その三
「だめ! ウィズを傷つけちゃだめ!」
ウィズの腕の中から飛び出したセリアは、ウィズを守るように両手を広げた。
「はア~? 邪魔だよ」
虫けらを見るように蔑視したロウであったが、何かに気づいたように目を細めると、すんっと小さく鼻を動かした。
「なんだ? 変な匂い……。甘い蜜のような……」
「姫さんっ、下がるでやんす」
片足で立ち上がったウィズはセリアを己の背に隠そうとしたが、焼きただれた右足を目に入れたセリアは首を振った。
「だめっ、だめ! 怪我、してるのにっ」
「こんなのすぐに治るでやんす。ロウの側に近づいたら危ないざんす」
ウィズは嫌がるセリアを無理やり背に隠すと、ロウが双眸を妖しく光らせた。
「はは~ん。人間か! お城が愉しげな色してたから、〈鍵〉がいるとは思ったけど、ホンモノに出会えるなんてネ」
セリアは知らないが、忘れられた地では人間の体臭が甘く香ることがあるのだ。嗅覚の鋭いロウは、さきほど体を寄せたときに気づいたのだろう。
「聡い男は嫌われるざんす」
苦々しく吐き捨てたウィズに構わず、一瞬でセリアの背後に回ったロウは顔を近づけた。
「これは食べたくなる香りジャン。一族の連中が血肉を求めるのもわかるっていうかァ~」
「ロウッ」
ロウからセリアを遠ざけたウィズはロウを睨めつけた。
「もし姫さんに何か遭ったら主殿が黙ってないでやんすよ」
「名を持たぬ君が~?」
ぶはっと吹きだしたロウは、にやにやと下卑た笑みを浮かべてセリアを見た。
「〈鍵〉も不運だね~。あの方が求めているのは唯一無二だっていうのに、〈鍵〉が求めるのはいつだって自分の望み。だァれもあの方の望みなんて気づかない。だからみんな消えていく」
「ロウ!」
「あはっ、だって姐さんホントのことジャン。あの方は世界を壊すことで唯一無二の存在を手に入れようってしてんのに――ッと」
「閉じられない口なら、いっそないほうがいいざんす」
にやぁと笑ったウィズの爪が異様に長く伸びていた。刃物のような鋭く光る爪の先はせわしく動くロウの唇に当てられていた。
しかしロウは余裕の顔で、目を見開いているセリアを指さした。
「ほ~ら、姐さんのだいじ~な〈鍵〉サマが引いてるよ。野蛮で短気なのは一族譲りってネ。アッ、ちなみにオレはロウ。でも〈鍵〉なんかに通り名であっても呼ばれたくないから呼ばないでネ」
つまり仲良くするなと言外に言い放つロウに、爪を引っ込めたウィズが容赦なく殴った。
こん身の力を込めてもそこはロウ。ウィズと同じように鋼の肉体を持つロウはよろめきもせずただ不服そうに拳を享受していた。
「ロウはこんなところで何してるでやんすか」
「なにって暇つぶし。だってホント暇なんだよ。仲間はみんなよわっちいし。姐さんのマネして暇つぶししてたんだけど、そろそろ泥人を壊すのも飽きてきたところ」
「ヴァーヌ……?」
聞き慣れぬ名前にセリアが首を傾げた。
ウィズが口を開くよりも先に掌に炎の球を宿したロウが、離れた場所でウロウロしている赤黒い塊の集団に向かって投げつけた。
「あそこにいるのが泥人。低能で、ああやって動き回るしかできない連中のことサ」
炎の球は赤黒い塊に当たると瞬く間に燃え上がり、塊を呑み込んだ。
「姫さん、見ちゃ駄目でやんす」
とっさにウィズがセリアの目を右手で覆い隠したが、セリアの目には炭と化し、ボロボロと崩れ落ちていく姿がはっきりと刻まれていた。
「ロウ、どういうつもりでやんすか!」
「あっれれ~? 姐さんがそれを言うの~?」
にやにやと嗤ったロウは、ウィズの左の手から伸びる長い爪を器用に避けながら愉しそうに続けた。
「オレよりもっと残酷で、もっと残忍な方法でいたぶってた姐さんが?」
「……ッ」
ウィズの両目がぎらっと光った。
「おおっ、こわっ! なにをとち狂ったか知らないけどさあ、こ~なんちんけな〈鍵〉の相手なんかしなくていいジャン。この世界を治めるあの方に仕える気持ちならわからなくもないけど、この世界からすぐいなくなる〈鍵〉なんか護ってなんになるのサ」
嘲るように吐き捨てたロウに、ウィズが眦をつり上げたが、手を出すことなかった。セリアに対する暴言にぎりっと歯ぎしりしながらも、穏便にすますほうを選んだようだった。
「……姫さん、ロウは放って先に進むでやんす」
セリアを抱え上げようとしたが、それよりも速くロウが動いた。
ウィズに庇われるセリアの腕を楽々と掴んだロウは、そのまま持ち上げた。
「いた……っ」
筋が伸び、痛みに顔を歪めるセリア。
じんわりと涙目になるセリアに構わず、ロウは泥人の集団に向かってセリアを投げ入れた。
「お~、いい距離いったジャン。さっすがオレ!」
「姫さんっ」
ウィズが駆け出そうとするが、ロウがすっと手を斜めに走らせた。
とたんに風が刃物となってウィズの両足をざっくりと切った。
均衡を失った体が乾いた地面に落ちる。
「あはっ、ぶっざま~。その体たらく、長老が知ったらなんて言うかな~。やっぱ群れを離れたせいだって糾弾するんジャン?」
「ロウ……ッ」
憎々しく通り名を口にしたウィズの瞳孔は開き、怒りに満ちていた。
一瞬、傷ついたような光を双眸に走らせたロウは、不服そうに唇を尖らせた。
「なんだよ。姐さんが悪いんジャン。霧の一族を捨てたんだからサ。オレ、すっごく退屈で寂しかったんだよ。姐さんより強いヤツなんて、いないんだから。ネ、だからさァ、久しぶりに相手してよ」




