閑話その1 天然お嬢様と駄メイド
それは湊が異世界にやってきて、数日が経過したある日のことだった。
「おはようございます、ミナト様」
涼やかな声とともにカーテンが開けられ、同時に窓から差し込んできた光を浴びて、少年はゆっくりと目を開けた。
途端、彼の眼に飛び込んできたのは、彼が十数年を過ごしてきた部屋の見慣れた天井とは違う、重厚で質素な中にも気品があふれ出る天井。
それをたっぷり数秒の間、開いてるかどうかも怪しい目で見上げた後、ようやくもそもそと体を起こした湊は、目の前で無表情に佇むメイド服の女性を見て、ようやく自分が異世界に来たのだと思いだす。
「……おはようございます」
挨拶を返しながらまだ眠気を訴える頭を数度振って強引に覚醒させた後、いつの間にかきれいに畳まれていた元の世界の制服に袖を通す。
不思議な色のギプスで固められた折れた腕を庇いつつ、四苦八苦しながら着替えようとする湊の寝巻のズボンを、横からにょっきり伸びてきた白い手がつかんだ。
そのまま、その白い手の持ち主――さっきから部屋にいたメイド服の女性がズボンを脱がせようとする。
「ぬわぁっ!?
な、なななななななんばしよっとですか!?」
「何を、と言われましても……
お着替えのお手伝いですが?」
「いや……、「それが何か?」みたいな顔されても……
昨日も言いましたけど、着替えくらい一人でできますから!」
「昨日も言いましたが、お手伝いしたほうが早く着替え終わります
それに安心してください
たとえ着替えのときに殿方の大事なアレが見えてしまったところで、いまさら動揺するような年でもありませんし、仮にミナト様のが瑣末なものでも「きゃ~」とかお約束な叫びもしませんので」
「なんかさらっと毒を吐かれた気がする!?
ともかく、自分ひとりでできますから!
着替え終わったら出て行きますから、部屋の外で待っていて下さい!!」
「そんなことを言いながら、着替え終わったら窓から出てずっと呼ばれずにやきもきする私を眺めて楽しむんですね
放置プレイさせて喜ぶなんて、とんでもないド変態ですね、お客様」
「そんな想像を真っ先にする方がとんだド変態ですよね!?」
「こんな可憐なメイドを捕まえてド変態とは何事ですか
そんなに私をド変態に仕立て上げたいんですか?
分かりました。そこまで言うのなら私がド変態でいいです
それでド変態なお客様。このド変態なメイドの私めにいったいどんなド変態プレイをご所望でしょうか?」
「可憐なメイドを自称する割に「ド変態」って言いすぎですよね!?
そろそろ「ド変態」という言葉がゲシュタルト崩壊してきそうですよ!?」
「ところでお客様……」
「な……なんですか?」
「そろそろ着替えませんか?」
「だったらさっさと出てって下さいませんかねぇ!?」
すれ違いざまに丁寧に腰を折ったメイドが、ツッコミ疲れて息を切らす湊の指示に従って扉から出ていく。
その横顔がどこか恍惚としていたように見えたのが、どこか恍惚としていたのは気のせいではないかもしれない。
「まったく……朝から疲れたよ……」
「ふふふ……
あれはミナトに早くここに慣れてほしいという、あの子なりの気遣いですよ」
朝食を終え、ぐったりとした顔で朝の顛末を話した湊に、リリアは可憐な微笑みを向ける。
「いや……あれは気遣いと言うよりも、絶対に僕をイジって楽しんでたと思う……」
「そうでしょうか……
まぁ何にしても、仲が良いことは良いことですよ」
そう締めくくったリリアは、「ところで」と話題を切り替える。
「今日のこの後なのですが……
実は今日も私はお仕事でして……」
「ん~……それじゃ、僕は今日もイアンさんに文字を教えてもらおうかな……」
「申し訳ありません、ミナト様」
「うひゃあっ!?」
直前まで誰もいなかったはずの背後から突然声をかけられて思わず奇声を発しながら驚く湊に、老執事が深々と頭を下げる。
「実は今日は、主から仰せつかった大切な用事がありまして……
それがほぼ一日掛かってしまう用事の為、ミナト様にお付き合いすることができません……」
「ああ……そうなんですか……」
「はい、大変申し訳ありません
それと、あの駄メイドは後で私のほうからきつく叱っておきますので、どうかご容赦ください……」
全身からえも言われぬ空気を滲ませながら最後にそう付け加えたイアンに、湊は頬を引き攣らせながら「ほ……ほどほどに」と、思わずこれから叱られるあのメイドの未来を案じるしかなかった。
ちなみにこの日の夜、屋敷中にとある女性の悲鳴が響いたというが、それはまた別のお話。
ともあれ、急にこの日の予定がなくなってしまい、かといって屋敷で一人だらだら過ごすわけにもいかず、さてどうしたものかと湊が頭を悩ませていると、紅茶を優雅に口に運んだリリアからこんな提案があった。
「せっかくですから、街のほうに出てみてはいかがですか?」
「街のほうに……?」
「はい。まだ一度も屋敷から出ていないでしょう?
いい気分転換になると思いますよ?
それに、ミナトはここに来てからずっと同じ服を着ているじゃないですか……
当家にある男性用の服は執事服だけですし、せっかくなので何着か買ってくるといいと思いますよ」
「服かぁ……
確かにあれば嬉しいけど……僕、お金持ってないよ?」
一応、異世界に来るときに持っていたかばんの中には、多少の小銭が入った財布がしまわれているのだが、まさか都合よくこちらでそのお金が使えるとも思わない。
つまり現状、湊は無一文と同じと言うことだ。
考えていて悲しくなる現実に湊が内心で項垂れていると、目の前の銀髪美少女が「大丈夫です」とその薄い胸を張った。
「そのくらいならば、当家でお出しします
予算は……そうですね……
とりあえず4000Gほどあれば足りますかね?」
途端、それが高いのか安いのか分からない湊の側に控えていたイアンが小さくため息をつくのがわかった。
「お嬢様……いくら何でもそれは……」
「あら? 足りませんでしたか?
それなら……」
「いいえ、違います。逆です
さすがに尉官クラス一か月の給料分の予算と言うのは多すぎます」
「へ……?」
「イカンクラス」というのがどういうことかは分からないが、それでも給料丸々一月分の予算だと聞いて驚く湊。
「御覧なさい、ミナト様も驚いていらっしゃるじゃないですか
服の予算ならばこちらで決めさせていただきますので、ご心配なく……
それよりもお嬢様はそろそろお仕事のお時間では?」
「あら! 大変!」
右に左に振り子を揺らす時計に目を向けたリリアが、慌てたように椅子から立ち上がり、カップに残っていた、まだ湯気を立ち上らせる紅茶を一気に煽った。
「っ~~~~~~~~!!」
熱々の紅茶を無理矢理喉に流し込んで思わず身悶えたリリアは、それでも気合で立ち上がると、涙が滲む目を湊に向けて小さく目礼をしてから、慌てて食堂から出て行った。
「申し訳ありません、ミナト様……
主が尾見苦しいところをお見せしました……」
「ああ……いえ……大丈夫です……」
むしろちょっと可愛かった、と心の中で付け足す湊に、老執事が頭を下げる。
「それではミナト様……
私もそろそろ出かける時間ですので失礼させていただきます
後のことは、アイシャにお任せいたしますので……
アイシャ!」
「はい、ここに……」
老執事が食堂の入り口に向かって鋭く呼びかけると同時に、ここ数日湊の世話をしているメイドが姿を現した。
「私はこれからリリア様から仰せつかった用事で出かける
お前はこれから服を買いに街へ出かけられるミナト様をご案内して差し上げろ!
服の予算は100Gもあれば十分だろう……」
「畏まりました」
まるでマジックのように、どこからともなく取り出された札束をアイシャと呼ばれたメイドに手渡し、老執事は再び湊に目を合わせた。
「それではミナト様……失礼させていただきます」
胸に手をあて、現れたときと同じように唐突に老執事が消えたのをぽかんと見送った湊に、メイドが声をかけた。
「それでは、ド変態なお客様……
支度が済みましたら玄関ホールでお待ちください
すぐにこのド変態な私めがお迎えに上がりますので……」
「そのネタまだ引っ張るの!?」
完全に状況に付いていけなかった湊だが、それでも駄メイドにツッコむことだけは忘れなかった。
◆◇◆
それからしばらくして、港は駄メイドが運転する車に乗り込んで、窓を流れる景色に目を奪われていた。
異世界といえば中世ヨーロッパ風のファンタジー世界を真っ先に思い浮かべる湊の予想を裏切るように、元の世界と比べても遜色ないようなビルや家などが立ち並び、きちんと整備された道路を、馬車や竜車ではなく、流線型の近未来的な車やバイクが走り抜けていく。
そんな風景を眺めながら、湊はふと思う。
(そういえば異世界に来たその日に、せっかく異世界に来たのだからと魔法が使えないか確かめてみたっけ)
そう、あの緑色の月を初めて見上げたその日。
湊はベッドに座りながら、魔法が使えないかとあれこれ確かめてみた。
かつての黒歴史に溜め込んだ怪しげな知識を引っ張り出して、自分の中に魔力がないかを意識してみたり、紙に魔法陣を書いてみたり、呪文を詠唱してみたり。
結局あの日から少しして、少しずつこの世界の文字が読めるようになったここ最近になってようやく、魔法なんてものは存在しないと知って、少しがっかりしたのを覚えている。
(ホント、なにやってたんだろ、僕……)
少し前の自分がおかしくて思い出し笑いをしていると、ルームミラー越しにメイドが声をかけてきた。
「何を笑っているのですか?
ド変態な私にド変態なプレイをするところを想像して興奮していらっしゃるのですか?
さすがド変態なお客様は格が違いますね」
「そんなことしてねぇよ!?」
とりあえずツッコんでから、湊は少し気になっていたことを訊ねる。
「そういえばアイシャさん……」
「何でしょうか、鬼畜なお客様?」
「誰が鬼畜だ!
じゃなくて!
その光ってるのって何?」
湊が指差す先には、運転席の近くに埋め込まれた、綺麗な紫色の光を発するガラスの球体。
よく目を凝らしてみれば、中には石のようなものが浮かんでいる。
「これは、紫獣石を使ったエンジンです」
「び……びすだいと?」
「…………
そういえばお客様は地図にも載ってないようなド田舎からこられたとのことでしたね……
紫獣石とは、大陸では全ての生活の基盤となっている鉱石のことです
これを専用の溶液につけることで、紫獣石に含まれたエネルギーを取り出し、色んな生活に使っているのです」
「へぇ……そんなのがあるんだ……」
「ちなみにお客様がゲロをぶちまけてしまったお嬢様が乗るABERも、この紫獣石を動力源にしているるんですよ?」
「うぐっ……」
痛い過去を突かれて言葉を詰まらせた湊に、なぜか車を運転するメイドは「勝った」とばかりに笑みを浮かべ、そのまま上機嫌に運転を続けた。
それからしばらくして。
「到着しました、お客様」
そう言われて車を降りた湊の目の前に建つ店の看板には、辛うじて読めるようになった異世界語でこう書かれていた。
――コスプレ専門店『ニューカマー』
「何でコスプレ屋!?」
湊の渾身のツッコミが、昼間の往来に炸裂したという。