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第四章 其は、永遠を生きる番人 その一

「うぅ……ぁ、や、……て! ごめ……さい……ぁ……やぁ」


 苦しげに寝返りを打っていたセリアは、ハッと目を覚ました。


「はぁ、……ぁ、はぁ」


 胸を押さえ、深呼吸を繰り返す。

 ツゥッと頬を滑り落ちる汗。寝間着はしっとりと湿っていた。

 目を覚ましても鮮明に覚えている――悪夢。

 ドーナンや見知った顔が崩れ落ちる床から手を伸ばして懇願するのだ。

 助けてくれ、と。

 悲鳴をあげ、暗闇に吸い込まれていく彼らをただ呆然と見下ろすことしかできない。

 そんなセリアに救いを求めるかのように青白い無数の手が伸びてくるのだ。

 嫌だと叫んでも、謝って泣いても消えない手は、痛いほどにセリアを掴んで離さなかった。まるで道連れにするかのように。

 夢から覚めてもその生々しい感触は残っていた。


(わたしにどうしろっていうの……)


 セリアは両肩を細い腕で抱きしめた。

 ドーナンの前の主人から受けた残酷な悪夢を見ないかわりに、眠りに就くとイ=バールが滅びたときの光景が流れるのだ。

 眠りが浅く、顔色の優れないセリアを心配した青年が、安眠できるようにと甘いお茶を作ってくれるのだが、効果は薄かった。

 セリアは気分を変えるように寝台から下りると窓辺へ近寄った。

 金糸を織り交ぜた薄布を退かすと、外は少し曇っていた。忘れられた地では、その灰色の雲が太陽を隠しているときが『夜』らしい。

 腐敗の地よりも遙かに明るい闇夜であったが、天なる地に長く身を置いていたセリアには、空が雲に覆われているだけでずいぶんと暗く感じた。

 美しい花が描かれた窓を開けると、湿気を帯びた冷たい風が流れ込んできた。『夜』になると気温が少し下がるようで、昼間に比べると肌寒かった。

 薄い寝間着一枚のセリアは、ぶるりと体を震わせると、そっと外に向かって手を伸ばした。しかし、その指先は見えない壁に阻まれ、やさしく跳ね返されてしまう。

 この見えない壁を通り抜けられるのは大気だけのようだった。

 過って落ちてしまわないようにとの配慮だろう。人あらざる力を持つ青年にしてみれば、細工をすることくらい造作もないのかもしれない。

 両の掌をそっとその壁に押しつけると、下を眺めた。視界はすべて霧で覆われ、何も見えなかった。ここが地上からどれほど離れているのか知る(すべ)もない。

 青年は、この下に『虚無』があると言っていた。

 忘れられた地を覆う虚無。

 忘れられた地は〈鍵〉の(きょ)であり、不変の世界。

 創造主バティ=ラグは〈鍵〉制度をつくると同時に忘れられた(ドゥワール)も創ったのだという。


(落ちたらどうなるのかな……)


 見つめていると吸い込まれそうになる。

 部屋から一歩も出てはいけないという制約を除いては、何一つセリアが自由にならないことはない。青年はかいがいしく世話をしてくれるし、疑問にもきちんと答えてくれる。

 機嫌を伺うことも、暴力を振るわれることもない満ち足りた日々。

 けれど。

 初めて知った本当の神に懺悔し、己のしでかした罪深さを嘆き、悔いるセリアには、その包み込まれるあたたかさが辛かった。このまま平穏な時間をただ享受するだけでよいのだろうか。  

 視線を自分の腕に移した。

 あれは夢なのだから、どれほど強く掴まれようと、痣になって残ることはなかったが、救いを求め、生へ執着する様は、脳裏から消えることはなかった。

 まるで、現状を咎めるように夢に現れる彼ら。


(わたしのすること……でも、わからない。だって望みは絶たれたのに……)


 これ以上、何を望むのだろうか。

 セリアだって探したのだ。

 元に戻せる方法を。けれど、神がいない以上、何をしていいのかわからない。


(あの人はわたしを〈鍵〉って特別な名で呼ぶけど、わたしにはなんの力もない。みんなを生き返らせることすらなできないもん)


 苦しげに眉根を寄せたセリアは、再び虚無へと視線を落とした。

 白い世界は、底なし沼のように深く、どこまでも続いているようにみえた。


(こことは違う世界……)


 忘れられた(ドゥワール)の周囲を覆う虚無を見つめるセリアの胸の内にある考えが浮かぶ。

 ここにいても変わらないのなら、いっそ飛び出したらどうだろう。

 もし。

 虚無に落ちて何かが変わるのだとしたら……。

 セリアはこくりと唾を飲み込んだ。

 その考えは無謀だ。死ぬかもしれない。

 そんな思いもよぎるが、甘い誘惑に駆られたセリアは、思わず呟いていた。


「この壁さえなければ試すことができるのに……」


 刹那、すっと見えない壁が消えた。えっと思う間もなく、両手を押しつけ体を支えていた上半身が、壁を失って傾ぐ。

 勢いよく半身を窓の外へ投げ出すと、反動で下半身も床から離れる。

 そのまま、まっさかさまに落下した。


「――っ」


 堕ちていく。

 堕ちていく。

 視界はあっという間に真っ白になった。胸を圧迫する風が、全身にぶつかる。息をするのも苦しい。

 終わりのない感覚。

 ただひたすら堕ちていた。


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