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第七章 其は、光を宿す その一

 城の最上階に住まう青年は、静寂が支配する一室で佇んでいた。太陽の光が入り込まぬよう閉ざされた部屋を光り苔の明かりが幻想的に浮かび上がらせる。セリアの部屋とは違い、必要最低限以外の家具がいっさいない部屋はいささか殺風景であった。

 青年は壁際に置かれた大きな銀の壷を覗き込んでいた。

 そうしてから一体、どれほどのときが過ぎただろう。

 彼はずっと飽きることなく見つめていた。けれどその表情は決して穏やかではない。どこか切なげに細められた視線の先には、大切な主人の姿があった。

 命に関わる危険がない限り手を出さないと決めたはずであったが、大切な主人に触れる虫けらの存在が酷く癇に障った。


「なぜ、満足してくださらないのでしょうね……」


 いつだってそうだ。

 彼が愛する主人はみな、彼以外に目を向ける。

 創造主バティ=ラグによって創り出された青年は、虚無の番人よりも遙かに永い時を生きてきた。神が人間の愚かな振る舞いに絶望し、〈鍵〉制度なるものを編み出したとき、忘れられた地も創造した神は青年に命じた。

〈鍵〉を主人と仰ぎ、その身は生涯忘れられた地と共に在るようにと。

 その頃の青年は、感情のないただの人形だった。いくらバティ=ラグに深い愛を注がれようと、それが心に響くことはなく、ただバティ=ラグの望む通りに動くことしかできない人形であった。それを憂えたバティ=ラグが、あえて青年に重大な使命を背負わせたのだ。

 バティ=ラグの命令通り、それから青年は何人もの〈鍵〉を主人とし、世界の破壊と誕生を見てきた。

 慈愛に満ちた穏やかなバティ=ラグとは違い、人間である〈鍵〉は感情豊かで、行動的であった。

 そんな〈鍵〉を見守っていた青年も感化されたようにしだいに変化が訪れた。

 まるで、主従という関係によって、己の存在価値を見いだしたかのように、青年は〈鍵〉に対して並々ならぬ想いを抱くことになったのだ。

 唯一の主に仕える喜び。

 それは、崇高な立場にいるバティ=ラグに対してはとうてい抱くことのできない感情であった。

 けれど、青年が焦がれた主人はみな、最初こそ青年の美しさに目を奪われ、支配する立場に酔いしれていたが、欲は欲を生む。

 青年によって世界の成り立ちを教えられた〈鍵〉はしだいに野心を抱き、自分ならばもっとよい世界を創れると忘れられた(ドゥワール)を飛び出して行ったのだ。欲に溺れた〈鍵〉が青年のことを二度と思い出すことはなかった。


 だから青年は考えたのだ。

 〈鍵〉である主人がずっと自分の元にいてくれる方法を。


 忘れられた地に縛られた青年には、主人もまたこの地に縛り付けることでしか、そばにいることができない。

 唯一の例外は、新しい〈鍵〉を青年が迎えに行くときだけだ。

 それ以外は、どれほど青年が望もうと、誓約のせいでこの地を離れることができなかった。

 セリアの前にも破壊だけを願った〈鍵〉がいたが、彼女は願いを叶える前に精神を病み、永遠を求め、虚無に堕ちて死んだ。だからこそ青年は過ちを繰り返させないようセリアに余計な知恵を与えず世界を破滅させるよう言葉巧みに導いたのだ。


 世界がなければ主人はずっと自分のモノになるはずだった


 青年にすがり、溺れ、自力では立ち上がることすらできない存在となるはずであった。


 けれど実際は――。


 純銀の壷の中には、透明な水がたゆたっていた。

 光り苔の緑色を宿しながら、映し出すのは新しい〈鍵〉の姿であった。彼女がウィズを伴って部屋から出てからずっと水鏡(ドゥール)で行動を見守っていたのだ。


 もしその顔が辛そうに歪んだのなら、

 もし彼女が青年を求めたのなら、

 すぐに駆けつける覚悟であった。


 けれど新しい〈鍵〉は、青年を頼らない。


 痛い目をみても、涙を流しても、進むことを止めない。


 青年が新しい〈鍵〉を見つけたとき、自由を知らない籠の中の小鳥であった。 行動することを知らず、ただ従順に従う憐れな小鳥。

 なのに――。


「貴女は知ってしまった……」


 自ら動くことを。

 縛られることのない真の自由を。


 ウィズと霧の一族の若者に挟まれて楽しげな様子のセリアを冷めた目で見つめた青年は、そっと眼帯に触れた。労ってくれたのは彼女が初めてではなかった  が、ほかの〈鍵〉は青年の美貌が損なわれるとあまりいい顔をしなかった。

 純粋に心配してくれたのは彼女だけだ。だからこそ余計に失いたくないと思うのかもしれない。

 やさしく、臆病で、脆弱な人間の子。

 これまでの〈鍵〉の中でも最も幼く、無知な少女。

 だが、彼女は庇護されるだけの状況を拒んだ。歴代の〈鍵〉と同じように。

 邪魔をするのは簡単だ。

 けれど青年がいくら邪魔をしようと、彼女が〈鍵〉である限り、いつかは望みを叶えるはず。

 現に彼女は(ヴァ)(ーヌ)を変えた。本人は気づいていないようだが、泥人に意志を与え、個性を作らせたのだ。もう泥人を罵る者はいないだろう。泥人に知能がつけば、それこそ霧の一族の若者を容易く封じるくらいの力はあるのだから。

 そして、彼女はもっと多くを変えていくだろう。

 この不変の世界を……。

 いや、その前に新しい世界を創って忘れられた(ドゥワール)を離れていくかもしれない。


「また、私は新しい〈鍵〉を待つのでしょうね……」


 今の〈鍵〉がいなくなれば、また新たな〈鍵〉を待つだけの日々。


 そうやって今まで過ごしてきたのだ。

 なのに、どうしてだろう。

 こんなにも塞いだ気持ちになるのは。

 ほかのだれにも感じたことのない執着心。


 青年は否定するかのようにゆるりと首を振った。

 そんな感情は邪魔なだけだ。もうすぐ彼の主人は忘れられた地からいなくなるのだから。


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