アイザック・ミリアという第五ステージ
『ブギーポップ』の時に触れた第五ステージがこの小説においては誰に相当するのか、という問いはなかなか難しいです。どれがそうなのか、実はこれにかぎって指をさすのは難しいのです。しかしあえて言うなら、第五ステージは不在ではなく、アイザックとミリアの二人がそうなのかもしれません。さっきからこの二人には第一ステージにいてもらったり、第二ステージに行ってもらったりと、ずいぶんころころと旗幟を変えているので私も困っているのですが、そこの点の微妙な差別が、成田良悟と私の思想上の懸隔、整合性の違いなのでしょう。あるいは単純に、読者受けする面白いキャラを書いていたら、しまいにはブレてしまったとか……そっちの線はできれば考えたくないのですが、さて、なぜこの笑いを誘いまくる二人が「笑わない」ブギーポップ同様、第五ステージだと言えるのか……単純な話です。彼らは色んな人達に恩を感じて、救おうとしていました。ダラス家の遺産なんかでは大いに空回りしている二人でしたが、ストーリーにおいて二人は多くの人を救いました。もちろんそれは無私でも奉仕でもなく、純粋に恩返しの一念からなのです、返礼という点で見てみれば第二ステージのようにも見えるのですが……そこで群像劇的な視点が活きるわけですね。つまり、彼らの感じている恩や親切というのは、実はそうではないということが読者にはわかるような構図になっているわけですね。そこの点の勘違いが面白いわけですが、結果的に彼ら二人は、勘違いから多くの人を無償で救っていったわけです。罪滅ぼしとかなんとか言ってますが、厳然として彼らは救済者たりえます。未曾有の恐慌にあえぐ人たちに、警官をまくためのカモフラージュと称して有り金を全部ばらまくあたり、神父と尼僧どころかメシアと言わずしてなんと呼ぼうか。明らかに作者は、その意味でコスチュームというガジェットを駆使していますね。彼らは共に、手を差し伸べる第五ステージです。




