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第一章 其(そ)は、誘(いざな)う者 その一

 その日、セリアは女になった。

 一人前の女だ。

 十四になったばかりのセリアは、やっと体の線が柔らかくなり、胸もふっくらとしはじめた頃だった。


「まあ、セリアさま、おめでとうございます」


 セリアの世話をしにやって来た若い侍女は、一人前の女になった(しるし)に気づくと嬉しそうに微笑んだ。

 女にとって、女神の血は慶事。女神の血を流せば子供を産めるようになり、扱いも少女から一人前の女と見なされるようになるからだ。

 そしてまた、結婚もできるようになる。セリアが生まれ育った腐敗の(アル・クルト)では、それこそ今のセリアより年下の少女が年長の男の元に嫁ぎ、子をもうけることも珍しくなかった。

 けれどセリアにとってはめでたくもなんともなかった。


(どうして……、わたし、まだおとなになんてなりたくないのに……っ)


 セリアの暗澹たる表情とは正反対に、若い侍女は嬉々として湯浴みの準備をし、セリアの体を清めていった。

 若い侍女とは、年が近いせいもあってかそれなりに会話を交わす仲であった。この屋敷の中で、セリアを奴隷として見下すことなく接してくれるのはドーナンのほかに彼女だけだ。それでも彼女にここ数日の憂いを口に出すことははばかられた。


 セリアが新しい寝間着に袖を通し寝室に戻ると、汚れた敷布は片付けられ、新しいものが敷かれていた。その上に、色鮮やかな花びらが散らばっていた。赤・黄・青・紫……。色も形もすべて違うみずみずしい花弁が視界を埋め尽くす。

 立ち止まったセリアを訝しく思ってか、若い侍女が手を取って前へ進むよう促した。

 侍女に引っ張られるように寝台へと続く花道を歩くと、嫌でも目に入ってくる装飾が眩しい。金糸や銀糸を織り込んだ絨毯の上を摘んだばかりの生花が彩っていた。

 まるでセリアがはじめてこの屋敷に来たときのような華やかさであった。

 けれど、今のセリアにその美しさも心には響かない。

 感動の薄いセリアを一瞥した若い侍女は、何も言わずてきぱきとした動作でセリアを寝かしつけた。


「旦那さまにご報告いたしませんと」


 若い侍女の言葉に、セリアの体が小さく震えた。

 若い侍女が揚々と立ち去ると、言いしれぬ不安がセリアを襲った。胸が激しく鼓動を打つ。

 花の香に包まれた薄布をひっぱり、体に巻き付けた。震える体は、寒いのではない。額に浮かぶ汗も、気分が悪いからではない。

 ただ――怖いのだ。

 主人であるドーナンに会うのが怖いのだ。

 ドーナンはいい人だ。自堕落な生活を送っている証のように豊満な体をしているが、丸く膨らんだ顔は、穏和で年を感じさせない若さがある。六十まで独身を貫いてはいるが、女嫌いというわけではないらしい。セリアを実の娘のように慈しんで愛してくれるのだから。

 彼は、セリアを着飾らせることになによりもの喜びを感じているようで、毎日着ても余りある絹の衣装や意匠を凝らした宝石の装身具。羽のついた帽子や扇、刺繍入りの白手袋など、毎日のように常世の(アル・ドラーナ)の職人に特注で作らせていた。

 そうしてセリアが可憐に装った姿を何人もの画家に描かせて、それを屋敷中に飾っているほどである。広い屋敷の廊下という廊下、回廊という回廊にはセリアの肖像画が掛けられていた。

 もちろんドーナンの部屋は度を超してすごい。隙間なく彼の部屋を埋め尽くしているのはセリアの幼少の頃よりの絵画だ。天井には直に描いたようで、まだ連れてこられて間もない頃のやせ細ったセリアの姿が天井いっぱいに広がっていた。

 ドーナンからめいいっぱい愛情を注がれ、奴隷であるセリアにはこれ以上望むものがないほど恵まれた暮らしをしている。 

 腐敗の(アル・クルト)の住人だけでなく、常世の地の住人だって今のセリアの生活を羨み、成り代わりたいと切望している者は大勢いるだろう。

 それは重々わかっていたが……。


「セリア。わしの愛しい子」


 ふいに耳に入ってきた男の声。

 薄布にくるまれていたセリアは、ドーナンが寝室に入って来たことにちっとも気づかなかった。


「どうした、まだ具合が悪いのか? それともわしが見舞いに来なかったからすねているのか? おお、それならば悪かった。どうしても急ぎの用があったのだ」


 セリアは返事を返さなかった。どうか体が震えているのにドーナンが気づきませんようにとそればかりを祈っていた。


「眠ってしまったのか……せっかく祝おうと思ったのにのう」


 残念そうに声を落としたドーナン。どうやら起きていることに気づかなかったらしい。

 セリアはほっとした。

 けれど、ぎしっと寝台が音を立てたのに気づいて、体に緊張が走る。


「セリア……」


 どこか熱がこもった呼びかけが耳を通り過ぎていく。

 薄布の上を大きな手がはい、膨らんだ部分をなぞるようにゆっくりと動く。

 その感触が吐きそうなほど嫌だった。セリアは歯を食いしばり、きつく目を瞑った。

 そうして息を殺してじっとしていると、手はいつの間にか離れ、ドーナンも去っていた。

 耳を澄まし、彼がいないのを確認してから、ゆるりと息を吐き出した。

 動揺を紛らわすかのように額に触れたセリアは、爪を立てそうになってあわてて引っ込めた。ドーナンはセリアの体が傷つくことを酷く嫌うのだ。擦り傷でも作ろうものなら、そのときそばにいた罪なき使用人を簡単に殺めてしまう。

 これまで何人の使用人が姿を消しただろう。使用人たちはそれに気づいているはずなのに、何も言わない。

 この屋敷ではドーナンが唯一の支配者なのだ。

 支配者をいさめる者はだれもいない。


(助けて……だれか……)


 この世界に願う神などいない。

 天なる(アル・フェス)の住人こそが神なのだから。

 その神のもとから救い出して欲しい場合はだれに願えばよいのだろうか。

 セリアにはわからなかった。


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