第11話 お帰りなさい
オークスウッド国立軍学校では、前期の試験が終ったあとに長期休暇がある。
ちょうど湊が元いた世界の夏休みとほぼ同じ扱いのこの休暇の間、実家が遠すぎて帰れなかったり、そもそも帰る家がなかったりといった、やむを得ない事情を持った生徒のみが寮に残ることを許され、それ以外の生徒は基本的に実家に帰ることになる。
その例でいえば湊は異世界出身であり、実家に帰る手段がないため寮に残ることになりそうだが、身元保証人の好意で、再びガーネット家にお世話になることになっていた。
「なんだかこの家に入るのもずいぶんと久しぶりだな……」
異世界に来てから学校に入るまでのわずかな時期しか滞在していなかったとはいえ、どこか懐かしさを覚えながら相変わらず馬鹿デカイ屋敷を見上げ、鉄製の門をくぐると、湊の記憶にある通りにきれいに整備された庭がまず目に飛び込んでくる。
きっちり背丈を整えられた木が両脇にズラリと並ぶ、車が通れるようにと造られた幅広の道を歩きながら、庭のど真ん中に設置された噴水を通り過ぎ、さまざまな花が咲き誇るのを香りと目で楽しむこと数分。
ようやく重厚な造りの玄関にたどり着いたときには、湊の息は軽く上がっていた。
「前も思ったけど、門から玄関まで歩いて数分かかるとか……。やっぱ金持ちは規格外だよね……」
ウチなんて門を開けたら数秒で玄関についたのに、とぼやきながら、ゆっくりと扉に手をかけて押し広げた、その直後だった。
「お帰りなさいませ、ミナト様……」
「様はやめてくださいよ、イアンさん……」
湊の姿が目に入ると同時に、一部の隙もなく完璧な礼で出迎えた初老の執事に思わず苦笑を返していると、今度は別方向から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「帰ってこなくてもよかったけどお帰りなさい、ド変態のお客様。私が荷物をお持ちしますので、ド変態のお客様はその様子を眺めてにやにやしていて下さい」
「出会い頭に散々な言われようですね、アイシャさん! というかその設定まだ生きてたんですか!?」
「はて? 設定も何も純然たる事実じゃないですか……。あの日のことをもうお忘れですか? さすがお客様ですね。そのお年でド変態の道を極めただけでなく、それを都合よく忘れるとか……」
ちなみに彼女の言う「あの日」とは、湊がこの屋敷にきて数日後の攻防のことを指す。
ともあれ、厳格を自負する自分の目の前で、ここまでふざけ倒すとはいい度胸とばかりに、イアンが鬼の形相で駄メイドの肩を思いっきりつかんだ。
「いだだだだだ! イアンさん! ちょっ……指が食い込んでます! このままだと骨が砕けちゃ……」
「アイシャ……貴様というやつは……」
どうやら自分をからかったことを怒っているらしいと、湊がことの成行きを見守っていると、
「どうしていつまでたってもミナト様を「お客様」と呼ぶんだ!?」
「そっち!? 僕をド変態呼ばわりしたことじゃないの!?」
「申し訳ありません、イアンさん。けどどうしてもお客様の方が呼びやすくて……」
「しかも、まさかのあだ名扱いだった!?」
「まったく……それならそれと早く言えばいいものを……」
「他にも怒るべきことがありますよねぇ!?」
「「………………?」」
「二人して何のことかわからないみたいな顔してるよ!」
「ミナト様……玄関先でそんなに騒がれては……」
「お嬢様に叱られてしまいますので、どうかお静かに。まぁそれはそれでご褒美ですが……。でゅふふふ……」
「逆に僕が怒られた! しかも駄メイドがアッシュみたいなこと言ってる!」
「時にミナト様……」
「……何ですか、イアンさん?」
「そんなにツッコんでばかりで疲れませんか?」
「おかげさまでかなり疲れましたよ!」
さすがにツッコミ疲れて息を切らす湊の目の前に、騒ぎを聞きつけたのだろう、白いブラウスに赤いプリーツスカート姿のリリアがくすくすと笑いながら姿を現した。
「なんだか三人を見てると久しぶりと言う感じがしませんね。まるで昔からとても仲良しだったみたいです」
「お嬢様、それは心外です。私はいつもイアンさんに苛められていますし、お客様は私を苛めて楽しむド変態ですから……」
「いい加減そのネタ引き摺るのやめてもらえませんかねぇ!?」
湊がつい突っ込むと、それに同意するようにリリアが腰に手を当ててアイシャへ滾々と語る。
「そうですよ、アイシャ……。ミナトは学校でも凄く真面目で誰かを苛めたりとかそういうことをするような子ではありませんでした! あまり変なことを言うと、「めっ」ですよ?」
「おっふ……お嬢様の「めっ」をいただきました。これは鼻血物の可愛らしさですね……」
「駄目だこの変態メイド……早く何とかしないと……」
湊のツッコミに、隣にいたイアンが「その通り」とでも言うように大きく頷き、リリアがもう一度くすくすと笑う。
湊が学校に入る前に何度か見た光景にどこか懐かしさを覚えていると、リリアが改まったように湊を振り返り、その特徴的な深い柘榴石色の瞳を細めた。
「改めて……お帰りなさい、ミナト」
「……うん、ただいま。リリア……」
◆◇◆
「ふい~…………」
大理石をふんだんに使って作られた浴場のど真ん中で、たっぷりと張られた湯を全身で楽しみながら、湊は大きく息を吐き出す。
「寮みたいに皆でわいわい入る風呂もいいけど……、やっぱりこうやって静かに一人で入る風呂もいいよなぁ……
まぁ、大理石の風呂だから落ち着かないけど……」
一人苦笑しながら高い天井をぼんやりと見上げる。
「そういえば、こうやって一人でのんびりする時間も随分と久しぶりの気がする……」
思えば、寮にいるときはもちろん、この異世界にやってきたときも、最初は腕を折っていたために、常に身の回りを世話する執事やメイドが側に控えていたし、腕が治ってからも何かと忙しかった気がする。
実際には数ヶ月ほどの時間しか経過していないはずなのに、体感的にはすでに何年も異世界で経ったように感じるほど、湊の異世界での生活は随分と濃く、怒濤の勢いだった。
「上空からいきなり湖に落下して、彷徨ってたら魔獣とABERに乗ったリリアたちに遭遇して、腕が治ったら軍学校に放り込まれて、あっという間に前期の試験が終わって……
元の世界に戻ったら、この体験談を小説にでもしようかな? ……ああ、でも良く考えたら、ネットに溢れてた異世界転移ものになるか……。それに僕、文才なんてないしなぁ……」
あはは、と力なく笑っていた湊だったが、元の世界のことを考えていたことが原因だろう、ふと胸に郷愁の想いが浮かんできた。
「父さんも母さんも妹も……元気でやってるかな……?
僕がいなくなって騒ぎになってるのかな……?」
あの悪友は元気だろうか? 家族に心配掛けてないだろうか? 読んでいた小説の続きはどうなっただろうか?
次々と元の世界のことが頭をよぎり、気がつけば湊の頬を涙が塗らしていた。
「う……ぐっ……!」
次々と溢れてくる涙に、必死で声を殺しながら耐えていると突然、浴場へ続く扉が開けられる音が聞こえて、湊は慌てて涙を拭う。
イアンか、それとも他の執事か。とにかく誰であろうと、故郷を思い出して泣いていたことを知られないように、と何とか取り繕う湊の耳に、ぺたぺたと大理石を踏む音が聞こえてきて、やがて湯煙の向こうからぼんやりと姿を現したその人物に、湊は大いに慌てた。
「…………っ!? り……りりり………りりりりリリア!?」
「……っ!? ミナトですか!?」
驚きを混ぜたその声の主は、抜けるように白い肌に流れるような長い白銀の髪を頭の後ろでまとめ、起伏の乏しい体を簡単にタオルだけで隠したリリア・ガーネットの眩しいばかりの裸体だった。
「な……なんでリリアが!?」
動揺で声が裏返るのも構わずに、慌てて背中を向けながら訊ねる湊。
「表に僕が入ってるって札がなかった!?」
「い……いいえ、そんなものはありませんでした……。それに私はアイシャが今なら入浴できると……」
そこで湊とリリアは、二人同時に今回の犯人が誰なのかを唐突に理解する。
「あの駄メイドめ……」
「後でお仕置きですね……」
この場に居ないメイドに怒りを覚えた湊だったが、ふと現状を思い出して、慌てて湯船から立ち上がる。
「ご……ごめん、リリア……。すぐに出るから!」
そういって、できるだけ少女の裸から目を逸らしながら風呂から出ようとする湊を、けれどリリアが制止する。
「それには及びません。知らなかったとはいえ、今回は私に責がありますので私が出ます……」
「い……いいよ! 僕が出るから! それに早く入らないと体がさめちゃうだろ?」
「それを言うなら、ミナトも同じです。せっかく温まっていたのに、ここで出たらまた冷えちゃいますよ? だから私が……」
「僕はもう十分だから! だから僕が……!」
「いいえ、私が……」
お互いに自分が出るといって譲らず、そのまま譲り合いに寄る奇妙な膠着に陥るかと思われた矢先。
「くちゅん!」
リリアが可愛らしいくしゃみをして、恥ずかしそうに微笑んだ後、ゆっくりと湯の中に入ってきた。
「そ……それじゃ僕はこれで……」
なぜか前かがみになりながら湯船から出ようとした湊の手を、リリアが引っ張って引き止める。
「り……リリアさん?」
「こうなったら仕方ないですね。これ以上は私も体が冷えてしまいますし、ミナトも十分に温まっていませんから、二人一緒に入りましょう」
「リリアさん!?」
思わぬ提案に、思わず敬語になる湊を、ゆっくりと湯船に座らせると、リリアはくるりと反転して背中合わせになる。
そうして、ぴったりと湊の背中に自分の背中を合わせながら、リリアがくすぐったそうに笑う。
「なんだかとっても恥ずかしいです……」
「それはそうだよ! だから僕が……」
「でも……」
湊の言葉を遮って、さらにリリアは湊にもたれ掛かる。
「でも、たまにはこういうのもいいです……。いつもは私一人ですから……。こうして誰かと一緒にお風呂に入るのは楽しいです……」
小さく笑うリリアに、湊は言うべき言葉を失い、ただ少女の柔らかくて暖かい体を、背中越しに感じるしかなかった。
~~おまけ~~
駄メイド「でゅふふ……いまごろはお嬢様とお客様が混浴を楽しんでいるころでしょう。お嬢様の背中を押す私は最高のメイドですね! と言うわけで、お嬢様のアルバムに嬉し恥ずかしハプニングの一枚を納めるために、今からお風呂場に突入……ってイアンさん!? え? カメラを持ってどこに行くのかって? いやぁちょっと外の風景を取りに……ってちょっと待っ……そんなものいくら私でも無理……ごめんなさい私が悪かったので許して……ぎゃ~~~~~~~っ!!」