悪役令嬢(ヒールレディ)の空中殺法
小柄な身体を手早く担ぎ上げ、縄を足場に柱をのぼり、その頂点から高く跳躍する
半呼吸にも満たない滞空時間
重力の軛から逃れる、この瞬間を悪役令嬢はなにより好む
悪役令嬢は名門貴族の子女である
幼い頃から、貴族の子女とはかくあるべし、と理想像を示され
生来の才覚と、血の滲むような努力で以ってそれに応え続けてきた
今更、辛いと思うようなことでもないが、息苦しさは感じていた
歓声の中、柱の上から飛ぶ、この瞬間だけは、そこから解放される
この瞬間だけは悪役令嬢は、貴族の子女ではない
自身と敵対者の体重を合わせ、闘技場の床を破壊せんとする、一個の鎚だ
闘技場の床ほぼ中央、見事な形で鎚が振り下ろされる
着弾音は、歓声を圧するほど大きく、その衝撃が闘技場全域に行きわたる
さらなる歓声
歓声をあげる者達は確信する
仕合は終わりだ。あんな大技を受けて、立ち上がれるものはいない
ましてや、悪役令嬢の対手は代替わりしたばかりの二代目善玉令嬢
才能こそ目を見張る物があるが、未だ身体も小さな新人。ひとたまりもあるまい
そう思わなかったものが、その場には二人
一人は床に沈む、当の二代目善玉令嬢
意識は朦朧。手足に力は入らず。歓声すらも聞こえない
善玉令嬢は思う。甘かった、と
悪役令嬢は強い。そんなことは知っていた
だが、これほどまで実力に開きがあるとは思わなかった
もはや笑えてくる
自分は、思っていたより未熟だったようだ。子供だったようだ
思い返せば、先代もこういっていた
子供たちの笑顔があれば、どんな時でも善玉令嬢は無敵だ。そろそろ立て殺すぞ
「根性ぉぉぉぉおおおおおっ!!!!」
何の脈絡もなく、笑顔で叫びながら立ち上がった善玉令嬢に歓声が途切れる
会場ドン引きであった
そして、示し合わせていたように、その笑顔に、悪役令嬢はこの仕合の開始を告げた鐘を叩きつける
鮮血が舞う
掟破りの凶器攻撃であった。でも3呼吸以内なので規則的に概ねOK
悪役令嬢は、善玉令嬢の腕をつかみ、縄へと振る
自身も、善玉令嬢を追うように駆ける
あの程度で、善玉令嬢が倒せるとは思っていなかった
否、先代の魂をついだこの二代目ならば立ち上がると確信していた
先代は強かった。まさに強敵であった
あの美しくも恐ろしい裏投げの数々
垂直に落とすもの、虹のように振り回すもの、いずれも一撃必倒の威力を秘めた神業であった
彼女を倒すために、自分は何度飛んだであろうか
彼女抜きでああまで高く長く飛べたであろうか
ほんの一刹那の懐古。戦いの中で戦いを忘れた、その瞬間をついて善玉令嬢が飛んだ
迫る縄を足場にした、後方宙返り
虚を突かれた悪役令嬢は背後を取られる
すかさず、振り返りざまに手刀を放つも、すでに遅い
善玉令嬢の両手は、悪役令嬢のへそへとまわり、錠前の如く硬く組まれる
この技は、先代善玉令嬢が最も得意とした投擲型の裏投げ
もはや逃れる術はない
二代目善玉令嬢の両腕が優しく悪役令嬢を重力の軛から解放するのを感じながら
悪役令嬢は、やはり自分で飛ぶのも良いが、強敵に飛ばされるのも悪くない、とそんな事を思っていた
オチもないです