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創作における神

ソクラテスは、無知の知といっています。それを知らないのだということをちゃんと知っていれば、それについては知ったも同然という世界が第七ステージというわけです。「それ」とは、英語で「it」です。Itの由来は、ラテン語の「イド」にあります。イドとは潜在意識のことです。村上春樹の一連の小説には、やたらと井戸が出てきますね。それはいったいなぜでしょう。よくお考えください。


キリスト教の文脈では、神が自らの似姿として人を塑像したのだとされています。しかしある時期以降、様々な要因から(一つには科学の進歩、一つには免罪符等の、教会の腐敗)教会の権威が失墜するにおよんで、人の方で神を自らに似せて作ったのだとする言説がもっぱらになっていきました。これはある意味で正しくもあり、ある意味で間違っています。そもそも神とは、人が人を理解する際に組み込んだ、共通のテクストなのです。他力本願の神頼みという行為は、こう考えてみますといかさま愚かな行為といえそうですが、既に経済単位に組み込まれている神社仏閣もその嘘なる神を売り込むことによってマネジメントしているのですから、まあ、イワシの頭も信心からということでしょう。せめて我々だけは神様を、前述したように理解していたいものです。


さて、話は長くなりましたが……つまり全知全能の神とは、人の心までもわかってしまうもののことを言います。もっとぶっちゃけて言えば、心だけ読める人のことだって神と呼んでしまえます。わかりやすいかどうかはともかくとして、サブカルチャーの中から例を引くと、西尾維新の作品にはやっぱりその意味での神が多く登場してきますね。ほら、よく出てくるじゃないですか。なにもかも見透かしたようなヤツ。尤も、西尾維新の作品をあまり読まない読者には、ピンとこない博引旁証だとは思いますが。彼ほど濫読した人間は、神というものをそうとらえているのです。


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