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   その三

 いやな感じがする。

 寝室に行きたくなくて少し後ずさりしたセリアに気づいたのか、少し強引に若い侍女が手首を掴んだ。


「い、やぁ…、は、はな、して……っ」

「わがままはおっしゃらないでください」


 ぴしゃりとはねつけた彼女は、あの親しげな様子はどこにいったのかどこか荒っぽかった。


「セリアさまも覚悟なさっていたことでしょう。ご寵愛を受けるというのは、こういうことなのです」


 これから何が起こるのかセリアが悟ってしまったのを感じてか、冷たく言い放つ。


「知ら、な……っ」

「では、ご寵愛を失って腐敗の地に落とされますか? この地での生活を知ってしまったあなたに腐敗の地での過酷な生活に耐えられますか? 甘い蜜ばかりを吸った蜂が花一つない世界で生きることは不可能ですわ」


 セリアはきゅっと唇を引き結んだ。彼女の言っていることは正しい。

 いくら愛されているといっても主人の心が変われば、すぐにこの生活は崩れ去る。その日の食べ物にも欠く生活をしなければならなくなるのだ。

 女神の血を流してから、部屋に引きこもるセリアを慮ってかドーナンはあまり姿を見せなくなった。戯れに触れてくれこともなく、安堵していたというのに……。 彼は、セリアを祝うその笑顔の上で、今日のための算段をしていたのだろうか。


「大丈夫。すべて旦那さまにお任せすればよいのです。あんなにセリアさまを大切になさっているですから。そう無体なこともなさらないでしょう」


 セリアが黙り込んでしまったのを恐怖心ゆえと慮ってか、少し声音を和らげた若い侍女はセリアの部屋の扉を静かに開いた。

 香を焚いてあるのか、甘い匂いがした。

 窓は少し厚い布で覆われていた。きらきらと光っているのは、宝石かなにかをつけているからだろうか。

 分厚い布にほんの少し透けた光がうっすらと見えるから真っ暗とはいいがたい。家具も浮かび上がって見えているし、この程度の暗さならばなんなく動くことができるだろう。


「それでは、失礼いたします」


 寝室へと導いた若い侍女は貼り付けた笑みを浮かべたままお辞儀をした。

 思わずすがるように手を伸ばしたセリアを拒絶するように、無情にも扉が閉められる。カチャリと小さな音がした。

 ハッと目を見開くと真鍮の取っ手を回した。けれど鍵がかかっているのか開かなかった。

 セリアは窓に駆け寄り、布を退けた。一瞬、眩しさに目を細めるも、すぐに目的の場所へと手を伸ばした。しかし、いつもはおだやかな風を運んでくれる窓は、何かで塞いであるのかびくともしなかった。湯殿にいったすきに脱走を企てないよう塞いでしまったのだろう。

 金の香炉から漂う甘い香りに胸が焼けそうだった。

 これからどのようなことが起こるかは少しだがわかる。

 また、そうしなければならない立場であることも理解している。けれどセリアはやっと一人前の女になったばかりで、体も成熟した女性へと変化している最中である。どこか潔癖な想いが、そういう行為自体に嫌悪を抱かせるのだ。


(わたし……、そんなの……そんなの……っ、したくない!)


 ドーナンのことは嫌いではない。

 むしろ感謝しているし好意も持っている。やさしいドーナンを主人にもてたことは幸いであろう。

 セリアがここに来た頃は本当に子供で、まだ背丈も今より頭ひとつ分低かった。傷だらけで、瀕死の状態だったセリアに救いの手を差し出して、介抱してくれたのがドーナンであった。

 ドーナンは銀の髪に金の瞳を持つセリアに以前から興味を持っていたらしかった。前の主人に買われる前に見かけたのだという。それからずっと行方を捜し、前の主人に酷い仕打ちを受けていると知ったドーナンが使用人を引き連れて押し入ったのだ。

 ドーナンのほうが身分は上らしく、逆らえなかった前の主人は渋々ながらもセリアの権利を放棄したようだった。それからずっとドーナンのもとで暮らしているのだ。

 寝台の端に腰掛けたセリアは、身を覆う薄衣だけでは頼りなく感じられて、寝台にかけられていた薄絹を巻き付けた。

 そのとき。

 カチャリと鍵が回る音がした。

 びくりと震えたセリアは、どこかに隠れたくてしかたなかった。けれどこの部屋に隠れる場所などありはしない。寝台の下に隠れてもすぐに見つかってしまうだろう。


(ああ、だれか助けて……っ)


 祈りも虚しく、扉が開く。

 その瞬間がとてもゆっくりに見えた。

 人影の背後に見える華やかな光。

 奥の部屋はなんて清らかな光を放っているのだろう。

 これからここで起こることを嘲笑うかのような澄んだ光を見て、逃げ出したくなった衝動を必死に抑え込む。

 今逃げても捕まるのは明白だ。

 ドーナンはゆっくりと寝室へ入ってきた。この薄暗さに慣れると、彼の姿もくっきりと浮かび上がった。肥えた体に厚めの生地をまとい、腰布で軽く縛った状態は、まさに寝間着姿だ。


「おお! セリア……わしの愛おしい子……なんと美しい……」


 絹を巻き付け縮こまっているセリアをみて、ドーナンはうっとりとした声を上げた。

 その蒼い目には、娘をみるような穏やかな色はなく、どこか獣のような本能的な強さがあった。

 扉がゆっくりと閉まる。外にだれか見張りの者がいるのか、また鍵をかけられたようだった。ドーナンの許しがなければ出ることは叶わないのだろう。


「どうした? おお、そうか。緊張しているのだな……」


 震えるセリアに気づいたのか、細い肩に手をかけたドーナンは、緊張をほぐすかのようにさすった。


「大丈夫、わしに任せなさい」


 セリアがまとっていた絹を少し乱暴にはいだドーナンは、乾いた唇を舐めた。


「おおっ、なんと目映い肌か……。さすが腐敗の(アル・クルト)の血を引いていることだけあるな。どんな美女もお前の瑞々しい真珠色の肌に敵う者はおるまい」


 ゆっくりと衣をはがしたドーナンは、光る肌を目にして好色そうに顔を輝かせた。丸く太い指が立ちすくむセリアの肩から腕へと滑っていく。

 ぴくりと体を震わしたセリアは唇をきつく噛んでいた。噛みすぎてか、少し血が滲んでいるようだった。

 それを見咎めたドーナンは、眉を寄せた。


「わしの可愛い子、傷をつけてはいけないといったであろう」


 声音は静かだったが深い憤りがこもっていた。

 可憐な唇から流れる血を指先で拭ったドーナンは、その指を口に含んだ。


「──っ!」

「お前の血は甘いのぅ。もっと味わいたくなるぞ。……いや、今はお前の花の蜜のように甘い血よりも、熟れる前のしなやかな体を食べようか」


 ドーナンは寝台にセリアを押し倒した。

 反射的に暴れようとしたセリアの腕を片手で押さえたドーナンは言った。


「大人しくしないさい。なぁに、怖いことなどなにもない。男と女が混じり合うのは自然なことなのだ」

「いや……! お願いです、許して下さい……っ。ほかのことならなんでもするから!」


 セリアは叫んだ。ドーナンの温情にすがったのだ。

 しかし、欲望に目の色が変わっているドーナンは、聞く耳をもたなかった。肥えた体がセリアにのしかかり、厚い唇から覗く舌が若い肌の上を滑っていった。


「ああ、セリア……。このときをどんなに待ち望んだことか……。お前を一目見たときからわしは心奪われていたのだ。わしの子を孕んで、お前のように可愛い子を産んでおくれ」

「いや! いやですっ、お願い、ご主人さまっ」

「セリア。聞き分けのない子には、仕置きが待っておるぞ」


 セリアの全身が大げさなまでに震えた。


「ああ、まだ傷跡が残っておる……。アベルはお前をどうやって嬲ったのだ? アレはどうも好きな者ほど残虐に振る舞うようだからのぅ」


 アベルとは、前の主人の名なのだろう。セリアは前の主人の名は知らなかったが、ドーナンの言葉に当てはまる者はひとりしかいなかった。


「ぁ……」


 ドーナンの手が古傷を辿っていく。

 セリアの見開かれた眦からすっと涙がこぼれ落ちた。

 それは思い出したくない過去だ。苦痛と絶望しかなかった消し去りたい過去。

 硬直したセリアを今が好機ととらえてか、腰布を放り、前をくつろげたドーナンは、愛撫もそこそこに無理やり体を繋げようとした。

 それに気づいたセリアの恐怖心が最高潮に達する。


「い、いやぁぁ、たすけてぇぇぇぇ――――っ」


 心の底から叫んだその瞬間、ドーナンの体が吹き飛んだ。壁に思い切り当たったドーナンは、がはっと息を吐き出した。


「――我が君。なにを望みますか?」


 なにが起こったのかわからず呆然としているセリアが半身を起こすと、目の前に人がいた。闇に溶けてしまいそうなほど黒い髪と美しい碧の目をしていた。片目が眼帯で覆われているのが残念なほど美しい碧の目は、まるで宝石をはめ込んだかのようだった。


「……っ」


 初めて見るこの世のものとは思えない美貌を前に息を呑んだセリアは、自分がどんな格好をしているのかも忘れた。

 青年はすっと腰を屈めるとどこから取り出したのか華やかな色合いの外套をふわりとセリアの肩にかけた。それでようやく今の状況を思い出したセリアは顔を真っ赤にしてはだけた胸元を隠した。


「我が君。どうぞご命令を」

「めい、れい……?」


 困惑もあらわに視線を揺らすセリアに、青年が微笑を浮かべた。美しい笑みにセリアの視線が釘付けになる。


「その男が憎いのならば、殺しましょう。この世界の覇者となりたいのならば、絶対にして唯一の神といたしましょう」


 歌うように囁いた青年は、セリアの真っ白な手の甲に唇を落とすと、その場に跪いた。


「すべては我が君の思いのままに」

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