その三
壁に掲げられた蝋燭の灯りが、石造りの薄暗い室内を淡く浮かび上がらせる。
「セリア。言いつけを破ったね? しょうがない子だ……。この部屋から出てはいけないと命じたのに」
ぴしっと床に叩きつけられる鞭。
優雅にしなる鞭は、それだけで凶器だ。
狂気を宿した眼差しが、部屋の片隅で震えるセリアに向けられる。
今日は、まだ体調が万全でなかったせいか夢見が悪く、寝ぼけていたのだ。
わき起こってきた恐怖から逃げるように重い扉を開け、身を廊下へ出してしまった。
とたん、腕を引っ張られ、そこでようやく、しゃらりと鳴る重々しい鎖の存在に気づいたのだ。
われに返ったセリアが己のしでかした罪の大きさに戦き、主人に見つかる前に戻ろうとしたところを、ちょうど螺旋階段を降りてきた主人に見咎められてしまった。
「さあ、服を脱ぎなさい」
逆らえばもっと酷い仕打ちが待っている。セリアは従順に彼に従わなければならなかった。
鈍い音を立てる鎖を引きずりながら壁へ向かった。
震えながら服を脱ぐと上半身をさらし、彼に背を向け、壁に両手をついた。骨の浮き出た青白い背中には、消えることのない鞭の痕が残っていた。
「ああ、良い子だね」
男がうっとりと呟く。
金の髪を後ろになでつけた男性は、精悍な面差しであったが、濁った目がどこか暗くみせていた。
三十を少し過ぎた年齢の彼には愛する妻も子もいたが、こうして暇を見つけては部屋を訪れるのだ。まるで、飼っている動物の具合を確かめるかのように。
彼の妻はセリアの存在を知っているようだが、彼女もまた天なる地の住人。夫と同じように若い奴隷の男を数人、余所で囲っているらしく、セリアのことを深く追及しなかったようだ。
「まだ傷は癒えていないようだ」
前に傷つけられた箇所はしっかりと消毒をしなかったせいか膿み、セリアは何日も高熱を出して寝込んでいた。
長い間生死をさまよっていたように思えたが、手当をしてくれた医師の話では七日間も眠っていたと言っていた。
寝込んでいる間は主人も無体なことはしなかった。
せっかくの玩具を死なせては惜しいと思ったのか、寝込んでいる間は人並みの生活は送れたのだ。たとえ逃げ出すのを封じるかのように鎖で繋がれようと、仕置きという名の拷問がなければ、部屋として与えられたかび臭い地下牢でも幸せだった。
痛みは精神を蝕み、恐怖と怯えを植え付ける。
主人は神であり、決して逆らってはならない存在なのだ。
寝ている間も支配され、主人の足音が聞こえればすぐに起き上がって出迎えなければならない。そのため、深くまどろむことはできず、いつも寝不足であった。
「さあ、セリア。啼きなさい!」
長い鞭がしなり、セリアの細い背中に向かって落ちた。叩きつける音が狭い部屋の中で大きく反響する。
「ぅ、く……っ」
奥歯を噛みしめ、悲鳴を殺したセリアの体が反動で強く壁に押しつけられた。鋭い痛みは熱を持ち、じくじくと痛む。まだ癒えていない傷口の上を打たれたのだ。鋭い刃物でえぐられた痛みが全身を走った。
けれどセリアが悲鳴をあげなかったことが主人には不服で仕方なかったのだろう。血のついた鞭をもう一度しならせた。
パァンッ
ぐったりと壁に身を預けるセリアの背を鞭が襲った。肉をえぐり、血が飛び散る。
「あ、ぁぁぁぁぁァァ――――……ッ!」
次の衝撃に備えていなかったセリアの口から悲鳴が上がる。
痛い。
痛いっ!
痛いッ!!
尋常ではない痛みに、セリアは気を失うこともできず苦しんだ。
助けて、助けてと。心の内で叫び続けた。
額に脂汗を浮かべ、苦痛に耐えるセリアを嘲笑うように、主人が哄笑した。
「ああ、ボクの可愛い玩具! 素晴らしい! 素晴らしいよっ!」
セリアは絶望に目を瞑った。ここからは一生逃れられない。
もし逃れるとしたら、そのときは肉体が滅びたときだけだ。死んだとき、はじめてセリアは解放されるのだ。
そはれはなんて甘美な誘惑。
けれどこんな狭い檻の中では、セリアに死を与えてくれる武器はない。飼い殺されるまでずっとこの理不尽な痛みに耐え続けなければならないのだ。
セリアの目から涙がこぼれ落ちる。
痛みは消えるどころか酷くなっていく。錆びた鉄の匂いが濃くなる。指先から血の気が引いていくかのようだった。
ああ、これで死ねるのだろうか。
死んでしまいたいと心の底から願った。
――そのとき。
だれかの声を聞いた気がした。ハッと目を見開いたセリアは、その声の主にすがるように口を開いた。
「たす、けて……」
とたん、光がセリアを包み込んだ。やさしい、やさしい光……。すっと気が遠くなる。




