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   その二

 山の麓は、黒水晶のような色をまとった木々が鬱蒼と生い茂っていた。

 どこか陰鬱な雰囲気が漂う中、鳥にしては野太い鳴き声が響き渡る。

 泥を落とし終え、さっぱりした様子のセリアは、不安げに周囲を見回した。


「大丈夫でやんす。害はないざんす」


 ウィズがポンポンとあやすように叩いた。

 それに安堵の息を吐いたセリアは、にこっと笑ってウィズを見上げた。


「いろいろしてくれてありがとう、ウィズ」

「どうたいしやして」


 ウィズは泥だらけだったセリアのために、簡易の湯殿を素早く作ってくれたのだ。

 セリアがあたたまっている間に服の汚れを落とし、乾かしてくれたようで、衣服にはまだ乾かしたときの温もりが残っていた。


(よかった、きれいになって……)


 小さな珠は、あの争いの中で少しとれてしまったが、それでも服の美しさが損なわれることはなかった。青年が自分のために用意してくれたこの服をセリアは気に入っていたのだ。

 ようやくグルグリッドに会えるかもしれないと、セリアの気が緩んだ刹那、お腹が空腹を訴えるように鳴った。それは決して大きな音ではなかったが、聴力の優れたウィズにはしっかりと聞かれてしまったらしい。

 ぴくっと長い耳を動かしたウィズは、真っ赤な顔で俯いているセリアを見下ろすと、ポンと手を叩きにやぁと笑った。


「夕餉の時間帯はとっくに過ぎたざんす。わちしとしたことが、姫さんには食べ物が必要なのを忘れてたでやんす」

「なにサ、人間って不便だネぇ。いちいち摂取しなきゃいけないの」


 血のようにというよりは、熟した実のように赤い泉から上がったロウは、全身を震わせて水気を飛ばした。水の色が赤かったから、真っ赤な水が飛び散ると思ったが、水は無色透明であった。

 ウィズの手を借りて(ヴァ)(ーヌ)が放った泥を焼いて壊したロウは、なんだかんだと憎まれ口を叩きつつも、彼はセリアたちと行動をともにすることを決めたようだった。

 もっとも一緒に旅をするに当たっては、ウィズとロウとの間に一悶着あったが。

 しかし、味方が多いことには越したことないと考えを改めてか、最終的に受け入れたのだった。


「姫さん、わちしは食べ物を探してくるでやんす。ロウ、しっかり姫さんを守るでやんすよ!」


 すっかり泥を落として身綺麗になったロウに見張りを任せたウィズが森の奥へ消えると、ロウはセリアの隣に腰を下ろした。

 服ごと水の中に入っていたというのに、この短い時間ですっかり乾いているようだった。きっと炎を使って乾かしてしまったのだろう。


「どうして泉は赤いのに、水は透明なの?」

「なんだい、お馬鹿さん。ほんっと〈鍵〉って頭悪いネ。救いようがない。底に紅石が敷きつめてあるから赤く見えるだけで、赤の泉は飲み水にも最適な泉ってワケ。ほら、飲んでご覧よ」


 いつの間にすくったのか、大きな葉には水が乗っていた。

 煤がついたような色の葉っぱが、飲みたい気持ちを半減させるが、親切を無下にもできず、葉を受け取ったセリアは一気に口に含んだ。


「! おいしい……」


 すっと喉をおりていく冷たい水は、どこか爽やかな味がした。


「人間の味覚も捨てたもんじゃないネ。まっ、オレたちよりは劣るだろうけどォ」


 にやにやと笑うロウには、最初に顔を合わせたときのような剣呑さはなかった。口は悪いが、接してみれば悪い人物ではない。

 葉を膝の上に乗せたセリアがちらちらとロウを見ると、何か言いたげな視線に気づいたロウが眉を上げた。


「なんだい、セーア」


 セーア。

 それはロウがつけた愛称であった。真名は滅多なことでは呼んではならないということで、ロウがひねり出したのだ。

 セリアという以外の名で呼ばれるのは初めてで、セリアにはセーアと呼ばれるのがどこか気恥ずかしいと同時に嬉しかった。


「……どうして、名前を教えてくれたの?」


 ウィズの話では、霧の一族で真名を知るのは本人と名付けた者だけだという。それほど真名は大事なものなのだ。


「あはっ、それってかなり今更?」


 馬鹿にしたように嗤ったロウは、小首を傾げた。


「まあ、気まぐれ」

「気まぐれ?」

「そ。それと、姐さん大好きって言葉を信じたワケ。姐さん好きなヤツに悪いヤツはいないし~。最初はサ、姐さんに護ってもらってる甘ったれのガキだと思ってかなりムカついたけど、〈鍵〉にしたらなかなか根性あるほうだし~? ま、真名を交換しちゃったら、手ぇ出せないジャンって感じ」

「ウィズがほんとうに大好きなのね」


 にこにことセリアがそう言うと、ロウは片方の眉を心外そうに持ち上げた。


「姐さんはオレにとって絶対なの! オレは姐さんに育ててもらったモンだし。だから姐さんがオレを置いて名を持たぬ君のとこへ行ったって聞いて、もんのすごく腹が立ったワケ。姐さんってばいっつもそうだし。勝手に決めて、勝手に行動する。ホント、オレたちの中では異質な存在。だけど、だからカッコイイんだけどサ」


 照れたように笑ったロウは、セリアがじっと見つめているのに気づくと、フンッと鼻を鳴らした。


「ってまァ、未熟なセーアにはわかんないだろォ~けど。セーアはどうなんだよ。名を持たぬ君をどう思ってるワケ? わざわざ離れてさ。信じられない。あ~あ、名を持たぬ君が可哀想。恋い焦がれた〈鍵〉に相手にされないでサ」

「わたし、好きよだ。……大好きだもん。だって、あの人はわたしのこと助けてくれて、とっても感謝してるの」


 そっと睫を落としたセリアは、そう応えた。


「じゃあ、なんでここにいるのサ。虚無の番人なんかどうでもいいジャン」

「……ッ、よくない!」


 思わず声を荒げると、驚いたようにロウが瞬いた。

 それにハッとわれに返ったセリアは、気まずそうに視線を逸らした。


「……ちっともよくない。リンリンを見捨てたら、わたし、とっても恩知らずだわ。わたしだけ幸せに暮らしてもちっとも楽しくない……。それにね、約束したの。神さまを目覚めさせるって。そのためには、リンリンがいないと駄目なの」


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