第1話 入学
新章突入!
学園生活編です
青く晴れ渡った空に、ゆったりと白い雲が流れていく。日差しが柔らかく世界を照らし、小鳥たちが高らかに歌う。
きっと誰もが「今日はいい日になりそうだ」と思うようなその朝に、大きな屋敷を構えるガーネット家の玄関では、銀髪の少女が、その特徴的な深い柘榴石色の瞳に不安の色を滲ませながら、目の前に立つ少年にあれこれ世話を焼いていた。
「ちゃんと歯を磨きましたか? 寝癖は大丈夫ですか?
ハンカチは持ちました? ティッシュは?
ああ! ほら、ネクタイが曲がっています!
財布は持ちましたか? お小遣いが足りなくなったらすぐに連絡してくださいね?
ああ、でもちゃんと大切に使ってくださいよ?
それと何か困ったこととかいじめられたりとかあったら、すぐに端末で連絡してください
ちゃんとご飯を食べてくださいね?
夜寝るときはおなかを出して寝ないようにしてくださいね?」
「オカンか!」
正面に立ってネクタイを直し始めた少女に耐えかねて、少年――湊が思わずツッコむ。
「あのさ、リリア……
正直心配してくれるのはすごくありがたいことなんだけど、ちょっと過保護すぎ……」
「……そうでしょうか?
ミナトはまだオークスウッド(こちら)に来て日が浅いので、私以外に頼れる存在がいません。それなのに、いきなり見知らぬ人たちばかりのところへ放り込まれるのと思うと、申し訳ないやら不安やらで……ご飯も喉を通りません……」
「いや……確かに僕の身元保証人みたいなのになってくれて、リリアには本当に感謝してるんだけど……
さっきまで普通にご飯食べてましたよねぇ!?
めっさもりもり食べてましたよねぇ!?」
「いえ、ミナト様……
お嬢様にしては、普段より少ないくらいでございました……」
「マジで!?」
突然背後に現れても、すっかり慣れて驚くことがなくなった湊に、老執事は少しだけ感慨深さを幹事ながら頷く。
「はい、普段のお嬢様なら、朝から今日の倍は食べていますから……
もっとも、ミナト様には気付かれないようにしていたみたいですが……」
「ちょっとイアン!?
何でそんなことバラすんですの!?」
「おっと……私は車の準備がありますので……」
そういい残して、現れたときと同じように唐突に消えた老執事に怒る機会を逸してしまったリリアは、ふと湊が自分をじっと見つめているのに気付いた。
「な……何ですの?」
「いやぁ…………
そんなたくさん食べてる割には……あまり育ってないなぁと思って……」
あえて「どこが」とは言及されていなかったものの、その視線が自分の絶壁に注がれていることに気付き、慌てて胸を腕で隠す。
「わ……私はまだまだ成長期ですから!
き……きっと今度会うときまでにはもっとバインバインに膨らんでいるはずです……」
「お嬢様……いい加減現実を見つめましょう……」
主とは違い、大きく膨らんだ己の胸を誇示するように張りながら、駄メイド(アイシャ)が慰めるようにリリアの肩を叩く。
「良いじゃないですか、アイシャさん……
夢を見るのは人の自由ですから……
それに……諦めたらそこで試合終了ですよ?」
「おっと……そうでしたね……。失礼しました、お嬢様」
「あなたたちなんて大嫌いですわ~~~~~~~~っ!!」
流石にからかいすぎたのか、目に涙を滲ませて思いっきり叫びながら、どこかへ走り去っていくリリアを見た駄メイドが湊の肩に手を置いて、リリアが走り去っていったほうを親指で指し示した。
「あなたが散々からかうからです。責任を持って追いかけてください」
「アンタも同罪だからね!?」
律儀にツッコんでから、湊は小さくため息をついて少女が走り去ったほうへ追いかけ始めた。
それからしばらくして、どうにかリリアの機嫌を直すことに成功した湊は、老執事がガーネット邸の門の前に回してくれた車に僅かな手荷物と共に乗り込むと同時に、気を利かせてくれた老執事の手によって開けられた窓に目を向け、未だ不安そうに揺れる深い柘榴石色の瞳を正面から見つめ返した。
「そんなに心配そうにしなくても大丈夫だって……
上手くやるから……
それにこれが今生の別れって訳でもないんだし……
休みの日にはちゃんと帰ってくるからさ……」
「……そうですね……
ミナトはやればできる子だって私は信じてます……
それにどうせすぐに会えますからね……
だから……いってらっしゃい」
「うん…………?
いって来ます……?」
どこか引っかかる言い回しをする少女に首をかしげる湊を載せて、車はゆっくりと走り始めた。
その姿が見えなくなるまで見送るリリアの肩に、アイシャがその白魚のような手をそっと乗せた。
「アイシャ……分かっています……
私もすぐに準備を……」
「いえ……お嬢様……、そうではなくて……
口から砂糖を吐きそうになるので、私の目の前であのお方といちゃつくのは止めてください」
「いろいろ台無しですよ!?」
静かな朝に、少女のツッコミが響き渡った。
◆◇◆
「ここが学校……」
ガーネット家の老執事が運転する車から降りた湊は、目の前に佇む建物から漂う空気に、思わず「ごくり」と喉を鳴らす。
そんな湊に手荷物を手渡しながら老執事がゆっくりと頷いた。
「はい、ここがこれからミナト様が通うことになる軍学校でございます
オークスウッド(わがくに)はもちろん、近隣諸国のトントヤードやグラスファリオン、果ては列強のリソス帝国などからも多数の留学生が学びに来ますし、貴族や平民などの垣根もない学校です
この学校の卒業生には、軍上層部や最前線でエースとして活躍するなど、多数の優秀な人材を輩出していると聞き及んでおります。実際、お嬢様もここを優秀な成績でご卒業されたからこそ、歴代最年少で中尉へと昇格したのです」
「そ……そうなんですか……」
そんな「超名門校」に自分なんかが――それも異世界の人間が入学してもいいものなのか。
老執事から聞かされた学校の情報にプレッシャーを感じて、再度喉を鳴らした湊の心情を感じ取ったのだろう、イアンは強張る湊の肩に優しく手を置いた。
「そんなに緊張しなくても大丈夫です
ミナト様はただ、ここで過ごす時間を存分に楽しめばいいだけです
何事も楽しむことが大事です。結果なんてものは後から自ずとついてくるものですから」
「……はい」
「それでは、行ってらっしゃいませ」
「はい、行ってきます」
素直に頷き、受け取った手荷物をもって後者のほうへと向かっていく湊へ、老執事はまるで己の孫を見るかのように目を細めながら、小さくつぶやいた。
「どうか、ミナト様に天上竜の加護があらんことを……」
老執事から零れたこの世界での祈りの言葉は、けれど相手には届かずに空気に溶けた。
一方、老執事と別れた湊は、これから始まる新しい学校生活に否応なく湧き上がる不安を蹴散らそうと気合を入れて校舎へ向かい、校舎入口を塞ぐように設置された、まるで元の世界でよく見かけた駅の自動改札機のような機械を前に、さっそく出鼻を挫かれていた。
「何だろ、この電車の自動改札機みたいなものは……」
まさか学校に入るのにチケットを購入しなければならないわけでもないだろうと思いながら、おずおずと周囲を見回してみれば、湊と同じ制服を着た学生たちが、端末を自動改札機に翳して、あっさりと通過していくのが見えた。
「ああ……そうか……
端末が身分証明証みたいになってるんだっけ……」
数日前にリリアから渡された携帯端末をポケットから取り出す。
元の世界のスマホによく似たそれを、湊はドキドキしながら自動改札機の上へと持っていく。
その直後、ほかの生徒たちと同じように「ピッ」と軽い音が鳴り、何事もなくゲートを通過できると思った湊の予想を裏切って、機械から耳障りな音が鳴り響いた。
「……へっ!? なに!? うぇっ!?」
何が起こったのか理解できずにあたふたと混乱する湊を、どこから出てきたのか、屈強な男たちがあっという間に取り囲む。
「対象を発見! これより確保に移ります!」
「周辺クリーニングを開始! 生徒の安全を確保!」
「そこの不審者、動くな! これより貴様を連行する!」
どう見ても本物にしか見えない(といっても本物を見たことはないが)銃を突き付けられ、そのまま両脇を固められてしまう。
いったい何事かと集まる野次馬の視線が突き刺さるのを感じながら、湊は抵抗もできずにずるずると引き摺られていった。
「名前はミナト・イスルギ……
身元保証人は……ガーネット公爵……?」
意図的に明かりを落とした薄暗い部屋で、湊から預かった端末に記録された個人情報を見て、目の前の鋭い目つきの男が目をむく。
「ガーネット公爵が身元保証人というのは本当のことなのか?」
「……え……っと……多分……?」
「多分とは何だ! はっきり答えろ!!」
「いや……だって……リリアが公爵だったなんて今初めて知ったんですけど……」
リリア? と首をかしげる男に、近くにいた部下らしき男が小さく耳打ちをした。
湊の位置からでは声は聞こえなかったものの、部下の言葉を聞いて顔色が次第に変わっていく様子を見るに、恐らくリリアがガーネット家の人間であるという説明を受けているのだろう。
そんなことを考えていた湊の目の前で、にわかに空気が騒がしくなった。
「すぐに事実確認をとれ!
学園長にも緊急の連絡だ!!」
「「はっ!!」」
びしっと効果音が付きそうなほど綺麗に敬礼を決めた部下たちが一斉に動き出す中、湊に詰問を浴びせていた男が、鋭い目つきをますます鋭くさせて、湊を正面から睨み付けた。
「さて……それじゃ話を聞かせてもらおうか、ミナト・イスルギ君?
君は何の目的があってこの学校に侵入しようとしたのかな?」
「いや……侵入も何も……普通に今日からこの学校に入学する予定だったんですけど……」
「つまり貴様は新入生だと?
ふ……嘘ならもっとましな嘘をつくことだ」
「いや……マジなんですけど……」
「まだ白を切るつもり……」
「いいえ、本当のことですよ」
睨み付け、今にも湊の胸倉に掴み掛ろうとした男の罵声を別の声が遮り、その場の全員が一斉に振り返る。
そこにいたのは、湊より背が低く、フレームレスの眼鏡をしわくちゃな顔に乗せた老女だった。
「…………っ! 学園長……!!」
その老女――学園長の突然の登場に、先ほどまで粗野な態度で湊を脅していた男が直立不動の姿勢をとる。
そんな男へ、「ああ、楽にしてください」と軽く声をかけてから学園長は柔和な笑みを浮かべたまま、湊を振り返った。
「あなたがミナト・イスルギ君ですね?」
「は……はい……」
「話はリリアさんから聞いています……
ようこそ我が校へ。歓迎いたします」
どうやらちゃんと話は通っていたみたいだと、胸を撫で下ろす湊へ、老女はふと首をかしげた。
「それにしても……入学案内には『まずは寮に集合すること』と書かれていたはずですが……
読まなかったのですか?」
「入学案内……?」
はて、そんなのあっただろうか、と記憶を探ってみるも、残念ながら検索結果は無しで、仕方なく首を横に振る。
「そうですか……
そういうことなら仕方ないですね」
困ったように小さく笑い、学園長は横で石造のごとくピクリともしない男へ声をかけた。
「警備長さん」
「はっ!」
「彼はまごうことなき、我が校の新入生です
というわけで、私はこのまま彼を寮まで案内しますから、あなたたちはお仕事へ戻ってください」
「イエス・マム!!」
びしり、と音がしそうなほど勢いよく敬礼を決めた男――警備長は、部下たちに素早く指示を出すと、そのまま慌ただしく部屋を出ていった。
そんな彼らを微笑ましく見送って、柔和な空気を纏った老女が「さてと」と湊を振り返った。
「それじゃ、行きましょうか。この時間だと、すでに新入生の入寮説明会は終わっていますが、今から行けば入学式には間に合うでしょう」
そのまま踵を返して部屋から出て行く学園長の後を、湊は慌てて追いかけていった。
◆◇◆
「…………ですから皆さんは、この学校へ入学できたことを誇りに思い、先輩たちが築き上げてきた信頼を守っていかなくてはなりません。ですが、だからといってあまりに気張りすぎては駄目ですよ? よく学び、よく遊ぶ。これから皆さんが卒業までにこの学校で経験するあらゆることは、きっと皆さんにとって良き経験となるはずです。だから私から皆さんにできるアドバイスはただ一つだけ……。これから始まる学校生活を大いに楽しんでください」
壇上で柔和な微笑を浮かべたまま話を終えた学園長へ万雷の拍手が降り注ぐのを見ながら、湊はきょろきょろと辺りを見回す。
もちろん、今、湊がいるのは異世界なのだから、周りを見回したところで知り合いなどいるはずもない。だからこの行為は、これからしばらくの間を一緒の学び舎で共に過ごしていく仲間たちの顔を、確認しようという心の現われなのだ。
そんなことを考えながら、心の中に湧き上がってくる不安を誤魔化していた湊の耳に、司会を務める教師の言葉が飛び込んできた。
「え~……それでは……え~……次は……、え~……今回新入生の……え~……「対魔獣殲滅兵器習熟訓練」の……え~……臨時講師を務めることになった……え~……先生を……え~……紹介します……」
やたら「え~」が多い司会の先生の言葉に導かれるように、壇上に一人の人物が上っていく。
流れるような、背中まで届くシルバーブロンドに、特徴的な深い柘榴石の瞳、そして本人も気にしているぺったんこの胸の少女が、正面の壇上に立った姿を見て、湊が思わず目を見開く。
「え~……紹介します……え~……臨時講師で……え~……ガーネット中隊隊長の……え~……リリア・ガーネット中尉です」
「ただいまご紹介に預かりました、リリア・ガーネットです。私はこの学校の卒業生ですが、講師としては皆さんと同じ一年生です……
どうかよろしくお願いしますね」
柔らかく、それでいてどこか悪戯っぽい色を含んだ瞳を細めて微笑む少女に、湊はただ絶句するしかなかった。
~おまけ~
とある屋敷での一コマ。
駄メイド「そういえばお嬢様。お嬢様の机の上にこんなものがありましたが……」
天然少女「これは……入学案内……? ……あ……ミナトに見せるのを忘れていました……」
湊が入学案内を見ていなかった理由の裏話です。(笑)