第八章 其は、目覚める その一
「――ァ……リア……セリア!」
肩を揺すられたセリアの意識が底からふっと浮上する。
瞼を震わせながらゆっくりと開けた。
少し古びた天井は高く、木の梁がむき出しだった。ほんの少しぼんやりとその天井を眺めていたセリアは、寝台のそばに立つ女性に気づいて目を瞬かせた。
夜よりもなお深い漆黒の髪に黒曜石をはめ込んだかのような美しい瞳を持った女性は、呆然としているセリアを見てくすりと笑った。
「いつまで寝ているの? 早くご飯を食べちゃいなさい」
「かあ、さん……」
がばっと起き上がったセリアはどこか呆然と呟いた。
「なあに?」
やさしく微笑む母親。
いつも見慣れた柔らかな笑み。
セリアはその包み込むようなあたたかい笑みが大好きだった。
「……っ」
目から涙がこぼれ落ちた。ぽろぽろと止まることを知らない透明な雫は頬を伝って麻の寝間着に吸い込まれていった。
「母さん……母さん!」
セリアは母親に抱きついた。
「なあに、変な子ね。怖い夢でもみたの?」
くすくすと笑った女性は、幼子をあやすかのようにセリアの背をやさしく叩いた。
セリアは夢の内容を思い出そうとしたが、霞がかっていて思い出せなかった。とても大切なことだったと思うのに、母がいる安堵から霧散してしまった。
「着替えたら、早く下に降りてらっしゃい」
セリアが落ち着いたのを見計らってから、やんわりと腕を外した彼女は、部屋を出て行った。
母親の言葉にごしっと恥ずかしそうに涙を拭ったセリアは、慌てて着替えた。 まるで小さな子供のように泣いてしまった。
そう、母と離れた幼子のように……。
(きっと怖い夢をみたんだ)
もしかしたら母がいなくなってしまった夢でも見てしまったのかもしれない。
そう決めつけたセリアは、萌葱色の服に袖を通すと、腰まで届く銀の髪を素早く紐で結んだ。
ちょっとホコリを被った丸い鏡を覗き込んだセリアは、少し腫れた瞼を見て顔をしかめた。
太陽のようと母が褒めてくれる金色の双眸を見つめたセリアは、自分の髪に触れるとため息を吐いた。セリアは母と父の色を全く受け継がなかったのだ。
町の者たちのだれもと違う特異な容姿を母と父は気味悪がることなく可愛がってくれる。
それがセリアには嬉しかったし、あんまり卑下することもなくなったが、やっぱり黒は憧れの色なのだ。
いつものように鏡を見ては、肩を落としたセリアは、首を振ると顔を軽く叩いた。それから自分を励ますかのようににっこり笑うと部屋から出て行った。
「いい天気……」
朝食を摂った後、外へ飛び出したセリアは、家の前に広がる花畑に仰向けに倒れ込んだ。
思ったよりも衝撃は少なく、白い花びらが宙に舞った。
どこまでも続く青い空に、白い花びらが幻想的に映える。
思わず花びらに手を伸ばしたが、指先は虚しく宙をかいた。
むせかえるような花の匂い。
地面の香り。
そして太陽の穏やかな日差し……。
すべてが輝いているようだった。
セリアの住むベルンの丘は、町から少し離れた場所に建っていた。
自然が大好きな両親は、この丘から見下ろす景色が気に入って古びたこの家を買ったのだ。赤い屋根が印象的な家は、青い空によく映えていた。
浸るように目を瞑っていたセリアは、近づいてくる足音に気づいて目を開けた。
「セ~リア、こんなところでなにしてるの? もしかしなくても暇?」
眦が下がって愛嬌のある黒目が可愛らしい少女であった。年はセリアとそう変わらないだろうか。セリアと色違いの服を着ていた。
「だれ?」
記憶にない顔に、わずかに警戒を覗かせたセリアの口調が少し堅くなる。
「やっだ~、信じらんない! 大・大・大~親友の顔を忘れちゃったの!?」
子犬のような愛くるしい顔そのままに、きゃんきゃんと吠える少女。
くるくると変わる表情を驚きながら見つめていたセリアの頭の中に、ようやくひとつの名前が浮かぶ。
「ディ、ア……」
「なんだ、覚えてるじゃん」
パッと顔を輝かせた少女は怒ってたのが嘘のように、にこにこと笑った。
「ごめんね、ディア。なんだか頭がぼぅっとしてて」
そうだ。彼女はセリアの親友だ。
冷静になってみるとディアのことが次から次へと思い出される。
ディアの家は兄妹が多く、いつも賑やかだ。セリアの家の隣に住んでおり、いつもその笑い声は風に乗って聞こえてきていた。
周囲に民家が少ないこともあり、ディアの家とは家族ぐるみのつき合いであった。特に年の近いセリアとディアは、まるで姉妹のように仲が良い。
なのに、生まれた頃からそばにいたディアの顔をどうして忘れてしまったのだろう。
「ひっど~い! ま、許してあげる。ねぇ、暇なら町に行こうよ。あたし、買いたい物があるんだ。姉さんたちってば、自分がひとあし先に手に入れたからって自慢してんのよ。許せな~いっ。あたしだって可愛い髪飾りが欲しい!」
首を横に振って三つ編みを激しく揺らし、怒りを表していたディアは、苦笑を浮かべるセリアの手を取ると無理やり立たせた。
「ほら、行くよ」
「ぁ……でも、母さんに言わないと」
「大丈夫、大丈夫! 昼食までに帰ってくればばれないよ。まったく問題なしなし」




