第2話 クラスメイトとルームメイト
「まさかあの時リリアが言ってた「すぐにまた会える」というのがこういう意味だったなんて……」
講堂での入学式が終わり、割り当てられた教室へ戻ったところでようやく落ち着きを取り戻した湊は、とりあえず適当な席に座りながら今朝のことを思い返して、思わず頭を抱えた。
檀上に上がったリリアのあの顔を見るに、恐らく湊を驚かせようとしてわざと黙っていたのだろう。
そして彼女のその目論見は、見事成功したといえる。
現にドッキリを仕掛けられた本人は、こうして大いに驚いていたのだから。むしろ、あの大勢の人間がいたあの講堂で叫ばなかっただけでも僥倖といえる。
「いや、まぁ……正直、異世界で知り合いが一人もいないこの状況で、たとえ先生という立場でも知ってる人がいるっていうのはありがたいんだけどね……」
周りで知り合い同士で固まり、楽しげに会話に花を咲かせるクラスメイト達を羨望の目で見つめながら、誰に向けたわけでもない言葉をぶつぶつと吐き出していた時のことだった。
「よう! 一人で何をぶつぶつ言ってるんだ?」
突然、誰かに声をかけられて思わず顔を上げたその視線の先にいたのは、短くまとめた金髪に灰色の瞳を持つ少年だった。
全体的に「爽やか」という言葉が似合いそうなその少年は、何の気負いもなく前の席に座ると、そのままくるりと体を反転させて、湊に向き直った。
「えと……いや……その……」
何と答えたものかと湊が返答に窮していると、何を勘違いしたのか、少年は爽やかな笑みを浮かべた。
「俺の名前はアッシュ・ハーライト。歳は今年で十七で、オークスウッド南地区に住んでいる。家族は両親と弟、あとはペットのジョン。身長とか体重とかはもう少し仲良くなって俺の好感度が上がったら教えてやる!」
聞いてもいない情報まで早口で捲し立て、最後には親指を立てながら器用に片目を瞑ってみせるハーライト少年を正面から見た湊は、思わず彼の歯がきらりと光るところを幻視してしまう。
そんな湊の黒曜石の眼を、アッシュは好奇心旺盛に覗きこむ。
「それにしてもお前って変わってるよな? その黒い髪も黒い眼もオークスウッドじゃ見かけないけど……? 外国人か?」
「えっと……」
さすがに異世界人です、と馬鹿正直に言えるわけもなく、湊は慎重に言葉を選ぶ。
「僕はミナト・イスルギ。歳は十七で、リリアの家にお世話になってる。家族は……両親と妹だけど……(異世界にいるから)今は会えない」
「……そうか……(家族が死んだなんて)悪いこと聞いちまったな……。まぁその……なんだ、強く生きろよ?」
「……? わかった…………」
何となく目の前の気さくな少年が誤解しているような気がしたので、それを確かめようと湊が口を開こうとした矢先に、アッシュが奇妙な空気を取り払うように話題を変えた。
「ところでイスルギ君……。…………っとその前に、イスルギって言いにくいからミナトでいいか? いいよな?」
「へ……? まぁ別にいいけど……?」
「よっしゃ! それじゃ俺のことは親しみを込めてアッシュ様とでも呼んでくれ」
「様付けしたら親しみは込められないからな? というわけで、だが断る!」
「カッコ良く断られた!? そこはもうちょっと考えてもいいんじゃね!?」
どことなく、元の世界の悪友に似た空気を持つアッシュに安心感を覚え、つい同じように接してしまう。
一瞬、目の前の少年の気分を害してしまったかと冷や汗をかくも、アッシュは特に気にした風もなく、むしろ楽しそうに笑っていた。
「なんだかミナトとの会話はテンポがよくて楽しいな! ……とまぁ、冗談はここまでにして本題だ」
親指を立てながら爽やかに笑い掛けた直後、アッシュは急に態度を改め、その声も一段低くなる。
いかにもこれから重要なことを話しそうな雰囲気に、湊は思わず喉を鳴らす。
「さっきの自己紹介で、俺はお前から聞き捨てならねぇことを聞いた気がしたんだが……」
「聞き捨てならない?」
「ああ……、お前さっき……「リリアの家にお世話になってる」って言ったよな?」
「……? それが?」
「リリアってのはどう考えても女の名前だ……つまりミナト……いやさ、ミナト・イスルギ君……」
なぜ言い直した、と問い返すよりも早く、アッシュがひどく真剣な顔で湊に人差し指を突きつけた。
「貴様! 女と一緒に暮らしているのか!?」
その声は叫びとなって教室に響き渡り、その瞬間、一部の男子が湊とアッシュの周りに殺到する。
「その情報は確かなのか!?」
「冗談だよな? そうだよな?」
「俺らと同い年で彼女と同棲だと!? これがモテる奴の力というものか!?」
「なん……だと!?」
「神は我らを見捨てたもうた!!」
「諸君、静粛に!」
殺気さえ伴いながら次々と放たれる言葉の暴力を、アッシュ・ハーライトが一喝して黙らせる。
「各々言いたいことはあるだろうが、まずは事情聴取が先だ! 非モテ会員諸君……被告人を拘束したまえ!」
「サー・イエッサー!!」
軍隊も顔負けの敬礼を決め、見事な連携であっという間に男たちに拘束されながら、湊はつい最近もこんなことがあったなと悲しいことを思い返す。
もっとも、状況的には今の方が遙かに馬鹿らしくて、呆れてしまうのだが。
とはいえ、そんなことは目の前で血気盛んにはやし立てる彼らには関係ないことで、唐突に湊への尋問が開始された。
「さて、それじゃ被告人ミナト・イスルギ……君の話を詳しく聞こうじゃないか……。 まずはそのリリアなる人物についてだ。彼女のフルネームは? 見た目は? 身長は? 体重は? スリーサイズは? 匂いは?」
だんだんと質問の内容がゲスいものになっていることに頬を引き攣らせ、自分を取り囲む全員の目が血走っていることに呆れながら、湊がリリアのフルネームを口にした瞬間だった。
「リリア・ガーネットって……あのリリア・ガーネットか!?」
「今年からABERを使った訓練の講師になるんだろ!?」
「公爵家の跡取りと同棲とか嘘だろ!?」
「まさか後任の仲じゃねぇよな!?」
「あのちっぱい少女を手籠めにするとは……このロリコンめ!!」
一部、本人が聞いたら確実に激怒するだろうセリフが聞こえたが、それをなしにしてもかなり騒然としたその場を、またしてもアッシュ少年が黙らせる。
そして、普段は爽やかな印象を受けるその顔に昏い感情を張り付けながら、静かに言葉を発した。
「会員諸君……判決を……」
「万死に値する!!」
誰かが叫んだ判決に一瞬で周りが同調し、裁判長の言葉を待たずに被告人へ怨嗟に塗れた手が伸ばされようとした矢先だった。
「凡百の愚民ども! そこをどけ!!」
きょうびあまり聞きそうにない高圧的なセリフが降りかかり、同時に湊を囲んでいた人垣の一部が崩された。
「何だよお前ら!?」
「いきなり何を……ぐわっ!!」
「てめぇ、やりやがったな!! うぐっ!?」
どうやら一部で暴力沙汰になっているらしく、少しの間肉を打つ生々しい音や悲鳴が飛び交うも、やがて抵抗する気をなくしたのか、湊を囲んでいた人垣がさっと割れる。
そうして現れたのは、細身の一人の男子生徒だった。背はちょうど湊と同じくらいで、少し長めの髪に銀白色の瞳で周囲に数人の取り巻きをつれたその少年は湊とアッシュの前に立つと、無遠慮に湊を睥睨する。
なんだか居心地が悪くなるようなその視線に湊が萎縮していると、その少年は小さく鼻を鳴らして口を開いた。
「貴様か……ガーネット家縁の者というのは……? ……どう見ても冴えない愚民だが……まぁいい……
喜べ、貴様。今より俺の仲間になることを許可してやる」
「……………………誰?」
「さあ……?」
至極真っ当な湊とアッシュの反応に、どこまでも高圧的な少年が顔を真っ赤にし、取り巻きたちが一斉に前に出た。
「貴様ら!? この方をご存じないのか!?」
「この方は西地区に大邸宅を持つガレナ子爵の一人息子、リード・ガレナ様にあらせられるぞ!?」
取り巻きの一人がどこからか取り出した紙ふぶきを散らし、その中で気を取り直して厚顔不遜という言葉を体現したかのようなポーズで立つリードだが、その直後に放たれたアッシュの言葉によって再び顔を真っ赤にすることになる。
「西地区って温泉が固まってる地区で中心街に比べて土地が安いじゃん。しかも子爵って……。いやまぁ、俺ら一般人からしたら凄いのかもしれないけど、湊は公爵で子爵より大分上だからなぁ……。それでそんな威張られても……」
「なぁっ!? 貴様……!?」
何かを言い返そうとしたのか、赤い顔のまま口をパクパクさせたガレナ少年は、やがて鼻を鳴らしてアッシュを無視して、そのまま湊に向き直った。
「そこの愚民は無視するとして……、貴様、俺の仲間になれ。公爵家の縁の者ならば、十分にその資格はある。ちなみに後ろのこいつらは、全員男爵家かあるいはそこの従僕たちだ。つまり社交界にその身を置くものばかり。貴様が俺の元に来るならば、公爵家の人間を従えているとして俺にも箔が付くし、貴様も爵位持ちとしての矜持を学べる。お互いに良いこと尽くめだろ?」
「え……? 普通に嫌だけど?」
「んなぁっ!?」
どうだ、と差し出した手を逡巡すらすることなく払いのけられ、驚愕に目を見張るリード。
「別に俺は社交界とやらには興味ないし、アンタの下につくつもりもないよ。第一アンタ自身が爵位を持ってるならまだしも、そうでもないのにそんな偉そうなやつと友達にもなりたくない……。そもそも俺に近づいて公爵の甘い汁を吸おうとする魂胆が丸見えだし、あと香水がなんか臭い。アンタは将来子爵じゃなくて柳葉魚持ちのほうが似合ってるんじゃないか?」
痛烈な湊の言葉に、隣にいたアッシュは爆笑し、言われた当の本人は三度顔を赤くする。
「貴様……!? リード様を愚弄する気か!?」
「リード様、気にしないでください! 例え本当のことでも、俺たちはリード様に一生付いていきますから!」
「……………ふん! まぁいい。ミナト・イスルギとか言ったな……貴様、俺の手を取らなかったことを後悔させてやる……」
取り巻きたちに慰められてようやく気を取り直したリード・ガレナが、捨て台詞を吐いてそのまま踵を返すと同時に、教室のドアが開けられて教師が顔を出した。
◆◇◆
それからしばらくして、学校生活に関することを一通り聞き終えた湊は、呼び出しを受けた職員室を出て、精神的に疲れた体を引き摺って寮へと戻っていた。
「いや……マジで今日は疲れた……」
思いため息をつき、自分に割り当てられた部屋の前にたどり着いた湊は、寮母から渡された鍵をポケットから取り出して鍵を開け、ドアノブに手を掛けたところでぴたり、と動きを止める。
「待てよ……? ラノベだと大抵こういう場合は、部屋になぜか着替え中の女の子がいて……、意図せずその子の着替えを覗いちゃって、その子に思いっきり張り飛ばされるってのがよくあるパターンだよな?」
現実ではそんなことありえないはずなのだが、ここが異世界であるという事実が湊に「もしかして」と思わせる。
ちなみに思春期真っ只中の青少年ならば、そういったシチュエーションはその後の展開(なんだかんだでその女の子と仲良くなる)も含めていろいろと憧れるものがある。
だが、一時の欲望に身を任せた結果、これからルームメイトとなる子と(ここは男子寮であるという事実は頭からすっぽ抜けている)一時的にでも気まずい空気になるのは、湊に耐えることなどできるはずもなく、結局湊は扉をノックしてから部屋に入ることにした。
「どうぞ~」
爽やかさを含んだその声が、間違いなく男子のものであることに安堵と僅かばかりの残念な気持ちを抱えたまま、湊はゆっくりと扉を開ける。
入り口の正面に広がるのは、ガーネット邸で湊が過ごした客室ほどの広さを持つリビング(この場合、ガーネット邸の客室が広かったことに驚けばいいのか分からない)。
磨き上げられたフローリングの床に、綺麗に配置されたソファと小さなテーブル。奥には大きな窓があり、左右の壁には扉が一枚ずつ取り付けられている。
これからしばらく過ごすことになる自分の部屋を湊が見回していると、中央のソファから聞き覚えのある爽やかな声が投げかけられた。
「よう、ミナト」
「……アッシュ!」
「おう。クラスでお前と仲良くなったアッシュ・ハーライト様だ! 気軽にアッシュ様と呼んでくれていいんだぞ?」
「アッシュがルームメイトなんだ……。よろしく」
「あれ!? 無視!? ツッコミなし!? …………はぁ、まあいいや。そんじゃ、改めて……よろしくな、相棒!」
爽やかな笑みと共に差し出された少年の手を握り返し、湊もまた笑い返した。
こうして湊の異世界での学園生活が幕を開けた。
メインヒロイン「あれ!? 私の出番は!?」
いつからメインヒロインが毎回出演すると勘違いしていた?