神という第七ステージ
さて、これまでに私は私の独自の用法であるステージ概念を多用してきましたが、そもそもステージとはなんなのか――どういう価値観が、それぞれのステージの特徴なのかという説明をしてきませんでした。それは論の組み立てとして、いささか蕪雑なように思われるかもしれませんが、私はあえて、言葉をセーブしていたのです。そのかわりに、作中人物のなにがしが、いかなるステージに在るのかを説明してきたつもりです。世界とは、一枚のコインの表と裏。ステージとは、裏から表、表から裏へとひるがえる経過のステップ。それを私は、七段階に分けていると述べました。本作においては、霧間凪のようであるのを第一ステージと位置づけていましたが……その頂点たる第七ステージにあたる人物が誰なのかというと、これが意外にも、あるいは妥当にも思えるキャスティングかもしれませんが、紙木城直子こそか、第七ステージとみてまず間違いないでしょう。この人物につけられた名前から、それが窺えます。
私の考える第七ステージというのは、実はコインでたとえると、表でも裏でもない面なのです。かといってそれは、側縁というトンチめいた発想でももちろんないわけでして……一言でいってしまうなら、それは神です。
キリスト教の文脈でいってしまえば三位一体のイエスこそ第七ステージであり、仏教でいうならお釈迦さまや如来さまが第七ステージなのです。あくまでも、人間の世界を言っているのがステージ思想のはずであるのに、私はその頂点に、言うなればゴールたる終局点に、人ならざる神をいただいているわけです。これはなぜでしょうか。皆さんでお考えいただきたい。神とはそもそも、どういうものでしょうか……日本人の多くがそうであるように、不信仰者にとって神とはフィクションです。ならば、全知全能とは、なんでしょうか? 私は人のあり得る可能性、あるいは、あり得た可能性として第七ステージを設定しているのです。




