第4話 シミュレーター
入学から一週間が経過し、少しずつ学校生活に慣れ始めてきた新入生全員が自分の授業を一通り体験し終えたある日のこと。
暖かい陽気と大地を渡る爽やかな風が心地よくて、休日なら弁当片手に行楽を楽しむだろう大空の下を、昼食を目前に控えて食べ盛りの生徒たちの腹の虫がせいだいに騒ぎ始める時間に、湊たちは広大なグラウンドを何周も走っていた。
「……はぁ……はぁ……
なぁ、ミナトさんや……」
「……ぜぇ……はぁ……
何だね、アッシュさんや……」
すでに数えるのも馬鹿らしくなるくらい走り、かなり息が上がって喋るのも辛いだろうに、そんなことを感じさせることなく話しかけてきたので、つい同じノリで問い返すと、隣を走る金髪の爽やかな少年が全身汗まみれになりながら空を見上げ、ぽつりとこぼした。
「なんで俺たち……こんなに走らされてるんだろうな……?」
ため息交じりのその言葉は、さっきから何周もグラウンドを走っている生徒たち全員の気持ちを代弁したものでもあり、もちろん湊も同じ疑問を持ちつつも、授業が開始された直後に今受けている「基礎教練」の担当講師が口にした言葉を、そっくりそのまま真似る。曰く、
「将来がABERのパイロットだろうと、技術開発班だろうと、司令官だろうと、軍という過酷な現場は常に体力勝負となる。だから今のうちから体力づくりをしなければならん!
よって今日はグラウンドをひたすら走れ! っていってたじゃん……」
「似てねぇ~」
冷めた目を向ける友人に「うっさい!」とツッコんだ瞬間、元の世界の電動立ち乗り二輪車によく似たものに乗って基礎教練の講師が現れた。
「こら、そこ!! まじめに走らないとさらに追加するぞ!」
「っ!? すんません!」
「ごめんなさい!!」
そんなことされたら堪らないと、慌てて謝罪してから口を閉じる二人をしばらくの間じっと睨みつけた講師は、やがて小さく鼻を鳴らすと、次の獲物を探して前へと去っていく。
「……ったく……何が「体力勝負だ!」だよ……
自分はあんなのに乗って楽してるくせに……」
「あはは……
まぁ、あの先生はもう中年っぽいし……いくらなんでも僕らと一緒に走り続けるだなんて無理でしょ……」
「それもそうか……何せあのエールっ腹だもんな
きっと普段から相当ウマイもん食って、たっぷりエールを飲んでるんだぜ?
寮生なんて、食堂じゃ酒なんて出してくれねぇもんなぁ……」
「いや、たとえ出されても飲めないでしょ……。僕ら未成年なんだし……」
「おいおい、ミナト君や。いくら田舎出身といっても、そりゃねぇぜ?
少なくともオークスウッドじゃ、俺らよりガキの時分から酒を飲むんだぜ」
「そうなの?」
「おうよ! エールだけじゃねぇ。甘めの果実酒に大人の味のウィスカ、中には紫獣石を酒に付け込んだ紫獣酒ってのもあるくらいだ」
「へぇ……そうなんだ……」
「お? なんだ? 俺の友人は酒に興味があると見える……
よし、それなら今度の休みにお前をウマイ酒を飲めるところに連れてってやろう……っと、エール腹のダンナがこっちを見てやがる」
一瞬顔をしかめたアッシュは、「じゃあな」と軽く湊の肩を叩くと、そのまま足を速めて他のクラスメイトのもとへと向かっていった。
「別に飲みたくないんだけどな……」
取り残された湊の言葉は、けれど友人の背中に届けられることはなかった。
◆◇◆
それからしばらくして、授業終了と同時に永久マラソンから解放された湊たちは、よたよたと頼りない歩みで汗を流し、走りすぎて食べ物を受け付けそうにない腹へ無理やり昼食を押しこんで一息ついた後、再び全身にぴったりと張り付くようなパイロットスーツに身を包み、シミュレーター訓練室と書かれた広い部屋へ集合していた。
「うぇっぷ……
地獄のマラソンのあとに無理やり昼飯食ったせいか、マジで気持ち悪ぃ……
せめてもの救いは、午後の授業がリリアたんの授業だってことだな……」
「たんって……」
数人の生徒たちと同じように、油断していたら胃から競り上がってきそうな嘔吐感をこらえつつも、本人が聞いたらぷんすか怒りそうな単語を口走るアッシュに、湊は苦笑を向ける。
「それ、本人が聞いたら絶対に起こるから、リリアの前では言わない方がいいよ?」
「リリアたんに怒られる? そんなもの、俺の中ではご褒美にしかならねぇよ」
「うわぁ……」
友人の危ない発言に湊が思わず引いていると、空気が抜ける音ともに自動扉が開かれ、湊たちと同じように薄いパイロットスーツに身を包んだリリアが姿を現した。
前回の授業のときもそうだったが、パイロットスーツを着ているときの彼女は、背中まで届く長い銀髪を頭の後ろで纏めている。他の髪が長い女子も同じようにしていることから、もしかしたらそういうルールでもあるのかもしれない。
「……というか、あの髪型も似合うんだな……」
ぼそり、と周りの誰にも聞こえない声で呟いた湊をよそに、少女の授業が開始される。
「えっと……、シミュレーター訓練室に集合したと言うことは、今日の訓練が何をやるかわかっていると思いますが……、今日からしばらく、シミュレーター訓練を行います」
その宣言に、一部の生徒から歓声のようなものが上がる。彼らにとって、対魔獣殲滅兵器はそれだけ憧れなのだろう。
そんな彼らに、微笑ましい顔を向けたリリアは、小さく咳払いをしてから話を続けた。
「コホン……
まず、皆さんにはシミュレーターでABERの基本的な操縦方法を学んでもらいます
シミュレーターとはいえ、これは訓練です。遊び感覚でやるのではなく、真剣に取り組んでくださいね」
最後に、おどけるように片目をぱちりと瞑って見せたリリアだったが、どうやら相当恥ずかしかったらしく、その顔は真っ赤に染まっていた。
(恥ずかしいならやらなきゃいいのに……)
そんな内心の感想は声には出さず、湊はゆっくりと、部屋に幾つも並べられた小部屋のような機械へと歩み寄ると、事前に渡されたテキスト通りにボタンを押してドアをスライドさせ、中に設置されたリクライニングシートへ体を滑り込ませる。
「えっと……腰のこのコードをシートに挿して……っと……
あとはシートに座ってリラックスすればいいんだっけ……?」
念のために持ち込んだテキストを確認しながら、パイロットスーツの腰部に垂れ下がっているコネクタをシートのプラグに差込み、シートに体を預ける。
「…………ここからどうしたらいいんだ?
何かスイッチとか押すんだっけ?
でも特にボタンらしきものとかないし……
それとも音声コマンド?」
テキストにしたがってシートに寝転んだは良いものの、そこから先をどうしたら良いのか分からず、きょろきょろと忙しなく周りを見回してみたり、「スタート!」だの「ダイブ!!」だの無駄に叫んでみたりするが、一向に何かが動き出す様子もなくて湊が途方にくれていると、突然目の前に通信モニタが開かれ、リリアの顔が映し出された。
『ミナト、落ち着いてください
そんな変な呪文を唱えなくても大丈夫です
シミュレーターは講師のほうで一括起動させますので……』
「…………それを早く言って欲しかった……
……というか、この通信ってまさか全員に……!?」
そうならばクラスメイト全員に醜態を晒したことになる、と慌てる湊を、リリアは首を振って否定する。
『安心してください
この通信はミナトだけに開かれていますから』
「よかったぁ……」
ほっと胸を撫で下ろしながら、そういえば学校に入ってからリリアとまともに会話したのはこれが初めてだと思い出す。
元々、リリアは非常勤講師のため、今湊が受けているこの授業以外には学校へくることはないし、その授業の合間も、たくさんの生徒たちを相手にしなくてはならない彼女へ話しかけることも憚られるのだ。
それゆえに、湊がせっかくの機会だからと、もっと会話を続けようと口を開いた。
「ねぇ、リリア……そういえば……」
『すみません、ミナト……
どうやら他の生徒の準備も整ったようなので、おしゃべりはここまでです』
湊の言葉を遮ったリリアは、手早く手元の端末を操作して通信を一斉通信に切り替えると、表情を講師らしいものに切り替える。
『さて、それでは皆さん準備が整ったようなので、こちらからシミュレーターを起動させます
まず大丈夫だとは思いますが、起動中に気分が悪くなったりした方は素直に申し出てくださいね?
それでは始めます……
……シミュレーター起動!』
その言葉と同時にシミュレーターが低く鳴動し、一瞬だけ空中に放り出されたような感覚のあと、気がつけば湊は、目の前にレバーやペダル、様々な計器にボタンがひしめき合う、狭い空間に座っていた。
(ここは……)
驚きを抱えながらもゆっくりと周りを見回すと、徐々にこの世界にやってきた日のことが思い出されていく。
巨大な城砦亀に殺されかけたところを救い出してくれた、深い柘榴石色の瞳を持つ少女が駆るロボットの操縦席にそっくりなのだ。
どこか懐かしさを覚えながらレバーやペダルを触っていると、再び通信モニタが開かれ、リリアの姿が映し出される。
『皆さん、無事にシミュレーターの起動を確認しました
気分の悪い方はいませんか?』
少しの間返事を待つように口を閉じたリリアだったが、どうやら全員問題がないようだと確認すると、手元を操作していくつかの表示を画面に出しながら解説を続ける。
『基本的にシミュレーション訓練は仮想体験技術によって行われます
まだまだひよっこのあなたたちに、ABERの実機に乗せて訓練を行わせるわけにはいきませんからね』
冗談に、生徒たちから小さく笑いが漏れる。
『まずはこのシミュレーターによって、ABERの操縦に確り慣れてもらってから、実際の機体に乗ることになります……
さて、説明はこのくらいにして、皆さん……実際に機体を動かしてみましょう……
基本的な操縦方法は画面に表示させていますので、それを見ながらゆっくりで良いので、まずは私のところまで来てください……
あ、そうそう。まだまだ初めてですので、紫獣石のエネルギーは無限に設定してあります。ですので、慌てず、ゆっくり操縦してください』
その言葉と同時に「ピピッ」と軽い電子音が響き、正面の内壁モニタの一部にマーカーが表示される。どうやら、その先にリリアがいるらしい。
そう判断した湊は、画面に表示された操縦方法を確認しながら、恐る恐るレバーを握る。
「えっと……前に進むには……このレバーを前に倒しながら足のペダルを踏むっと……」
じっくりと操作方法を見つめながら、ゆっくりとレバーを倒し、ペダルを踏み込む。
すると、ゆっくりとではあるが、確かに湊が乗る機体が前に進み始めたのを感じた。
「おお……動いた……」
仮想現実とはいえ、ロボットを自分が動かしているという事実に感動しながら、湊がさらにマニュアルを見つめ、操縦方法を確かめていると、突然操縦席内に鋭い警告音が響き始めた。
「えっ……何が……!?」
湊がまさかへんなことをしてしまったのかと慌てる間にも警告音は鳴り続ける。
そして、一体何がどうなってるのかと困惑する湊を、突然衝撃が襲った。
「うわぁっ!?」
何かが激しくぶつかったような音と衝撃に、思わず悲鳴を上げた湊の目の前で突如として、通信モニタが開かれて、リード・ガレナの姿が映し出された。
『おっと、ウスノロがもたもたしてると思ったらミナト・イスルギだったか……
あまりにもトロい操縦だから亀かと思ったぜ』
「リード・ガレナ……!」
『ちなみに僕は、実家でパパに買ってもらったABERシミュレーターを子供のころからずっとやってるから、この程度のことは何でもないんだ。
今更この程度でもたつく貴様ら愚民とは違うんだよ!』
そのまま高笑いと共に、あっという間に遠ざかっていくリード・ガレナ。
ちなみに、彼の取り巻き立ちは操縦に慣れていないらしく、完全に置いてきぼりを食らっているのだが、どうやらガレナ少年にとってはどうでもいいことらしい。
『大丈夫か、ミナト……
災難だったな……』
いつの間にか繋げられた通信から聞こえてきた友人の声に頷いて、湊はゆっくりと機体を立ち上がらせる。
『よっしゃ!
そんじゃ、俺たちもさっさとリリアたんのところに行こうぜ!』
「そうだね」
アッシュの言葉に再び頷き、改めてマーカーのほうに視線を向けると、先ほどあっという間に去っていったリード・ガレナのほかにも、すでに何人かがリリアのところへ到着しているようで、彼らの技量の高さに素直に感心しつつ、湊はゆっくりと機体を進ませた。
~~おまけ~~
リリア「リード・ガレナ訓練生。あなたは危険な操縦を行い、ミナト・イスルギ訓練生に衝突しておきながら、それを放置して私のところへ来ました。いくらシミュレーター訓練とはいえ、危険行為に他ならないため、あなたには罰として一週間トイレ掃除を命じます!」
訓練終了後にこんな一幕があったとか、なかったとか。
さて、前回のあとがきで書いた登場人物たちの共通点、皆様は分かりましたか?
もったいぶるのもあれなので、答えは活動報告のほうに載せておきます。
ちなみにヒントは苗字に隠されています。




