのかは聞こえなかったが、どうやらつなぎを着た人はリリアの言いたいことを理解したらしく、急いでどこかへ走っていった。
そうして待つこと数分。
突然、ガレージ内を満たす騒音に負けない音量のベルが鳴り響いたかと思うと、その数秒後にはあれほどうるさかった騒音が止まり、手にスパナやドライバー、何に使うのかよく分からない工具などを携えた少年たちがぞろぞろと集まり始めた。
よく見れば、全員が同じようなつなぎに身を包み、顔や腕などが黒い油のようなものでべっとりと汚れている。
そんな少年たちがリリアの後ろに集合したところを見計らって、静かになったガレージ内にリリアの声が響いた。
「彼らは整備コースを選択した前期生たちです。あなたたちが乗る機体の整備をしてくれています。それぞれのガレージに専属メカニックとして常駐していますので、しっかりとコミュニケーションを取っておくことをお勧めします。では先生……。一言お願いします」
そう締めくくってリリアが軽く後ろを振り返ると、集まった少年たちの中から先生と呼ばれた男が進み出てきた。
その姿もまた、他の生徒たちと同様に顔や腕に脂がこびりついていた。
「一応、俺がこいつらの教師だ。基本的にお前らが乗るABERの整備は、後ろの生徒たちが担当する。だが、こいつらもお前らの命を預かるABERの整備を担当する以上、それなりの覚悟と埃を持って仕事をするから、そこは安心してくれていい。後はまぁ、ガーネット先生の言ったとおり、こいつらと仲良くしてやってくれ……。以上だ!」
「はい、ありがとうございました。それでは早速、各班それぞれのガレージに行って、ABERを起動させてください
そうですね……。初回なので長めに時間を設定して、十五分後にABERに乗った状態でグラウンドに集合してください。それでは、解散!」
リリアの号令に従って、生徒たちが三々五々、割り当てられたガレージへと向かっていく。
その流れに乗るようにして移動した湊は、それから少しして自分たちのガレージにやってくると、目の前に鎮座する巨大な鉄の塊を見上げて、思わずごくり、と喉を鳴らした。
「これが……本物のABER……」
今まで、散々シミュレーターでは搭乗したし、何より湊は初めてこの世界にやってきたときに、リリアが駆るABERを実際に目の当たりにしただけでなく、コクピットに乗り込むなどという貴重な体験までしたのだが、あの時は何がなんだか分からなくなっていた上に、目の前に敵意むき出しの巨大な魔獣がいてそれどころではなかった。
そんなことを考えながら、ぼんやりと目の前のロボットを見上げていると、いつの間にか隣に並んでいたアッシュが、同じように見上げた。
「俺たちはこれからこいつに乗るんだな……」
「あかん。流石のウチも緊張してきたわ……」
「みんな情けない、です」
「そういうチビっ子も声が上ずってるし、若干震えてるからな?」
「むっ!? チビっ子言うな、です!」
「ああもう! 震えるユーリもかわええなぁ! ウチが抱きしめたるさかい、こっち来ぃや!」
「やめる、です! その無駄に豊満な胸を顔に押し付けるな、です!」
「くっ! なんて羨ましいんだ、チビっ子!」
「アッシュ……本音がダダ漏れやで?」
「先輩、最低、です」
「ごめん、アッシュ……。僕じゃフォローできないよ……」
「じーざす!」
チームメイトに引かれ、あまつさえ最低呼ばわりされたアッシュが、がっくりと膝をつき、その様子を見て思わず噴出した湊に釣られるように、アリシアとユーリ、そして一部始終を見ていた整備班の生徒たちが笑い出す。
そうしてひとしきり皆で笑った後、気を引き締めるようにアリシアが切り出した。
「ほんなら、さっさとABERを起動させよか。あんまり遅いとガーネット先生も心配するやろし……
整備班の皆さんも、これからよろしゅう頼んます……」
「おう、任せときな! 整備班の威信にかけて、いつでもABERを万全に整備してやる!」
新たな仲間たちの頼もしい返事に、思わず嬉しくなった湊が微笑む。
「ほら、アッシュ! いつまでも落ち込んでないで、早くABERに乗らないと……。あまり遅いとリリアに怒られるよ?」
「くっ……。落ち込む原因の一つであるお前に言われたくはないが、その通りだな……。あとリリアたんに怒られるのは、俺にとっちゃご褒美だ!」
「……さて、そんならエロッシュの変態発言は無視して、さっさと行こか?」
「うん、そうだね」
「了解、です」
「あれ!? ちょっと!? またこのパターン!? また俺アウェー!?」
いつものように騒ぎながらも、割り当てられたABERに乗り込んだ湊は、設置されたシートから伸びたコードに、パイロットスーツの腰部にあるコネクタを接続してシートに座ると、ゆっくりと目の前の操縦レバーを握り締める。
途端、手のひらにずっしりとした重さが伝わる。
重い、と湊は思う。
機体の大部分を構成する金属の重さもそうだが、シミュレーターと違う、確かな存在感。
そういった、本物ならではの重さが、湊のレバーを握る手のひら、ペダルに乗せられた足、体を支えるシートなどから伝わってくる。
そしてその重さは、そのままプレッシャーとなって圧し掛かってきていることに気付いた湊は、そのプレッシャーを誤魔化すようにきつく操縦レバーを握り締めると、静かに目を閉じて何度か深呼吸を繰り返し、やがて覚悟を決めたかのように目を開いた。
「腰部コネクタ接続確認! 個体認証開始! 内壁透過モニタ起動! センサー各種、火器管制システム、通信リンク異常なし! 紫獣石パック、装填確認! 各部スラスター正常稼動!」
シミュレーターで何度も繰り返した起動作業を進め、低い鳴動音と共に湊が乗るABERが徐々に目を覚ましていく。
そして。
「全シークエンス問題なし! ミナト・イスルギ! ABER起動します!」
湊の鋭い宣言と共に、ABERの目に灯が点った。
無事に全ての起動作業を終えて、「ふぅ」とため息をついた湊に、仲間たちから通信が開かれる。
『どうやら全員無事に起動できたみたいやな』
『まぁ、シミュレーターで何度も繰り返したことだしな……』
『このくらいは余裕、です』
「僕は上手くできるか凄く緊張したけどね……」
たはは、とモニタ越しに苦笑してみせる。
『よっしゃ。ほんならさっさとグラウンドに行こか? そろそろガーネット先生も待ちくたびれてるやろし……』
『了解、です』
『とりあえず、お約束としてリリアたんに「ごめん、待った?」って言わないとな!』
「それで「ううん、今来たところだよ」って返されると思っているのはアッシュだけだからね?」
『そん……な……』
本物のABERに乗ったのにも関わらず、いつも通りなチームメイトに頼もしさを覚えながら、湊はゆっくりと彼らに続いてグラウンドへと向かった。




