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第六章 其は、道しるべ その一

 セリアが鍵のかかった扉に手を掛けようとしたそのとき、扉を叩く音がした。


「は、はいっ」


 思わず裏返った声で返事をすると、そこには湯浴みを手伝ってくれた女性がいた。

 この城で働く使用人のうちのひとりだという。

 グルグリッドと同じ長く伸びた耳を持つ彼女は、青白い肌に、首に巻かれた青みがかった黒髪が魅力的の女性であった。

 この世界に来てから、青年とグルグリッド以外に初めて見た人物だ。


「ウィズ……」


 セリアは呟いた。

 ウィズというのが女性の名前であった。

 これももちろん真名ではなく、通称のようなものだった。

 見た目は二十五歳前後のようだが、この世界に住まう者たちは、人間よりもずっと長く生きられることができるらしく、外見と年齢は一致しないという。

 ウィズも若々しい容貌からは想像できないほど長い時を生きているらしい。


「はいは~い! お呼びでやんすか、姫さん」


 にやぁと歪めた口元から鋭い牙が覗く。

 最初こそ怯んだセリアだったが、ウィズの明るさは今のセリアにとって救いだった。


「どう、したの……?」

「んん? ああ、これはこれは。用があったのはわちしでやした。実は、姫さんのお世話係を新参者のわしちが主殿から頼まれたでやんす」

「え……」

「というわけで、これからよろしゅうおたん申しやす」


 にやぁと笑った顔は、とても親しみがもてるものではない。

 鋭い牙といい、縦長に伸びた瞳孔といい、どこか気味の悪さが漂うが、もしかしたらこの地ではウィズのような姿が普通なのかもしれない。

 青年はセリアと同じような人間の姿をしていたから、忘れられた(ドゥワール)もイ=バールのような者たちが住んでいると思ってしまうのだ。グルグリッドも耳さえ短ければ、人間だと思いこんだだろう。


「ぁ、こ、こちらこそ……」


 慌てて返事を返したセリアだったが、なんだか胸の中にぽっかりと穴が空いたようだった。


(わたしのこと、イヤになっちゃったのかな……)


 そう考えると、なぜか胸が痛んだ。

 寂しくて、悲しくて……。

 心が沈む。

 彼に対してほんの少し不信感を抱いたセリアだったが、やはり自分をドーナンから助けてくれた青年のことは慕っていたのだ。


「具合でも悪いざんすか? 治癒師(アーウェ)でも……」

「ち、違うの。なんでもないの……」


 大変だとばかりに駆け出そうとしたウィズの袖を掴み、必死に否定した。


「そうでやんすか? なにかあったらすぐ、わちしに言ってくださいな。ど~んとお任せでやんす」


 力一杯胸を叩いたウィズは、強く叩きすぎてか、ゲホッと咳き込んだ。

 セリアはそんなウィズを見上げ、迷った。

 グルグリッドを助けに行くと言ったら止められるだろうか。

 セリアはちらちらと伺うように見つめていると、その視線に気づいたのか、ウィズが明るく問いかけた。


「どうしやした」

「あ、あの……」


 こくんと唾を飲み込んだセリアは、きゅっと拳を握りしめ、ウィズを見上げた。


「わたし、外に行きたいの」

「外、でやんすか……」


 ウィズが唸りだした。


「主殿はきっと、絶対、天地がひっくり返ったってお許しにならないざんすね」


 予想通りの受け答えにセリアが表情を曇らせると、ウィズはぴんと張った耳をしゅんと折った。

 どうにかしてセリアの心を晴らそうと、知恵をしぼるように眉間に皺を寄せた。しばらくしてから、良い案が思いついたとばかりに顔を輝かせた。


「わかったでやんす。わちしの役目は姫さんのお世話をすること。つまりそれは、姫さんの願いを叶えて、つつがなく生活を送ってもらうことざんす。というわけで、わちしもお供しやす」


 ウィズは、牙をむき出しにしてにやぁと笑った。


「え……?」

「姫さんひとりで放り出すことはできないでやんす。それに、主殿から許可をもらえないならこっそり抜け出すしかないでやんす。ささ、そうと決まれば急ぐざんす。目ざとい主殿が気づいたら、作戦は失敗でやんす」


 まだ状況を飲み込めていないセリアを軽々と小脇に抱えたウィズは、緑色の光り苔が薄暗い回廊を浮き上がらせる中を走り出した。

 人の走りとは違い、風を切って跳ぶように走る様は、まるで軽業師のようでもあったが、速度はずっと速い。矢のように走るので、次々と景色が変わっていき、目が回るようだった。

 無数に伸びる回廊を迷うことなく選び、進んでいくウィズは、あっという間に城の外へ出てしまった。

 もしセリアが扉という関門を破っても、さすがに迷路のように複雑に入り組んだ回廊を抜けることはできなかっただろう。

 ウィズに感謝を込めて礼を言ったセリアは、初め外から城を見上げ、呆然とした。

 天高くそびえ立つ城は、どこか厳かであった。城全体を覆う、薄い金色の輝きが、ため息が出るほど美しい。

 浮き彫りの彫刻と繊細な文様が優美で、ドーナンの屋敷だって、ここまで素晴らしくはなかっただろう。

 大きな宝石や色硝子を白壁に埋め込んであるせいか、太陽の光に反射して、赤い大地に様々な色を映し出していた。

 城は切り立った崖の上にあり、大地の消えた部分からは、真っ白な霧に覆われた虚無が見えた。きっと反対側にセリアの部屋があるのだろう。


「ささ、姫さん。どこへ行きたいざんすか。わちしが案内いたしやす」

「場所は、その、よくわからないの……。二つの山が見えて、黒い穴がいっぱいあって……あ、蔦がね、蔦がいっぱい襲ってきたの」


 思いつくままそう話したセリアは、申し訳なさそうに肩を落とした。

 たったこれだけの情報でグルグリッドを助け出そうとしていたのだ。

 ウィズに頼りっぱなしのセリアは、そんな自分をはずかしく思った。結局、ひとりではなにもできないのだ。


「ん~、蔦でやんすか。生命力の強い()(シェ)のねぐらはいたるところに散らばってるざんす」


 首を傾げて考え込んだウィズは、難しそうに眉を寄せた。


「とりあえず、手当たり次第行ってみるでやんす」

「えっ」

「忘れられた(ドゥワール)では、そんな場所たくさんあるでやんす」


 にやぁっと笑ったウィズは、再びセリアを小脇に抱えた。


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