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終章 その一

 象牙で造られた静粛な空間に、グルグリッドの歓声が響き渡った。


「バティ=ラグさまのおっしゃるとおりだ! 〈鍵〉が戻ってきた!」


 幸せそうなセリアを(トゥ)(ーワ)で見ていたグルグリッドは、子供の姿の創造主バティ=ラグに向かって声を掛けた。


「さっすがオイラの尊敬するバティ=ラグだっ」


 きらきらと羨望の眼差しで見つめてくるグルグリッド。

 ちょっと片眉を上げたバティ=ラグは、やれやれと言いたげに肩をすくめた。


「〈鍵〉の所以を知らぬか?」

「〈鍵〉の所以? 〈鍵〉はバティ=ラグさまを目覚めさせることができて~、だから〈鍵〉って呼ばれてるんじゃ」

「馬鹿者。長く生きていようと、抜けているところは変わらぬな」


 水晶の椅子に泰然と座っていたバティ=ラグは、ゆったりと手を組んで目を眇めた。


「〈鍵〉はみな、自分の居場所を探しておる。すなわち鍵穴は世界であり、その鍵穴を創り出すのは〈鍵〉だけ。ぴったりと合う鍵穴を探して彼らは生まれ、死んで行く……」


 それが〈鍵〉の宿命である。

〈鍵〉として生まれた者に与えられた試練。

 鍵穴を探して多くの者は新しい世界を構築し、限りある命をまっとうしたあと、目覚めることのない深い眠りへと就く。


「じゃあ、〈鍵〉がここに戻ってきたのは、ここが彼女の鍵穴だから?」

「すべては完全ではない。〈鍵〉もまた居場所を見失い、誤ることもある。まして、あの者の心には、別の強い意志が宿っておったからな。(たが)えても仕方あるまい」


 彼女には、父と母とともに過ごし、失った世界を再生するという強い意志があった。

 それは、忘れられた(ドゥワール)にいたいという思いを凌駕する強い感情であった。

 それゆえにバティ=ラグはセリアの記憶を消し、新しい人生を送らせてやろうと思ったのだ。  

 けれどバティ=ラグには先が視えていた。彼女が現状に満足せず、忘れられた地を求めるだろうと。だからこそ光の衣を創り出したのだ。

 神は人に深く関わってはならない。それはバティ=ラグが己に課した決め事であった。

 〈鍵〉制度を作りだす前、神と人間はもっと近しい存在であった。だが、しだいに人間の欲が膨らみ、神にすべて任せて堕落していく姿を見て、バティ=ラグは安易に人の願いを叶えることを止めた。そうして、〈鍵〉に命運を託し、ただ見守る道を選んだのだ。

 バティ=ラグが隔絶した世界に居ようと、人の世界は変わらず動く。

 人は弱く、命短き存在であったが、だれよりも強い精神を持っていた。それこそ神を凌駕するような不屈さを。己で運命を切り開く力を与えたのはバティ=ラグではない。彼ら自身が逆境の中にあって生み出したのだ。

 セリアもまた、その魂を持った子であった。〈鍵〉として選ばれた者はみな、その強さを宿していた。


「──バティ=ラグさまは、また眠ってしまう? もし〈鍵〉が創った世界が前のように壊れたら……」


 グルグリッドは双眸を曇らせた。

 創造主バティ=ラグは、人の欲に絶望し、眠りに就いたのだ。また同じことが起こったのなら、繰り返されないとは限らない。グルグリッドはそれを憂えていた。


「少し、眠り過ぎたのかも知れぬな」


 バティ=ラグは慈愛深く微笑んだ。子供らしくない深淵を宿す双眸にあたたかな光が差した。


「グルグリッド、長い間、虚無を守ってくれたことに礼を言うぞ。よく耐えたな」

「バティ=ラグ、さま……」


 グルグリッドの目に涙が滲む。


「オイラ、ずっとずっと待ってたんだ。バティ=ラグさまが目覚めてくれるのを。けどオイラは、バティ=ラグさまを目覚めさせるために罪を……」

「よい。知っておる。そなたがしでかした大罪も……。〈鍵〉である人の子をそそのかした罪は許されざるものではないが、我が子もまた〈鍵〉欲しさに罪を犯した……」


 くすり、とどこか楽しげに笑ったバティ=ラグ。

 バティ=ラグの息子。神が自らの肉を分け与えて創ったのが名を持たぬ君であった。

 唯一の肉親とも呼べるべき子をバティ=ラグは可愛がっていたが、その心を溶かしてやることができなかった。特に、自ら眠りに就いたあとは……。

 〈鍵〉のためにすべてを捧げ、生きるよう命じたのはバティ=ラグだ。

 心を閉ざし、ただ従順に仕えることしか知らなかった子は、いつの間にか人のような感情を宿しはじめたようだった。セリアという〈鍵〉と出会い、更に人へと近づいた。悩み、執着し、謀る……。これまでの彼には考えられない行動だ。〈鍵〉のそばに在るという命に反し、さまざまな策謀を繰り返したのだから。

 きっと彼自身もまだ気づいていないのだろう。

 その矛盾に。

 けれど、だからこそバティ=ラグは嬉しく思うのだ。従順な人形など欲しくなかった。〈鍵〉を大切に想うのならば、黙って従うのではなく、自ら行動して欲しかった。

 セリアに対する彼の行為の数々は、決して褒められるべきものではなかったが、そこから得た物は多いだろう。


「のぅ、グルグリッド。新しい世界が始まるやもしれぬぞ」

「新しい世界? それってやっぱり、〈鍵〉が創った世界のこと?」

「忘れられた(ドゥワール)もまた変わろうとしておる」

「えっ」


 声を上げて驚いたグルグリッドは、慌てて(トゥ)(ーワ)に視線を移した。頭上に広がる映像の中の出来事をひとつも見逃すまいと目を凝らした。


「人の欲は尽きぬものだ……。心優しき〈鍵〉は、すでに殺伐とした忘れられた世界を変えておる」

「花……」


 グルグリッドは呆然と呟いた。

 人の世界で見たことのある可憐な花が赤土に咲いていた。まだたった一輪ではあるが、それは美しく輝いていた。


「ようやく忘れられた地にも平穏が訪れる。我でさえ手が出さなかった世界を此度の〈鍵〉が変えていくのだ」


 口元に笑みをたたえたバティ=ラグは、静かに目を閉じた。



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