その二
太陽が少しずつ隠れていく。
そのことに気づいたウィズは、周囲に素早く視線を走らせた。
もうすぐ、闇の住人が動き出す頃だ。光を嫌う彼らは、太陽が雲に覆われた時分でないと地上へと出てこられないのだ。
セリアを小脇に抱えて疾走していたウィズは、ちょっと立ち止まるとセリアを下ろした。
不思議そうな顔をしているセリアに背を向けると、しゃがみ込み、背中に乗るよう言った。
「いいざすんか、姫さん。何があろうと決してわちしから離れたら駄目ざんす。しっかりとその細腕で、わちしの首に捕まっておくんなせぇ」
「は、はい」
気圧されたように返事をしたセリアは、振り落とされないよう首にめいっぱい手を回した。
ちゃんと言われたとおりにしているセリアに、褒めるようににやぁっと笑ったウィズは、立ち上がると再び走り出した。
生物の存在しない荒野をウィズは矢のように走っていく。
「あ、待って! ここだわ! きっとそう」
ある一点に目を向けたセリアが声を上げた。
「目的地に到着でやんすね」
セリアの記憶を頼りに広大な大地を駆け回っていたウィズは、それでも呼吸ひとつ乱さず、立ち止まった。その顔色は涼やかであったが、わすがに緊張に強ばった顔で、警戒するような視線を周囲に走らせていた。
けれどそんな態度のウィズに気づくことなく、首を伸ばしたセリアはきょろきょろと視線を動かした。
五カ所目でようやく探し当てたのだ。青年がえぐった地面のおかげで、ここだという確信を持てたのだが、グルグリッドの姿はどこにもなかったのだ。
「どこにいったんだろう……」
「変ざすんすねぇ。周辺の蔦守はあらかた消え去ったようでやんす。ほかに人型の生き物を喰らおうなんて馬鹿なモンは、まだいないはずざんすが」
「リンリン……」
グルグリッドを案じるように名前を呟いたセリアに、ウィズが言った。
「姫さん、そろそろ城へ戻るざんす」
ウィズは、落ち着きなく太陽と地面に目を配っていた。太陽は半分以上が雲に覆われていた。完全に隠れるまでそう時間はかからないだろう。
けれどセリアは頑強に首を振った。
「お願い、あそこに……あの山の間に行きたいの。もしかしたらリンリンはそこにいるかもしれない」
セリアの願いに、ウィズはさすがに難色を示した。
だがセリアは諦めなかった。
前までのセリアだったら願いを口にするのもはばかっていただろう。けれど、今のセリアにはグルグリッドを助けたいという強い思いがあった。
「……わかったでやんす。わちしは今、姫さんのお世話係。姫さんの願いはなんだって叶えるざんすっ」
ウィズは何かを吹っ切るように鼻息荒く叫ぶと、再び走り出した。
しかし、山の麓まであと少しというところでウィズが突然後ろに飛んだ。
予期しなかった行動に驚いたセリアの腕が反動で離れる。
それに気づいたウィズの行動は早かった。地面につく寸前でセリアの体を素早く抱え上げた。
シュワシュワと紫色の煙が地面の穴から薄暗い空へ伸びる。その中からいくつもの影が浮かび上がった。
「起き出したでやんす……」
苦々しく吐き捨てたウィズは、『夜』となった世界に鋭く視線を走らせた。
ドンドンッと何かを叩いている音が聞こえる。
それは徐々に大きくなる。
セリアは思わず耳を塞いだ。
ウィズも顔をしかめ、長い耳を器用に丸めて塞いだ。
「ニオうぞ~、ニオうぞ~」
「シンニュウシャだ」
「オレたちのナワバりにハイりこんだ」
煙の中からずんぐりとした体型の生き物が姿を現した。
顔は四角く、全身が剛毛で覆われていた。
まるで二本足の獣に人間の血をほんの少し混ぜたかのような容貌であった。布きれはまとっておらず、その手には真っ黒なこん棒が握られていた。
続々と姿を見せる彼らは、殺気だった様子でウィズたちを取り囲んだ。
セリアを守るように強く腕の中に抱きしめたウィズは、大声で叫んだ。
「大人しく通すでやんす!」
けれど叩く音に紛れてその声は届かなかったようだ。
舌打ちするウィズとは対照的に、彼らはこん棒を構えて襲いかかってきた。セリアを抱えたウィズは跳躍すると彼らの頭を踏んづけて走った。
背後からは悔しがる声が聞こえてくるが、耳を塞いでいるセリアたちは気づかなかった。
ウィズの顔から笑顔が消え、四方の気配を探るようにまとう空気がどこか鋭利さを帯びた。青年からセリアを一任されたこともあり、ウィズの頭にあるのはセリアを『守る』ということだけだった。
ウィズは城に仕える者の中では新参者だったが、戦闘能力は極めて高い。ウィズが特殊な一族の血を引いていることもあり、あの城で彼女に勝てる者は主である青年しかいないだろう。
だが、城仕えとなったから緊張感のない毎日を享受しすぎたせいか、ウィズの反応はどこか鈍い。臨戦態勢に入れるまであと少し時間がかかるだろう。
ウィズが思わず舌打ちしそうになったそのとき、右足を灼熱が襲った。
「く……っ」
ウィズは倒れる瞬間、とっさにセリアを潰さぬよう体をひねったため、背中を地面に強く打ちつけた。
「よォ、姐さん。なんか愉しげなことしてるジャン。城仕えって愉しそうだぁネ」
「ロウ!」
顔をしかめていたウィズの目が見開かれ、丸めていた耳がぴんと伸びた。
ロウと呼ばれた青年は、枯れ果てた大木にもたれかかっていた。見た目はウィズのように耳が長く、青白い肌をしていた。紺のような深い色の髪を首に巻き付け、肉食獣のような鋭い目を愉しげに細めた。
「一族を抜け出してたどり着いたのが子守ってワケ? あはっ、それってか~なり失礼ジャン?」
物騒な雰囲気をまとったロウがウィズに近づく。
「なぜここに……」
ロウがこの場にいることが信じられないと目を見開くウィズ。
ウィズの一族は、めったに群れを離れることはない。
数多の掟に縛られているせいか、一族の束ね役である長老の言葉に従い、生涯をその群れの中で過ごすのが普通であった。
ウィズのように一族を飛び出し、青年に仕えているほうが稀であり、異質だったのだ。




