その四
一方、ロウに投げ飛ばされ落ちたセリアは、衝撃に喉をつまらせはしたが、泥人が下敷きなったようで、奇跡的にもたいした怪我はなかった。
慌てて泥人の上から退いたセリアは謝ったが、ぺしゃんこになった泥人は動かなかった。泥の体は水気を含んでいて、セリアの髪や服も汚れてしまったが、構わず崩れた体に触れた。冷たく湿った感触が指先に伝わる。
「わたしの、せいで……」
泥人を見つめるセリアの双眸が潤む。
たとえ人ではないかろうと、セリアは殺してしまったのだ。
罪なき命を奪ってしまった。
自分が助かる代わりに……。
痛ましく思っているセリアに比べて、周りの泥人は仲間が死んだというのに関心がないようだった。
いや、死んでいることすら気づいていないのかもしれない。なにをするわけでもなく、ただ歩き回っていた。
彼らにはみな、顔らしき頭部には両目と思われる空洞があったが、どれも同じような姿形をしていて見分けがつかなかった。
「どうして……」
彼らに知能がないことはセリアにだってわかった。命が宿っているといっても、ただ動いているだけの彼らに、果たして生きていると言えるのだろうか。
意志もなく、言葉も発せず、黙々と歩き続ける彼ら。
地を踏む音だけが雑音めいた音楽のように広がる。
それがとても空虚に感じられて、セリアは目の縁に盛りあがっていた雫が、すっと頬を伝い、命を失った泥人に吸い込まれていく。
「生きてるのに……」
こんなのはおかしい。
セリアは彼らがどうやって生まれ、どうやって過ごし、どうやって死んでいくのか知らない。
彼らが不幸だと感じているのかもわからない。
けれどセリアの目に映る彼らが幸せだとはとうてい思えなかった。
「感情があったらいいのに……あなたたちも人のような心や知識が……そしたらもっと楽しく見えるのかな……」
そう切なく零した刹那、潰れていた泥人がキラキラと光に包まれた。
セリアの涙を吸って濃くなった部分から輝きが広がり、全体を包んでいく。そしてその光は更に大きくなり、そばにいた泥人のすべてを覆った。
光の渦を見上げたセリアは慌てて手の甲で涙を拭いて呆然とした。
「な、に……?」
「ア…、トゥ……」
雑音めいた声がそばから聞こえた。
ハッとしてそちらに顔を向けると、そこには潰れていた泥人の姿があった。見る間に赤黒い泥が人型の形をつくっていく。四角い頭部には、空洞の両目のほかに、大きめの穴があった。その穴がゆっくりと動く。
「……リ…、ガ、ト…」
泥人はゆっくりと立ち上がった。
「ぇ……」
ありがとう。確かにそう聞こえた。
セリアの倍以上ある巨体を見上げ、セリアは耳を疑った。
喋った。今、確かに喋ったのだ!
しかも生きている。死んでいたと思っていたが、生きていたのだ。
「話せる、の……?」
ぱちぱちと瞬いたセリアは、目を輝かせた。
「アナタ、オカゲ……」
「わたしの……?」
セリアには意味がわからなかった。
セリアはなにもしていない。したのは、目の前の泥人を潰してしまったことくらいだろう。
「カンガエル……デキル……」
平坦で聞き取りにくい声であったが、セリアには不思議とはっきり聞こえた。
セリアが見回すと、すでに光は収まり、泥人たちは動くのを止めていた。どことなく彼らの姿が違うような気がする。さっきまでは全く同じに見えていたが、今は少し細かったり小さかったりと個性が出来ているのだ。
戸惑うように太い首を動かしている泥人や嬉しそうに腕を振り上げる泥人など、確かな変化が起きているようだった。
(光のせい……?)
きっとあの光がなにかしたのかもしれない。それはとても不可思議な出来事ではあったが、セリアは嬉しくなった。
けれどそんな喜びも爆音を聞いた後、見事に飛んだ。離れた場所で砂煙が上がっている。あそこにはウィズとロウがいたはずだ。
駆け出そうとしたセリアを泥人がふわりと持ち上げた。
「イク」
「でも危ないわ……あなたの仲間みたいに……」
きゅっと唇を引き結んだセリアは、口にするのをためらうように視線を揺らした。
彼の仲間はロウに殺されたのだ。さきほどまでの泥人にはわからなかった痛みも、感情の宿った泥人には辛く感じるかもしれない。
だが、泥人は怯まなかった。
「コワイ、ナイ。ウー、ツチ、カエル……マタ、ウマレル」
泥人は、人間のように死を恐れていないようだった。土から生まれる彼らは、死んでもまた土の中から生まれるから大丈夫だと言いたいのだろう。
驚いているセリアを肩に乗せた泥人は、歩き出した。それに続くようにほかの泥人たちも動き出した。
地を揺らしながら泥人の群れが歩いていく。
激しい揺れに傾ぎそうになるが、大きく冷たい土の手がセリアの体をしっかり包んでくれた。
「ウィズ!」
砂煙が引くと、四肢を切断され、薄汚れた格好のウィズが目に入った。思わず口を両手で覆い絶句する。生きているとは思えなかったのだ。
その横ではロウが平然と立っていた。セリアたちに気づくと、口笛を吹いた。
「あはっ、木偶の坊を飼い慣らしたんだ。無能な〈鍵〉のわりにやるジャン」
「あなたがウィズを……っ」
セリアの胸は怒りと悲しみと悔しさではち切れそうだった。どうしてここまで酷いことができるのだろう。
「でも、まっ、数があってもオレの相手じゃないけどネ」
泥人は火に弱い。命というべき水気を吸い取られれば、乾いた土となって消えていくしかないのだ。炎の攻撃を得意とするロウには、勝機がみえていた。
ロウは炎の球を泥人たちに投げつけた。が、今度は泥人も黙ってやられなかった。口らしき空洞から大量の泥水を吐き出すと、炎の球を包み込み、消し去ってしまったのだ。
「な――……っ」
絶句するロウに、泥人たちは次々と泥水を浴びせる。ねっとりとしたそれは、ロウが避ける間もなく絡みつき、自由を奪った。
「クソッ、なんで泥人にこんな力が!」
泥にまみれ、もがくロウ。形勢逆転となっても口だけは元気だった。
下ろしてもらったセリアは泥人に礼を言ってから、ウィズのもとに駆け寄った。正視するのも辛いほど変わり果てた姿に、セリアの体が小刻みに震えた。
「ウィズ……ごめんね、わたしのせいで……」
ウィズの顔についた汚れを袖で丁寧に拭い、頭を抱き寄せて謝った刹那――。
「姫さんのせいじゃないざんす」
これにはセリアもびっくりして、頭を地面に落とすところであった。よくみれば、目はぱっちりと動いており、苦痛の色などなかった。
「姫さんにお願いがあるでやんす。わちしの両腕と両足をくっつけてくだせぇ。なぁに、ただはめるだけでよござんす」
あっけらかんと言うウィズに半信半疑ながらも人形の腕や足のように転がっている肉片を拾うと、息を凝らしながら切断された箇所に合わせていった。血もなく、綺麗に切断された断面は、人間の体と違って真っ白であった。骨もなく、血管もない不思議な体。
セリアが傷口に肉片をくっつけると、すっと切り口が消えていき、まるで切断されていたのが嘘のような状態となった。両腕と両足をすべて完了すると、ウィズは元気に立ち上がって調子を確かめた。
「ふむ、良好ざんす」
ゆっくりと安堵の息を吐き出し、深く深呼吸したセリアは、戸惑ったように視線を揺らした。
「どうして……」
セリアの訊きたいことを察したのか、ウィズはにやぁと笑った。
「霧の一族は首を切り落とされない限り無敵ざんす。くっつける部位をなくしてもしばらくすれば生えてくるでやんす」
「生えて……?」
きっと忘れられた地では、セリアの住んでいた世界のような感覚で
測ってはいけないのだろう。ロウによって焼かれた右足も治っているようだった。




