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   その六

「――全く、どうして貴女は私に助けを求めないのでしょうね」


 青年がそう呟いた刹那、明るかった空が一部分だけ見る間に暗雲がたれ込み、閃光が走った。

 黄金の矢は、セリアに群がっていた黒樹(サ・フェ)を一瞬で焼き尽くした。灰となった黒樹が空に散っていった。

 支えを失ったセリアの体が落ちそうになったが、落ちる寸前で青年が手をさしのべた。気を失っているセリアを大切そうに抱いた青年は、無事を確認すると、わずかに安堵したような笑みを浮かべたが、すぐに冷たく瞳を光らせた。


「我が君をこのような目に遭わせるとは……万死に値しますね」


 片手でセリアのかだらを支えた青年は、空いているほうの腕を振り下ろした。 とたん、空に雷鳴が轟いた。

 白金の光が空に走り、そのまま地上へと落ちていく。

 何十、何百という稲妻が途切れることなく地を揺らした。


「ちょっ、名を持たぬ君ってば、やりすぎじゃ……! あそこには霧の一族のヤツらが……っ」


 つい先ほどまで黒々とした森が広がっていたというのに、今や焦土と化した地を見下ろしたグルグリッドが、慌てて止めに入るが、怒りに駆られた青年は、冷笑を浮かべた。


「愚かな虚無の番人よ……あのままふれあいを拒み、永遠を虚無で過ごしていればよかったものを。あなたが不相応に望んだ結果がこうですよ」


 セリアは血だらけで横たわっていた。

 人間であるセリアにとって血がいかに重要であるか、永い時を生きてきたグルグリッドが知らないはずないだろう。


「……けど、オイラは……」


 グルグリッドは苦しげに拳を握った。


「オイラはバティ=ラグさまを……っ」

「それが高望みだというのです」


 青年はセリアの傷を一瞬で癒し、汚れた服を元通り綺麗にすると、壊れ物を扱うかのように抱きしめ、生きていることを確認した。


「神の犬は犬らしく大人しく目覚めを待っていればよいものを。ああ、本当に不愉快です」

「う……ぐぅ、……――!」


 黄金の矢がグルグリッドを貫いた。

 焼けこげた地面に木の葉のように落ちていく細い体。

 けれどこれくらいでは死にはしないだろう。青年が消し去ろうと本気を出せば、グルグリッドを葬ることは容易かったが、神を敵に回すのは厄介であった。なにより、青年が大切に想っている主が悲しむだろう……。

 冷徹に一瞥した青年は、腕の中の〈鍵〉が身じろいだことに気づいて柔らかな笑みを浮かべた。


「我が君……」

「ん……」


 ゆっくりとセリアの目が開く。

 太陽のように目映い金の双眸が青年を捕らえた。


「ぁ……」


 どこか嬉しそうに顔を綻ばせるセリアの頬に手をやった青年は、わずかについていた黒樹(サ・フェ)の残骸を拭った。


「ど……して?」

「私が貴女の危機に気づかないと思っていましたか?」


 くすくすとおかしげに青年は笑う。


「でも、わたし……あなたを怒らせてしまったわ……わたし、勝手に城を抜け出して……」


 セリアは悲しげに顔を歪ませた。


「それが貴女の意志ならば、私に止める権利はございません」


 セリアを見つめる青年はほんのわずかに憂えを覗かせた。


「私は貴女から逃げたのです」

「逃げた……?」


 セリアは小首を傾げた。


「貴女と向き合うことを拒んだ……虚無の番人に聞かされたのではありませんか? 無知な貴女を私は欺いていたのです」

「……」

「だから貴女は私のもとを離れたのではありませんか?」

「ちが……っ」


 とっさに否定しようとしたセリアは、けれどすぐに口ごもった。

 グルグリッドを助けたい気持ちが先走っていたが、結果的に彼を裏切ったことには変わりないのだ。


「違わない……。わたし、あなたのことちょっとだけ信じられなかった。でもあなたはわたしを助けてくれた。何度も……。そんなあなたのことを信じられない自分が嫌だったの。けど、どうして……どうして? わたしにうそなんか……」

「私の身勝手な思惑ゆえです。貴女を傷つけるつもりはなかった」


 青年のセリアを抱く手に力がこもる。


「わたし、わたしね……あなたのこともリンリンのことも、みんなみんな大好きなの。だから、もういいの」

「我が君……?」

「わたしを傷つけるつもりじゃなかったらいいの。わたし、あなたの言葉を信じるわ。だってあなたは救ってくれた……何度も。あなたがいなかったら、ここにわたしはいなかった」

「許して、下さるのですか?」


 セリアはゆっくりと首を振った。


「わたしに許す権利なんかない」

「貴女はお優しいですね。この私も気遣って下さる」

「違う、やさしいのはあなたの方」


 セリアはふわりと微笑んだ。


「ありがとうってずっと言いたかったの……。わたし、あなたにとっても失礼だったから……。ご主人さまを殺したあなたのことを心のどこかで恐れてた。あなたはただわたしを救ってくれただけなのに……。わたし今ね、とっても楽しいのよ。やることを見つけて、それに向かって突き進むことが。なにかをするってとっても大変で辛いことも多いけど、天なる(アル・フェス)にいたころは、こんな気持ち知らなかった。あなたはわたしにちゃんと自由をくれた」

「……いいえ、それは貴女が勝ち得たものです。私は貴女を閉じこめてばかり……」

「そんなことない」


 セリアは青年の言葉を途中で遮った。


「わたし、自分で動くことを知らなかった。だって奴隷であるわたしは、ご主人さまの命令を黙って受け入れなきゃいけない立場だったから。でも、あなたのおかげでわたしは自分で考えて行動することを知ったの。行動しなきゃ変わらないって。ただ待ってるだけじゃ駄目なんだって知ったの。自由になったからね、動けるのよ。それに考えることもできる。考えて、考えて……悩んだり、不安に思ったり、これでいいのかなって思うこともたくさんあった。でもそれってわたしがわたしの意志で歩いてる証拠でしょ。自由を与えてくれたあなたに感謝してる。とってもとっても感謝してるの。あなたがいてくれてよかったって心の底からそう思えるの」


 頬を染め、興奮気味に語るセリアを呆然と眺めていた青年は、自嘲めいた笑みを浮かべ呟いた。


「貴女は変わっていますね。歴代の〈鍵〉の中でも特に純粋で心根の真っ直ぐとしたお方だ。だからこそこんなにも私の心を惑わせる」


 そして信念さえも曲げさせてしまうのだろう。

 グルグリッドたちを排除したなら、今度こそ城に閉じこめておくつもりであった。けれど無邪気で飾らない言葉は青年の胸を打った。

 青年の計画も知らず笑っているセリア。

 彼女は信じる、とそう言ってくれた。

 セリアを謀った青年のことを。

 それを聞いて青年の思いが揺らいだのだ。もしここで裏切ったのならば、もう彼女が一生心を開いてくれなくなることは目に見えていた。

 だって、自由を知った彼女はあんなにも輝いている。

 危険な目にも遭ったはずなのに、闇を宿すことなく、その身は内から光を放っているようだった。

 その光は眩しく、暗い感情を抱く青年には正視しづらいものであった。

 青年は嘆息した。答えなどわかっていた。結局、青年には〈鍵〉の嫌がる……いや、セリアの嫌がることなどできないのだ。

 青年は、碧の片目を柔らかく細めると言った。


「神に会いたいのでしょ? 私がご案内します」

「いい、の?」


 セリアは耳を疑った。青年が神の居場所を知っていると思っていなかったのだ。


「大切な我が君をほかの者に任せるのが惜しくなりました」

「ぁ、でもウィズやロウ……それにリンリンが……」


 青年の言葉に恥ずかしさを滲ませながら嬉しげにはにかんだセリアは、思い出したように呟いた。


「あの者たちならば、休息をとっている最中です。強靱な体力を誇る彼らもさすがに黒樹との戦いに疲れたのでしょう」


 ウィズたちがどうなったか知っているはずの青年は平然と嘘を吐いたのだった。 


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