街角悪魔
『間もなく一番線に電車が参ります。白線の内側でお待ちください』
聞き飽きたアナウンスと同時に鉄の塊が停まる。開いたドアに吸い込まれるようにして一斉にそれの中になだれ込む。そのまま数歩進んで反対側のドアの前に立つ。このドアは私が降りる駅まで開かない。
朝の通勤、通学で込み合う時間帯も、田舎の電車はたいしたことはない。鞄を足元に置き、自分のスペースを確保することもできる。痴漢の心配も特にない。
ドアが閉まると、ゆっくり景色が流れる。青々とした草木が多い。自然豊かと言えば聞こえは良いが、私にはつまらない場所にしか感じない。
そう、つまらない。学校の勉強も部活も人間関係も。
ここで電車が止まったりしたら学校行かなくてもいいかな。事故でも起こったら、電車止まるかも。そんな事を今までに何度か考えた。
たぶん今も考えてる。
流れる景色が少し変わり、小さなマンションやアパートが増えてくると、電車は減速を始める。手すりにつかまって、傾く体を支える。
『間もなくA駅、A駅でございます。』
電車がホームに差し掛かる。反対方向の電車を待つ人の群れは溢れ出しそうになっている。
突如視界は変わり、朝日が遮られ、それぞれの方向に向かう電車が二本、平行に並んだ。
外を眺めていた私は、反対側の電車に乗り吊り革に捕まる女子高生と目が合った。これだけの人数が集まる場所では珍しいことではないが、気まずさを感じた私は目を逸らした。
するとその女子高生の肩辺りに黒い影のようなものが見えた。何故だかそれに引き付けられた。
最初は光の具合でそれが見えたのだと思った。でも大勢の人で、私もむこうも影の中。次から次へと考えられる可能性を挙げていく。寝不足、ストレス、視力低下……。しかしそれらは脳内ですべて否定される。不気味な感覚を覚え、背に汗が流れるのを感じた。
そしてそれは、突如、姿を現した。
悪魔だ……
そう直感した。ゲームに出てくるような黒いそいつは、静かに、しかし確かに立っていた。
私は恐怖を覚えた。そいつから目を離すことも、身動きをとることも出来なくなる。心臓をわしづかみにされるような、苦しさと恐ろしさを全身で感じていた。
突如、激しい頭痛に襲われる。かと思えば、私の金縛りは解け、どちらともなく電車が動き出す。
あいつの姿は、無い。
まだ、緊張で心臓が高鳴るように胸のあたりが落ち着かない。必死で意識を見慣れた景色に集中させる。
遠くまで続く開けた風景は何の刺激もなく、それがかえって良いように思えた。
それでも、いたるところから流れ出した汗の存在は変わらない。このいやな感じは、まだ消えてくれない。
『間もなくB駅、B駅でございます。』
アナウンスが入り、電車が減速を始めた時だった。
「キャーッ!」
女性の悲鳴が聞こえると同時に、激しい揺れが起こり、焦げ臭い独特の臭いが鼻腔を刺激する。
車内は騒然となる。
異様な雰囲気を乗せたまま、一両目がホームに入ったところで電車は止まる。
何となく察しはついた。
線路を挟み反対側のホームを見れば、まだまばらではあるが人が集まっている。中には顔を背けている女性もいたが、その人達の視線の先はなぜか私。違う。私の足の下。
背中には怯える声、前方には意味深な視線、そんなものに挟まれながら、私は半ば好奇心のような物を感じていた。
ゆっくりと視界を移動させ、下の線路を覗き込むようにする。
「ぃやあぁっ!!」
私は悲鳴と共に後ずさり、誰かにぶつかったところで崩れ落ちた。
そこには鮮やかなマニキュアが光る、白く細い腕があった。
乱れた呼吸を必死で整えようとするが、次第に荒さを増していく。
女性の腕がすぐそこにあるのだ。もしかすると、私の足下にはその体もあるかもしれない。そう考えると、さらに恐怖が襲ってきた。その腕が、その体が、私に襲いかかってくるのでは、などと考えてしまうほど、私の気は動顛していた。
『ブルル…ブルル…』
いきなり制服のポケットから振動を感じ、体が跳ね上がる。しかしそれは慣れたはずの携帯電話からだった。
慌ててポケットから取り出せば、サブディスプレイには親友の名前が流れている。恐怖から逃れたい一心で、縋るように通話ボタンを押す。
「もーしもーし。宿題のノート見せてほしいんだけど、もうすぐ学校つく?」
いつもの調子で明るい声に緊張がとけていく。
「うん、今、B駅なんだけど……。」
少し震える声を必死に操り状況を伝えようとする。しかし、それ以上の言葉が綴られる事はなかった。
携帯電話が床に落ちる。
体から力が抜ける代わりに、又しても恐怖が入り込む。
私はまた、黒い影を見た。ドアのガラスに写るあの黒い悪魔。
その映像から、後ろに立っていることがはっきりとわかるのに、私はまた、動くことも出来ず震えている。
あいつもまた、ひとつも動きを見せない。私たちはガラスに映るお互いの虚像と睨み合う。静かな恐怖がじわじわと迫る。
そんな静寂の中、攻撃を仕掛けたのはあいつだった。
激しい頭痛が襲って来て、不意に私は睨み返す。悪魔を正面から直視した瞬間、私の頭痛はさらに激しくなり、ぐらりと体が傾きかけた。
それをこらえると、次に頭の中へ直接言葉が送り込まれる。
『事故でも起こったら、電車止まるかも』
「事故でも起こったら……っ!!」
それは紛れもなく、私の脳裏にある言葉だった。
「やめて!やめて!!やめてっ!!」
私は叫び続けた。私のせいじゃない。何も関係ない。何も知らない。
頭を抱えて崩れ落ちる私に、また視線が注がれた。背中に熱を感じるように、ひどく痛く感じた。
甲高い悲鳴。耳に残る金属音。振動。焦げるにおい。向かいのホームの視線。女性の腕。背後の視線。悪魔の言葉。この短時間にとらえた、ありとあらゆるものが一瞬にして体中を巡り、最後に私は意識を失った。
目を覚ましたのは、病室の真っ白なベッドの上だった。
私の片腕は包帯にまかれ、まっすぐに固定され動かなかった。
今まで以上に、何もない、つまらない日々の始まりだと思った。
悪魔が、笑った気がした。
おつきあいいただきありがとうございました。いろいろとメッセージを込めたつもりではありますが、何か残るものはあったでしょうか?感想、アドバイスなどいただけるとうれしいです。また、お会いしましょう。