07
「ねえ、早く殺してよ」
ある日、突然彼はつぶやいた。この男の死にたがりはいつものことなのだが、今日はその声に抑揚がなくて冷たく、まとっている雰囲気も違うように感じる。
しかし、決定的な違いは、そのカオにいつものような作り笑いが貼りついていないことだった。よって、彼の表情は真剣そのものである。
これが本当のカオであるはずなのに、違和感があって仕方がない。それだけこの男の作り笑いが『本当のカオ』になっているということだ。
「今日はやけに真剣だね。仕事で嫌なことでもあったのかい?」
「別にないよ? ただ、君がなかなかボクを殺してくれないからさ」
「君はどうしてそんなに死にたいの?」
「ボクが生きていると、みんなに迷惑がかかるから」
即答。『みんな』が誰を指しているのかはわからないが、この男にもそんな偽善的なところがあったのか、と思ったのも束の間。
「――とでも言うと思った?」
「……何、ウソだったの?」
「当たり前じゃないか。ボクがそんな偽善的なこと言うと思う?」
「そうだね、思わない」
「即答かあ。まあでも、そうでしょ?」
にこり、今日初めての作り笑いだった。そうだ、この男がそんな偽善的なことを言うはずがない。だからこそ、さっきの言葉に驚いたのだ。
すると、彼はふっと嘲るような笑みを浮かべた。
「ボクが死なないことで迷惑しているのは、ボク自身だよ。ボクはね、この世界が大っ嫌いなんだ。だから、早くボクを殺してよ。君の手で、ボクを眠らせて」
この男の言っていることが、ぼくにはまったく理解できなかった。この世界の何が嫌いだというんだ。この世界の何がそんなにこの男を死に向かわせるというんだ――ああ、また他人のことを気にしている。こんな感情、必要ないのに。
「じゃあ、君はどうしてぼくに殺されたいの?」
先ほどよりも低めの声でそう問いかけると、彼は少し目を見開いて、
「君からそんなに質問してくるなんて珍しいね」
と、何がおかしいのか、くすくすと笑った。何だか本心を見透かされているようで嫌な気分になる。
「そうだね、君と同じだよ」
「どういう意味?」
「君が快楽と血を求めているように、ボクは、ボクという人間の消滅を渇望しているんだ」
「だから、どうして」
「この世界が大っ嫌いだから」
完璧な笑顔を浮かべ、彼はぼくをあっさりと突き放す。
ああ、イラつく。それではさっきと同じ答えではないか。まったく、本心を隠すことにおいて、この男に敵う者はいないのではないかと思えてくる。
「君、今日は何だかおしゃべりだね。どうしたの?」
「別に、気分だよ」
「ふふっ、やっぱり君は面白いね」
この男と会話をするときには必ず出てくる単語にうんざりしながらも、ぼくは心の中で自嘲していた。
本当に、何でこんな男を『面白い』と思ってしまったのだろうか。今まで――『あの日』から――他人に興味を持つことなんてなかった、いや、むしろ持たないようにしていたのに。
「ねえ」
その声にはっとして顔を上げれば、彼の顔がさっきよりも近くにあった。はは、ぼくとしたことが注意散漫とは。快楽殺人者にあるまじきことだな、と再び自嘲する。
「何だい?」
「君は快楽と血を求める快楽殺人者なんでしょ? だから、君にボクの血をあげるよ。早くボクを殺して?」
「残念だけど、ぼくは血だけがほしいわけじゃない。君の下手くそな演技じゃあ、快楽は得られないよ」
そう、ぼくが求めているのは快楽と血。恐怖と痛みに歪むカオと、飛び散る緋色の鮮血、その両方だ。死にたがりやの、しかも他殺願望のこの男では、前者は得られない。
すると、男は妖しげな笑みを浮かべた。
「じゃあ、快楽殺人者としてじゃなくて、〝君個人〟がボクを殺せばいいんだよ。ボクを憎んで、その憎しみのためにボクを殺せばいい」
「前にも言ったけど、ぼくはそんなくだらない理由で人を殺したりはしない」
「そしたらそのときはさ」
人の話を無視して、彼はにこっと笑った。
「そのときは、笑って死んであげるね」
「……最悪だね」
その瞬間、ふと浮かんだ感情を抑えつけ、ぼくは皮肉っぽく笑ってやったのだった。