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   その七

 泣きわめくディアをどうにか説得したセリアは、三日後に旅だった。

 それは決して楽な旅ではなかった。先の見えない旅だったからだ。

 どうやったら忘れられた地にいけるかわからないまま、時間だけが過ぎていた。何か手がかりはないだろうかと、たどり着いた町々で尋ね回ったが、明瞭な答えは得られなかった。

 いつ獣が襲ってくるかわからない恐怖と戦いながら野宿をしたり、好意で貸してもらえた納屋に寝泊まりをしながら、毎晩、神に問いかけた。バラッドではなく、バティ=ラグに。

 しかし、答えは返ってこなかった。

 彼は知っているはずだ。セリアの状態を。

 何を望み、何を求めているのか。

 けれど平等に人間の生き様を見守るバティ=ラグは、そう簡単に手をさしのべてはくれない。


(駄目……頼っちゃ駄目なのに……)


 これはセリアが選んだ道だ。自ら切り開かなければならないのだ。

 そう思っていても辛かった。

 孤独な旅は、旅に不慣れな分、よけいに辛かった。

 何度もくじけそうになって、母と父が待つ家に帰ってしまおうかという甘い誘惑に駆られる。

 答えのない旅が、先の見えない旅がこんなにも苦しいとは思わなかった。鋼のように強い覚悟が簡単に折れそうになるのだ。そんな自分が嫌だった。いつまで経っても弱いままの自分が堪らなく嫌いだったのだ。

 セリアは、霞む視界の中で、青年のことを思い出していた。

 危険なときには必ず青年が助けてくれた。

 今回も……とそんな淡い思いを抱いてしまったセリアは、きゅっと眉を寄せた。


「わたしはもう〈鍵〉じゃない……」


 もう〈鍵〉としての役目は終わったのだ。ただの人間に戻ったセリアを彼が受け入れてくれるかもわからなかったが、それでも会いたかった。


「はぁ……はぁっ……っ」


 けれど、セリアの体はボロボロであった。服はとっくにすり切れて、薄汚れていた。布靴も破れ、むき出しの部分が血で滲んでいた。


(こんなの痛くない。腐敗の(アル・クルト)でいたときのほうが辛かった……鞭のほうがよっぽど痛かった)


 だから大丈夫。まだ自分は進める。

 ふらふらと倒れそうになるのをなんとか堪え、一歩、一歩進んでいくが、目の前の景色は歪んでいく。背負った荷物が酷く重い。細い肩を押しつぶしてしまうかのようだった。


「たす……」


 助けて、という言葉を慌てて呑み込んだ。これはセリアが決めたことだ。助けを求めてはいけない。


「ぁ……」


 柔らかな砂に足をとられたセリアの体が傾いだ。


「はぁ……ぁ、はぁ……」


 いつもならあたたかく感じられる陽射しが今は灼熱のようだった。

 水が欲しい。革袋に入っていた水はすでに飲み干してしまっていたのだ。

 見渡すばかり砂ばかりで、泉すらなかった。ここはどこなのだろう。ただひたすら真っ直ぐに進んできたセリアは、自分がどこにいるかもわからなかった。

 死んでしまうのだろうか。セリアは火傷しそうなほど熱い砂をぎゅっと掴んだ。こんなところで死にたくなかった。

 けれどもう立ち上がる気力がない。痛覚が麻痺し、意識が朦朧とし始めた。


「──おいっ、あんた、大丈夫か!?」


 聞き慣れた声がした気がしたが、そのままセリアは気を失った。



 次に気がついたとき、布が幾重にも張られた家の中にいた。

 ゆっくりと瞬き、ここはどこなのだろうと自問する。こんな造りは見たこともなかった。柔軟な茎を縦横に走らせ、その上に大きく厚手の布を重ねているようだった。天井は低く、円を描いていた。周囲には壷や箱が所狭しと並べられ、収納部屋のような雰囲気であった。


「み、ず……」


 考え込んでいたセリアは喉の渇きを感じて顔を歪めた。

 するとその小さな声を聞き取ったのか、そばでだれかが動いた。


「おお、目が覚めたか。ちょっと待っていなさい」


 声の主は、革袋をセリアに差し出した。

 その中に新鮮な水が入っていることを知ったセリアは、声の主に体を支えてもらいながら半身を起こし、口元に革袋を持っていった。やや温い水が喉を潤していく。

 あっという間に飲みきったセリアに、また次の袋が差し出される。それを飲み干すと、ようやく水が全身に行き渡った心地となって、気が緩んだ。

 お礼を言おうと声の主の顔を見たセリアは、悲鳴をとっさに呑み込んだ。

 にこにこと人のよさそうな顔を浮かべていたのは、青年に殺されたあのドーナンであった。革袋が手から落ちる。とっさに後じさったセリアはドーナンから距離をとった。

 なぜ彼がここにいるのだろう?

 あの日の凶行を思い出したセリアは青ざめた顔でドーナンを見つめた。


「どうした? まだ気分が優れないか?」


 ドーナンは心配そうな顔つきでセリアに手を伸ばした。


「ぃやっ」


 身を竦ませたセリアが拒絶の言葉を口にすると、明らかに傷ついた顔のドーナンが謝った。

 謝罪するのはセリアのほうだったが、わずかに開いた口は凍りついてしまったかのように動かなかった。

 どことなく気まずい空気が流れると、部屋の外が急に騒がしくなった。


「とーさん! まだお客さんは眠ってるの?」

「あたしもみた~い!」


 小さな子供たちが入口からひょっこりと顔を覗かせると、起きているセリアに気づいて目を輝かせた。


「お寝坊さんだ!」

「違うよ、チゼット。寝込んでたんだからお前とは違うのさ」

「あたしちゃんと起きてるもんっ」

「はっ、(とき)()げの枝があったら時間を正確に測れたのにな。お前がちゃんと朝に起きてるかさ」

「にぃちゃんの意地悪!」


 セリアよりもずっと小さい。

 まだまだあどけない顔立ちの兄が七歳で、鼻の頭に散ったそばかすが可愛い妹は四歳くらいだろうか。褐色の肌を華やかな色合いの刺繍がされたゆったりとした衣が覆い、頭には布を巻きつけていた。布に飾られた七色の羽がおしゃれだ。

 突然の乱入者たちのおかげで、空気が和らいだ。

 ほっと安堵としたのはセリアだけではなかった。ドーナンもセリアの扱いに困っていたのだろう。強ばっていた顔が綻んでいた。


「こらこら、お前たち。客人の前だぞ。静かにしなさい」


 叱りながらもその眼差しはあたたかい。


「父さん、早く時告げの枝を買ってきてよ。やっぱ不便だよ」

「商人が来るまで待っていなさいと言っているだろう」

「チゼットはかわいい髪留めが欲しいの!」

「前にも買ってやっただろう?」

「やだやだ、ねぇちゃんたちだっていっぱい持ってるもん」


 駄々をこねる女の子の頭をドーナンはあやすように撫でた。

 ドーナンの姿に驚いて、怯えていたセリアだったが、彼らの会話を聞くうちに心が落ち着いてきた。彼はドーナンだが、セリアの知っているドーナンではないのだ。セリアはまるで言い聞かせるように心の内で繰り返し呟いた。

 目の前にいたドーナンは、記憶にあるドーナンよりも細身だった。輪郭は丸く、ふっくらとしているが、体型を隠すかのような服のおかげでお腹のでっぱりはあまり目立たなかった。子供たちと同じ褐色の肌に、蒼い瞳が、どこか懐かしさを思い起こさせる。健康的な姿を見て、セリアもほっとした。

 子供たちといるドーナンはなんだか新鮮だったが、父親らしいやさしさと威厳に溢れていた。


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