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   その二

 グルグリッドは攻撃をかわしながら虚無を飛んだ。冷たい霧が全身から体温を奪っていくようだった。

 薄着のセリアはカタカタ震えながら、ただグルグリッドに身を任せていた。

 グルグリッドは、青年を惑わすようにぐるぐると旋回しながら上を目指す。

 目映い光が霧の隙間から見えたと思った次の瞬間、グルグリッドたちは虚無から飛び出していた。太陽の光が冷えた体を優しく包み込む。

 けれど、安堵のため息を吐く間もなく、グルグリッドは忘れられた地の上空を飛んだ。


「真っ黒な山が二つ連なってるでしょ。その真ん中のぽっかりと空いた空間にある谷に、バティ=ラグさまがいらっしゃるんだ」


 忘れられた地は、肥大であったが、大地は赤く、まるで血のようだった。至る所に空いた穴が、どこか不気味さを伴う。

 燦々とした太陽の陽射しが逆に違和感を覚えるほど荒廃した地は腐敗の(アル・クルト)と似ていたが、こちらの方が薄気味悪かった。シューッと乾いた音とともに、穴から噴き出てくる紫色の煙。すぐに空気に溶けて消えてしまうが、風に乗って運ばれてくる匂いは花のような甘いものだった。


「急がないと。太陽が消える前に着かないと大変だ!」


 グルグリッドは焦ったように叫んだ。

 けれど、そんなグルグリッドを嘲笑うかのように、地上からシュルリと伸びてきた蔦が彼を捕らえようとした。


「もうっ、やんなるなぁ!」


 グルグリッドは、手を繋いでいないほうの掌に力を込めると、そこから現れた大ぶりの剣を振り回した。

 斬っても斬っても四方から伸びてくる蔦は、徐々にグルグリッドを圧倒し始めた。

 セリアを護りながら戦っている彼に、元から勝ち目はなかったのだ。

 徐々に表情に苦痛を滲ませ、呼吸を荒くしていく。

 お気に入りの帽子はすでに取られて、どっかにいってしまっていた。

 ここを突破するいい案が浮かばず、グルグリッドが頭を悩ませていたそのとき。


「きゃっ」


 セリアが悲鳴を上げた。

 振り返ったグルグリッドは、セリアの足に黒々とした蔦が絡みついているのを目に入れた。


「セリア!」


 剣先で蔦を切り落とそうとするが、そのすきを狙ったように蔦が攻撃を仕掛けてくる。剣を持つ手に絡みつき、抗えないように封じてしまうと、あとはなすがままとなった。


「……くっ」


 ぐるぐると巻き付けられる蔦の力は強く、呼吸も苦しくなるほどであった。


「リンリン!」


 グルグリッドの窮地にセリアが助けようとするかのように必死に身をよじっていたが、足に絡む蔦はセリアを地面にはたき落とそうと引っ張る。


「いたっ」


 セリアが顔をしかめた。

 グルグリッドがセリアを離すまいとしているせいで、セリアの体が引き裂かれそうになっていたのだ。

 グルグリッドはそれでも手を強く握っていたが、己を締めつける蔦の威力に耐えきれず握る手を緩めてしまった。


「きゃあぁぁぁぁぁ……っ!」


 セリアの体が勢いよく地面へと引っ張られていく。

 それを追うように無数の蔦がグルグリッドから離れ、セリアに向かっていった。


「セリア――――ッ!」


 痛みに耐えながら、グルグリッドは絶望に双眸を曇らせた。

 せっかくバティ=ラグを目覚めさせてくれるという〈鍵〉を見つけたというのに……。

 途方もない時間の中で、ただバティ=ラグの目覚めを待ちわびていたグルグリッドにしてみれば、〈鍵〉であるセリアを死なせるわけにはいかなかった。


「……んでっ」


 こんなことのためにセリアを連れてきたのではない。

 護ろうと思ったのに。

 グルグリッドがすべてを捧げても護らなければならなかったのに。

 ほぞをかんだ次の瞬間、グルグリッドを拘束していた蔦が消えた。グルグリッドが目を大きく見開くと、すべての蔦が灰となって消えていった。


「我が君を傷つけるとは……なんと愚かな」


 グルグリッドが、バッと下を見ると、そこにはセリアを抱えたまま宙に浮かぶ青年がいた。

 見れば、地面がえぐられたような箇所がある。

 あそこが()(シェ)のねぐらなのだろう。

 蔦守は地中深くに住み、獲物が頭上を通りがかるのを待つのだ。獲物の気配を感じると、何十という蔦がいっせいに地面を突き破り、獲物を捕らえる。それを住みかに引きずり込み、体に流れる毒液で弱らせてからじっくりと食していくのだ。雑食性で、植物でありながら肉も喰らう恐ろしい生き物である。

 太陽が隠れたときのことばかり考えていたグルグリッドの失態である。

 忘れられた(ドゥワール)に一度しか訪れたことがないとはいえ、そういうどう猛な生き物がいることは知っていた。

 暗くなくとも活動するどう猛な生き物がいることは知識としてあったのだ。

 体を動かすのも辛いグルグリッドであったが、そんなこと気にも留めずセリアのところへすっ飛んでいった。


「セリア……っ」

「! リンリン!」


 グルグリッドが無事と知ったセリアは顔を輝かせたが、身を乗り出そうとしたセリアの体をやさしく胸に引き寄せた青年は、首を振った。


「近づいてはいけません。アレは、貴女を惑わす者。虚無の番人の非情さを貴女はまだご存じない」

「オ、オイラが非情だって!? でたらめ言うな!」


 顔を真っ赤にしたグルグリッドが青年を睨みつけた。


「もし、私が我が君のあとを追っていなければ、今頃どうなっていたと思います?」


 冷ややかな視線がグルグリッドを貫く。

 言い返せず、ぐっと押し黙ったグルグリッドの体が何かに弾かれたかのように吹き飛んだ。空中での平衡を失い、そのまま、羽をもがれた鳥のように落下した。


「う、っわあぁぁっ――――……ぐ…っぅ、」


 地面に強く叩きつけられたグルグリッドの体が一度大きく跳ね、また落下した。


「リンリン……っ」

「さあ、城へ戻りましょう」

「でも……っ」


 助けようとするセリアを、けれど青年は聞く耳を持たなかった。

 そのまま大切そうにセリアを抱き、すっとその場から姿を消した。

 残されたグルグリッドは、緑色の液体を口から吐き出し、口元を乱暴に拭った。 酷く痛めつけられたこの状態では、セリアを奪い返すことは無理だろう。

 青年のように瞬間的に移動する術を持たないグルグリッドにとって、城までの距離は遠く感じられた。

 なによりも、セリアがいない以上、暗がりの谷をひとりで目指しても仕方ない。暗くなる前に虚無へ戻り、対策を練らないと無理だろう。

 力なく赤土の地面を叩いたグルグリッドは、悔しげに顔を歪めた。


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